真紅に染まっている脇腹を抱えながら川田は空を仰いだ。
「大丈夫か川田?なあ、オレにできることないか?」
「そうか七原。だったらポケットに入ってる煙草を出して火をつけてくれ。 自分でやるのもきついんでな」
それから川田はジッと見詰めた。あの島を。
ほんの数ヶ月とはいえ同級生だった奴等の死体が散らばっている、あの島を。
「……オレは強運だな。二度もプログラムから生還できたんだ。
もしかしたらオレはクラスメイトの運を吸い取って助かってる厄病神かもな」
「川田、何言ってんだよ。オレたちが生き残れたのはおまえのおかげじゃないか」
「七原の言うとおりだぜ。オレたちだけじゃとても勝ち目はなかった」
七原の背後から三村が言った。
三村だけじゃない。杉村も、貴子も、光子も、幸枝も……思いは同じだった。
「なあ、おまえらこれからどうしたい?」
「どうしたいといわれても、まだ政府から逃げ切ったわけじゃないんだ」
でも……と三村は続けた。
「もし逃げ切れたら、オレは叔父さんの遺志を継いで政府と戦いたい。
今度は受身じゃなく、こっちから攻めてやりたいんだ」
「そうか、杉村おまえはどうだ?」
「オレは……わからない、まるで思いつかない。今は貴子を無事に逃がしてやりたい、それだけなんだ」
「そうか、じゃあお嬢さん方はどうしたい?」
「あたしは……普通の暮らしがしたいな。 好きな人と結婚して子供生んで、その子を育てるの」
それは平凡な日常であれば、何の変哲もない言葉だった。
しかし、今の幸枝、いや彼等にとってはとても重い言葉だった。
「そうね。結婚は正直どっちでもいいけど、子供は生んでもいいわね。
あたしみたいな女でもいい母親になれるかしら?」
光子の言葉の裏には、愛してくれなかった母の存在があった。
自分は、愛してやれる母親になりたい。 自分でも信じられないくらい純粋な気持ち。
「そうね。いつか、そういう日が来るかしら。 そんな平凡で退屈で……幸せな日が……」
非凡な女であるはずの貴子。 しかし、その思いは間違いなく本物だった。
川田は煙草の煙をフゥと吐くと呟くように言った。
「やっぱり女にはかなわんな。こんな時でも女は未来を見ている。
男と違って生産的な生き物だといってしまえばそれまでだが、哲学的に言えばこう表現するべきなんだろうな」
「男はいつも破壊で持って歴史を動かす。 だが、子を産み育て、自分達の命を継がせることが出来るのは女だけだ。
だから常に新しい歴史は女によって作られる。 破壊する男が、命を生み育てる女に勝てるわけはない……てな」
Solitary Island―13―
「…んんっ!!」
美恵 は、口を塞いだ手をふりほどこうともがいた。だが、その見えない相手はさらに力を込めてきた。
女ではない。その腕力、そして手つきからして男だ。男相手に力で勝てるわけがない。
「…うっ!」
ガンッと鈍い音がしたと同時に呻き声がした。
美恵
ではない、卑怯にも背後から襲いかかり、今尚図々しくも背中越しにまとわりついている男が発したものだ。
美恵
は、その男ごと洞穴の壁に向かって背中から勢いよくぶつかっていったのだ。
女の力では、その男を振りほどくことはできなかったが、これは成功した。
先ほどまで必死になって離れようとした女が、今度は密着した状態で体当たりするかのごとく押し返してきたのだ。
当然、バランスを崩し、背中から壁に激突だ。
そして、その男が間に挟まれた状態になっているので、勿論美恵
は痛くも痒くもない。
男が怯み僅かに腕の力が弱まった。
その瞬間を美恵 は逃さなかった。 今度は腹部目掛けて強烈なヒジ打ちをお見舞いしてやった。
男は腹を抱えた。美恵
から手を離したのだ。
この男の正体を見ておかなければ。
美恵
はポケットの中から小型の懐中電灯を取り出した。
だが、スイッチをオンにするとほぼ同時に男が反撃してきた。
もっとも、それは反撃というより、ただ逃げる時たまたま逃げ道に立っていた美恵
にぶつかっただけだったが。
懐中電灯が地面に転がり、その灯りは洞穴の天井を照らした。
その、ほんの数秒の間に男の足音は遠のいていった。
そして、男が逃げていった方向とは正反対、つまり美恵
が入ってきた方角から、足音が近づいてくる。
それも一人ではない。二人分の。
「天瀬!
」
「美恵!
」
桐山と志郎だ。
二人は、懐中電灯の光の中に浮んでいる美恵
を見つけると、さらにスピードを上げ駆け寄ってきた。
「天瀬、何があったんだ?」
そうだ。それは重要なことだ。
この島に、自分達以外の人間がいるのだ。
「男、男がいたの……襲われかけて。でも抵抗してやったら、奥に逃げていったわ」
「……あっちか」
桐山は懐中電灯を持ち上げると、再び走り出した。
「美恵
」
志郎は、地面に座り込んだ形となっている美恵
に合わせ、片膝をついた状態で美恵
の両肩を握った。
「何かされたのか?」
「……何もされてないわ、ただ後ろから抱きつかれただけ」
志郎は美恵
の右腕を掴むと垂直に持ち上げ、ジッと見詰めた。
そして、今度は左腕を同じように持ち上げるとさすりながら注意深く見ている。
どうやら、怪我をしてないか確認しているようだ。
「大丈夫よ」
美恵 はそう言ったが、志郎は聞いてないようだ。今度は美恵
の背中に両腕をまわした。
はたから見たら抱き締めているように見えるかもしれないが(実際、密着した状態ではあるが)そうではない。
背中に怪我がないか、調べているのだ。
「志郎、もういいでしょ。本当に大丈夫よ、かすり傷一つ無いわ」
それは事実だった。幸いにも美恵は怪我も無く無事だった。
確認し終えた志郎は、そのままの状態で珍しく落ち込んだような口調で言った。
「オレのミスだ。おまえから目を離した」
「何を言うのよ」
「おまえの身体に傷がついたら秀明や晃司が怒る。言い訳もできない」
「……志郎」
「……おまえたち何してる」
懐中電灯で照らされ、美恵
は一瞬その相手の顔は見えなかった。
だが、声でわかった。雅信だ。 同時にまずいと思った。
今自分は志郎に抱き締められたも同然の状態だから。
しかし志郎(志郎からは背後にいる雅信は見えなかった)は振り向きもしなかった。
どうでもよかったのだ。
「……う、うぅ…酷いよ、あんまりだよ」
「瞳、不安なのは皆同じよ。だから元気出して」
「違うの、そうじゃないよ!
