「徹、あなた何を言っているの?」

美恵は徹の怒りが理解できなかった。
徹は元々嫉妬深い面があるが、瞬は血のつながった兄だ。
それなのに徹の目にはどろどろした嫉妬が色濃く現れている。

美恵、こっちに来るんだ!」

徹が強い口調で要求してきた。その声色には焦りさえ含まれている。


「徹、私は瞬を説得し――」
「いいから、すぐに来るんだ!」


常に美恵の希望は最大限叶える態度を示すほど美恵には甘い徹が一歩も妥協しない強い態度を見せてくる。
「徹、落ち着いて」
今は瞬よりも徹をなだめなければならないと美恵は判断した。
これほど感情的になっている徹は、美恵にとっては珍しいくらいなのだ。
こうなっては、いくら美恵の願いでもテコでも動かない男。
美恵は仕方なく一端徹の元に戻る事にした。
だが、くるりと体の向きを変えた途端に背後から腕が伸びてきて首に強い圧迫感を感じ呼吸ができなくなった。


美恵!!」


徹の声が意識のはるか向こうから微かに聞こえた。




Solitary Island―149―




「ま、雅信……!」

薫の目の前で残酷なショーが開始された。
主演男優の謎の男の拳が雅信の美しい顔にまともにヒット。
そのまま雅信は何メートルも飛んでいたのだ。
男は壁際に設置されていた消火器を素早く手にする。
そして疾風のような早さで雅信に駆け寄った。
雅信も男の意図を察したのかライフルを高く掲げた。
しかし男は、おかまいなしに消火器で殴りだした、文字通り滅多打ちだ。
雅信はライフルで防いでいるが、男のパワーの前にライフルは徐々に形状を変化してゆく。


「殺す……!」


雅信が懐からガラス瓶を取り出すと男に投げつけた。
ここに来る途中に殺害したF4の流血を採取したものだった。
薫は「悪趣味だ」と露骨に顔をしかめたが、雅信は不気味な笑みすら浮かべていた。
F5を拘束したあかつきには拷問に使用するつもりだったのだろう。
だが今の雅信には笑顔を披露する余裕など一切ない。
鉄をも溶かすF4の血が男にかかった。
じゅうじゅうと不気味な音がして男の浅黒い肌に火傷ができる。
ところが男は引くどころか逆上して、さらに攻撃の手を強めた。


「俺の肌を傷つけたな!俺の体を傷つけた報いは、貴様の苦痛ある死で償わせてやる!!」


男の気迫に薫は心底ぞっとした。

(こ、この男、頭がいかれてる。普通じゃない!)


銃から我が身を防御することすらせず、ただ向かってくる野獣。
こいつは人間じゃない。
まともに相手をするような存在ではないのだ。




「殺す!」
しかし、まともではないのは雅信も同じ。
薫にとっては鳥肌が立つような男の人格も、雅信にとってはどうでもいいらしい。
雅信にとっては殺すか殺されるかの二者択一。
そこに相手の人間性など関係ない。雅信はトリガーを引いた。
「ば、馬鹿かい雅信、その曲がった銃口で撃ったら……あっ!」
銃弾は床に被弾していた。
男と雅信の足下のちょうど中間にだ。
いや、一歩間違えたら雅信のつま先がなくなっている位置。


それでも雅信は、それにかまわず再びトリガーを引いた。
銃弾は今度は薫に向かって飛んできた。
「な、何て事を!!」
あやうく凶弾の犠牲者になりかけた薫は思った。
(こんな野蛮人達と関わるなんて冗談じゃないよ。変態同士で潰しあえばいいのさ!)
薫は、二人が逆上している隙に非常用階段をかけあがった。
そしてフロアのハッチが完全に閉まっていることを確認して怪しげな缶を取り出した。


