「……」
桐山は、じっと廊下の床を眺めていた。
もし踏み間違えればどうなるのか結果を知っておこうとポケットにあった生徒手帳を投げた。
手帳が禁断の赤い床に落下した瞬間ばちばちを火花を放ちながら黒こげに。
「なるほど」
桐山は結果に納得しただけで恐怖も焦りもなかった。
赤い部分だけを踏めばいい。それだけでいいのだと単純に考えた。
そして、その通りにリズミカルに白い部分のみを辿って走り出した。
Solitary Island―161―
「ここよ」
翠琴の案内で通風口にたどり着いた。鉄格子がついてはいるが人一人通れるサイズだ。
徹は鉄格子を取り除くと「案内しろ」と翠琴の背中を押した。
「私に先頭を歩けっていうの?冗談じゃないわ。ここでF4に襲撃されたら動きがとれないのよ」
「それもそうだ」
徹は翠琴の喉元にナイフを突きつけた。
「そんな事知ったことか。俺の美恵がこうしている間にも危険な目にあっているんだ。
ブラックが美恵に少しでも猥褻なまねをしていたら、いや、かすり傷一つついていたら、俺はおまえを殺すぞ」
翠琴は反論すら許されない立場だと思い知り舌打ちすると通風口に入った。徹も後に続く。
「待って佐伯君!」
瞳も慌てて中に入った。
「まるで地下道を通ってるみたいよね。あ、ここ地下だったわよね」
瞳の脳天気な声がやけに響く。
照明がなく狭いため、今までよりも、ずっと危険と圧迫感を感じる。
幸いにもF4とは遭遇していないが、勿論油断もできないだろう。
しばらく歩くと通路が右左に分岐しているところまできた。
「どっちだ?」
「右よ。後少しで黒己の担当博士の執務室にでるわ」
「あ、佐伯君、あそこじゃない?」
瞳が指さすまでもなく光が見える。灯りがついている証拠だ。
「よし急ぐぞ」
だが、ここにきて嫌な気配が複数近づいてきていた。
「……来たわよ」
「え、何が?」
ぐずぐずしている暇はない。
「さっさと走れ!」
中腰の状態で走ったが、スピードは思うようにでない。
「何がおきてるの?」
振り返りながら懐中電灯を照らした瞳は絶叫した。
「あ、あ、あ、あいつらわぁぁ……!!」
何度もお目にかかったおぞましい未知の生物が猛スピードで追いかけてくる。
「さ、さささ佐伯君!あ、あいつら……!!」
執務室までくると徹は壁にかかっている格子を蹴り破ると室内に滑り込むように入った。
「銃があるはずだ!」
F5の担当博士なら護身用の武器を執務室に常備しているはず。
「佐伯君、これ!」
瞳が分厚い辞典や研究資料が並んでいる本棚を動かした。
二重構造だったのだ。
同人誌を隠すことに腐心している瞳にはお馴染みだったので、一目見てわかった。
奥の棚にはいくつも自動小銃がかかっている。これは瞳のお手柄だ。
徹はすぐに銃を手にするとトリガーを引いた。恐ろしい悲鳴が聞こえてくる。
瞳は恐怖でがちがちになりながら、両手で耳を塞いだ。
「終わったな」
徹の興味はすでにF4には無かった。
デスクには埋め込み式のコンピューター。徹はコンピューターを起動しキーボードを叩きだした。
「邪魔者は殺すぞ」
黒己の動きは早かった。直人は紙一重で避ける。
つかまったらやばい。パワーは確実に黒己の方がある。力勝負になったら負けだ。
それが直人が出した結論だった。
スピードと動きには自信がある。
隙をついてダメージを与えようと思っていた直人だったが、黒己はパワーだけの男ではなかった。
完全に避けたつもりだったのに、服の裾をつかまれていたのだ。
そのまま黒己は力任せに直人を振り回した。
「直人……!」
そして直人を壁に向かって投げた。
直人は壁を蹴り返し、三角跳びで黒己の背後に移動。
頭部に一撃を加えれば、タフな黒己も倒せると思ったのだろう。
だが黒己は予測していたのか、それとも反射的に動いたのか、振り向きもせず蹴りを繰り出してきた。
「ぐ……っ」
直人の顔が苦痛に歪み、そして床に落下。
