(お願い俊彦……どうか無事でいて)

必死に祈っていると背後の扉が開く音が聞こえ、美恵は素早く反応した。
振り向くと、無表情な瞬がたっている。


「……俊彦……は?」


縋るような気持ちで訊ねた。
万に一つでも瞬が心変わりしてくれればという思いに期待を込め言葉を紡いだ。
だが瞬は突き放すように非情な一言を発した。


「始末した」


美恵は愕然となった。まるで頭の中に霞がかかったように瞬の顔がはっきり見えない。
俊彦の明るい笑顔が遠のいていく。

もう涙も出なかった――。




Solitary Island―144―




「真一!」
呼んでも返事はない。それどころか、あの化け物達が発する不気味な物音一つない。
すでに、あの化け物達は去っており、距離がひらいている証拠だ。
懐中電灯で照らすと、僅かだが化け物の痕跡が残っていた。
べっとりとした粘着質な物質が、床に二箇所ほど張り付いている。
「唾液か?」
今は、その粘着物の正体について議論している暇は無い。
ただ、それが奴等を追う唯一の手掛かりというだけだ。


「急ぐぞ三村。奴らは人間じゃない。命乞いなんか一切通用しない相手だ。
見失えば真一達は間違いなく殺される」
「ああ、わかってる」
事態は一刻を争う。
「川田、大丈夫なのか!?」
七原の声が降ってくる。川田は頭上に向かって大声で叫んだ。


「もう行く。おまえは自分の子供や杉村達とを探せ!
最悪の場合でも家族や仲間と離れて一人で死ぬような事だけは避けるんだ!!」


川田の言葉が終わらないうちに、爆音が轟き振動が押し寄せてきた。
また上のフロアが爆発したのだ。
この、ふざけたゲームの方もぐずぐずしてはいられない。
「わかった。絶対に死ぬなよ二人とも!」
遠のいてゆく足音が聞こえた。
七原とは、これでお別れになるかもしれないが、そんなことは最初から承知の上だ。




「よし行くぞ三村」
「ああ」

二人は銃を構えながら走った。程なくして非常用階段に出た。
吹き抜けで、かなり下まで見える。
懐中電灯で照らすが、真一と海斗はおろか、あの化け物達もいない。
「よし、降りるぞ」
二人は銃を構え、注意深く階段を降りていった。
「川田、あれ」
懐中電灯の光の中に靴が見えた。スポーツシューズが片方だけ落ちている。
靴底についていた土は、まだ乾いていない。つまり真一か海斗のものだ。


「このフロアにいるってことか……」
三村は廊下に足を踏み入れた。しかし川田は階段をさらに降りようとしている。
「どうした川田?」
「俺の勘だ。真一は、この階にはいない」
「何を言ってるんだ。現に靴が――」
「それは真一のものじゃない。サイズが違うし、真一はこんなデザインのシューズは持っていなかった」
さらに川田の視線の先には、あの粘着質な物体が点々と三カ所ほどの段にへばりついている光景があった。




「三村、おまえはこのフロアを探してくれ。おそらく寺沢って坊主はここにいる。
俺は真一を捜しに下に行ってみる」

海斗捜索を三村に任せ、川田は先を急いだ。
階段を何段も降りた。しかし真一の手がかりはない。
その代わりに川田はおぞましいものを発見した。


「……何だ、これは?」


天井から壁にかけて奇妙なものに覆われているフロアを発見。
粘土……いや樹脂が乾燥して固まったような感じだ。
川田は、床に点々とへばりついていた謎の粘着質な物質と結びつけた。
あれが乾燥したら、おそらくこんな感じになるだろう……と。
つまり、あの化け物達が作り出した物質で覆われているということは――。


「……奴等の巣というわけか」


さすがの川田も思わず固唾を飲み込んだ。
武者震いをし、汗ばむ手で銃のグリップを握り直す。
ここから先は人間の世界ではない。
あの凶暴で醜悪な化け物達の棲家なのだ。




「……待ってろよ真一」




それでも川田は、そのおぞましい恐怖のエリアに足を踏み入れた――。

















美恵、美恵!!)

徹は非常階段を全速力で駆け降りていた。
F5どもが最愛の美恵に触れるなど想像しただけで吐き気がする。
いや、自分の気持ちよりも、優先しなくてはいけないのは美恵の心だ。
徹には堅く誓っていることがある。それは二度と美恵に辛い思いはさせないと。
かつて水島克巳たちに拉致され暴行されかけた心の傷は今でも美恵を苦しめている。
あの事件を再現させわけにはいかない。
その前にF5達を始末して美恵を救い出さなければ。
しかしはやる気持ちとは裏腹にF5達の居住地区へのルートが見つからない。


「どこにあるんだ!」


基地の青写真は、しっかりと頭に叩き込んである。
確かに、この辺りにレッドゾーンへのルートに繋がるエレベーターがあるはずなんだ。
だが、何度見渡しても無機質な鉄の壁が広がるばかり。


(ぐずぐずしている時間なんてないんだ。こうしている間にも美恵が……!)


