『ヒィィィー!だ、誰かッ…誰か助け……ッ!!』
『ギャァァァー……』
プツーン……画面が一瞬にして黒くなる。
宇佐美章一郎は再生し終わったDVDをプレイヤーから取り出した。
「……あれから一ヶ月か」
DVDには『深咲中学校』と記載されていた。
「さて……どれだけ成長しているか見物だな」
Solitary Island―11―
「これと言って何にもないな。本当に無人島なんだ」
かれこれもう3キロほど歩いているのに、何も見えない。
あるといえば青い海、青い空、真っ白な砂浜。どれもこれも今の彼等には何の価値もないものばかりだ。
「美恵
大丈夫か?少し休むか?」
「大丈夫よカイ」
「でも心配なんだよ。何ならオレが背負ってやろうか?」
「本当に大丈夫だから」
確かに、こんな状況で心身ともに疲労している時に三キロも歩いているのだから、海斗が心配するもの当然だろう。
海斗は小学校時代は野球部のエースだったこともあり、体力には自信がある。
(もっとも五分がりが嫌で中学校では帰宅部だが、それでも大会には助っ人として出場するなど華々しい活躍をしている)
桐山も帰宅部だが、その身体能力は間違いなく校内トップクラス。
本気でやりあったとして互角に渡り合えるものは数えるくらいしかいないだろう。
これはクラスメイトには預かり知らないことだが、国立の孤児院は兵士養成学校も同然だ。
そこで育ち、今では軍において将来が約束されている志郎、雅信、晶、徹、薫も体力的には問題はない。
帰宅部ではあるが、幼い頃から格闘技を極め、特に空手では県大会で優勝したほどの使い手である貴弘も同様だろう。
真一もサッカー部と陸上部を掛け持ちし、他の部からも大会が近づくたびに助っ人要請されるほどの身体能力の持ち主だ。
そんな中、唯一の女性である美恵
の身体を海斗が気遣うのは当然だろう。
ただ不思議なことに、いつもはあれほど美恵
にかまう徹や雅信、それに薫が美恵
の体の心配をしていない。
美恵
は決して運動オンチではないが、特別優秀と言うほどでもない。
女生徒の中では上の下くらいだろう。
「美恵、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。カイは心配性なんだから」
海斗は思い出していた。 美恵にはじめてであった日の事を。
あれは中学に上がってすぐの事だった。
海斗の家庭は冷たいものだった。 母も兄も姉も血のつながりのない赤の他人。
唯一の肉親である父は、自分にかまうどころかいつも夜遅い帰宅でろくに顔も会わせない。
幼い頃に別れた母には会ってない。
母からは一度も会ってほしいと言って来た事は無かったし、手紙や電話もまるでなし。
いや例え会いたいといってきても自分を捨てて男と逃げた母に今さら会いたいとも思わなかった。
海斗が、ルックスもよく、勉強やスポーツもなかなかでき、明るい屈託の無い性格の為、
小学校の頃からそれなりにモテたのにもかかわらず女と付き合わなかったのは、少なからず母が関係している。
海斗は母性を捨てて女であることを選んだ母のせいで、女を愛せない男になっていた。
最初に愛情を教えてくれるはずの母から、薄汚い雌の本性を見せ付けられたせいで、女を恋愛の対象に出来なくなったのだろう。
加えて新しく母や姉になった女たちも、海斗に女に対する嫌悪感を覆いに増長させた。
もちろん生来明るい性格から、この世の全ての女性を薄汚い雌などと陰湿な思考を持つことは無かった。
ただ、女が苦手になっていた。それは事実だろう。
中学に上がった時だった。
やはり同じ趣味を持つ同級生に、「寺沢くん、君は女性を愛せない男だろ?」と囁かれた時は正直言ってびっくりした。
「大丈夫、誰にも言わないよ。僕は君の味方だ」
その同級生が、ある日海斗を家に招いた。
同じ年頃の男が数人。部屋に入った瞬間、そういう種類の男だとわかった。
それから数ヶ月は、その同級生の家によく遊びに言った。
ゲイ仲間と言うと、怪しい性癖の者同士が集まって淫らな事をしているなどという偏見的な目で見られそうだ。
だが彼等とはそう言った類の付き合いではなく、はたから見れば単なる男友達の集団に過ぎなかった。
ただ、ノーマルな友人にはいえない悩みも気軽に相談出来る事が、海斗にとっては一種の解放感だったのだろう。
ただ、海斗はゲイではあったが、実はまだ初恋も未経験で当然同性の恋人もいない。
ゲイといえば、すぐにパートナーがいると思われがちだが、ゲイにも好みはあるし、好きでもない相手と付き合ったりはしない。
恋愛対象が女か男かというだけで、世間が思っているほど普通の人間と隔たりがあるわけではない。
ゲイ仲間たちには、それぞれパートナーがいたので、海斗にも「いい相手を紹介してやるよ」と言ってくれた者もいた。
だが、海斗は今は特に誰とも付き合うきはなかったので断っていた。
まるでビデオの再生をエンドレスしているように、同じような日常が過ぎていた。
今日もいつもと変わらなかったな、春にしては冷たい雨の中を海斗がそう思いながら公園内を歩いている時だった。
同じような日常に、全く違うシーンが加わったのは。
今も海斗の脳裏に鮮明に映っている、あのシーン。
公園の松の木に藤が巻き付き、紫の房をいくつも開花させている、その根本……。
少女がうずくまって倒れていた。
まるで腹をかばうように丸くなって横倒れになっている少女。
海斗は一瞬立ちすくんだが、すぐに少女に駆け寄った。
顔が蒼白い。そんな彼女に雨は容赦なく降っている。 それなのに少女はピクリともしない。
「おい!」
海斗は、その少女以上に真っ青になって、少女の肩を掴み揺さ振った。
まさか、死体なんてことはないだろうな?