今日の遊々白書はクラマが猟奇的ストーカー殺人鬼トリートメント男爵に鉄槌をくだす回だったのよ!!
楽しみにしてたのにィィ……」
千秋は溜息をついた。
瞳が漫画家志望なほどのマンガ好きとは知っていたが、これほどとは。
「……クラマぁ…」
瞳は生徒手帳を開いた。中には銀髪の貴公子クラマのカード。
『さあ、処刑の時間だ。オレを怒らせた罪は重い』
愛しのクラマのそんな決め台詞が聞こえてくるようだ。
千秋には理解し難いが、瞳はマンガのキャラ、つまり架空人物であるクラマとやらにお熱をあげている。
もう盲愛と言っていいだろう。
千秋は溜息をつきながら、ふと思った。
(……ゆっくん、まだなのかしら?)
あれから随分時間がたっているような気がする。
幸雄は運動神経抜群だ。対して、あのオタク3人組は体育はそれほど得意ではない。
服部雄太は将来はUMAを探す為にアマゾンに探検に行くと豪語している。
ゆえに運動神経は標準ではあったが、体力は標準以上だ。
しかし楠田隆文は眼鏡が似合うガリベンのような風貌で完全にデスク向き人間だ。
横山康一も、軍養成学校予備校の校風が根強い春見中学校の中においては、決して目立つ身体能力の持ち主ではない。
その3人に千秋の自慢の弟である幸雄が追いつかないなんてことはないだろう。
余談だが、千秋自身もバレー部でレギュラーをやっているくらい、そこそこ運動能力には自信がある。
もしかして迷ったんじゃ……千秋は心配そうに森の方を見詰めた。
「どうしたんだよ内海」
「……帰り道がわからない」
「わからないって……それはないだろ?おまえだけが頼りだったのに……」
随分と身勝手な言い分だが、今はそんな事を言っている暇は無い。
どうする?こうなったら自分の記憶を頼りに先に進むか?
しかし幸雄は躊躇した。
小枝さえ折って目印をつけていたということに安堵した為か、あまり覚えてない。
もしも間違った道を行けば、この広い森の中、もしかして遭難してしまうかもしれない。
自分一人ならいいが、3人もついているのだ。 そう思うと一歩を踏み出すことが出来なかった。
誰が何の為に、自分の目印をメチャクチャにしたのかはわからない。
他のチームは大丈夫だろうか?
幸雄は他の探検チームの事を思った。
まず最初に思い出したのは淡い恋心を抱いている美恵の事だ。
しかし、美恵には屈強な男達が何人もついている。
それに自分達と違い海岸に沿って歩いているから、迷うことも無いだろう。
菊地直人たちも同様だ。
心配なのは高尾晃司たちだった。自分達と同様森の中にいる。
いや、自分達よりはるか奥にいるのだ。おそらく最も危険なのは、あの3人だろう。
「……高尾達は大丈夫かな。それにしても……」
誰なんだ?誰がこんなことをしたんだ?ここは無人島じゃないのか?
だとしたら、オレたちの他にいるのは誰なんだ?
足音がこだましている。 桐山は全速力で走った。
身体能力に自信がある者が多い春見中学の中でも桐山に追いつける者などそうそういない。
その俊足で追いかけた。
逃すわけにはいかない。
何より美恵を襲った。それは桐山にとって何より許せない事だった。
だが次に桐山の目に入ったのは何と岩の壁、そう行き止まりだ。
おかしい、確かにあの足音を追ってきた。
遠くだったので小さい音だったし、洞穴という特殊な環境上反響などしたことも事実だが、間違いなく足音を正確に追ってきた。
見失うことなどありえない。
ポチャーーン……
だが、確実にその場所には自分しかいない。
聞こえてくるのは天井から滴る水の音くらいだ。
桐山はふいに掌を差し出し、その落ちてくる雫で指を濡らした。
そしてスッと静かに手を上げ掌を広げた。
「……ここか」
掌にかすかに感じる空気の流れ、奴は間違いなくここに逃げ込んだ。
いないということは抜け道があるのだ。
抜け道があればかならず微かな空気の流れがある。
桐山は、それを掌を濡らすことにより、その場所を突き止めたのだ。
微か、そう本当に微かな風……その風を頼って桐山は行き止まりの隅にある小さな岩を押した。
岩は(と言っても50センチほどのものだ)動いた。 やはりあった。抜け穴だ。
「いったん戻るか……。」
もう奴は逃げているだろう。 そして、奴はこの洞穴の中を熟知している。
下手に追えば、掴まえるどころか自分が迷ってしまうだろう。
何より、美恵から離れるわけにはいかない。
桐山は、クルリと背を向けると元来た道を再び歩き出した。
【残り42人】
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