徹は気が狂いそうだった。
なりふりかまわず、この基地の要所を破壊しそうな衝動さえ覚えた。
だが修羅場をくぐり抜けた経験値が、冷静になれと訴えかけてもいる。


(わかっている……焦ったら終わりだ。だが――)


その時だった。徹の耳に僅かに機械的な音が届いたのは。
反射的に徹は扉の陰に身を潜めた。すると何の変哲もなかった鉄の壁の一部が開くのが見えた。
その向こうにはエレベーター用の扉が見える。
(隠し扉だったのか)
徹は注意深く気配を消し待った。
やがて機械的な音は小さくなり、エレベーターの扉が左右に開いた。
そして顔を押さえ足下のおぼつかない男が姿を現した。




「はぁ……はぁ……蒼琉……殺してやる」

浅黒い肌に彫りの深い顔立ち。一見してF5だとわかった。

「……よくも……殺してやる……俺を切り捨てたことを後悔させてやる……」

何があったのかわからないが、男の姿はボロボロだった。
纏っている衣服は所々引きちぎられ、赤く染まっている。
おまけに顔に大怪我までしているらしい。
そして何より異質だったのは男の目だ。ぎらぎらと異様な光をはなっている。
それは憎悪と復讐心に充ちたものだった。


男がエレベーターから降りると同時に扉が閉まってしまった。

「……女は……渡さない……蒼琉め……。
今すぐ、あの女に手を出さずに、つまらない遊びに夢中になったことを後悔させて……やる」


(あの女……美恵!)


徹は幾分安心した。
美恵は捕らわれの身ではあるが、それ以上の危害は加えられていないようだ。
その情報が徹に冷静さを取り戻させた。
だが美恵が危険な立場であることには変わりない。

(あの扉を開く方法は?)

ボタンのようなものは見当たらない。
そばで観察すれば判明するかもしれないが、定点カメラの存在が不気味で、そんなリスクは犯せなかった。

(あの位置に立ったら完全にカメラに姿を捕らえられてしまう。
美恵を助け出す前にF5とやり合うのはまずい。
下手なことをしたら美恵を連れて逃亡される恐れがある)

定点カメラを何とかしなければと思案を巡らせていると、徹の目の前でF5が銃を構えた。




「蒼琉!!」

銃声と共にカメラが粉々に破壊され、ばらばらと床に落ちた。

(何だ、あいつは?)

何があったのかはわからない。
しかしF5同士の間で深刻ないざこざが起き仲間割れしたことだけは理解できた。


(連中も俺達特選兵士のように一枚岩ではないってことか)


男は頭に血が昇っている。今なら隙を見て簡単に始末できるかもしれない。
「蒼琉、必ず貴様を後悔させてやる!!」
しかし徹はあえて手を出さなかった。
男は怒りのままに次々に定点カメラを破壊しながら移動している。
徹にとっては、その狂気に満ちた行動は幸運だった。
生かしておいた方が有利だと判断したのだ。
男の姿が見えなくなると、徹は隠しエレベーターに素早く近づいた。


しかし近くで見ても肉眼ではボタンがわからない。
(ボタンではない。俺がそばにきても開かないということは感応式でもない)

「リモコンなようなもので操作するのか?」

そんなものは勿論持っていない。
「くそ!」
徹は腹立たしさのあまり壁を拳で叩いていた。

その瞬間、鉄の壁が開いた――。














川田の心臓は破裂寸前の風船のようだった。
修羅場の経験値の高さは城岩3Bの誰よりも上だと自負していた川田でも、これほどの恐怖は初体験だったのだ。
息子同然に可愛がっている真一の命がかかってなければ、こんな行動は起こせないと思えるほどだった。

(どこだ。どこにいる真一)

川田は慎重に進んだ。幸いにも、あの化け物とは今だに遭遇していない。
しかし、敵は神出鬼没の未知の生物。
すでに川田の侵入を察知して、どこからか、じっと見ているかもしれない。
そう思うと、自然に冷たい汗が額から流れ落ちてくる。




「……あれは」

川田の目に人間界と馴染みの深いものが飛び込んできた。
反射的に川田は今までの慎重な歩みが嘘のように走りだした。


「これは真一の学生服……!!」


間違いない。胸の名札がその証拠だ。
大きく切り裂かれ、何かべったりしたものが付着している。
川田の心臓が大きく跳ねた。




「……ま、まさか……」




どくん、どくん……心臓の音が、はっきり聞こえる。
まるで大太鼓を叩いているかのような大音響だ。

川田は、ゆっくりと懐中電灯で、それを照らした。
赤い液体で学生服も川田の手も染まっていた――。


「……真一」


真一の死を予感して、川田は、その場に崩れ落ちた。














「……いてぇ」

真一は生きていた。だが無事というわけではない。
F4たちに襲撃を受けた際、真一は必死で抵抗した。
だが、ろくな武器も所持していない中学生の反撃など、奴等にとっては蚊の一刺し程度のものだったのだ。
ダメージを与えるどころか、真一は頭部に強烈な一撃をくらい即座に意識を失った。
そして今は別の痛みで覚醒したのだ。