「……ん…」
「……よかった、生きてる。おい、しっかりしろよ。すぐに病院に連れて行ってやるからな」
「……病…院……?」
「ああ、すぐに救急車を呼ぶよ」
「……やめて!!」
少女が上半身を起こし海斗の腕にすがり付いていた。
「お願い…よ。……お願いだから……」
その時、海斗は気付いた。なぜ少女が腹を庇っていたのか。
いや庇っていたのではない。痛みに堪えていた姿が庇っていたように見えたのだ。
少女の脇腹は雨とは違う色の液体で服が染まっていた。
「おまえ怪我してるのか?」
「……病院は……ダメ…なの…」
「何言ってんだよ!!おまえ死にたいのか!?」
「……いいからほかっておいて」
少女は脇腹を左手で押さえつけると右手で松に掴まりながら立ち上がった。
しかし、次の瞬間少女はクラッと背後に倒れた。
「おい!」
海斗が抱きかかえなければ、後頭部から地面に激突していただろう。
「それじゃあ私はこれで」
「ああ、サンキュー先生」
「しかしね、海斗くん……君の頼みだが引き受けたが、やっぱり警察に連絡したほうがいいんじゃないのかね?」
「………」
「……しないのか。なら私も何も言わないよ」
海斗は深々と頭を下げた。
詳しい理由を聞かずに手当をしてくれた医者は寺沢家の侍医だ。
そして、今彼がいるのは寺沢家が経営している高級マンション。
その空き部屋の一つを海斗は自分の別宅代わりによく使用していた。
そして、先ほど医者から手当を受け、今はベッドで眠っている少女。
怪我自体は見かけほど酷くはなく、数センチ縫合しただけで済んだ。
問題はなぜこんな少女が、こんな怪我をして倒れていたのか、そして病院に行くのを拒んだのか……と、いうことだ。
そして、なぜ自分はこの少女をここまで面倒見たのだろう?
その理由を海斗は薄々気付いていた。
それは、その少女がなぜか他人に思えなかったからだ。
肉親にも見放され、一人ぼっちの自分に。
今でこそ、何人かの気心しれた友人はいるが、それはあくまでも特殊な性癖を語り合うだけの間柄。
心から気を許した相手、本当に必要と思った相手は一人もいなかった。
この少女は自分だ。そして、この傷は自分自身の心の痛みに思えたのだ。
それは海斗の思い込みに過ぎないかもしれないが、とにかくほかっては置けなかった。
「……う……じ…」
「目が覚めたのか?」
「……ない……で……」
「……寝言か」
海斗はハッとした。少女の頬に二筋の穢れの無い流れが……。
「……涙?」
そっと手で拭ってやった。
「……今はゆっくり寝ろよ。誰も邪魔しないから」
「……ここは…?」
どこ?確か自分は雨の中で倒れたはず。
しかし、目の前には白い天井が広がっている。 それだけで、随分と広い部屋だとわかった。
それから頭だけ動かして辺りをみた。 必要最低限のものしかないシンプルな部屋。
だが、家具の一つ一つは高級品。
そして何より体が温かい……そう毛布と布団に包まれている。
「……どうして、こんな所に…?」
しばらくボンヤリとした頭で考えていたが、ふいにドアが開いて少年が入ってきた。
「気付いたのか?よかったな、一時はどうなる事かと思ったよ」
少女は身構えるように上半身を起した。
「びっくりしたぜ。おまえ怪我して倒れてたんだからな。
でも、もう大丈夫だよ。医者の話だと見た目より大した事ないってことだ」
「……あなたは?」
「ああ、おまえを見つけた奴だよ。名前は寺沢海斗っていうんだ。
おまえの名前は?」
「……私は……」
「おい、何があったか知らないけどオレは一応恩人だぜ。名前くらい言ってもいいと思うけど」
「……あなたが助けてくれたのね。どうして警察に知らせなかったの?」
「何言ってんだよ。病院にも知らせないでくれって必死に懇願したのは、どこの誰だよ」
「……でも、普通のひとはそんなお願いきいてくれないわ」
「だよなぁ……オレ少しひとと変わったところがあるから。
ま、気にするなよ。おまえ、わけありみたいだし怪我が治るまでここにいてもいいんだぜ」
「そういうわけにはいかないわ。迷惑かけるわけにはいかないもの。 それに……」
