(……そうだ。俺、あの人みたいに強い男に……強い軍人になりたかったんだ……)


拓海は、右手に視線を移した。ぼやけているが注射器の中の液体が見える。
まだだ、こいつを全部ぶち込んでやるまではダウンするわけにはいかない。


「離れろ!」
背中に強い痛みが走った。それも一度じゃない、二度、三度。
それでも拓海は紫緒から離れなかった。そしてピストンを最後まで押し切ったのだ。
しかし、それが限界だった。
紫緒に突き飛ばされ壁に叩きつけられ、そのままずるずると床に下がった。
両足を投げ出しうなだれた姿勢、もう指一本動かせない状態だった――。




Solitary Island―158―




『何だって長官は、こんな娘をⅩシリーズ科に残すんですかね。
一般兵士棟に移送すべきなんじゃあないんですか?』
『それは上が決めることだ』
『しかしⅩシリーズのように金をかけるのも予算の無駄遣いというものですよ』
『遺伝子的に――との相性がいいかもしれないそうだ』
『――の?』
『奴らは狂気の人間兵器だ。花嫁は、そのおぞましい血を中和できる人間が望ましいとさ』
『なるほどⅩシリーズと――の混血児というわけですな。すごい怪物が誕生しそうですね』




……ああ、そうか。私は夢を見ているのね。


『おい、起きろ』


幼い頃は意味が分からず忘れていった科学者達の噂話。
しかし、今は、それがどんなおぞましい響きを持っていたのか理解できる。
自分は利用されるためだけの人間。
決して意志をもってはならない科学省の人形。
それが奴等が自分に、いやⅩシリーズに課した理不尽な要求。


……瞬、本当はあなたの気持ち、私にはわかるわ。
虐げられた人間の憎悪と復讐心が……でも……。


『起きろ』


……でも、その復讐のために私の大切な家族同士で血を流して欲しくはない。




「起きろ!」

冷たいもので刺激され美恵はパッと目を開けた。
鼻や口に水が流れ込み、けほけほと咳込みながら見上げると黒己の冷たい目があった。

「……あ、あなたは」

ぞっとした。周囲を見渡すと、あのおぞましい怪物達はいない。
その代わりに頼りになる仲間もいなかった。


「徹!」

名前を呼んでみたがやはり返事はない。
天井も床も壁も真っ白。あるのは長椅子など僅かな家具のみ。
シンプルすぎる部屋、扉は一つだけ。美恵は、すぐにその扉に向かって走った。
しかしドアノブを回す間もなく黒己の腕が背後からのびてきて扉を押さえつけた。


「おまえのお仲間は蒼琉のペットとお遊びに夢中。おまえの事はどうでもいいとよ」


黒己は笑っていた。
その目には猫が鼠をなぶり殺すかのような狂気の光が見える。
美恵は「私をどうする気?」と喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
恐ろしい答えしか返ってこない気がしたからだ。
「逃げ場はないぞ」
黒己は美恵を長椅子に放り投げた。その乱暴な行為に美恵の体は悲鳴をあげた。
だが痛みは一瞬で消える。ナイフが長椅子に突き刺されたのだ。
その距離は美恵の顔と、ほんの数センチの位置。恐怖で美恵の神経は固まった。


「……あきらめろ」
「……」
「もう俺からは逃げられない」
「……」
「顔だけは綺麗なまま残してやるよ」

黒己はナイフを引き抜くと、美恵の体を押さえ込みナイフで服を引き裂いた。














「どけ晶!」

直人は、黒己が美恵ごと姿を消した壁にへばりついた。
開閉ボタンらしきものは一切ない。

(リモコン式の隠し扉か?)

直人は懐から小型の箱型機械と手帳を取り出した。

(国防省にばれていないタイプでないことを祈るだけだ)

手帳片手に機械の波長を微妙に調整し電波を送信。
直人は壁の中に吸い込まれ、次の瞬間には壁の向こう側にいた。


(開閉時間は本当に一瞬だな。晶と一緒なら、もっと楽だったが仕方ない)

直人は先にすすんだ。天井も壁も床も白い廊下を真っ直ぐ突き進むとハッチを発見した。
気配もぴったり二つ。

美恵か?!)