「……つぅ……何だよ、これ」

右腕から流血している。奴らの爪か牙で負傷したのだろう。
だが幸いにも痛みはあるが、腕はちゃんと動く。神経は無事のようだ。
「さっさと手当てして……」
真一はハッとした。そこで初めて自分の今の状況を知ったのだ。


「……な、何だコレ?」


体が動かない。
天井や壁を覆っている謎の物体と同じモノが自分の体にまとわりついている。
まだ乾いていないが、手足に何十にも付着しており、思うように動けない。
それだけではない。目の前に赤い光がたくさんある。
すぐに眼光だと気づいた。


「おい……嘘だろ?」


自分達を襲ったF4によく似ている。違うのは大きさだ。
掌に乗りそうなほど小さいが、牙をむき出している、その姿には可愛げの欠片もない。
ざっと見渡しただけで、その小さなモンスターたちは20匹ほどいた。
意味ありげな不気味な視線を投げかけながら、じわじわと近付いてくるではないか。




「何だ、おまえら!俺に何をするつもりだ!!」

必死に叫んだ。その声に連中は一瞬動きを止めたが、またジワジワと近付いてくる。
真一はおぞましい可能性に気づき焦った。




(こ、こいつら、俺を餌にするつもりだ!!)




気づきたくも無かった可能性に、心の底からぞっとする。
だが、そう考えるとつじつまが合うのだ。
あの化け物達は、あの場所で自分と海斗と瞬殺できるはずだった。
それなのに気絶させてまで、生きたまま巣に連れ込んだ。
その理由は、自分達の仲間に『新鮮な餌』を与えるためだとしか思えない。


「て、寺沢……!?」


真一は海斗の事を思い出した。
きょろきょろと必死に視線を動かしたが、海斗の姿はどこにもない。

「どこだ寺沢、おまえ生きてるんだろ。返事してくれ!!」

その声は闇に吸い込まれるように消えていく。




畜生、畜生!俺の人生、こんな場所で終わるのか?!
俺は褒められた性格じゃあないが、こんな残酷な最後をとげるほど悪さもしてないんだぜ。
まだまだ、青春はこれからって時に、冗談きつすぎるんだよ。
おじさん、俺、かっこ悪すぎるぜ。
天瀬……俺は、あんたを守ってやるどころか自分の身すら守れなかった。
助けてやれなくてごめん。俺は――。


群れの先頭を歩いていた、小さいモンスターが真一に飛び掛ってきた。
そして膝に強烈な痛みが走る。
真一は、あまりの激痛に叫んでいた。














「……真一」

川田は学生服を抱きしめた。
真一との思い出が走馬灯のように川田の脳裏に蘇る。
1人息子を失った悲しみを癒してくれた大切な存在。
いや、今や真一そのものが、川田にとっては第二の息子だった。

「……真一、俺は」




「うわぁぁー!!」




死にかけていた川田の瞳に一瞬で生気が戻った。

真一の声だ。生きている、まだ真一は生きている!!

その事実に川田は立ち上がり全速力で走った。
十数秒後に、小型の化け物たちに取り囲まれている真一を発見した。




「この化け物ども、真一から離れろ!!」




川田は容赦なく発砲した。瞬く間に、群れは死体の山と化した。
残っていた化け物達は素早く逃げ出した。
真一に噛み付いていた三匹も、食欲よりも命を優先して、さっさと走り去ってゆく。




「真一!!」
「お……おじさん」

川田は真一の元に駆け寄った。
傷はあるが、駆けつけたのが早かったのが幸いした。深手ではない。
かといってかすり傷でもない。早く、こんな場所からおさらばして手当てをしなければ。
「しっかり捉ってろ!」
川田は真一を抱きしめると力いっぱい引っ張った。
ようやく粘着物質から真一を引き剥がすと、そこにF4が走ってくるのが見えた。


「これでもくらえ化け物め!!」


川田はライフルを連射した。おぞましい絶叫と共にF4は倒れ、のた打ち回っている。
悲鳴を聞きつけ、他の化け物に来られたらまずい。


「走れるか真一?」
「当たり前だ。こんな所で死にたくねえからな……つっ」

真一の膝から血が流れている。川田は半ば強引に真一を背負った。
「おじさん、俺なら大丈夫だ。こんな傷、屁でもないさ」
「今は意地はってる場合じゃない。行くぞ!」
川田は走った。背後から恐ろしい咆哮が聞こえてくる。
「おじさん、あいつらだ!」
「俺の腰にぶらさげているやつをお見舞いしてやれ!」
真一は川田のベルトから吊り下げられている手榴弾を二個手にするとピンを抜いた。


「くたばれ化け物!!」


数秒後、背後から連続して爆音が轟いた――。




【残り23人】
【敵残り6人】




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