少女は少し困ったように海斗を見詰めた。 海斗は少女が言わんとすることを察し笑いながら言った。
「ああ、そうか。やっぱりヤバイよなぁ男と2人っきりって。
でも、安心しろよ。オレは世界一安全な人種だからさ」
「安全な人種?」
「そう。つまりオレ、女に興味がない人種らしいんだ」
少女の目が僅かに大きくなった。まあ、面と向かってカミングアウトされたら(それも初対面の相手に)誰だって戸惑うだろう。
「だから襲ったりしないから安心しろよ。まして怪我してる女の子をさ。それとも、まだ信用できないかな?」
「……あなたって」
少女の口元が少しだけほころんだ。
「あなたって面白いひとなのね」
次の瞬間には笑っていた。こぼれるような笑顔で。
なんだ、切羽詰った顔してたけど、こんな可愛い顔できるんじゃないか。
「美恵。天瀬美恵よ」
「美恵か。うん、いい名前だな」
「助けてくれてありがとう」
「どういたしまして。ああ、それとさっきの話だけど、本当に遠慮なんかするなよ。
ここはオレが一人で使ってるマンションだから気兼ねすることもない」
「あなたって、優しい人ね」
「そうか?でも、おまえオレのこと気持ち悪いとか思わないのか?」
「どうして?あなたみたいな優しいひとを」
「……何て言ったらいいのかなぁ…。うちのクラスにもボーイズラブなんてもんに夢中になってる女は大勢いるけど、
あれっていわゆる妄想の中だけのファンタジーだろ?現実のゲイって迫害視されるもんだからさ」
「そんな……世の中には色々な人間がいるし。
それに、他人を傷つけたりする恐ろしい人間だって。そういう悪魔と比べたら……」
「悪魔?おまえを傷つけた奴のことか?」
美恵はハッとした。
「ごめんなさい。何でもないの」
「美恵、本当に疲れたらすぐ言えよな」
「うん、ありがとうカイ」
「心配なんだよ。おまえは、いつも無理するから……。
なあ、美恵。初めて会ったときのこと覚えてるか?」
「忘れるわけ無いじゃない」
「あの時なんでオレのこと信用してくれたんだ?もしかしてゲイのフリして騙してるとか思わなかったのか?
善人の仮面かぶって、おまえを泊めて夜になったら襲うとか」
「思わないわよ。こう見えても人を見る目はあるもの。
それに、あなただって私のこと信用してくれたじゃない。普通の人間なら関わろうなんて思わないわよ。
どうして私を信用したの?変なことに巻き込まれるとか考えなかったの?」
「別に巻き込まれてもいいさ。おまえと一緒なら」
次の瞬間、地面が削られるような音がしていた。
「カイッ!!」
海斗が前方に勢いよく倒れている。いや、倒れたというより地面に突っ込んだと言った方がいいかもしれない。
「何、人の目を盗んで勝手なことほざいてるんだい?」
「……さ、佐伯…。てめぇ……」
そして海斗の背中には徹の靴底の跡がしっかりついていた。
「佐伯くん、カイに何するのよ!!」
「足が滑ったんだよ。それより少しいいかい?」
徹は美恵の腕を強引に引っ張ると小声で囁いた。
「どういうことだ。まさか奴に全てを話したのか?」
「何も話してないわ」
「そうだな。君は、そんな愚かな人間じゃない。でも、もう一つはっきりさせておきたい」
「何?」
「オレは初耳だ。聞いてなかったぞ、あいつのマンションに泊まったなんて。何もなかっただろうね?」
「カイはそんな男じゃないわ」
「……それならいいんだ。オレはあいつは信用しないが、君のことは信じている。君がそういうなら何もいわないよ。
本当に何もなくてよかった。彼の為にもね。もし間違いを犯していたら……」
「佐伯!おまえ、いい加減に……」
今度という今度は徹底的に抗議をしてやろう。
そう思って立ち上がった海斗だったが、徹の自分を見る目に思わず唾を飲み込んだ。
(……なんて冷たい目をしてるんだ)
まるで出荷される憐れなブタを見るような、そんな冷たい目。
『可哀相だけど、明日には肉の塊になるんだよ。……そう君がオレを本気で怒らせたらね』
――徹の目は、そう語っていた。
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