「さよなら雅信、君の死は無駄にしないよ」


缶の栓を抜き放り投げた。
神経ガスだ、大して広くもないフロアは瞬く間に毒の煙に包まれた。
ガスは空気よりも重いために薫のいる場所には届かない。
労せず勝利をものにできる、雅信の犠牲のおかげで。
「これでF5を一人始末できた。よか――」
凄まじい殺気を感じ、薫はぎょっとして鉄柵から身を乗り出してフロアを凝視した。
雅信と謎の男が大きくジャンプ、非常階段の踊り場に着地するのが見えた。


「ま、まずいじゃないか」
あの位置ではガスは届かない。
実際に謎の変態は雅信に馬乗りになり、拳を大きく降りあげて連打の嵐だ。
だが、そのパンチに僅かな違和感があるのを薫は見逃さなかった。
ほんの一瞬だがガスを吸った影響がでている。
「雅信、その変態をつき落とすんだ!」
薫は銃を構えながら指示を出した。
この位置では鉄柵が邪魔をして銃弾が命中しないと判断したからだ。
だが雅信は一方的に打たれているだけ。
それも道理だ。雅信もガスを吸っている以上、思うように体の自由がきかないはず。




「何て役立たずなんだい雅信、見損なったよ!!」
薫は階段を駆け降りた。雅信が宛にならない以上、自分が動くしかない。
銃弾が命中する角度まで降りると銃口の照準を男の脳天に合わせた。
「グッバイ、これで終わ――」
ところが男は薫の意図に気づき、雅信の髪の毛を鷲掴みにして持ち上げた。

(だめだ、この弾道では雅信に当たる。
この銃の威力では雅信を貫通して男まで届かないじゃないか)

薫は天井に視線を移した。コンテナが吊されている。
おそらく作業中に想定外のFの反乱が起き、そのままになっていたものだろう。
薫はニヤっと笑みを浮かべるとコンテナを吊している鎖を正確に撃ち抜いた。
二発の銃声がとどろくと同時に、コンテナがぐらっと大きく傾いた。
均衡が崩れたコンテナは凄まじい速度で落下。


(ざまあみろ、今度こそ終わりだよ。雅信、君の死は無駄にしないよ!)


F5といえど生身の人間、一瞬で圧死は間違いない。
薫はF5の無惨な死を想像し、勝利と安堵感にほっとした。
すぐに凄まじい音が響きわたる。
ぐしゃっと、くの字に曲がったコンテナは、階段を突き抜けガスで満たされた床にまで落下した。

「やった!」

薫は笑いだしたい衝動を何とか抑えた。




「僕にかかればF5も所詮はただのケダモノ――」

凄まじい殺気に気づき、薫は凍り付くような戦慄を再び味わった。

「ま、まさか!」

破壊されたコンテナの上に人影が見える。


(な、何て事だ。あの一瞬で避けるなんて)


薫はシルエット目掛けて何発も銃を発射した。
(手応えがない?)
人を撃ったことなど何度もある。
ゆえに肉に食い込む銃弾を薫は感触として刻み込んでいた。
それが全く感じられないのだ。
舞い散る埃が収まり、その理由が明かされた。そこにあったのは上着だけで中身がない。


(やつはどこだ?)

薫は頭部を迅速に動かした。
かつんと音がして素早くその方向に視線を向けるとと五体満足の男がゆっくりと階段をあがってくるのが見える。

(今度こそ!)

薫は再度銃口を男に向けた。それに対する男の行動は神業のように素早かった。
さっとふせると鉄板(コンテナに積まれていたものだろう)を盾にして銃弾を防いだのだ。
顔色を変えた薫に向かって鉄板が飛んでくる。
もちろん避けてやったが、その威力は凄まじく、もし当たっていたら即死したとしても不思議ではない。
男のパワーと容赦のなさに薫は接近戦だけは回避すべきと判断した。




(距離をとって銃で……まずい)

銃弾がつきようとしている。非常にやばい展開だった。
男はニヤっと不気味な笑みを浮かべ、再び階段をあがり始めた。
その時だ。死んだと思われていた雅信がコンテナの陰から飛び出して男の背中に体当たり。
そのまま二人は階段を転がり、神経ガスが未だ驚異を放っている床まで落ちていった。


(やった!)

