兵士養成学校。その男子棟を通るといつもこうだ。
からかい半分に口笛を吹かれたり、いやらしい視線でジロジロ見られるならまだいい。
最悪なのは強引に手を出してくるような最低の男と出会ったときだ。
「よう、おまえ気に入ったぜ。オレの女になれよ」
しかし、その日はいつもと違った。
ただの勘違い男なら、ブン投げて終わりだが、その男はなんと軍のお偉いさんの息子だったのだ。
「……離して。そんな女じゃないわ。遊びたかったら他をあたって」
「オレはおまえと仲良くしたいんだよ」
「私、好きな男がいるのよ。あなたみたいな男比べ物にならないくらいのね」
――1年と少し前の事だった。
Solitary Island―12―
「まあ寺沢くんが心配するのも理解できるよ。
女性にはキツイからね」
「……ああ、そうだな。心配だ」
まるで感情のこもってない言葉。
だが、それは雅信がそういう人間だからで、意図的なものは何も無い。
「……おまえたちだけで見て来い。オレたちは、ここに残る」
「残るって……雅信、君と美恵
さんが2人っきりでここに?」
「ああ、そうだ。一人きりにするのは危険だろう」
「……………」
「……だから、オレも残る」
「……雅信、一つ聞いてもいいかな?」
「……何だ?」
徹はニッコリと笑った。
「君、オレにケンカ売ってるのかい?」
「なあ俊彦、今さらだけどさぁ」
「何だよ攻介」
「あいつら行かせたのはやばかったんじゃないのか?
オレ知らないぞ。『奴等』に会う前に死人が出ても」
「だよなぁ……まあ、部外者も4人いるし、殺しあいまでは発展しないと思うけど」
「あーあ、やだやだ、嫉妬に狂った男ほどたちの悪いものはないぜ。
徹も昔は女嫌いだったのに、どこをどう間違えて、あんな情熱的な奴になったのか。
雅信は元々危ない奴だっけどさ」
「おい、2人とももっと小声で話せ。後ろのやつらに聞かれるぞ」
数メートル離れて歩いている洸、智也、伊織を警戒して、直人がやはり小声で囁いた。
「……それより本当に静かだな。本当に、ここが例の島なのか?」
「さあな、何しろ周囲20キロほどだからな。奴等と今すぐバッタリ出会う確率の方が少ないだろ」
「……旅行代金損害賠償、精神的苦痛に対する慰謝料。
そうだママの知り合いの医者に嘘のカルテ作らせて一週間ほど入院でもするかな。
そうすれば医療代金の名目でもっと取れる」
相馬洸はすでに帰ったあとの金の計算をしていた。
対照的に石黒智也と山科伊織は一言も発せず黙々と歩いていた。
「晃司、あいつら」
「ああ、ずっとつけてきてる」
「おまけに、その後ろからもう一人近づいてきてるぞ」
晃司たちは、背後を振り返らずにそう言った。 全くもって彼等から見たらお粗末なことこの上ない尾行だろう。
20メートル程の距離を保ちぴったりとついてくる例の3人組は。
「どうする、追い返すか?」
「あの場所にはまだ距離がある。今はほかっておいても害は無いだろう」
「だが、このままついてこられても邪魔だ」
「わかった。スピードを上げるぞ」
「あ、急に速くなった」
「よし、オレたちもスピードアップだ」
「逃すな!」
雄太、隆文、康一の3人組は一気に走り出した。
が、晃司たちが駆け上った岩を何とか上がったところで3人組はターゲットを見失った。
晃司たち姿が見えない。 一瞬目を離した間に引き離されてしまったのだ。
「おい、どうする?」
「……せっかく未知の生物と接触するチャンスなのに」
「そうだ。オレの霊感で3人がどこにいったか当てようか?ちょうど五円玉持ってるし、すぐにこっくりさんを始めよう」
「……なあ、一つ聞いていい?」
「「なんだよ雄太」」
「ここって島のどのあたりだ?」
「「……………」」
