「菊地君、これからどうするの?」
直人は懐中電灯で廊下の壁に掲げられていたフロア見取り図を照らしていた。
扉やシャッターが勝手に開閉されるという状況の中、随分と遠回りを余儀なくされている。
その間、敵はおろか同級生達に会うこともなく、ずっと瞳と二人っきりだ。
瞳は、その間、一方的に直人に話しかけている。
「ねえ菊地君」
「民間人は黙って俺に従え。俺の任務の邪魔になると判断したら即座に捨てていくぞ」
それは脅し文句のつもりだったが、瞳は「素敵」と場違いな台詞を吐いてる。
泣きわめかれるよりはずっとマシだが、どういう思考をしているんだと直人は内心呆れていた。
「下の階に行くには……」
真剣に見取り図を凝視していた直人は、はっとした。
急接近する気配に気づき、直人は瞳の口を押さえ観葉植物の陰に隠れのだ。
「いいか、絶対に物音を出すな」
瞳はこくこくと頷いていた。
Solitary Island―147―
(科学省のペットか、それともF5か……どちらにしても、まずいな)
自分一人だけならいい。しかし民間人も一緒となると状況はかなり悪い。
F5であれば隠れる意味などない。
瞳に気配を消すなんて芸当などできるわけがないからだ。
見つかるのは時間の問題。
やがて気配の主は、程なくして姿を現した。
薄暗い廊下を走ってきた相手の姿に直人は一瞬ぎょっとなった。
女だ、それもかなりの美女。
美恵と比べても見劣りしないが、まるで冷たい氷のような印象である。
髪の毛は同国人のように漆黒だが、そのエメラルドのような緑の瞳がF5の証拠だ。
ぎょっとなったのは、その姿がほとんど裸であったことだ。
まさかF5のストリップショーを拝む羽目になるとは思わなかった。
(この同人女の気配に気付かれる前に殺るか、それとも生け捕りにして情報を入手するか)
相手はⅩシリーズと並ぶ科学省の傑作とはいえ女。
しかも疲労した様子から、かなりのダメージを受けていることが伺える。
直人には勝つ自信があった。
問題は民間人の瞳を巻き込むと不利になるのではないかという危惧だけだ。
「あ、あの男……覚えてらっしゃい。復讐してやるわ!」
(あの男?)
どうやら女は敗北したらしい。
F5に勝てる人間となると自分達特選兵士をのぞけば桐山くらいだろう。
「陸軍の野蛮人め、後悔させてやるわ」
(陸軍……晶か)
直人は晶とは親しくないが、その性分くらいはわかっている。
晶を敵をむざむざと逃してやるような甘い性格ではない。
例え相手が妖艶な美女であってもだ。
(あの晶が女相手に追走できないほどダメージを負うとも考えられないが……)
女をわざと泳がせて尾行しているのかもしれないと直人は考えた。
しかし晶は姿を現さない。まさか女相手に負傷したのか?とすら思った。
その時だ、天井から壁を伝わり床一面にまで大きな揺れが襲ってきた。
(また上の階が吹き飛んだ。相当やばいな)
晶がどういうつもりなのかわからないが、余裕を持って行動できる状況ではない。
「ここにいろ」
直人は瞳をその場に残し女の前に姿を現した。
女はぎょっとなって直人を見つめてきた。
「基地の爆発を止めるパスワードを教えてもらうぞ」
「……私が知るわけないでしょ。知っているのは蒼琉だけよ」
「その話、俺が簡単に信じると思っているのか?言わないのなら痛い目に合わせてやるだけだ」
(……俺としたことが)
晶は忌々しそうに気を失っている純平を蹴り飛ばした。
「……う、ん」
その衝撃で純平は意識を取り戻した。
しかし晶の顔を見るなり顔面蒼白になって後ずさりだ。
「す、周藤さん。そ、その殺意に満ちた目は……」
「よくも邪魔をしてくれたな。覚悟はできているんだろう?」
「じゃ、邪魔?……はっ、あの綺麗なおねえさんは!?」
純平は、きょろきょろと辺りを見渡している。
こんな状況だというのに、随分と幸せな性格だ。
「女と見れば見境なく助け船を出す野郎は害悪だ。始末してやる、悪く思うな」
「え、ええっ!そ、そんな冗談は顔だけにしてくださいよ!!」
「俺は冗談を言えるようなセンスはない」
純平はへっぴり腰になって走り出した。
「往生際の悪い野郎だ」
すぐに片づけようと思った晶だったが、それどころではなくなった。
遠くから群が近づいてくる気配を感じたのだ。
(5、6匹といったところか)
純平に関わっている暇はない。晶は銃を右手に持ち変えた。
いざというときの為に右で撃つ訓練もきちんとこなしている。
Fの襲撃も問題ではないだろう。迎え撃つ準備は万端だった。
しかしFは一向に姿を現さない。
それどころか異変が起きている。
Fの気配が一つ、また一つと消えているのだ。
微かに暗闇の向こうから悲鳴も聞こえてくる。
(Fが一方的に殺されているだろ?)