薫は思わずガッツポーズをとっていた。

(奴が神経ガスを吸って動けなくなったら直接ナイフでとどめをさせるじゃないか)

いや、その前に中毒死してくれればベスト。
ガスの中から鈍い音が聞こえてくる。雅信と男が激しくやりあっているのだろう。

(そうだよ、雅信、それでいい。時間を稼ぐんだ)

薫は腕時計を見つめた。二人がガスの中に転落して一分が経過しようとしている。
息を止めていたとしても激しく動いている以上、いつまでも続くものではない。
薫は確実に勝利をものにするために作戦を変更することにした。


(あまり使いたくなかったけど)
薫は致死性の高い毒ガス缶を取り出した。
F4の大群による襲撃に備えてもっていたとっておきだ。

(あの男は危険すぎる。
神経ガスで動きを止めるなんて悠長な事は言ってられないようだね)

薫はピンに手をかけた。
雅信まで殺してしまうことになるが、こんな非常事態だ、仕方ない。
雅信にしたって、いざというときの覚悟くらいあるはずだ。


「グッドラック、雅信。上には君の名誉の戦死を涙ながらに報告してあげるよ」


薫の予定では、毒ガスにより二人の死体ができあがるはずだった。
だが、その薫のスケジュールに、とんでもない邪魔がはいった。
薫は大事なことを忘れていたのだ。
この基地がコンピュータウイルスによって、システムがむちゃくちゃな動きをしていることに。
突然、フロアの五つの扉が全て開いた。
おまけに排気システムが作動し、神経ガスが瞬く間に吸い出されたのだ。


「そんな、馬鹿な!」


ガスが消え現れたのは、ふらつきながらも立っている血みどろの雅信。
そして、雅信の返り血を浴びている凶悪な男だった。














「菊地君、この女どうするの?」
翠琴が戦意喪失し、もう危険はないと判断した瞳は余裕で直人に尋ねた。
「菊地君、ここだけの話。このひと殺すの?」
瞳は口元に手を添えてコソコソと小声で言った。
直人は振り向きもしない。答えたのは直人ではなく翠琴だった。
「殺しなさいよ。私はもう負け犬だわ」
翠琴は観念したようだ。


だが直人は翠琴から、一端手を離すと懐から手錠を取り出した。
そして上着を脱ぐと翠琴に「さっさと着ろ」と言った。
殺されるを覚悟していた翠琴は眼を開いて直人みあげた。
「さっさとしろ」
強い口調で促され翠琴は指示に従った。
翠琴がようやく見られる格好になると、直人はすぐに手錠をかけた。
「F5確保。時間は午後――」
お決まりの文句に瞳はぽかんとした。
両手の自由を奪われただけの翠琴は腑に落ちない表情で直人を見ている。


「おまえの身柄は国防省で預かる。
この島を脱出した後になるが、おまえが知っていることは包み隠さず白状してもらうぞ」
「私を殺さないの?」
「それは全てを闇に葬りさりたい科学省が勝手に出した指令だ。俺には一切関係ない」
「あのー、菊地君、どういうこと?」
瞳は横から口を出したが直人は完全無視だ。




「この島は異常だ。いくら科学省といえども、あくまで法に従う義務がある。
だが科学省がしていることは、完全に法を無視している。
これだけの設備、これだけの規模の研究、当然天文学的数字の金額が動いているはずだ。
国防省に報告する義務がある。
だが、こんな話は一切国防省には通してない。
国家的レベルのプロジェクトを極秘で遂行というだけでも公になれば処罰は免れない。
おまえは、国防省が科学省を断罪するための重要な生き証人なんだ」


