薫は即座に逃げようとした。だが、まるで蛇のように男の腕が伸びてくる。
「ぐふ……っ」
薫は腹部に強烈な激痛を感じ、その場に倒れた。
その魔の手は雅信にも迫る。
雅信の顔面が鷲掴みにされたのだ。凄い力でぎりぎりと皮膚に指が食い込んでくる。
雅信は頭蓋骨が悲鳴をあげるのを聞いた。
「こ、殺す……!」
それでも殺意だけは、めらめらと今だ燃え上がっている。
しかし形勢が形勢だけに、それは悲しい抵抗だった。
男は雅信の頭を掴んだまま歩きだした。速度は徐々に増し、やがて凄まじい速度で疾走。
雅信の身体を、その勢いで壁に叩きつけようというのだ。
いや、叩きつけるだけでは済まないだろう。
壁には杭状の出っ張りがある(おそらく何かを掛けておくもの)雅信を串刺しにしようというのだ。
男の速度が最速まで達した時、鮮血が床を染めた。
Solitary Island―151―
「ママ、少しは荷物持ってよ」
「うるさいわね親不孝者。それが女手一つでおまえを生んで育ててやった母親に言う台詞?
苦労したせいで、この若さでこんなにやつれたのよ」
「ママは同世代の女の倍はパワーでみなぎってると思うよ。今でも十分二十歳で通用するって」
「後者だけ受け取っておくわ」
相馬親子は注意深く移動していた。
隆文の遺体と別れ、その後は味方を探しつつ階段を下っていたのだ。
だがシステム異常のため、気まぐれに開閉するハッチやシャッターのおかげで思うように動きがとれない。
おまけに照明まで、ぱっと消えた。
「やあね。洸、懐中電灯」
「うーん、それはあんまりおすすめできないよママ。暗闇で明かりって目立つじゃん。
あの化け物に見つかったら一巻の終わりだって」
「それもそうね」
「大丈夫、大丈夫、俺って暗闇に馴れているから」
その言葉通り、数分後には洸は、ある程度様子がわかるようになった。
「ほら、行くよママ」
洸は光子の手を引いて歩きだした。廊下は長く、いくつもの部屋を通り過ぎてゆく。
その度に、あの化け物がいないか注意しているが、今のところは大丈夫だ。
そう、今のところは。
「ねえママ」
「何よ」
「急いで、この階から移動した方がいいと思うんだよ」
「どうして?」
「俺の足下みてよ」
光子は言われた通りに目線を下げた。
暗闇なので、はっきりとわからないが、洸が足をあげるとガムのようなものが足の裏にくっついている。
随分と粘着力のあるもので、かなり高く足をあげているのだが床から離れない。
「何よ、それ?」
「わかんないけどさ、すごくネバネバしてるよ。俺、これに見覚えあるような気がする」
「何なの?」
「あの化け物の唾液だったかな?」
「ちょっと!」
光子が洸に抱きついてきた。
「痛いよママ。でも、ちょっと感激かな」
「脅かしっこはなしよ」
「俺、そんなに性格悪くないよ。でも急いだ方がいいよね。スピードあげるから転ばないでよママ」
洸は歩く速度をあげた。
廊下の突き当たりを曲がると、そこにはエレベーターがあった。
「ママ、引き返そう。これ以上先へはすすめない」
しかし洸は、その予定を急遽変更せざるえなかった。
ぽとっと何かが落ちてきたのだ。その粘着質な音は光子の耳にも、はっきりと聞こえた。
「……ママ、大声ださないでね」
「……何よ、今の音」
洸は、ゆっくりと天井を見上げた。
きぃーと、ヒステリック女のような声がして、何かが飛びかかってくる。
洸が世間一般のごく普通の中学生であれば腰をぬかしているだろう。
しかし洸は普通ではなかった。
「何、こいつ?」
洸は襲撃してきた謎の生物を思いっきり平手打ち。
大きさはムササビほどだが、そいつには立派な牙があった。
小さいなりに似合わない凶暴性で再び襲いかかろうとしてくる。
洸は反撃はゆるさないとばかりに踏みつけた。
「……あの化け物の子供みたいだな」
「子供ですって?」
「うん、そう……いやーな予感がしてきたよママ」
「……あたしもよ」
子供がいるということは、近くに親的存在がいるのはパニック映画の定番のルールだ。
それを裏付けるかのように、その小さな化け物は、きぃきぃと奇妙な鳴き声を発している。
「……呼んでるんじゃない?」
「洸、さっさと殺しなさよ」
「うん、そうだね。俺って優しいから動物虐待はやりたくないけど、この際、仕方ないよね」
洸はナイフを取り出し喉をかききって一気にとどめを刺すつもりだった。
だが洸は全てが手遅れだと気づいた。
全身を氷の刃で突き刺されたかのような感覚に襲われたのだ。
来る、奴等が襲ってくる!!