それができる人間が今この基地内にいるのだから、それ事態は不思議ではない。
問題は、その殺され方が異常だということだろう。
Fの絶叫は虐殺されている獣のものだ。
殺戮者は、かなり猟奇的な人格の持ち主だろう。
(雅信か?)
晶は最初そう思った。
雅信は異様な性癖の持ち主だ。殺しを楽しみFですら玩具としていたぶり殺すだろう。
しかし晶は第六感で得体の知れない不気味さを感じた。
(雅信ではない)
だが雅信以外で、そんなおぞましい人間など特選兵士には存在しない。
特選兵士と同等の力を持つ唯一の民間人・桐山和雄も冷酷非情ではあるが残酷な人間ではない。
(いったい、誰なんだ?)
晶は気配を消し近づいていった。
「は、離せ!私に触れていいのは蒼琉だけよ!」
「何があったか知らないが頭に血が昇りすぎているな。随分と隙だらけだったぜ」
直人はF5の美女を床に押さえつけていた。
晶との戦闘で体力を消耗し精神的にも疲労していたおかげで思ったよりも簡単に事は済んだ。
猛然と襲いかかってくる女の攻撃をさらりとかわし腕をとると一気に押さえ込んだのだ。
こうなれば後は真っ向からの力勝負。
やはり女の細腕では鍛えられた直人のパワーには太刀打ちできなかった。
「名前と所属は?」
それは国防省の精鋭である直人にとって手順というより、もはや癖だった。
女が忌々しそうに鋭い眼光を向けてくる。
「もう一度いう。名前と所属は?」
女がぷっと何かを吐いた。しかし直人は、その行動をある程度予測していた。
体の自由を失った鼠が勝利を確信した猫に対し逆襲することは当たり前だ。
直人の背後の壁に含み針がぶつかり、そのまま床にばらばらと落下した。
どうやら毒付きの含み針だったらしい。
そして、この女の最後の奥の手だったのだろう。
「わかってないようだな。おまえの体に聞いてもいいんだぞ」
直人はつかんでいる腕を不自然な方向に曲げだした。
「ひっ……!」
女の顔は苦痛で歪んだ。
普通の男なら女相手に残酷な拷問など心が痛むだろうが、直人にとってこれは任務の一環でしかない。
何の良心の呵責もないといわんばかりに直人は事務的な言葉を吐いた。
「貴様に黙秘権はない。弁護士を呼ぶ権利もない」
「さあ吐け。それとも、このまま痛みを味わい続けたいか?」
「だ、誰が……あぁっ!」
直人の非情な尋問は続いた。
瞳が「体に聞くって……何かドキドキ」などと場違いな台詞を吐いているのが聞こえてくる。
「や、やめ……っ、もう……!」
「このままいくか?」
直人の口調は全く変化がない。
あくまで逆らえば本当に骨を折られるという無言の圧力だった。
「み、翠琴……それが私の名前!F5よ、科学省の特別秘密兵士。
そんな事、聞かなくても、おまえ達は知っているんでしょう!」
ついに落ちたと確信した直人は僅かだが手の力を緩めてやった。
女(もう名前はわかった。翠琴だ)は、ほっとした表情を見せた。
しかし直人が、それ以上手を緩めない事に警戒心は解いていないようだ。
「もう一度聞く。爆発を止めるパスワードは?」
「最初に言った通りよ。私は知らないわ」
「……」
直人はあえて無言を貫き、再び手に力を込めた。
拷問の再開を予測した翠琴は慌てて叫んできた。
「本当よ!おまえ達は蒼琉を知らないから……彼は私達を仲間とすら思っていない。
肝心な事はいつも教えてくれないのよ」
その必死の口調には真実味があった。
こんなろくでもないお遊びを楽しむような人間だ。おそらく翠琴の言っている事は真実だろう。
「おまえは言ったな。自分に触れていいのは蒼琉だけだと。
蒼琉というのはリーダー格のブルーの事なんだろう?
