「幸雄、父さん、何て言ったらいいか……」

ほんの数日前までは楽しい修学旅行で笑いあっていたクラスメイトの連続死。
過去の自分と重ね合わせても、七原は息子が不憫でならかった。


「この仇は父さんが、きっととってやる。必ず政府を潰して――」


「そんな事言ってる場合じゃないだろ!!」


頭上から洸の声。幸雄は、きっと洸を睨みつけた。




「ふざけるな。仲間が、また一人死んだんだぞ!!」
「うるさいんだよ。そんな余裕のある立場なのか、冷静に今の状況考えてみなよ!!」
「相馬、おまえってやつは――」

頭に血が上った幸雄だったが、背後から聞こえた不気味な足音にはっとして振り返った。


「そ、そんな」
「ば、バカな……」


幸雄は一瞬で青白くなった。
顔面蒼白になったのは幸雄だけではない。七原も同じだ。


「そんな……吉田は命をかけたのに」


何事もなかったかのように紫緒が立っていたのだ――。




「吉田は犬死にだったのかよぉ!!」




――不気味な笑みを浮かべながら。




Solitary Island―159―




「逃げよう、ママ!」
「当然よ!!」

相馬親子の決断は早かった。
七原親子を置き去りにして、とっとと走り去ろうとしたのだ。
だが紫緒の行動は、それよりも早かった。


「逃がさない!」


紫緒は壁に向かってジャンプ。
華麗な三角跳びを駆使して元の場所に戻ったのだ。
おまけに相馬親子の前に着地し、逃げ道をシャットダウン。


「今度こそ……その顔を醜く潰してやる」

(……やばい。今度という今度こそ、本当にやばいよ)

洸の額から汗が流れた。光子も嫌な雰囲気を肌で感じた。




「……洸」
「……ママ、俺が合図したら全速力で逃げてよ」

二人とも逃げるのは、もはや不可能だ。ならば一人でも逃げ延びた方がいい。
赤の他人なら、例え全滅になろうとも自己犠牲なんてまっぴらだ。
だが、さすがの洸も最愛の母の為なら、それも悪くないという感情くらいはあったようだ。


「何、言ってるのよ。息子の分際で親の犠牲になるなんて百年早いのよ!」

「しょうがないだろ!ママより俺の方が強いんだから。
ママが犠牲になったって二人とも死ぬよ。
でも俺が足止めくらわせたら、ママだけは助かる可能性あるんだから!!」

それは奇妙な親子愛だった。


「どっちも逃がすつもりはないね」

紫緒は不気味な笑みを浮かべた。

「まずは、そっちの坊やだ。一番、僕をコケにしてくれたからね。次は女。
そして最後は床下で青ざめてるバカ親子さ!!」




紫緒がついに動いた。洸は悲壮な決意を固め、バッグを放り投げて構えた。
その直後、紫緒が、のめり込むように床に落下した。

「え?」
「すごいじゃない洸、あんたの動き見えなかったわよ」
「え……っと、うん、そうだね。何か、よくわからないけど倒しちゃったみたい」

紫緒が「おのれ」と忌々しそうに言葉を吐き捨てながら立ち上がった。


「ちょっと、まだ生きてるじゃない!」
「何だよ、何で立ち上がるんだよ!!」

慌てふためく相馬親子。
しかし紫緒の敵意は、すでに二人に向いていなかった。


「誰だ!」


紫緒は振り向きながら叫んでいた。光子と洸は、きょとんとして紫緒の背後に視線を送った。




「聞きたいことがある。天瀬美恵の居場所はどこかな?」

紫緒の背後には恐ろしいほどハンサムな少年が立っていた。


「……僕に攻撃を仕掛けておいて生きていられると思っているのか?
殺す!今すぐ、そう、今すぐに、ぐちゃぐちゃにして殺してあげるよ!!」
「俺は天瀬の居場所を聞いているんだが、聞こえなかったのかな?」
「知りたければ僕を倒してから言ってよ」
「そうか」

少年は持っていたディバッグを床においた。


「俺はすぐに知りたい。だから勝負は早めにつけさせてもらう。理解してくれたかな?」


新たに現れたのは桐山和雄だった。














黒己の両手が直人の頭部に固定され、そのまま黒己は空中で激しく回転した。
直人の体が急速に回転する。

「直人!」

あの勢いで不自然な動きをされたら、直人の首の骨は一瞬で折れるだろう。
美恵は頭の向きが逆になった無惨な直人の死体を連想して、思わず瞼をぎゅっと閉じた。
実際、黒己の狙いは、その残酷な結末だったはずだ。
美恵の頬に血が飛んできた。生温かい感触に全身が硬直する。