洸は小怪物を鷲掴みにすると光子の手を再び握った。
「走るんだママ!」
だが前方の廊下の角から、あの恐怖のF4がぬっと顔を出したのだ。
おまけに一匹ではない。
洸が手にしている仲間のぐったりした姿が見えたのか、すごい吠え声と共に走ってきた。
どう見ても激怒しているようにしか見えない。
「近づいたら、こいつをばらすわよ!」
光子は小怪物に銃口を突きつけたが、奴等の走りは止まらない。
それどころか速度が増している。
その勢いに途中ぶつかった観葉植物は一瞬で木っ端微塵だ。
「ママ、エレベーターで逃げるんだ!!」
唯一の逃げ道は背後の機械仕掛けの箱だけ。
「でも、動かないのよ」
「何とかしてよ。それまで俺がくい止めるから!」
洸は小怪物を放り投げると銃を構えトリガーを引いた。
先頭を走っていたF4に命中。しかし群れの勢いは止まらない。
洸はさらに連射した。先頭の二頭は動けなくなったものの、やはり奴等は止まらない。
「ママ、まだ!?」
「やってるわよ!」
光子はエレベーターのボタンのカバーを強引に外し、導線に刺激を与えてみた。
ばちっと火花がつき僅かに扉が開き照明もついた。無理矢理扉を開いて中に入る。
「洸、早く中に!」
続いて洸も入った。
「頼むから閉まってくれ」
祈るような気持ちで開閉ボタンを押すと、扉が閉まりだした。
思わずホッと胸をなで下ろす光子と洸。
だが後ほんの少しで閉じるというところにF4の腕が突入してきた。
思わず奥に飛び込むように移動する二人。扉が力づくで開かれてゆく。
「しつこい奴は嫌いだよ!」
洸はスプレーとライターを取り出した。そして噴射しながら点火。
即席火炎放射器にF4は扉から手を離した。
やはり化け物といえど動物共通の恐怖対象である炎は有効だった。
扉は閉まったが、あのパワーがあれば、また開かれてしまうだろう。
即席火炎放射器ではいくらも持たない。
「ママ、スタンガン貸して」
「こんなもの、あんな化け物には効かないわよ」
「わかってるよ。やるのはエレベーターの方、電気系統に刺激を与えてやれば、もしかして動くかもしれない」
洸はスタンガンを分解して使えそうな部品を取り出すと、今度はエレベーターボタンのカバーを外した。
「どう?」
「多分、これだと思う」
洸はこれはと思う導線に電気ショックを与えた。
バチバチと閃光が走り、直後に真っ暗闇。臭いで煙が発生しているのはわかる。
「……ちょっと、まさか完全にいかれたんじゃあないでしょうね」
「あれ?おかしいな」
「おかしいなじゃないわよ、このバカ息子!
どうするのよ。あたしはこんなところで化け物の餌になって死ぬのは絶対に嫌よ」
「俺だって嫌だよ!」
ガタンと箱全体が大きく揺れた。光子と洸は口論をやめお互いの顔を見つめあう。
次の瞬間、ぱっとエレベーター内の照明が再びついた。
それだけではない、エレベーターが動き出したのだ。
「……た」
「……助かったようだね」
光子と洸は大きく息を吐き、二人同時にその場にぺたんと座り込んだ。
しかし数秒後にエレベーターは再び停止した。
「止まったよママ」
「どこでもいいわ。あいつらから逃げられたのだから」
扉がゆっくりと開きだした。何階だろうと、これ以上最悪の展開はないだろう。
光子と洸は、ゆっくりと腰をあげた。
「ママ、早く誰かに寄生しようよ」
「そうね。色仕掛けの通用しない化け物はもうごめんよ」
「「え?」」
完全に扉が開いた。二人が見たのは先ほどよりもビッグサイズのF4。
その、そばには幸雄が。とう見てもやばい状況だった。
「えっと……ごめん、取り込み中だったみたいだね。ママ、早く扉しめて」
「ええ、さよなら。七原君の息子さん」
光子は素早くボタンに手を伸ばしたが、そこで洸がボタンを破壊したことを思い出した。
「このバカ、逃げれないじゃない!」
「俺のせいかよ!!」
特大サイズのF4は唸り声をあげて此方を睨みつけている。
やばい来る、結果的に挑発してしまった。
洸は先ほど使用した即席火炎放射器に頼る事にした。炎がF4を威嚇する。
ちなみに幸雄は反射的に床に伏せなければ火だるまなっていた。
もちろん洸と光子にとっては、あくまで事故である。
F4は後退もしなかったが、それ以上近づきもしなかった。炎に触れる度に鳴き声すら披露している。
「所詮は動物だねママ!これ以上は近づけないんだ。
さあママ、今のうちに、あいつの脳天を銃で木っ端微塵にしてよ!」
「もちろんよ!」
この至近距離では、さぞかし盛大にF4の頭部は破壊されるだろう。
相馬親子は完全勝利を確信しにんまりと笑みすら浮かべた。
だが「ま、待ってくれよ!」と幸雄が悲鳴のような声を上げた。
幸雄はF4の足元にいる。
つまりF4を撃てば、その酸性の血液が集中豪雨となって幸雄に降り注ぐということだ。
「……ママ、今、内海が『俺にかまわず撃て』って言ったような気がするんだけど」