その推理を裏付けるように「離して、この獣!」と痛々しい悲鳴が聞こえてきた。




「最高のエクスタシーだ。痛いだろ、きついだろ。もっと縛ってやろうか?」
「この……最低男!」
「何とでも言え。奇麗な顔が苦痛で歪むのは最高だ」

(……変態め)

直人は慎重に気配を消しつつハッチに近づいた。


「殺すなら一思いに殺しなさいよ」
「そんなもったいないことできるか。暴れろ抵抗しろ、ますます俺のハートは燃え上がる」

(何がハートだ。雅信より最悪だな)

直人はハッチを蹴った。開いた一瞬を狙い突撃。
先手必勝、奇襲により黒己の頭に風穴を空けてやるつもりだった。
もはや捕獲して情報を入手なんて悠長な考えは直人にはない。
翠琴を捕らえた以上、これ以上危険な捕虜は必要ない。
特に、あんな危険人物は一秒でも早く葬るに限る、それが直人がだした結論だった。
だが直人が目にしたのは服を引き裂かれた美恵の姿のみ。黒己がいない。


「直人、上よ!」

美恵が叫ぶ。黒己は直人の接近に気づいていたのだ。
直人は銃口を天井に向けた。だがトリガーを引く前に、黒己が襲いかかってきた。














「よくやった吉田、褒めてあげるよ!」

いつの間にか鎖から抜け出していた洸が、ふらついている紫緒に襲いかかった。
シートを紫緒に被せ視界を奪い、さらに鎖(今まで洸と光子を縛っていたものだ)でぐるぐる巻に。
そこまでした上で、「死ね、死ね!」と何度も紫緒を鉄パイプで殴りだしたのだ。
拓海の意識が薄れてゆく。その間も洸の猛攻は止まらない。
紫緒ががくっと倒れると、洸はすかさず「ママ、ナイフ!」と叫んだ。


「お、おい相馬君。相手はもう動けないんだ。殺す事はないだろう!」
七原が慌てて制止をかけてきたた。
自分達を襲ってきた許せない殺戮者とはいえ、やはり未成年を殺せないらしい。
そんな七原に比べ、洸は全く容赦がなかった。
「甘い、甘いよ!麻酔が切れたら、こいつは再び殺戮を始めるんだよ!
動き出したら止まらない。だったら動く前に息の根とめるのが勝利への鉄則ってやつさ」
「縛って、どこかに閉じこめておけば問題はないじゃないか」
「縛る?閉じこめる?素人の俺だって鎖から抜け出せたんだよ。
こんな変態がおとなしくとらわれの身になっているわけないじゃないか」
「相馬、おまえからも何か言ってくれよ。おまえの息子さん、考え方が怖すぎるぞ!」




「本当に甘いね……まだ僕を子供だと思ってくれているなんてさ」




「え?」
七原がぎょっとして紫緒に視線を移した。
ぼんやりとしていた拓海は、はっとして顔をあげた。


「その坊やの方が正しかったね!」


七原が突き飛ばされた。
うつ伏せに倒れた七原、その背中に紫緒が馬乗り、注射器を突き立てる。


「知ってる?人間って血管に空気を注入したらどうなるか」


七原の顔色が一気に青くなった。
光子が弾を詰めなおした銃を向けなければ紫緒はピストンを押していたことだろう。


「ママ、早く撃ってよ!」

紫緒は七原の髪の毛を鷲掴みにして持ち上げた。
撃てば七原が紫緒の盾になって死ぬだろう。

「かまわないよママ、内海の親父さんだって本望さ!」
「それもそうね」

光子は七原ごと紫緒を撃とうとした。だが、それもできなかった。
何と、こんな時に、とんでもない邪魔者が現れたのだ。




「ママ、後ろ!」
光子はハッと振り向きながら連続してトリガーを引いた。
忙しいときだというのにFご登場。
洸が気づかなかったら光子は死んでいたところだ。幸い、すぐに対処できたおかげで命は助かった。
だが銃弾がつきてしまった、とんでもない想定外の出来事だ。


「な、何でだよ。麻酔で動けないはずなのに!」
幸雄が悲鳴のような声をあげた。
「そうだね。少し焦ったよ」
紫緒は冷たい微笑みを浮かべた。


「その坊やは気づいてなかったようだけど、押し返して一度刺さった針は抜いてたんだ。
ちょっとは入ったけど僕の自由を奪うほどでは全然なかったってことさ。
死にゆく君達に一瞬でも勝利したという幻想を味あわせてやったことに感謝しなよ」

紫緒は五体満足をアピールするかのようにポーズをとった。


「僕の演技、アカデミー賞ものだっただろう。ふふふ」


形勢は逆戻り。もはや打つ手はない。
再び、不穏な空気が辺りを包み込んだ。絶望という名の空気が――。




(……畜生)

拓海は最後の力を振り絞って立ち上がった。

「おっと、坊やも大人しくすることだね。これ以上無理したら本当に死ぬよ」
「……どうせ……殺すつもりのくせに」
「それもそうだね。無用の忠告だったかな。ふふ」

拓海は悟った。もう自分に時間は残されてないと。


(……閣下)