「うぐ……っ」

くぐもった悲鳴に美恵はゆっくりと目を開いた。
直人は無事だ。最悪の予想がはずれた嬉しさに一瞬ほっとした。
しかし、その表情には余裕の色など全くない。
黒己に視線を移すと、その左手首から激しく流血していた。


「……際どかった」


直人の声はいつになく神妙だった。
その手に持っているピアノ線には、べったりと血液が付着している。
それを見て美恵は何があったのか悟った。
あの一瞬で直人は、とっさに黒己の手首にピアノ線を巻き付け切断しようとしたのだろう。
黒己の意図に気付いた黒己は直人の首をへし折ることを断念し、すぐに直人から離れた。
その一瞬の判断で左手を失わずに済んだのだ。
黒己は手首をぺろっと舐め笑みすら浮かべている。
美恵は心底ぞっとした。この男は普通じゃない。




「……よくも邪魔してくれたな」

黒己は忌々しそうに直人を睨みつけた。
そして半ば怯えた目をしている美恵に視線を戻すと、にやっとほくそ笑んだた。

(この男は私をいたぶることに心の底から喜びを感じているんだわ)

変態を通り越して変質者だと思った。
そう思ったのは直人も同じだったようで、「……気違いめ」と呟くように言った。
直人は黒己との距離を保ちながら、美恵に近付こうと試みた。
しかし、それを察したのか、すかさず黒己は美恵と直人の間に入ってくる。


「俺の女だ」
黒己は念を押すように言った。
「どう扱おうが俺の勝手だ。楽しんでから俺を裏切った罰を与える。誰にも邪魔させない」
直人は無言だったが、その目には明らかに嫌悪感が色濃く現れている。

「俺の女に近付く男は許さない」
「貴様の許可なんかいるか」


(……直人)


美恵は部屋を注意深く観察した。
連れ込まれた時は黒己への恐怖と身を守ることで頭がいっぱいだったが、改めて見てみると本当に何もない部屋だ。
出入り口は一つだけ。
やはり黒己を倒さない限り、この部屋からは逃れられないだろう。
今、黒己は直人に気を取られ、美恵に背を向けている。
美恵は制服に仕込んでいた小型ナイフを取り出した。
このチャンスを逃すわけにはいかない。やるなら今しかない。
だが行動に移そうとすると、直人がきつい視線を送ってきた。




(直人?)

反射的にナイフを隠すと黒己が振り返った。
「……殺気を感じたぞ。俺を殺すつもりだったな」
(感情は隠したつもりだったのに)
「やめておけ。丸腰の女に俺は殺せない」
幸いだったのは武器の存在まで気付かれてないことだ。
直人の無言の警告がなければ全てばれていただろう。

(下手に刺激したら直人を助けるどころか足手まといになるわ)

自分の出る幕ではない。かといって、このままでは直人もやりづらいだろう。
この狭い部屋で戦闘が開始されれば、必ず自分は邪魔な存在になる。


美恵」
直人が静かに言った。
「隙ができたらすぐに逃げろ。俺には一切かまうな」
「直人……!」
「おまえには借りがある。借りは返すのが俺の流儀だ」

(でも逃げるチャンスなんて)

美恵の気持ちを逆撫でするかのように黒己が「おまえの運命は俺が握っている」と笑いながら言った。














「助かったよ桐山」
「相馬、おまえは知っているのかな。天瀬の居場所を」
「知らないよ」
「そうか」
それは命のやりとりの最中にしては淡々とした会話だった。
しかし洸は内心「やった」と叫んでいた。
桐山は強い。しかも絶体絶命のピンチに登場なんて運命的すぎる。


「ママ、これは神様の思し召しだよ」
洸は、すでに心に決めていた。桐山という守護神にとりつこうと。
光子も喜んで賛成してくれるだろうと思った。
「ママ?」
しかし光子の表情がおかしい。
「ママ、どうしたんだよ」
もう一度呼びかけると、はっとして振り向いた。


「ママ、もしかして怖くて固まってた?」
「バカね。そんなわけないでしょう」
「だよね。ママ、もう大丈夫だよ。桐山と手を組もうよ」
「……この子と?」
「そうだよ。桐山は強いから」
「……そうね」

諸手をあげて大賛成してくれると思ったのに光子の態度は微妙だった。




(変なママだな。まあ、いいさ。これでピンチは脱した。桐山なら、この変な男とだって互角にやれると思う。
仮に桐山が負けそうなら、戦闘中に、さっさととんずらしてやればいいのさ。
どっちに転んでも俺とママの身は安全。これこそ神の助け。やっぱ、日頃の行いがいいからかなあ)