おまえとブルーはそういう関係じゃないのか?恋人のくせに本当に知らないのか?」
一応確認はした。しかし翠琴は今までとは違う悲壮感に満ちた表情を見せてきた。
「……私は彼にとっては、ただの捨てゴマよ」
それは、かつて直人を誘惑しようした女スパイが吐いた台詞と同じだった。
(ちなみにその女というのは水島克巳の愛人だ。直人陥落に失敗した後、遠方に飛ばされたと噂に聞いている)
(本当に何も知らないようだな)
直人は質問を変える事にした。
「敵の戦力を知りたい。おまえがもっている情報を全て吐け」
「戦力といっても私達は七人だけよ。ただ蒼琉は恐ろしいほど頭の切れる男だわ。
あの下等生物達を上手く使って、おまえ達を襲わせることくらい朝飯前よ」
直人は理解した。野放しになっているとはいえ、こうも的確にFシリーズが自分達の居場所に出現できた理由を。
「つまりパスワードを知るためには、ブルーを直接尋問しなければならないというわけか」
直人は単刀直入に言った。
翠琴は始め驚愕に満ちた表情を見せたが、やがて口の端を緩めだした。
「何がおかしい?」
「蒼琉を尋問するですって、おまえが?」
翠琴は今の自分の立場すら忘れたかのように高笑いを始めた。
「な、何よ、その女。頭がおかしいんじゃないの?」
少し離れた場所から瞳が言った。
確かに瞳の言葉の通りにも見える。しかし直人の意見は違った。
「よほどブルーの強さに自信があるらしいな」
ブルーはF5最強の男。
単純に考えても晃司と同等、もしかしたら、それ以上の危険すら考慮した方がいい。
「それだけじゃなくてよ。さっきも言ったでしょ、蒼琉は頭が切れるわ。
おまけに底なしに意地悪で非情な男よ。
どんな手段でも躊躇なく実行できる。だから怖いのよ」
こんな悪趣味なゲームを開催するような人格の持ち主なのだ。
褒められた性格ではない事くらい説明されなくても理解できる。
しかし翠琴の言葉には、それだけではないというおぞましさすらあった。
「美恵に何かしようというのか?」
美恵は大切な人質、しばらくは危害は加えられないだろうと直人は考えていた。
だが蒼琉が保身など一向に構わないという人間ならば?
美恵を駒にして残酷な趣向を凝らす可能性に直人は顔をしかめた。
(Ⅹ6は承知しているのか?それともF5によってすでに亡き者にされているのか?)
直人は、さらに詳しい情報を聞き出そうと思った。
だが、それを中断するように想定外の事が起きた。
『安心しろ。あの女は無事だ』
突然の放送に直人は表情を強ばらせた。
「そ、蒼琉……!」
翠琴は今までの虚勢が嘘のように青ざめてガタガタと震えだしている。
『大事な花嫁だ。命だけは保証してやるから安心しろ。俺の気持ちが変わらないうちはな』
それは実に曖昧な言葉だった。事実上、脅迫に近い臭いすら感じる。
『ああ、そうだ。ついでに教えておいてやるが海軍の特選兵士を一人始末した』
直人の眉がぴくりと動いた。
(……まさか)
離ればなれになってしまった俊彦の顔が脳裏に浮かんだ。
『断っておくが殺ったのは俺達じゃない、Ⅹ6だ。そいつはやけにⅩ6に恨みがあったようだ』
直人は一瞬目を閉じた。
(俊彦だ……攻介を殺されて頭に血が上ったんだろう)
俊彦は親友だったが直人には悲しむ暇もなければショックもなかった。
ここは戦場、ある程度、覚悟はしていた。
しかもムカつく放送は継続されている。
直人は友の死よりも優先すべき事を頭で理解していた。思えば悲しい習慣だった。
『花嫁が「俊彦」と言っていたな。簡単だったぞ、特選兵士もたかがしれてる』
やはり俊彦だった。
それでも直人は相変わらず冷静さを保っていた。
『もう一人海軍の人間を捕獲している。奴が言うには花嫁の恋人という事だ』
(徹が捕まった?)
それは大きな戦力ダウンになる。
だが同時に捕獲されたということは、まだ命はあるということでもある。
冷酷非情なブルーが殺害していないのは謎だったが、まさか徹を人質に使おうなんて考えているのだろうか?
