「アホッ。ただの風邪で何気弱になってんだ。ほら薬」
「それにしても最近あの子見かけないなぁ」
「あの子?ああ、真一のことか。あいつは今修学旅行に行ってんだよ」
真一は、この小さな医院の患者たちにはお馴染みの顔だった。
この無愛想だが暖かみのある医者を慕って学校帰りには毎日のように、この医院に寄っているのだ。
その内に、患者たちとも親しくなったというわけだ。
慕ってくれるのは嬉しいが、このヤブ医者(腕はいいのだが、なぜかあだ名となっている)は心配していた。
真一は学校の成績から進路のこと、はては好きな女の子のことまで自分によく話してくれる。
しかし、反対に自分の父親には何も話してないのだ。
真一の父とは昔なじみだった彼にはそれだけが気になっていた。
まして真一は中学を卒業したら、すぐに家を出ようとまで考えている。
おそらく真一の父親は、そんなことすら知らないだろう。
電話の呼び出し音がけたたましくなった。
「もしもし。ああ、おまえか久しぶりだなぁ。 ちょうどよかった、おまえに話があるんだよ」
まだ半分も吸ってない煙草を灰皿に押し付ける。
「おまえなぁ、少しは真一のこと考えてやってるのか?
いくら中学生離れしてるとは言え、あいつはまだ子供だぞ?少しくらい父親らしく……」
『真一のクラスがプログラムに選ばれた』
「……おい、今何て言った?」
『……プログラムだよ。このままじゃ、あいつは死ぬ』
『力をかしてくれ。オレ一人じゃ何も出来ない』
Solitary Island―14―
「……おまえたち、いつからそういう仲になってたんだ」
「??」
「……いつまで抱き合っているんだ?」
桐山が戻ってきたとき、雰囲気がガラリと変わっていた。
いや、変わっていたというのは妥当ではないだろう。
雅信の敵意の矛先が徹から志郎に変わっていただけなのだから。
「誤解しないで。私と志郎はそんな仲じゃないわ!」
「そうだ。第一美恵
は……」
「志郎、余計なことは言わないで!」
美恵
が小声で志郎を制した。
「どうしたんだ?」
その声で、美恵
はようやく桐山が戻ってきたことを知った。
「桐山くん、あいつは?」
「すまない逃げられた」
「……そう」
「天瀬、怪我はなかったのか?」
「私は大丈夫よ」
「そうか」
「それより外に出ましょう。こんな所にいたら、また危険な目に合うかもしれないもの」
とにかく全員外に出た。
そして美恵
は、例の謎の男に襲われたことを一部始終話して聞かせた。
海斗は酷く心配して「ちくしょう、オレがそばについててやってたら……ごめん美恵」と、美恵の頬に手を添えながら自分を責めた。
(徹の視線がやけに痛かった)
「とにかく先を進みましょう。この島、思ったより広いわ。みんな待ってることだし、心配かけたくないもの」
それは正論だった。
とにかく未遂とはいえ惚れた女が自分達がケンカしている間に襲われた。
それには、さすがに徹も雅信も反省したらしく、黙って美恵
の意見に従った。
「美恵、聞いてもいいか?」
「何を?」
そんな中、志郎は他の者に聞こえないように小声で囁いた。
「なぜ、あの事を言わないんだ?」
「あの事って……言うわけ無いでしょ。あんな、ふざけた話」
「なぜだ?転校してきてからずっと思っていた。
雅信も徹も他の奴等も、おまえに勝手に手をだしている。
そして、おまえは迷惑してるんだろう?
どうして、あの事を黙っているんだ。発表すればもうおまえに手を出さなくなるのに」
「私は認めてないわよ。あんな話」
「やっぱり最低500万はとりたいよね。あ、そうだママには何でも言うこときく弁護士がいたよな。
たまには役に立ってもらおうかな」
こんな時に、ルンルン気分で慰謝料の計算をしている相馬洸。
その存在は、真面目な山科伊織と、硬派な不良で通っている石黒智也には、はっきり言って煙たい存在だった。
女子たちのように泣きわめくよりマシかもしれないが、この緊張感の無さには怒りすら覚える。
一体、親にどういう教育受けたのか?