「……科学省を断罪?」
「まず宇佐美長官の解任は免れないだろうな。
これにかかわった幹部も全員何らかの処罰を受けてもらう。それが国防省のルールだ」
命を諦め死んだ魚のような目をしていたはずの翠琴だが、みるみるうちに表情が変化していった。
「私はどうなるの?」
「それは上が判断することだ」
「蒼琉は?」
「大人しく俺に拘束されれば、おまえと同様、国防省に連行するまでの命は保証してやる」
翠琴の目は明らかに期待が込められている。
瞳にも、はっきりとわかるほどだ。
だが翠琴は、はっとして「それはできないわ」と俯いた。


「Ⅹシリーズは私達の抹殺指令を受けて、この島に来ている。あなたが殺さなくても奴等は違うわ」
「もし俺の意向を無視して事を進めたら、その時は晃司や秀明は俺の敵だ」

直人の目はまっすぐだった。偽りのない本心を言っている。

「俺が拘束した時点で、おまえの身柄も国防省のものだ。
あくまで晃司達が、おまえを殺し全てを抹消しようというのなら――」




「晃司さえも倒す」




瞳は身震いするほどの感動を味わった。
そして素早くメモ帳を取り出すとペンを走らせたのだ。
「おまえ、何をしている?」
今まで瞳を無視していた直人が自ら声をかけてきた。
「え?いい話だから忘れないうちにネタ帳にメモしてるんだけど」
直人がつかつかと近づいてきた。
そして一瞬のうちに瞳からネタ帳を取り上げ、びりびりと盛大に破いた。


「きゃぁぁー!!」


瞳は理解した。
直人には自分の高尚な趣味を理解する繊細な感覚が欠如している事を。














美恵!!」

徹の目の前で美恵が、がくっとうなだれた。
全身の筋肉が弛緩したように両腕を力なくおろしている。
瞬が美恵の首に腕を巻き付け、美恵の意識を失わせたのだ。


「貴様、美恵に何をするんだ!!」


目の前で最愛の恋人に危害を加えられた徹は当然激怒した。
しかるべき報いをとばかりに戦闘態勢をとった。


「動くな!」

だが瞬は制止をかける。

「それ以上近づいたら、今度は気絶させるだけではすまないぞ」


瞬が腕に力を入れた。
美恵の首に強い圧迫がかかり、その顔色は青白くなってゆく。


「やめろ!」
激しく動揺する徹とは反対に瞬は顔色一つ変えない。

(こいつ本気か?本気で美恵を殺す気なのか?)

瞬がその気でさえあれば美恵の細首など一瞬で折ってしまうだろう。
怒りで燃えていた徹の心は美恵を失うかもしれない恐怖で一瞬にして冷めた。




「……頼む」

瞬の行為は徹にとっては万死に値する。

「頼むから美恵を傷つけないでくれ……おまえの言う通りにする。だから」

だが今は美恵の身の安全が最優先だ。


美恵だけは許してくれ」


徹は今の己の状況は瞬の支配下におかれたことをはっきり思い知った。


「そうか」

瞬が腕をゆるめた。美恵の頬に赤みが戻るのを確認して徹は心底ほっとした。
同時に美恵にすら簡単に手を出す瞬に強い恨みを抱いた。
もちろん、それを顔に出すわけにはいかない。




「まずは俺に近づくな。最大限の距離をとれ」

徹は拳を握りしめながらも、瞬から一番離れた位置に移動した。
もっとも狭い密室なので、大した距離ではないが。

「それから、二度と俺に近づこうとするな。わかったら座れ」

瞬は美恵を抱き抱えたまま、その場に座り徹も渋々と着座した。

「俺がいいというまで口をきくな。視線を向けるのも禁止する」
「……」
「今すぐ実行しろ」

徹は忌々しそうに瞬と美恵から目を反らした。
しかし鏡のおかげで瞬が美恵を抱き、その寝顔をじっと見つめているのはわかる。


(早乙女……いや天瀬瞬)


徹は決意した。


(貴様は、俺を本気で怒らせた。義兄だと思って優しくしてやれば図に乗りやがって。
今は美恵を人質にとられているから大人しくしてやる。だが、覚えていろ。必ず、いつか必ず――)




天瀬瞬、貴様を殺す――。




【残り22人】
【敵残り6人】




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