「直人……!!」

血だ。錯覚ではない。確かに直人のこめかみから流血している。
美恵は思わず目をそらした。気が遠くなり、足元が崩れ落ちるような感覚すら覚える。


「俺のダメージに見合うだけのモノをもらうぞ」


直人の声に、美恵は、はっとして顔を上げた。
確かに直人は流血しているが直撃はさけている。
その証拠に直人の意識は、はっきりしており戦闘意欲に満ちた目には陰りが無い。
薄皮一枚の負傷で済んでいる。そして、そんなギリギリの防御に徹した直人には明確な目的があった。
黒己に紙一重の位置まで接近するためだったのだ。
直人は素早く腕をあげると黒己の利き腕を押さえ込んだ。


「俺は皮一枚。貴様は利き腕一本。高くついたな変態」




Solitary Island―160―




(この基地の構造上、あの隠し扉以外の出入り口は――)

徹は、この階の間取り図を頭に浮かべていた。

「徹、何をぼさっとしてるんだよ。そっちに行ったぞ!」
俊彦の大声が耳に届いた。
「うるさいんだよ」
徹は階段をかけあがりながら、さらに考えた。


(パニックルームか?)
こんな化け物が大勢いるのだ。科学者達はいざというときのために、基地中に緊急避難室を作っていたのだろう。
(通風口から壁の裏側の廊下にでるはずだ)
勿論、途中Fの侵入を防ぐ格子がかかっているだろうが、今思いつく進入経路はそれしかない。
(動きがとりにくい場所だ。もし移動中にFに襲われたらやばい)
F4が徹の後を追い階段の鉄柵に足をかけ、まるで梯子のようにのぼりだした。

「しつこい奴だな」

徹はナイフを数本取り出し投げた。見事にFの眼球に命中。
視力を失ったFはおぞましい悲鳴を上げながら落下した。














「佐伯さんって残酷だよな」
「何言ってるの。あれが佐伯君の魅力なんじゃない」
「あんな恐竜みたいなのとよく戦えるな。まともな性格じゃあこうはいかないよ。
菊地さんなんか、こんな綺麗なお姉さんに酷いことまでするし」
「何言ってるのよ。この女は敵……え?」


「……ぅ」
翠琴が、ゆっくりと動き出した。
「もしかして意識取り戻してる?もう一度気絶させなきゃあ、何か重たいもの、重たいもの」
瞳はきょろきょろと周囲を見渡した。
「……瞳ちゃん、まさか」
「ちょっと頭を殴って、もう一度気絶させるのよ」
「何言ってんだよ。許さないぞ、こんな美しいおねえさんに!!」
純平の怒りの抗議は本人が思っているよりもボリュームがあった。














(あいつら、いたのか)

徹の耳にも二人の会話は聞こえた。


「何が綺麗なおねえさんよ!」
「女の人は絶対に優しくしなきゃあいけないんだよ!」


(根岸のやつ、まだ生きていたとはな)

純平のせいで負傷したも同然の徹にとっては忌々しいことだった。
しかし二人の会話からF5の女がつかまっていることも知ることができた。


(奴らの仲間なら、知っているはずだ)


徹は天井近くの窓ガラスを睨みつけた。あそこに続いている階段は反対方向だ。
特大F4は四匹もあがってきている。やつらをかいぐぐるのは厄介だ。



「晶、何やってるんだよ。さっさと片づけろよ。ほら、早くしろ!!」
薫が攻撃を避けながら叫んでいた。
F4の腕が伸びてくる薫は高く飛び紙一重で避けたが、そこに横から別のF4の腕が伸びてきた。
「しまった……!」
薫の華奢な肉体は、ついにFの手の中に。
おまけに、それは自分の獲物だ横取りするなと言わんばかりに、最初に攻撃を仕掛けたFまで腕を伸ばしてきた。

(や、やばいよ。こいつら、よりにもよって僕の取り合いをするつもりだ!!)

このままでは醜い化け物達によって体を引き裂かれてしまう。


「冗談じゃないよ!僕を取り合うことができるのは美しい女性だけなんだ!!」


薫は悲痛な叫びをあげた。




「待ってろ薫、今、助けてやるからな!」
俊彦は救出に向かったが、他のFが立ちはだかる。
晶は別のFと交戦中、とてもじゃないが薫にかまっている暇などない。
徹は最初から薫など眼中にない。
まさに絶体絶命だ。薫は超小型爆弾をFの口内めがけて投げた。
どんと音がしてFの口の一部が吹き飛んだ。
威力が弱いので絶命させるまでは到底至らない。
だが、激痛は感じるらしくFは絶叫すると薫を握りしめたまま暴走しだした。


「暴れるなよ、下等生物!!」
酸性の血液が雨のように降ってくる。数滴が肩にかかり、薫は、さらに感情的になった。
「僕の美しい顔にかかるじゃないか。止まれ、止まれよ!!」
勿論、Fが止まるわけがない。
「な、何て嫌な生物なんだ……ん?」
薫は見た。Fの背中に人影が。