「殺してやる!」
体勢を立て直す暇もなく引導を渡してやるとばかりに黒己は直人の腹部めがけて跳んでいた。
落下速度の加わった強烈な拳で内臓破裂を狙ったのだろう。
「危ない、直人!!」
しかし美恵が直人を庇って、2人の間に飛び込んだので、黒己の攻撃が一瞬鈍った。
その隙を直人は見逃さなかった。
黒己の顔面めがけて小さな袋を投げつけたのだ。
それは地上にいる間に直人が砂を詰めておいたものだった。
玩具のようなものだが、こんなシンプルなものが武器として使用できることもあることを直人は熟知していた。
砂で目をやられ黒己は痛みで両目を押さえた。
ダメージこそ与えられたが、こんなものでは勝利には結びつかない。
直人の目的は目先の勝利ではなかった。
「行くぞ美恵!」
直人は美恵の手をとると逃げた。
「ま、待て!俺の女……俺の女だ。置いていけ!!」
目的はただ一つ。美恵を安全な場所まで避難させることだ。
「直人、体は大丈夫なの?」
「親父の鉄拳の方がずっと痛い」
それは笑えるような台詞ではなかったが、おそらく直人にとっては精一杯の冗談だったにちがいない。
「奴はすぐに追ってくる」
直人は懐からスプレーのような小さな筒状の缶を出した。
「……おそらく、出口はあっちだ」
「そうね。微かだけど空気の流れを感じるわ」
直人は缶を設置すると再び美恵の手をとって走り出した。
数秒後に背後からぷしゅーという妙な音がしたので振り向くと煙幕で何も見えない。
「直人、あれは?」
「大したものじゃないが有毒ガスだから奴の動きを止められるはずだ」
これで安心とはいえないが、時間稼ぎにはなるだろう。
2人は、止まることなく走り続けた。
「直人、何か音がしない?」
「……嫌な予感がする」
角をまがると、とんでもないものが目に入った。水だ、水が流れ込んでいる。
すでに数メートル先まで完全に水に没している。
「水道管が破壊したんだろう」
先に進むには水に潜るしかない。泳ぐのは問題ないが、水中でFの襲撃にあったら厄介だ。
かといって引き返せば黒己との再戦は避けられないだろう。
「待ってろ、まず俺が入る」
直人は水の中に足を踏み入れた。数歩あるいただけで、水位は直人の胸部まできた。
「よし、いいぞ。敵の気配はない」
美恵は直人の後に続いた。しばらくは徒歩で進めたが、水位はどんどんあがってくる。
先に進むには潜水する必要がある。
しかし出口が簡単にみつかるかどうか保証がない。
水中で迷ったら最悪の場合は溺死が待っている。
直人がついている以上、そんな死に方はまずないだろうが、アクシデントだってあるだろう。
例えば、Fが奇襲をかけてきたら、どうなる?
直人も、それを危惧していたのが、「ここで待ってろ」と、言い残し一人水中に消えた。
(あの男は、きっと私達を追ってくるわ。私を恨んでいるもの)
あの異常な執着と殺意を思いだし美恵はぞっとした。
狂愛というものならば雅信で経験済みだが、雅信は少なくても美恵の命を奪ったりはしない。
しかし、あの男は違う。美恵を殺すことさえも享楽を感じている。
美恵は己の体を抱きしめた。ぶるっと震えが走る。
その数秒後に、静まり返った空間の静寂さを破るように水面が盛り上がった。
美恵はびくっと反応したが、その直後に姿を現した直人を見て心底ほっとした。
「とりあえずは大丈夫だ。この先に出口がある。ついてこい」
直人が再び潜水する。美恵も大きく息を吸うと水に潜った。
水中では直人が手振りで進行方向を指し示してきた。
美恵は直人の後について泳いだ。静かだ。確かに敵はいない。とりあえず今のところは。
直人がいったん停止して頭上を指さしながら浮上した。美恵も後に続く。
水面に出たが、ここは出口では無いようだ。息継ぎをして再び水中に潜った。
その時だ、全身を刺すような、おぞましい気配を感じた。
(何?)
何かがくる。直人が背中を押してきた。指を指している。
(直人?)
