「……やばいな来るよ」

洸が押さえた口調で言った。
七原はすぐに扉の陰から廊下を探ったが物音一つ聞こえない。

「……いない」
七原は大きく息を吐いた。
「相馬君の勘違いだったようだよ」
余程緊張したのか七原はその場に座り込んだ。


「何、言ってるんだよ。すぐそこにいるってのに」


「何を言ってるんだ?」
七原は呆れてさえいる。
「こんな状況だ。君が過敏になるのもわかるけど――」


「ママ、離れて!!」


洸が光子の腕を強く引っ張った。
その瞬間、ばりっと天井が裂け、あのおぞましい化け物が姿を現した。




Solitary Island―154―




徹は「足音をたてないように」と注意しながら、美恵の手を引いた。
ゆっくりと慎重に移動を開始。握られた手から徹の緊張感が、はっきりと伝わってくる。
「徹、どうしたの?」
美恵は不安そうに徹を見つめた。
「大丈夫だよ。君だけは守ってみせるから」
徹は笑顔で言ったが、短い付き合いではない美恵は徹が何か不安を隠しているとわかった。


「ブルーが戻ってきているのね」
徹は、まいったというように前髪をかきあげた。
「徹、私にかまわず逃げて。私は足手まといだわ。あなた一人だけなら逃げられるかもしれない」
今のところ蒼琉は自分を殺す気はないと美恵は考えている。
しかし徹は違う。今まで生かされていたのは蒼琉の気まぐれにすぎない。
いつ、殺されるかわからないと思っているのだ。
「絶対に嫌だね」
徹はあっさりと美恵の提案を拒否してきた。


「俺は君さえいればいいんだ。だから、ここに来た。
その君を見捨てて逃げようなんて本末転倒じゃないか」
「晃司や秀明と合流してから、また助けに来て。その方が確実だわ」
「その時に、君がまだここにいるなんて保証はどこにもない。
第一、あいつが君に害をくわえたらと想像するだけで最悪だ。絶対に君から離れるのは嫌なんだよ」
徹はてこでも動かないという姿勢を見せた。
足音が聞こえだした。蒼琉が近づいてきている。美恵は、もう終わりだと思った。
徹はともかく自分に蒼琉に気づかれないほど上手く気配を消すなんて無理だ。


「徹、やっぱり私――」
足音が止まり美恵はぎくっと硬直した。
美恵、絶対に俺の手を離さないように」
「と、徹……」
止まった足音が再び動き出した。今度は歩いてない、走ってくる。


「走るんだ美恵!」


美恵は頭の中が真っ白になるような感覚に襲われた。
駄目だ、自分の脚ではすぐに追いつかれる。
徹が走りながら壁を叩いた。背後のハッチが閉じる。
徹は隠し持っていた小型ナイフの柄でボタンを叩き壊した。

「これで少しは時間が稼げる。急ごう美恵」

徹に手を引かれたまま、美恵は階段を駆け降りた。














「うわぁ!」
捕まったのは幸雄だった。そのまま天井裏に引きずり込もうという腹だろう。
「幸雄!!」
七原は立ち上がるなり銃口を向けた。
「撃ったら内海は怪我じゃ済まないよ!」
七原ははっとしてトリガーにかけていた指を止めた。
「しつこい奴は嫌いだよ!」
洸は消毒液を投げつけた。見事、Fの目に命中。
怪物といえど目にしみたのだろう、幸雄をはなし両目を押さえて苦しがっている。


「さあママ、逃げよう」
「勿論よ!」
恐るべき素早さで相馬親子は逃げ去った。
「吉田、立てるか?」
「俺なんかほかって逃げろよ」
「何、言ってるんだよ」
幸雄は拓海に肩を貸し歩きだした。
二人が医務室を出ると同時に七原は狙いを定めトリガーを引いた。
けたたましい銃声とおぞましい断末魔の悲鳴が轟く。




「こいつの仲間が来るかもしれない。さあ早く行くんだ」
廊下を曲がると相馬親子がエレベーターの扉を強引に開いていた。
「相馬、何やってんだよ」
「何もくそもないよ。ここが突き当たりなんだ。他に逃げ場所はない」
どうやら、このエレベーターは停止したままで機能していないらしい。
「自力で昇降路をおりるしかないな」
こじ開けられた扉の向こうにはワイヤーロープが見える。


「さあママ、これを伝わって降りよう」
「ちょっと待てよ相馬、今の吉田にはそれは無理だろ」
「あのね内海、はっきり言って、俺はこの世で一番大事なのは自分とママの命だよ。おまえは?」
「そ、そりゃあ……そうかもしれないけど」
「おまえの親父さん仮にもテロ組織の人間だったんだろう。
体力ありそうだから吉田を背負ってもらえよ。俺みたいに」
そう言うと洸は光子を背負い、するするとワイヤーロープを伝わって降りていった。