精神的余裕に満ちた洸の態度は紫緒のしゃくに障った。


「ねえ、君。僕に殺されそうになったこともう忘れたの?
まさか、もう安全なんて思ってない?僕は強いし、しつこいよ」

紫緒の口調はぴりぴりしていた。それに反比例するほど軽い口調で洸は「もちろんだよ♪」と言った。
紫緒の目が真っ赤に染まり、猛獣のように襲いかかってきた。


「うわぁ、桐山ヘルプ!」
すかさず桐山の背後に回る洸。自動的に紫緒の蹴りの標的は桐山に。
桐山は肘をつきあげ、紫緒の蹴りに応戦。だが紫緒はニヤリと笑みを浮かべた。
本能的に嫌な気配を察した桐山は、紫緒の足首をつかむと投げ飛ばす。
桐山の袖には切り込みが入っていた。紫緒が靴に仕込んだ刃物で切り裂いていたのだ。
対応が遅かったら腕が使いものにならなくなっていただろう。




「……やるじゃない」
紫緒はニタリと不気味な笑みを浮かべた。
そしてズボンのポケットから口紅を取り出したではないか。
青いルージュが紫緒の唇を染めてゆく。それは異様な光景だった。
感情が希薄な桐山でも、紫緒の異常性に僅かに目つきを険しくするほどだった。


「……本当は知ってるんだ。彼女の場所」


紫緒が、ふふふと笑いながら言った。桐山の表情がこわばる。
その一瞬を紫緒を楽しむように、さらに言った。


「ねえ、追いかけっこしない?僕を捕まえることができたら教えてあげ――」

桐山が一瞬で紫緒の懐に入った。
やばいと思ったのだろう、紫緒は顔をひきつらせ連続バク転で距離をとる。


「あ、僕の!」
紫緒の懐から小さな物が落ちた。口紅だ。
そんな些細なことでも紫緒にとっては感情の危険レベルをあげるには十分すぎる理由。
紫緒の目は再び赤い色に染まる。しかし、それを隠すかのように笑みは崩さない。
「こっちだよ」
背を向けると猛スピードで走り出した。桐山も凄まじい速さで追走する。
紫緒は走りながら掌サイズの装置を取り出した。


「ふふふ、おいで、おいで。鬼さん、こちら」

廊下を曲がると同時に装置をONにする紫緒。巨大なハッチが、ゆっくりと開きだした。
ハッチの向こうに消える紫緒。桐山も後に続いた。














「最初に断っておくが銃は使うんじゃあないぜ。下手につかってみろ、この女の額に風穴が空く」

黒己の言葉は嘘ではない。直人は壁をノックするように軽く叩いてみた。
その独特な音と感触には覚えがある。科学省が開発したという超合金仕込みの壁。
銃弾など跳ね返し、それが美恵に被弾する可能性大だ。

「なるほどな」

外さずに黒己に命中させれば済むことだが、この狭い密室での接近戦では銃を向ける前に懐に入られてしまうだろう。
「俺は肉弾戦の方が得意だ」
黒己は両手にメリケンサックをつけ始めた。

「骨を砕き、肉を引き裂き、血が流れる。それを見て恐怖に怯える女を犯すのも一興だ」

いやらしい笑みを浮かべながら美恵を舐めるように凝視する黒己。
本当に心の底から美恵をいたぶることを楽しんでいる目だった。


「変態……あなたは人間じゃあないわ」

美恵が吐き捨てるように言った。

「その変態に抱かれるんだ。覚悟しておけ」

直人はうんざりしたと言わんばかりに「貴様にやれるならな」と言った。




「余裕だな……銃や爆弾がないと何もできない国防省の犬のくせに」
「試してからいえ。俺は銃火器だけに頼ってない。親父に、そういう教育を受けたんだ。
戦闘の素人である科学省のマッドサイエンティストに育てられた貴様なんかに負けてやるつもりはいっさいない」
「KILL YOU!」

黒己が凄まじいスピードで直人に襲いかかった。対して直人は一歩も動かない。
じっと黒己の動きが攻撃へと移行すると同時に防御の構えをとった。
美恵はぎょっとなった。直人は冷静だが重大な事を忘れている。
黒己の拳には超合金のメリケンサックが装着されているのだ。
生身の体で防御など、その威力の前では自殺行為に等しい。
直人の行動に勝利を確信したのか黒己は大きく腕を降りあげた。
そして直人の頭部めがけて渾身の力を込めたパンチを炸裂。
血しぶきが飛散し、真っ白な壁に点々と赤い模様を描き出した。




【残り21人】
【敵残り6人】




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