『行け』と言っているのだろう。
少し濁った水中絵図の中に、あのおぞましき化け物F4が華麗な泳ぎを見せていた。
「ふうん、速いじゃない」
その様子を紫緒はモニター越しに観察していた。
運動能力と集中力さえあれば難しいことではないが、普通の人間ならば精神的な動揺があるはず。
それが桐山には全くないのが、紫緒は面白くない。
「まあ、いいさ。これは序の口なんだ」
紫緒はほくそ笑んだ。
後少しという距離まできた桐山は単調で簡単なゲームだと思っていた。
しかし、それは甘い考えだったと思い知らされる事になる。
白いパネルが赤に変化したからだ。
「何だ?」
桐山は、とっさに空中で体勢を変化させ、隣の白いパネルに着地。
優れた反射神経がなければ、手帳のように黒い塊となっていたところだ。
今自分がたっている部分もいつ安全地帯から危険地帯に変貌するかわからない。
後、少しでクリアというのに、とんでもないことになってしまった。
桐山は白いパネルが連続している部分を発見すると跳び移り助走をつけ大ジャンプを披露した。
「すごいじゃない。でも焦ったよね」
紫緒はくすくすと笑った。
「あの程度の助走では飛距離はたかがしれてるよ。
どんなに優れた身体能力があったって無駄無駄。ほうら、落ちるよ。赤い床に」
紫緒は桐山の黒焦げ死体を想像した。
美しい男が醜い屍になる。それは美貌を失った紫緒にとっては楽しい楽しいイベントだった。
ところが紫緒の思惑は簡単に崩壊した。桐山は赤い床には着地しなかったのだ。
到達地は床ではなく壁。壁を蹴り、その勢いでさらに飛び、このゲームをクリア。
「あ、あいつ……か、かわいくない。かわいくないよ……最高の最悪さだ!」
紫緒は自慢の銀髪を両手で鷲掴みにして頭を抱えた。
「どうして僕の思い通りにならないんだ。どいつもこいつも最悪すぎるよ。ああ……頭が痛い!」
「相変わらずふざけた野郎だぜ。一生頭痛になってろ」
紫緒の眉がぴくりと微妙な動きを見せた。
ゆっくりと振り向くと、いつの間にいたのか、赤毛の男が睨んでいた。
「……紅夜」
「何だ、その崩れ顔面は。ピカソにもで目覚めたのか?」
紫緒は怒りでどうにかなりそうだった。感情にまかせて殺意を剥き出しにしたかった。
そうしなかったのは、紅夜が自分より、はるかに強いことを骨の髄まで知っているからだ。
「……僕は怪我人なんだ。少しは優しくしてよ」
「そんな無駄なことできるか」
「……相変わらず嫌な男だよ。僕にかける慈悲の心が欠片もない」
「一つ利口になったじゃないか」
紫緒は再び髪の毛を両手で鷲掴みにした。
紅夜との会話はいつもこんな感じだった。
怒りは美貌によくない。だからなるべく接触を絶ち生きてきた。
しかし一緒に育つと、そんなことは無駄な努力としか思えないほどストレスだけが蓄積される。
「黒己をみなかったか?」
「黒己?」
「蒼琉を裏切った」
「蒼琉を!?」
紫緒は驚愕した。確かに黒己は常日頃蒼琉に不満を持っていた。
しかし逆らうほど愚かでもなかったはずだ。
「どうして?」
「おまえと黒己は俺が今まで見てきた人間の中でも二本の指に入る変態だ」
紫緒は口元がひきつった。
「変態が暴走しすぎて蒼琉の怒りを買った。それだけだ」
紫緒は天瀬美恵の事を思い出した。黒己は美恵に執着していた。
蒼琉は美恵を気に入れば多かれ少なかれ衝突はある。
しかし蒼琉が絶対的な存在である以上、黒己が忍耐することで何とか均衡を保つだろうと思っていた。
だが、それは甘すぎる考えだったようだ。
「遊んでないで、さっさと片づけろ。でないと貴様も蒼琉に切り捨てられるぞ」
「ぼ、僕が蒼琉に……!?」
「元々、蒼琉は貴様のオカルトじみた性癖を嫌っていたからな」
「そんな、酷い……!」
紫緒は床に崩れ落ちると泣き叫んだ。
「僕の青春は蒼琉に捧げてきたのに!」
蒼琉ほど美しく強い男は存在しない。
だからこそ罵倒されようと気まぐれで暴力を受けようと耐えてきた。
その一途な愛に見合うだけの恩寵を蒼琉が与えてくれたことなど一度もない。
「愛してるのに!!」
「蒼琉にとっては、ありがた迷惑だな」
「いちいちうるさいよ、鬼ぃ!!」
紫緒は、ゆっくりと立ち上がった。
「……わかったよ。めちゃくちゃにしちゃえばいいんだろ?」
紫緒はコンピュータを操作した。モニター画面には『バイオレットコース』という不気味な単語がでかでかと表示される。
「……いいよ。やってやるよ」
紫緒は、さらに赤いボタンを押した。すると壁に埋め込まれているボックスが開いた。
ヘルメットに防弾チョッキ、特製の皮手袋などが入っている。
「素人相手に完全武装か」
「……君が侮っているほど素人じゃあないよ。むしろ逆さ」
接触時間こそ短かったが紫緒も戦闘のプロ、桐山が普通じゃないことはわかっている。
なめてかかったら殺される。殺されたくなかったら全力で殺しにかかるしかない。
しかし全力で殺しにかかる理由はそれだけではなかった。
「……どうしてだかしらないけど……むかつくんだよ、彼」
紫緒の目は戦闘モードに変化していた。
「容赦なく殺してあげるよ」
「変態のおまえの好きそうな優男なのにか?」
「……本当にいちいちうるさいな君は」
紫緒は紅夜に向けた敵意に満ちた視線をモニターに映った桐山に移動させた。
「……生理的に嫌なんだ。僕の本能が彼を拒絶している」
紫緒は両手に、それぞれ銃を持った。
「ぐちゃぐちゃにするよ。それで文句ないよねえ?」
【残り21人】
【敵残り6人】
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