親の顔を見てみたいものだ、と一瞬思ったが、そう言えば一度見たことがあった。
そう、あれは保護者と生徒と担任教師の三者面談の日だ。
智也も伊織も、偶々廊下で洸の母とすれ違った。
どんなに性格に問題があろうとも外見だけは押しも押されぬ美少年の洸の母だけあって凄まじいくらいの美貌の持ち主だった。
おまけに20代前半で通るくらい若々しい。
(何しろ息子の同級生である根岸純平が一目惚れしたほどなのだから)
しかも洸の母は未婚の母で、つまり洸は俗っぽい言い方をすれば私生児だ。
だが、とてもそんな暗いイメージとは懸け離れた性格の持ち主だった。
とてもじゃないが1児の、それも中学生の母親とは思えないほどだ。
そして、これは担任の渡辺と、相馬母子しか知らないことだが、三者面談が行われた教室は一時とはいえ、
銀座の高級クラブも同然の状態だったのだ。
春見中学3年B組担任渡辺は決意していた。
成績は悪くない、しかし洸はどうも不真面目すぎる。
あれだけ頭のいい子なら、努力さえすれば、もっと上の高校を狙えるのだ。
それなのに洸は「先生~、オレって努力と一生懸命って言葉とは無縁の人間なんです。ま、そういうわけだから」と、ヘラヘラ笑って相手にならない。
「……遅刻はする。早退は日常茶飯事。おまけにずる休みまで……。
いくら成績に問題がなくても、これじゃあ内申書が悪すぎる。今日という今日はお母さんにきっちり話をつけないと」
しかし、がラッと教室のドアが開けられた瞬間、渡辺の決意は緩んだ。
「いつも息子がお世話になっています」
「お、お母さん?あなたが?」
「はい、洸の母です」
「……いやぁ、お姉さんかと思いましたよ」
「まあ先生ったら、お上手なんですから」
この時、すでに渡辺は洸の母の術中に陥っていた。
「と、ところでお母さん。洸くんの学校生活についてなんですが……」
「あら先生、洸に何か問題でも?」
「……こういうことは言いたくないんですが、洸くんはよく授業もサボるし」
「ひどいなぁ先生。だって、授業がつまんないんだから、しょうがないだろ?」
「見て下さい、お母さん、この態度。これでは内申書が……」
「先生!」
と、ここで洸の母は前触れもなく渡辺の手を握ってきた。それも両手で。
「え?お、お母さん…?」
「先生、この子は本当はいい子なんです。
あたしが仕事に追われてかまってあげれないものだから、こんな子になってしまいましたが……」
「お、お母さん……あの、その……」
渡辺は焦っていた。それもそうだろう。
身を乗り出して自分の手を握っている洸の母、その体勢のせいで、胸の谷間がやけに眩しい。
「先生だけが頼りなんです。どうか、この子の内申書を先生のお力で」
まるで吸い込まれそうな瞳で哀願している。
その妖艶な美しさに渡辺の理性の糸は切れる寸前だった。
「そ、それは……そういうわけには……」
「お願いです。ね、先生」
もはや、それは三者面談などではなかった。
「……た、洸くんは、いい子ですよ。まあ、特に問題も無いでしょう」
「ありがとうございます。先生は教育者の鏡ですわ」
渡辺は知らなかった。
その夜、相馬母子が夕食の時間に――
「あーはははっ、渡辺のあの顔。赤面しまくって、もう傑作だったな。ママにかかれば、あんな奴イチコロだね」
「あら、当たり前じゃない。あんな男、犬より簡単よ。まったく親に手間かけさせるんじゃないわよ」
――などと話していたことは。
とにかく、この母にこの子ありとは洸親子の為にあるような言葉だった。
だが、いま洸より少し離れて前方に歩いている三人組には、そんな母さえいない。
菊地直人も瀬名俊彦も蝦名攻介も孤児院育ち。
特に直人は赤ん坊の頃に、家族が事故死したらしく、両親の顔も覚えてない。
小学六年生の頃に、菊地家に養子に入ったのだが、養父は冷淡で厳格な性格の持ち主で、ただの一度も親に甘えた記憶は無い。
そんな直人から見たら、どんな母親だろうと、一応息子を愛している分、いるだけマシかもしれない。
「……おい、ストップ」
直人が攻介と俊彦に制止をかけた。
前方を歩く3人が急に止まったので、10メートル程後を歩いていた洸たち3人も止まった。
直人たちの様子が変だ。何か見つけたらしい。
直人はツカツカと岩場に歩いていった。
鳥がやけに群れているな、その時は洸たちはそう思っただけだった。
「……攻介、俊彦、来いよ」
それから直人は洸たち3人にはこう言った。
「おまえたちは来るな、見ない方がいい。温室育ちには刺激が強すぎるからな」
「ゆっくん、どうしたのかしら。いくらなんでも遅すぎるわ」
千秋は腕時計と、幸雄が入っていた森を交互に見詰めながら心配そうに何度も言った。
「千秋」
だが、同じ女子主流派のメンバーの一人西村小夜子の切羽詰ったような呼びかけにハッとして振り返った。
「千秋大変よ。静香が」
「どうしたの?」
千秋は急いで静香の元に駆け寄った。
「……ハァ…ハァ…」
「静香、大丈夫?」
小林静香は普段から病弱で大人しい少女だった。
それが、この状況ですっかり気弱になったせいか、おさまっていた喘息がぶり返したのかわからないが、