あの人は言った。大切なのは命ではなく、自分の意志だと。
それさえ貫けば例え死んでも己の魂は前に進むことができる。


「……やっぱり、これしかないよな」


拓海の目には先ほど光子が倒したFの流血によってできたもろくなった床が――。




「一人じゃ死なない。あの世まで付き合ってもらうからな!!」




拓海は最後の力を振り絞り紫緒に猛タックルした。
そして紫緒ごと、Fの死体のそばに倒れ込んだのだ。
腐食した床は二人分の体重に耐えきれず崩壊。
穴が空き、二人の姿は吸い込まれるように消えていった。














「直人なんかに俺の美恵をまかせていられるか!!」

徹は梯子には向かわずF4に向かって猛ダッシュ。当然、Fは餌が飛び込んでくるとばかりに構えた。
腕を伸ばし徹をつかみにかかってきた。もちろん大人しく餌になってやるつもりは無い。
徹はジャンプしてFの手をかわすと、その腕を踏み台にして、さらに飛んでいた。
だが、上階には後僅かというところで届かなかった。
しかし、晶が手首をつかんでくれたので落下は免れた。


「おまえなんかに借りができるとはね」
「今は戦力が必要なんだ」


晶は徹を引き上げた。徹は、すぐに直人が消えた壁に駆け寄った。
しかし中には入れない。


「畜生、何でだ!」
美恵のことは直人にまかせておけ。それよりも、今の敵はこいつらだ」
「まかせておけだって?直人があいつに勝てる保証はあるのかい!?」
「あろうがなかろうが、今は直人に賭けるしかないだろう。
他のルートを探すにしても、こいつらを全滅させない限り、それもできんだろう」
「……そうかい」

徹は冷たい目をF4達に向けた。
邪魔する者は許さない。そんな絶対零度の目。
F達に徹の心がわかるわけがない。しかし殺気は感じるのか慎重に距離をとりだし始めた。




「……す、素敵。佐伯君が超冷酷モードにはいったわ」
「……瞳ちゃん、時々、君がわからなくなるよ」


特選兵士とF4の死闘を瞳は己の目に焼きつけていた。














「よ、吉田ぁぁ!!」
幸雄は穴に駆け寄った。鈍い音と共に振動が伝わってくる。
ぞっとした。体中に震えが走った。暗くて、よく見えない。
「よ、よし……吉田が」
「どけよ内海」
洸が幸雄を突き飛ばし懐中電灯で照らした。光の中心に拓海の姿があった。
思ったよりも高低差がある。まして拓海は重傷を負った身だ。
最悪の結末を想像し幸雄は全身が震えだした。


「吉田、大丈夫なのか!」
呼びかけたが反応はない。
「吉田……!」
もう一度叫んだ。その語尾は震えている。
「すぐに助けないと」
「待てよ内海、あいつはどこだよ」
洸は懐中電灯の方向を変えている。どうやら紫緒を探しているようだ。
「それどころじゃあないだろう!」
「何言ってんだよ。吉田の決死の攻撃を無駄にする気かよ。
もしもの時は俺達でとどめささなきゃあ吉田は無駄死にだ」
「勝手に吉田を殺すな!」


「これで下に降りよう!」
七原が鎖(相馬親子を縛っていたものだ)を下に垂らした。
七原と幸雄はすぐに降り、拓海に駆け寄った。
「吉田!」
うつ伏せになっている拓海の体を反転させると、こめかみから激しく出血している。
その量は尋常ではない。
それだけで幸雄は自分の忌まわしい想像が限りなく現実に近い位置にあることを思い知らされた。


「吉田、しっかりしろ!」
揺さぶったが反応がない。
「おい吉田!」
幸雄は、がくっとうなだれた。これで何度目だ?クラスメイトの最後に遭遇したのは。


「……畜生……吉田、ごめん。おまえを犠牲にして……」
「……勝手に殺すなよ」

幸雄は、はっとして顔を上げた。拓海がゆっくりと目を開いている。




「吉田、よかった……!」
「……ちょっと寝てたみたいだな……休養は確実に必要だよな。痛ぇ……」
「よかった生きてたんだな、脅かすなよ。俺はてっきり――」

幸雄は言葉を止めた。
肩に重みを感じ振り返ると、七原が心痛な面持ちで顔を左右にふったからだ。
それが何を意味するのか聞かずともわかる。


「……俺、結構、頑張ったよな」


拓海の目は、はるか遠くの何かを見つめているようだった。




「……これなら海軍に入れるかな……あのひとみたいな……立派な軍人に……強い男に……」
「おまえは十分強い男だよ!」

幸雄は叫んでいた。しかし、その口調はすでに涙声に変化していた。


「……そうか……何だか、疲れた……少し寝たいんだ」


拓海はゆっくりと瞼を閉じた。




「……休ませてくれ……少しだけ寝たいんだ」




その言葉を最後に拓海は眠りについた。もう二度と目覚めることのない永遠の眠りに。
夢の中で憧れの軍人になっていたのか、その顔はやすらぎに満ちたものだった――。




【残り21人】
【敵残り6人】




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