「と、徹!?」


いつの間にか飛び乗っていたのだ。さらに徹はFの頭部の頂点にまで移動した。
そしてFが壁に激突する寸前に大ジャンプ、階段の踊り場に着地した。

「な、何て奴だ。僕を助けないで利用するなんて!!」

薫の批判に耳を傾ける間もなく、徹は階段を猛スピードで駆けあがった。
そして窓ガラスめがけ大ジャンプ。




「え?」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!!」

瞳と純平の眼前で窓ガラスに徹が激突。
そのままガラスに派手な亀裂が入り、次の瞬間に木っ端みじんに。
「うわぁ!!」
純平は徹の下敷きにされ床に接吻する羽目になった。
「佐伯君、大丈夫なの?」
しかし瞳の心配は哀れにも車にひき殺されたカエル状態の純平よりも徹に向けられている。
徹はというと、瞳を華麗にスルーすると翠琴に飛びついた。


「起きろ!!」
徹は翠琴の両肩をつかみ激しく揺さぶりだした。
翠琴の頭部ががくんがくんと前後に動いている。
純平が慌てて「ちょっと待ってよ。このおねえさんは――」と止めに入った。
しかし徹は純平を平手打ち。壁まで吹っ飛ばされた純平は、そのままズルズルと床に落ち意識を失った。

「さっさと起きろ!」

徹は感情的になり翠琴にまで平手打ち。
それでも翠琴は微かなうめき声を発しただけで覚醒しない。




「菊地君が気絶させたのよ」
「直人が?」
徹は翠琴の背後に回ると、その後ろ肩を掴み、ぐいっと力を入れた。
「……う」
翠琴が、ゆっくりと瞼を開いた。
「あ、目を開けたよ佐伯君」

「ここは……」

翠琴は、まだ意識が朦朧としていたが、すぐに徹は質問責めにした。


「ブラックの隠し部屋を教えろ!」


「く、黒己の?」
「おまえなら知っているはずだ。痛い目に合いたくなければ、さっさと吐け!!」
「な、何を……私の身柄は国防省が……」
「直人の権限なんか俺には通用しないぞ。殺されたいのか!?」
「く、黒己の事なんか……」
「早く言え、死にたいのか!?」

徹の怒濤の勢いに翠琴は状況を把握できずにいる。それほど徹は感情的になっていた。




「佐伯君、落ち着いて」
思わず横から口をだした瞳にまで、「おまえも殺されたいのか?黙ってろ!!」と、悪態をつく始末。
「はい、黙ります」
そんな徹に対して瞳は、あっさり引き下がる。
「いいか。もう一度言うから、しっかり聞け。
貴様の仲間のブラックが俺の恋人の美恵を連れて壁の中に消えた。あの壁の中だ」
徹は翠琴を無理矢理立たせると窓のそばに引っ張り、壁を指さした。


「どうしたら、あそこに入れる?」
「あそこは黒己の担当博士のパニックルームよ……。
だから黒己しか、あそこの開閉リモコンは持っていない。私には開けられないわ」
「だったら通風口を教えろ。そこから通れるはずだ。おまえに案内してもらうからな」
翠琴は青ざめた。
「正気なの?この基地で暴走しているF4は通風口を移動経路として使用しているのよ。
そんな場所を通ろうものならば襲ってくれといってるようなものだわ。冗談じゃなくてよ」


「それがどうした?美恵が、あそこにいるんだぞ!」


「……何て忌々しい女なの?」
翠琴は露骨に嫌悪感を表した。
「私の蒼琉に色目まで使っているくせに……」
美恵に対する侮蔑の言葉に徹は敏感に反応した。




「おまえ、本当に死にたいのか?」


徹は翠琴の細い首に手を伸ばした。

「俺は今焦っているんだ。これ以上、おまえなんかとお話している暇なんてない。
おまえが俺に協力しないのなら利用価値もない。今すぐ息の根を止めてやる」


翠琴はがたがたと震えだした。
徹の表情や口調から、何よりも殺気から、本気の殺意を感じたからだ。
青ざめる翠琴とは逆に瞳は「素敵」と、うっとりしている。


「最終通告だ。YESかNOか、さっさと言え」

翠琴は言葉も出ず、ただ頷いた。

「いいだろう。おまえの命は見逃してやる。さっさと案内しろ!」

徹に背中を突き飛ばされ、翠琴は歩きだした。


「武器は?あそこを通るのなら火炎放射器くらいないと。武器庫まで行った方がいいわ」
「そんな暇はない。ブラックが美恵の体に取り返しのつかない事をしたらどうする?
あいつが彼女に指一本でも触れたら、連帯責任で、おまえ達F5全員皆殺しにしてやる」
翠琴は、美しい眉を歪めながら、吐き捨てるように「こっちよ」と歩きだした。
「ま、待って佐伯君。私も行くわ」
瞳は二人の後について行った。気を失ったままの純平を一人残して。














黒己は利き腕を真っ直ぐ伸ばした体勢だった。
今、真横から強烈なフックを喰らえばどうなるか――。

直人の目的に気づいた黒己は即座に腕を引こうとしたが、直人がそれを許すはずが無い。
腕をしっかりと固定されている以上逃れられない。
直人は血を流す代償として黒己の腕の骨を折ろうというのだ。