ひどく苦しそうに途切れ途切れの呼吸をしている。
千秋は静香の額に手を置いた。
「……熱がある」
何とかしないと。自分は学級委員長なのだから。
本来ならベッドのなかで休養させるべきだろうが、ベッドは傾いている船の中だ。
そして救急道具や薬ももちろん船の中。
じっと船を見詰めていた千秋だったが、覚悟を決めたように立ち上がった。
「待ってて、すぐに戻ってくるから」
「千秋ちゃん、どこに行くんだよ」
千秋に想いを寄せる(もっとも美人なら誰でも好きなのだが)根岸純平が心配そうに言葉をかけた。
「薬とってくるわ。それにタオルケットも」
「船に戻るのか?ダメダメ!そんな危険なこと。船が沈んだらどうするんだよ」
「大丈夫よ。ずっと、あの状態じゃない。すぐに戻ってくるから」
千秋は陸づたいになっている船尾から船に入っていった。
「おい、あの女死ぬぞ」
その時、無神経にも、こんな時にブラックジョークではすまない言葉が飛び交った。
和田勇二だ。
「和田!言っていい冗談と悪い冗談があるだろ!!」
「冗談じゃない。あの船はいかだでもカヌーでもない。
エンジンルーム付の最新鋭の船なんだ。 車だってぶつかれば爆発するんだ。
船もエンジンルームの冷却装置が壊れている以上間違いなくな」
「あ、なるほど……って、それを早く言えよ!!」
純平は大慌てで船の中に走っていった。
「……随分、荒らされてるな。全く、鳥の分際で……。チッ、嫌なもん見ちまったぜ。あーあ、気分悪い」
その原型を止めていないモノ……俊彦も、攻介も、中学生とは思えないほど冷静に見詰めているが、
それは本来なら中学生がまともに正視できるものではなかった。
「おい、何見てんだよ。何か見つけたんなら……」
直人の忠告を無視して近づてきた智也は思わず口を押えた。
「……何だよ、何だよ、これは!!」
普段は一匹狼で孤高のツッパリ少年とやらを見事にやり遂げている智也だった。
ケンカも何度もした。普通の中学生の何倍も修羅場を経験している。
そうだ、一度など暴走族3人ほどとやり合って、ボロボロになりながらも全員のしてやったこともあった。
だから、多少のことがあっても驚かない。
流血にもそれなりに免疫があった。
だが、それは智也の経験などまるで役に立たないシロモノだったのだ。
「……おい、それ……まさか」
智也と同様、忠告を無視してしまった伊織も顔面蒼白だ。
普段の中学生離れした落ち着きと冷静さは微塵も無い。
彼もやはり中学生なのだと言うことだろう。
「……あーあ、信じられない、世紀末だよ。嫌なもんみちゃったなぁ。
いくらスプラッター映画大好きなオレでも気持ちのいいもんじゃないよ」
先ほどまで笑顔を浮かべていた洸も思わず顔を背けている。
「……うっ…!」
智也は込み上げてきたものを押えきれなくなったのか岩陰に飛び込んだ。
「……だから見るなと言ったんだ。おい、おまえたちも、あっちに行ってろ」
直人が言うまでもなく、伊織は少しふらつきながらも数歩下がると、その場に座り込んだ。
いや座り込んだというよりは、ガクッとしゃがみこんだと言った方がいいだろう。
「相馬、おまえもだ。温室育ちの出る幕じゃない。
それとも、こいつらみたいに精神的ダメージくらうまで拝むつもりか?」
「おい直人言い過ぎだぞ、なあ俊彦」
「そうだよなぁ、まったく、もう少し優しくしてやれよ」
3人は、『それ』のすぐそばまで近づいた。
赤く飛び散り固まった液体、腐った肉の匂い、うっとおしい蝿の群れ……。
そして何より……原型を止めていない……『死体』。
問題は、その死体が何なのか?ということだ。
大きさからして野ウサギなどではないことは確かだが。
「ねえ、それ…さぁ。まさか人間ってことないよね?」
菊地は鋭い視線を後方に向けた。内心は少し驚いてもいた。
自分達のように訓練された人間と違い、単なる一中学生がこんなものを見て平常心を失わないだけでも大したものだ。
「骨から推測すると多分大型の草食動物だな」
「大型の草食動物?それって鹿みたいな?」
「ああ、そうだ。ほら、もういいだろ向こういってろよ。ガキの見るもんじゃない」
「何言ってんだよ瀬名。あんたたちだってオレと同じ中学生だろ?」
「……おい、断っておくがオレたちをおまえなんかと一緒にするなよ。オレたちは……」
「おい、よせよ直人」
だが3人とも嘘をついていた。そして、洸には聞こえない程度の声でこう言ったのだ。
「……奴等のしわざか?凶暴な上に肉食とはな」
「オレはエサになってやる気なんてないぜ。だが、温室育ちどもは奴等にとってはごちそうだ」
「それにしても頭部がなくてよかったな」
「ああ、そうだな。あったら草食動物なんて嘘は通用しなかった」
「ねえ」
3人はうざいと言わんばかりの表情で振り向いた。
「石黒と山科には黙ってるから本当のこと教えてよ」
「何のことだ?」
直人が冷たい視線で刺すように言った。
「『それ』本当は鹿なんかじゃないんだろ?」
「「「……!!」」」
「本当はしゃれこうべがついていた。そうなんだろう?」
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