そう、3人は晃司たちを追いかけることに夢中になり、自分達が歩いてきた道すら覚えてなかったのだ。
「ど、どど…どうするんだよ!!こんなところでデビルグレイに襲われたらひとたまりもないぞ!!」
「どうするって、そうだ康一、道標係はおまえだったよな!!?」
「勝手に決めるなよ!!」
「おい、3人ともいい加減にしろよ!!」
その声に3人は一斉に振り向いた。
そこには救世主が立っていた。そう、内海幸雄だ。
「……まったく勝手な行動とって。千秋の言うとおり後追いかけてきてよかったよ」
「……内海、もしかしておまえもUMA愛好者だったのか?」
「そんなわけないだろ。さあ帰るぞ」
3人はホッと胸を撫で下ろし、幸雄と一緒に帰途についた。
が、4人は全く気付いていなかった。
彼等を見詰める茂みの中の怪しい二つの目に……。
「……どういうことだ?」
「さっきから黙って聞いていれば随分とふざけたことを言ってくれるよね。
オレが事を荒立てまいと押えてるのをいい事に言いたい放題言いやがって……」
徹の口調がガラッと変わった。 これには海斗や真一は勿論貴弘まで一瞬目を丸くしている。
それもそうだろう。徹は例えどんな時でも(そう、例えば先ほどのように海斗に子供じみたイジメ行為をした時でさえも)
言葉使いだけは貴公子然とし、それを崩したことなどただの一度もなかったのだ。
少なくても学校内では。
だが、無表情な桐山はともかく、他の者は全く別の反応を示した。
当事者の美恵は噴火寸前の火山を見るような表情で困惑しているし、薫は「ついに本性出すのかな?」と楽しんでさえいる。
晶に到っては「やれやれ、相変わらずな」と、半分呆れ顔だ。
どうやら、徹の意外な一面を見るのは初めてではないらしい。
(雅信と志郎は桐山同様無表情だったが)
「……おい美恵っ」
まさに一触即発か?と思われた瞬間だったが、その声に徹と雅信は同時に振り向いた。
何と美恵が(いつもは間に入って必死に止めているのに)スタスタと歩き出し、海斗が小走りに後を追っていた。
「美恵、どうしたんだよ?」
「……別に。もう知らないわ、こんな時までケンカして。そんな状況じゃないのに……」
そして海から砂浜、森の中にかけて横一直線に、まるでダムのようにそそり立っている2メートル程の岩を登りだした。
(……徹も雅信も、こんな時くらい協力してくれたらいいのに)
岩の頂上に上がったときだ。洞穴らしきものが見えた。
外から見た感じだと意外に深そうだ。
何気に見詰めていた美恵だったが、一瞬ギョッとした表情をすると、一気に岩を飛び降り洞穴に向かって走り出した。
「美恵?」
美恵の突然の行動に海斗も後を追おうとしたが、「来ないで!そこで待ってて!!」と制止された。
(今、今一瞬だけど……何か、影が動いた)
そう、何かを。問題は、その何かが何なのか?ということだろう。
海斗を連れて行くわけには行かない。もしも、『奴等』なら、海斗の命を危険にさらすことになる。
そう判断して一人で洞穴に入っていったのだ。
入口付近は狭かったが10メートルも進むと、まあまあ広い空洞になっていた。
おそらく、この洞穴は洞窟の一部だろう。 進んでいけば、もっと広い場所に通じるかも知れない。
(こんな洞穴があったなんて……。これは?)
美恵はその場に屈んだ。随分と奥に来てしまったようで、太陽の光もあまり届かず、よく見えない。
しかし、目を凝らして見ると地面に何か足跡らしきものがある。
(……間違いない、誰かいたんだわ。もしも晃司たちが戦おうとしている相手なら……)
美恵は考えた。が、考えることもなく結論はでた。
(私が勝てる相手じゃない。一度外に出て皆に相談しよう。
徹たちも、この事を言えばきっとケンカなんかやめて協力してくれ……)
――背すじに冷たいものが走った。
(何かいる!!)