「じゃあ父さん頼むよ。吉田がこんな怪我したのも俺のせいだから」
「ああ、わかってるよ」
まず拓海を背負った七原が降り、次に幸雄。順調に下に降りていっていた。
しかし、それを邪魔するかのように、ガタンと妙な音がした。


「エレベーターが動くぞ!」


洸は叫ぶと、慌てて壁に飛び移る。
「ママ、早く!」
洸が扉を開き、光子と共に外に出た。
「何ぐずぐずしてるんだよ。エレベーター籠なんかに下敷きにされて圧死なんて笑えないよ」
洸に急かされるまでもなく、七原も幸雄も必死になって扉に向かってきている。
しかしエレベーター籠が降りだした。一度起動したら、その動きはスムーズそのもの。
あっと言う間に三人の頭上まで迫ってくる。

「うわぁ!!」

間一髪だった。後少しで哀れな肉塊と化すところだった。

「何だって、こんな時に動くんだよ。本当に冗談じゃない!」

幸雄は安心感よりも怒りがこみ上げている。
その幸雄の感情に反応したかのようにエレベーターがぴたっと止まった。
そして扉が左右にゆっくりと開く。

「……え?」

幸雄はもはや怒りを忘れていた。七原と拓海も顔色を失っている。
相馬親子は、すでに逃げ出す体勢に入っていた。
――エレベーターボックスの中には銀色の髪をした華奢な少年が俯いて立っていた。














(徹はどうするつもりなんだろう?このエリアの入り口は正反対にあるのに)

まして、ここはF5の住処。蒼琉は目を閉じても自由に動けるくらい、ここを知り尽くしているはず。
扉を壊したくらいでは時間稼ぎにもならないだろう。

「出入り口が一つのはずはない。どこかに非常口があるはずだ。最悪の場合は通気口を通ろう」

通気口は、おそらく、あのおぞましいFシリーズ達の通路と化している。
危険極まりないだろうが、それでも蒼琉とまともに戦うよりはましだ。
ただ瞬の事だけが気になった。
「大丈夫だよ美恵、晃司達を見つけて、すぐにここに戻ってくるから」
そんな美恵の気持ちを察したのか徹はそう言った。
「でも晃司や秀明は瞬を……」
任務優先の彼らが瞬を助けてくれるとは思えない。美恵は複雑だった。


階段を降りハッチを開くと悪臭が鼻についた。
「ゴミ捨て場?」
廊下の向こうにはガラス張りの部屋がある。研究設備付きの。
「臭うわけだ。多分、変な実験の廃棄物もここに捨てていたんだろう」
「焼却炉はあるのかしら?もしそうなら、そこに通じるダスト・シュートがあるかもしれないわ」
「ダスト・シュートを通る……か。君にそんな汚いまねはさせられないよ。
科学廃棄物に下手に触れたりしたら病気になりかねないしね」
「だけど徹、他に逃げ道は――」
美恵は言葉を止めた。足音が近づいてくる。


「徹、来たわ」
あまりにも短い脱走劇だった。


「随分なマネをするな。そんなに死にたいのか?」


程なくして現れた蒼琉は笑みを浮かべていたが、その目には絶対零度の冷たさが宿っている。


「まずは美恵を返してもらおうか」
「冗談じゃない!例え殺されたって美恵だけは渡さない!!」

徹は美恵をしっかりと抱きしめた。


「では、お望み通り死んでもらうとするか」

蒼琉が近づいてきた。

「待って、おとなしく戻るわ。だから」

その時、予想もしていなかったことが起きた。
戦闘態勢にはいっていた徹と蒼琉の間に缶のようなものが飛んできたのだ。


美恵、こっちだ!」


聞き覚えのある声、同時にかっと閃光が辺りを包み込んでいた。














銀髪の少年が顔を上げた。
紫色の瞳、透き通るような白い肌、青い口紅が恐ろしいほど似合っている。
だが、その左反面を目にして誰もが言葉を失った。ケロイド状の皮膚。
右顔面が美しければ美しいほど、その惨さが余計に目立ってしまう。
幸雄達が硬直したのを見て、少年の目つきがおぞましいほど変化した。


「……今、僕を見て醜いって思ったんだな?」


その問いに答える者は誰もいない。

「この紫緒様を見て顔を歪めた。許せない!」


その少年(名前だけは紫緒と判明)の目は明らかに怒りで狂っている。
とてもじゃないがまともじゃない。


(ちょっとちょっと、こいつやばすぎるよ。ママ、ここは逃げた方がいい)

洸は光子に合図を送った。親子ならではの無言の訴えは光子に通じたようだ。
『OK』と、合図を送り返してきた。だが不幸にも紫緒にばれてしまった。


「そこの二人!」
紫緒はギラギラと憎悪に満ちた目で相馬親子を指さした。
「……綺麗だね。僕が……僕が、あの化け物達のせいで、こんな顔になったっていうのに」
「……え?そりゃ俺とママは綺麗だけど」
場違いな洸の発言は、ますます紫緒の逆鱗に触れた。