(美恵と違って徹が人質になるものか。雅信や薫に至っては大喜びで抵抗するだろうぜ)
『なぜ殺さないと思っている奴もいるだろう』
まるで心を読まれたかのようなタイミングの良さに直人は色々な意味でぞっとした。
『理由は簡単だ。俺の慈悲だ』
考えなくても、それは嘘だとわかった。
『俺は部下達に期待するような楽天家じゃない。
どうやら敵に捕まっている奴がいるようだから言っておく』
それは、まさに翠琴の事だ。
直人は注意深く周囲を見渡した。定点カメラはどこにもない。
(なぜわかった?それとも、ただの偶然か?)
『部下を人質に使っても俺は動かない。そして部下は何も知らない。
俺は自分以外信用しないから何も教えていないんだ。
生かしておいても役に立たないから殺した方が賢明だぞ。俺からの忠告だ』
翠琴は激しく動揺し肩を震わせている。
『以上だ』
放送が終了すると同時に翠琴は号泣した。
「……そんな」
千秋は愕然とその場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
杉村が心配そうに千秋の肩に手をおいた。
貴子も「しっかりするのよ」と励ますが、千秋には聞こえなかった。
「……嘘、だって……だって瀬名君は……」
俊彦とは、ほんの数時間前に二人きりで話をしたばかりだった。
想いを伝える事もできた。
残念だが受け入れてはもらえなかったけど、それでも確かに気持ちは伝えた。
その時、俊彦は元気だった。間違いなく生きていた。
「下に行こう。立ち止まっている暇は無い」
そう言ったのは貴弘だった。
爆発は今後も続く、その前に爆発を止めるか、基地から脱出しなければ待っているのは死だけだ。
「行くぞ内海」
貴弘に立つように促され、愕然としていた千秋は止まっていた感情が爆発したかのように泣き崩れた。
「瀬名君、嫌よ、そんなの!!」
杉村はおろおろと困惑している。
「立つんだ。今、立たなかったら死ぬぞ」
貴弘は脅し文句を言ったが、千秋は頭を左右に振って泣きじゃくるばかりだ。
「いい加減にしろ。おまえには、まだ親父も弟も残ってるだろう!!」
貴弘は千秋の腕をつかみ強引に立たせた。
「行くぞ。それともここで死にたいのか、楠田のように!!」
貴弘が言っていることは正論だ。だが人間は正論だけでは生きていけない。
まして千秋はしっかり者とはいえ、まだ思春期の女の子。
貴弘の言葉は頭ではわかっても、感情の前では思考回路すら正常に働かない。
そして貴弘も、相手の感情を思いやってやれるほど人間ができていない。
「弘樹、貴弘、早く彼女を」
言葉で説得しても駄目だと判断したのは貴子だった。
「今は立ち直るなんて無理よ。二人で運ぶのよ」
貴子は女同士ということもあって千秋の気持ちがよくわかった。
かつてプログラムで最愛の杉村を失いかけた。
そして今回、最愛の息子を奪われそうになった。
今の時点では二人は生きている。しかし、それでも辛いのだ。
まして実際に死なれたとあれば、中学生の少女には耐え難いものだろう。
「さあ、早くするのよ、二人とも!!」
貴子の指示で杉村と貴弘は、千秋の両腕をつかむと引きずるようにして走り出した。
(あいつはF5)
晶は殺戮者の正体をしった。浅黒い肌の男、間違いなくF5。
問題は、その荒れ方だ。F殺害は、まるで八つ当たり状態だった。
(どういう事だ。あの狂い方は普通じゃない)
F達は、あっという間に皆殺しにされた。
隙を見て射殺しようと考えた晶だが、弾道に障害物がある。
近くに行かなければ無理だった。
「はぁ……はぁ……蒼琉……よくも!!」
(蒼琉……ブルーの名前だ。どういう事だ?)
晶は混乱したが、すぐに状況を察した。
どうやらF5内部で争いがあり、仲間割れしたのだ。
そして、あの男はブルーに追放処分となったのだろう。
(さて、どうする?あんな狂犬では手を組む事は論外、捕まえて吐かせるのも骨折りだ)
晶は左腕の傷にそっと触れた。
肉弾戦になったら、この傷は支障にならないだろうか?
珍しく弱気になる自分に晶はイラついた。
それを払拭するかのように覚悟を決め、そっと近付くことにしたのだが――。
「……何だ?」
「野蛮人発見……僕はごめんだな、こういう奴は」
(あいつら!)
晶とは反対側の廊下の出入り口から、雅信と薫が姿を現した――。
【残り22人】
【敵残り6人】
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