振り向こうとした美恵。 だが、振り向くことは出来なかった。
何かが背中に飛びつくように抱きついてきたのだ。
「……んんっ!!」
そして背後から太い腕が伸びてきて美恵の口を塞いだ。
「……えっと、この道は……ほら、こっちだ、早くしろよ」
幸雄が目印に折っておいた小枝を頼りに4人は帰途についていた。
もっとも3人組はさも残念無念といった様子だが、まあ見知らぬ森の中で野宿するよりはマシだろう。
「なあ、内海。もっと、ゆっくり歩いてくれよ」
「何言ってんだよ服部。行きはあんなに張り切っていたのに」
「当たり前だろ?人間生きがいを求めて突き進む時はエネルギーが満ち溢れてるものなんだ。
……ああ、見たかったなぁバンニップ」
「……何だよバンニップって。一般人にはわからない単語使うなよな。
さあ、早く帰るぞ。千秋が心配してるからな」
幸雄の脳裏に千秋の顔を浮かんだ。たった一人の姉。それも双子の。
そういう事情を除いても幸雄の千秋に対する気の使い方は世間一般の姉弟とは違っていた。
幸雄くらいの年齢なら、自分が遊んだりすることの方が重要で兄弟などあまりかまったりしないだろう。
でも幸雄は違う。それは家庭の事情に理由があった。
幸雄は母と姉の千秋と3人家族だ。
一人足りない。そう父親がいない。 随分前に家を出てそれっきり。
どこでどうしているのか、生きているのか死んでいるのか、それすらもわからない。
幸雄は父の事が大好きだった。 明るくて家族思いの優しい父。
幸雄が小学生の頃、野球に夢中になったのも父が教えてくれたからだ。
「おまえはオレの子供のときより上手だな。将来はホームラン王になれるぞ」
そう言って、夜遅くまでキャッチボールをしていたものだ。
その父が、ある朝姿を消していた。
どこに行ったのか、どうして何も言わずに出て行ったのか、何も知らない。
知っていることといえば、あの気丈で明るい母が机にふして声を殺して泣いていた。
しばらくして両親が離婚したのだと知った。
離婚の理由は今だに知らない。
子供の目から見ても両親はとても仲のいい夫婦だったし、別れる理由が全く思い当たらないのだ。
父がいなくなった後、女手一つで必死に働いてくれている母を見ていると理由を聞きだす気にもなれなかった。
やがて月日がたつにつれ幸雄の心のなかで渦巻いていた戸惑いや疑問は赤い色付きの思いへと変化していった。
母を捨て、自分達子供を捨て、家を出た父。
幸雄は父を愛していた。誰よりも尊敬していた。その父を幸雄は世界一憎むようになっていたのだ。
父のことが好きだったから、その分、父を憎んだ。
何があったのか知らないが、何の落ち度も無い妻子を捨てて勝手に家を出る理由なんて、そうそうあるものじゃない。
どうせ、女でもつくって家を出たんだろう。
自分や千秋が近所の子供とその父親の微笑ましい光景を見るたびに寂しい思いをしている時、
もしかしたら父にはもう新しい子供がいて、その子を可愛がっているかもしれない。
そう思うと父が憎くて仕方なかった。
いいさ、あんな無責任な男こっちから捨ててやる。
もしも家に帰りたいなどと言って来たら殴って追い返してやる。
母さんと千秋はオレが守る。
だからもうあんな男必要ない。いるもんか!
父への憎しみの深さは、そのまま母や千秋に対する責任感の原動力にもなっていたのだ。
まして、こんな非常事態。 出来ることなら千秋の傍から離れたくなかった。
そう思い、好意を抱いていた美恵についていくことさえ断念したのだ。
それなのに今自分はクラスの中でも最も特殊な変人たちに付き合って森の中を歩いている。
なんだか泣きたくなってきた。 さっさと千秋の所に帰らないと。
「あれ?」
幸雄は思わず立ち止まった。
「内海どうしたんだよ?」
幸雄の様子に3人も不安げな表情を見せる。
「枝が……」
目印に折っておいた枝。ところが、いくつも枝が折られていたのだ。
所々一箇所しか折られていないはずの枝が。これでは帰り道がわからない。
いや、それより幸雄は戦慄を感じた。
今、この森の中には、ずっと遠くにいる高尾達の他には自分達4人しかいないはずだ。
だが、枝は折られている。折った奴がいる。
誰かはわからない。
だが、確実に言えることがある。
そいつは、自分達に好意を持っていないということだ。
そうでなければ、こんな森の中に閉じ込めるようなマネをするはずがない。
「天瀬がいない」
「寺沢、美恵はどうした?」
少し遅れて岩を上がった桐山と志郎はキョロキョロと辺りを見渡した。
「あそこだよ」
海斗が指差した洞穴。 瞬間、桐山と志郎の表情が僅かに変化した。
2人は、ほぼ同時に岩を飛び降りると、洞穴目掛けて一直線に走っていった。
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