「……気のせいじゃあないんじゃない?あたしも、そう聞こえたわよ」
幸雄は、あまりの事に声を失った。
相馬親子の方がF4よりも怪物だとすら思ったことだろう。
「こっちだ……化け物!」
F4がくるりと振り返った。重傷を負って立つこともままならなかった拓海が銃を構えている。
壁づたいに、必死になって歩いてきたのだろう。
脚はふらふらで今にも倒れそうだった。
とてもじゃないが、まともに戦うことなどできる状態ではない。
だが拓海の決死の思いは無駄ではなかった。
F4の意識が拓海に向いたことで幸雄は距離をとることができたのだ。
「もう大丈夫だ。撃ってくれ!!」
「当然よ!」
光子は照準を定め、連続して三度トリガーを引いた。
「……まだネズミがいたのか」
男のボディからポトポトと血が流れ落ちる。男を撃ったのは晶だった。
銃弾は正確に左胸に被弾している。つまり心臓に命中だ。
「あ、晶……君、いつの間に!」
「ほぼ最初からだ」
その、しれっとした答えを聞くなり、薫は「何て奴だ!」とわめきだした。
「仲間の危機を黙ってみているなんて、何て非道な男なんだい晶!」
「おまえにだけは言われたくない。お互い仲間意識なんか欠片もないくせに、文句だけはでるようだな」
「ふん、まあいいさ。君の性格の悪さは今に始まったことじゃない。
F5を一人始末できたんだから、この際、君の悪行は見逃してやるよ」
薫は、いかにも自分の手柄のように言った。
それに待ったをかけるように晶が「それはどうかな?」と、言った。
「何だって?」
晶は銃口を下げていない。
「銃弾は心臓に届いていない。俺の耳を見くびったなF5」
男は「くふふ」と笑いだした。
「気づいていたのか」
男が自ら上着を破り捨てた。その下には防弾チョッキ。
薫はあっと息を呑んだ。
ご丁寧に血のりのサービスまでつけている。
「表面は特性固体ジェルを積めた人工皮膚で覆ってある特別製の防弾チョッキだ。
敵に生身の肉体だと思わせるよう科学省が新開発した優れものだったが……。
こんな簡単にばれるなんて大したことはなかったな」
「だから僕達の攻撃が通じなかったのか」
薫は全く気づいてなく驚いている。
「俺は陸軍の特別製だからな」
晶は薫とは違うと言わんばかりに言い放った。
「かっこつけてないで、さっさとやれよ晶!」
薫が甲高い声で叫んだ。
「うるさい。俺に指図するな」
晶は数歩前に出た。
「……!」
晶は一瞬立ち止まった。
(何だ?)
気のせいか、足下から不気味なものを感じた。
「降伏しろF5。どんな防弾チョッキに身を纏っていようが、頭をやられたら一発で即死だ」
晶は冷静に銃を構え最後通告した。
先ほどまでの異様な戦いぶりといい、即座に息の根を止めるのが最良だとは思っている。
しかし、あまりにも敵の情報が少ない。
できれば拘束して、あらゆる自白をさせたかった。
「俺は誰にも服従しない……それが蒼琉だろうと誰だろうとな」
三対一という不利な状況にもかかわらず男は血まみれのままニヤっと笑った。
「そうか、だったら仕方ないな」
晶は予測していたのだろう。少しも惜しまず男の命を奪おうとした。
だが男は処分される恐怖を感じるどころか不気味な態度をとったのだ。
「……臭う、臭うぞ」
妙な事を言い出した。
(何だ、こいつ?)
「貴様らからは死の臭いがする」
それは不吉な言葉だったが晶は僅かに気分を害しただけだった。
戦場において追いつめられた敵が、わけのわからない戯れ言を言い出すのはよくあることだ。
「俺は負けない。退くこともない。死ぬのは、おまえ達だ」
「まだ言うのか。もういい、死ね」
晶は引き金にかかっている指に力を込めた。この距離だ、外すことなどありえない。
だが、銃弾を男の頭部を数ミリ避けて飛んでいた。
晶の腕で外すはずはなかった。
トリガーを引いた瞬間、ほぼ同時に床が動いたのだ。
その為、僅かに体勢を崩し銃の弾道がそれていた。
さらに床が大きく動きだした。今度は先ほどのような微弱な揺れではない。
床の中央がパカッと割れ、左右に開いたのだ。
「何だ?」
「くくく、言っただろう。貴様らからは死の臭いがすると」
「何だと?」
「この下は養殖場なんだ」
男の目がギラッと怪しい光を放つ。
「く、臭い……何だ、これは?」
床下から漂ってきた異臭に最初に反応したのは薫だった。
ハンカチで鼻を押さえ床の割れ目から距離をとり、そのまま扉に向かって走り出してさえいる。
だがタイミングをはかったように扉が次々と閉じだした。もう逃げ場はない。
「……何かいるぞ」
おぞましい気配をいくつも感じる。暗闇の中から怪しい光がいくつも見えた。
「蒼琉のペットだ」
男は大声で笑いだした。それは今まで見てきたF4の数倍のでかさの化け物の群だった。
(あの時感じたモノはこれだったのか!)
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