文字通り肉を切らせて骨を立つ作戦。

一歩、間違えたら頭部を破壊され絶命に繋がるリスクを伴ったものだった。
美恵の脳裏に直人の勝利が描かれた。しかし、それは一瞬で終わった。
黒己は自らの体を強引に回転させ、その遠心力で無理矢理直人から離れたのだ。
直人も攻撃を仕掛けるも、黒己の予想外の動きで体勢が崩れ、渾身の力を込める事ができなかった。
さらに黒己は直人から離れる瞬間を狙い、ボディに鋭い蹴りを入れていた。


「直人!」
美恵は黒己の脇をすり抜け、直人に駆け寄ろうとした。
だが体が前に進まない。反射的に振り返ると、黒己のニヤっとした不気味な笑みが視界に入った。
スカートの裾をつかまれている。その腕は奇妙な形に曲がっていた。
関節が完全に外れているのが一見してわかる。
あんな無茶な回転をしたのだ。結果的に己の体を傷つけたのだ。
激痛を感じているはずなのに黒己は笑っている。
ぞっとする。この男は本当にまともじゃないと再確認した。


「……腕に力が入らない」
黒己は立ち上がると美恵を突き飛ばした。
「あ…!」
壁に激突する美恵。全身に痛みが走る。
美恵、大丈夫か?」
「大丈夫よ」
美恵は立ち上がると、その証拠に笑みを見せたが、もちろんそれは直人を安心させるためのものだ。
黒己は「そんなところも好きだ」と不快な言葉をかけてくる。
そして変形した利き腕を壁にぶつけた。ぼきっと鈍い音がして黒己の腕は元に戻っていた。

(自分で関節を元に戻した……何て奴なの)

「腕に力がはいる」
黒己は健在をアピールするかのように、ぶんぶんと腕を振り回した。
「スピードもテクニックもある」
黒己は直人を見つめながら言った。


「だが俺の方がパワーが上だ。だから貴様は俺の動きを封じることができなかった」

それは図星だったようで、直人の額から一筋の汗が流れ落ちている。

「つまり……動きさえ止めれば俺の完全勝利だ」














「……いない」

漆黒の暗闇、周囲のものは何一つ見えない。
桐山は神経を集中させた。物音もない、気配もない。
しばらくすると、目が慣れてきたのか、ぼんやりとだが見え始めた。どうやら、かなり広いエリアのようだ。
しかし肝心の紫緒の姿が全く見えない。桐山は、ゆっくりと慎重に歩きだした。
十歩ほど歩いた時だった。微かに頬に何かが触れたような感覚があった。
いや触れたというよりも第六感で感じたとしか言いようがないほど微妙なものだ。
反射的に背後に跳ぶと、ほぼ同時に、ひゅんと空を裂く音がした。
何かが飛んできたのだ。それも明らかに桐山を狙ったものだった。
「何だ?」
その問いに答えるかのようにぱっと一斉に照明がつき、突然の眩しさに桐山は目を細めた。


「やるね。特選兵士以外にも化け物っているもんだ。感心しちゃう」


紫緒が前方に立っていた。しかし距離がある。
駆け出そうとも思ったが、先ほど飛んできたものが気になった。
ちらっと視線を左方に向けるとボウガンの矢のようなものが壁に突き刺さっている。


「赤外線に接触すると飛んでくるのさ、アレ」
紫緒はくすくすと笑っていた。
「普通の人間なら、まず気づかない。気づくとしたら訓練を受けたか人間か、生まれつきまともじゃないか。
……どっちにしても化け物には違いない」
桐山は黙っていた。そして注意深く周囲を見渡した。
どんなトラップが発動されるかわからない。ここは危険なエリアのようだ。

「ここは僕達F5の遊戯場。子供の頃から、ゲームはこれだけ。
年齢を重ねるごとにレベルと危険度をあげられちゃった。
僕をつかまえたかったら、このゲームをクリアしてよ。生きていれば僕に辿り着けるよ。ふふ」


紫緒が背を向けて走り出した。桐山も即座に追いかける。
しかし紫緒がハッチをくぐり抜けると同時に扉が左右から勢いよく閉まった。
開閉ボタンらしきものはない。力任せでは到底開きそうもない。
やがて無機質な音声が聞こえてきた。


『ゲームスタートします。音声に従って進んで下さい』


再び扉が左右に開いた。しかし肝心の紫緒の姿はすでにない。気配もない。
ただ真っ直ぐな廊下がつづいているだけだ。


『先にすすんでください。第一ステージをクリアすると武器が支給されます』


罠かもしれないとも思ったが、桐山は一歩踏み出した。その途端に扉が閉まる。
もはや引き返すことは不可能のようだ。


『床は紅白のパネルに分かれています。白のパネルの上だけ歩いて下さい』


何の変哲もない床だ。どこが紅白に分かれているのだろうか?

『もし誤って赤のパネルを踏んでしまいましたら大変なことになりますよ』

不吉な台詞だったが桐山は相変わらず無表情だった。


『では健闘を祈ります』




【残り21人】
【敵残り6人】




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