「許さない!僕がこんな顔になった以上、この地球上の人間全員同じ目に合わせてやる!!」


それは理不尽というよりも、いかれた発言だった。
だが、この手の輩に理屈など通用しない。紫緒は洸と光子めがけて飛びかかってきた。


「冗談じゃないよ!こんな美貌に生まれたのは俺の責任じゃあないのに!!」














美恵、伏せろ!」

缶が床に触れると同時に爆発。
徹が美恵に覆い被さり爆風と落下してくる破片から守ってくれた。

「こっちだ!」

あの声の主が煙の向こうから呼びかけてくる。


「立てるかい?」
「ええ」
美恵は徹に抱きかかえられながら、爆煙の中を走った。
しかし背後から蒼琉の気配が迫ってくる。


「これでもくらえ!」


それを察したのか、声の主が再び、あの缶を投げてきた。再度、爆発が起きる。
研究室の、一番奥の部屋に逃げ込むとハッチが閉められロックされた。




「これでしばらくは持つ。この間に逃げるんだ」
「あなたは……」

美恵は我が目を疑った。

「こっちに他のエリアへの隠し通路がある」




「俊彦!」




俊彦だ。助けてくれたのは、死んだはずの俊彦だった。
信じられない。夢をみているのかと美恵は我が目を疑った。


「本当に俊彦なの?」
「ああ、ちゃんと足はあるぜ」
「でも、どうして?」

「そこまでだ」

徹が二人の間に割って入った。


「どさくさに紛れて必要以上に俺の美恵に近づくんじゃあないよ」
「……ちぇっ、どケチ」
「そんな事より、逃げ道はどこだい?」
「ああ、こっちだ」
壁が左右に開き、隠し通路が出現した。
「詳しい事は後で話す。今は逃げよう、あのブルーってのはとんでもない化け物だ。
正直、言って勝てる自信なんかない」
隠し通路に入るとすぐに俊彦は出入り口を封鎖した。


「こっち側からロックできるんだ。でも、ここはあいつらの巣だ。
開く手段なんかいくらでもあるだろうから、さっさと逃げるに限る」
言われなくても全力疾走だ。
「二手に分かれている。俊彦、どっちに行けばいい?」
「いや、俺も、そこまでは、まだ……」
「何だい、お粗末だね。そのくらいちゃんと調べておけよ」
「……俺だって色々と忙しくて、そこまでやってる暇なかったんだよ。
とりあえず右に行こうぜ。こういう時は直感に従うのが一番だ」
「君の直感なんかあてにならないじゃないか」
「でも徹、俊彦がいなかったら私達、逃げられなかったわ」
美恵がそういうのなら」


走ると再び通路が分かれていた。俊彦の勘を信じて左に行くことにした。
蒼琉が追ってくる気配はない。
こんな狭い通路にいるのだ。今はFに注意した方がいいと判断し三人は慎重に歩きだした。
その間に俊彦から話を聞くことができた。




「特選兵士の勲章が俺の心臓を守ってくれたんだ」
「でも、あなたが絶命してなかった事を戦闘のプロが気づかなかったなんて……信じられないわ。もしかして……」
瞬があえて俊彦を見逃してくれたとしか思えない。
攻介やクラスメイト達を次々に殺害してきた瞬が今更俊彦に情けをかけるなんて信じられない。
しかし、それしか理由が思い浮かばない。

(私が懇願したから?そうなの瞬?)

美恵の疑問は俊彦も同じだったようだ。

「俺だって今でも信じられないんだ。何で、あいつが俺を殺さなかったのか」
俊彦は、その後美恵を助ける為に、こっそりと行動を起こしていたのだ。
研究所でお手製手榴弾を作りながら、ずっと様子を伺っていたらしい。
もっとも重要な逃げ道の確保も、その間、必死に探して見つけることができたのだ。
だが肝心の美恵は独房の中に閉じこめられている。
どうやって救出するかと知恵を絞っているところに、美恵を連れた徹がやって来たというわけだ。


「これは千載一遇のチャンスだと思ったんだ。けどブルーが追ってきてただろ。
チャンスというより、とんでもない賭けだったよ」

そして賭けに勝ったからこそ、美恵は生きてこの場にいる。


「本当にありがとう俊彦」
「いいっていいって」
「そうだよ。美恵が俊彦に恩を感じる必要はないよ」
「……徹、おまえって、いつも一言多いんだよ」

それでも出入り口らしいハッチが見えてきた。


「良かった」
美恵は駆けだしていた。しかし開閉ボタンは作動しない。
幸い手動でも開くことができるタイプだ。美恵は手動に切り替えると回転式の開閉ハンドルを回した。
ハッチが左右に開いた瞬間、妙な異臭が鼻をついた。


(何?)

その時だ!ハッチの隙間から巨大な腕が突っ込んできて美恵の体を鷲掴みにした。


美恵!」
美恵!!」

徹と俊彦が走ってくるが間に合わない。
その腕はハッチを破壊しながら美恵を外に引きずりだした。




【残り22人】
【敵残り6人】




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