紅夜の視線が、一瞬だけだが、直人たちからそれた。
侵入者撃退装置。コンピュータウイルスで、これまで誤作動している。
それが、一斉に紅夜目掛けて炎を噴いた。突然の銃撃。直人たちには、天の助けだ。

「行くぞ!」
「な、なんだと直人!てめえ、あいつの息の根止めずに逃げる気か!?」

凄まじい爆音。紅夜は死んだのか?
硝煙が立ち込めてられている上に、赤外線が何十にも張り巡らせれており、確認できない。
いや、生きている。銃弾を避けているのか?
とにかく、逃げるなら、今しかない。そのためには決断しなければいけなかった。


「勇二」
「なんだ!?」
ドン!鈍い音が勇二の下腹から聞えた。直人の腕が勇二の腹に食い込んでいる。
「……直人……てめえ……」
「悪いな。おまえにはしばらく大人しくしてもらう」
勇二は憎憎しげに直人を睨みながら意識を失った。
「行くぞ俊彦。根岸、望月、おまえたちも来い!さっさと、この場から離れるぞ!」
腰が抜けていたのか、座り込んで愕然としていた二人もやっと立ち上がった。
俊彦は気を失った勇二をかつぎ、準備OK。
後は、全速力で逃げるだけだったが、直人は何かを感じ振り向いた。


「直人?」
「……行け、俊彦」
「どうした?」
「……あれだけの撃退装置でぴんぴんしていやがる」
「生きているのか!?」
「さっさと行け!奴を倒せるのは、オレしかいない!」

それは、父に過酷なスパルタ教育を受けた直人だからこその自信であり誇りだった。
硝煙の中から、人影が姿を現した――。




Solitary Island―139―




(……この先、私や瞬はどういう扱いを受けるのかしら?)
甘かった。いずれ牙をむかれるとは思っていたけれど、こんな短時間で態度を急変するなんて。
乱れた服を調えながら、美恵はドアノブを手にした。
まわそうとしたが、ほんの少し動いただけでカチャっと音がして止まってしまう。
(瞬は大丈夫かしら?)
瞬の事も気になった。ドアをなんとかできないだろうか?
突然、ドアノブが勢いよくまわった。


「!」
驚いて二歩下がる。ドアが開くと、そこには白髪の美少年・珀朗が立っていた。
「やあ。元気だった?黒己に襲われているんじゃないかって気にしていたんだよ」
「……瞬は?」
「ああ彼?彼ね……気になるのかな?」
「当然でしょ」
「君の心はまるで雪のように綺麗だね。雪は触れると解けてしまうから心配だな」

(ブルーは……あの男はいないようね。今なら逃げられるかも)

でも瞬は絶対についてきてくれないだろうし、かといって置いて逃げる事もできない。
「どうしたんだい?綺麗な瞳が不安で揺れている」

(ブルーがいないのなら、今は見張りは彼一人……。
何とかして瞬を説得できないかしら……瞬の決意が変わるわけはないけれど、だけど……)

「おなかすいただろ?大したものじゃないけれどディナーに招待するよ」
珀朗は鍵の束を持っている。
(……アレが鍵)
美恵はとりあえず、促されるままに部屋から出た。
「さあ食堂に行こうか?」
ドン!珀朗は胸を突き飛ばされていた。
先ほどまで美恵が閉じ込められていた黒己の私室に珀朗の体が投げ出される。
しかも手にしていた鍵の束は、美恵の手の中に納まっていた。




「やるね」
珀朗は、ふっと笑みを浮かべたが、そんなものを見ている暇は美恵にはない。
ドアを閉め、すぐに鍵をかけた。これでいい。蒼琉が帰る前に全てを済ませないと。
瞬の首に縄をつけてでも、ここから出るのだ。
「……ぅ」
「え?」
何?美恵はドアについていた十センチ角ほどの小窓から中を覗いた。
珀朗が胸を押さえて、苦しがっている。どうしたのだろうか?
美恵ははっとした。珀朗が自身は病弱だと言っていたことを思い出したのだ。
まさか、持病があるのか?
でも、今は逃げるチャンス。これを逃したら後がない。でも……。
珀朗は本当に苦しそうに胸を押さえている。
もしかしたら、心臓が悪くて、自分が突き飛ばしたせいで……。
一歩踏み出した足を翻して、美恵はドアを開け駆け寄った。


「大丈夫?」
珀朗は苦しそうに眉を寄せている。
「どこが苦しいの?」
珀朗が美恵の髪の毛を掴んだ。
「悪いとは思うけど、謝らないよ」
「……え?」
すくっと珀朗が立ち上がった。
「おいで。さあ食事にしよう。でも、君が優しい女性でよかったよ。
冷たい女性だったなら、きっと僕が苦しもうが構わず逃げただろうね。蒼琉の折檻は怖いから、内心怖くてしかたなかった」
「騙したのね!」
「お互い様だよ」
珀朗はニコッと笑みを浮かべた。














「な、直人!」
「早く行け!」
「……くそ!死ぬなよ」
俊彦は純平と瞳に「こっちだ!」と叫ぶと走り出した。
純平と瞳は慌てて後に続く。俊彦たちの姿が見えなくなると、直人は前方に神経を集中させた。

『いいか直人。時間が全ての勝負を決する。一秒でも無駄にするな』

父の教え。厳格などという言葉で終わるような生易しいものではなかった。
しかし、今では、それが正しいと思えるほどだ。
命懸けの特訓こそが、実戦で最も強い命綱になる。


「一人でオレを相手にするつもりか。舐められたな」


硝煙の中から、紅夜が一気に直人との距離を縮めた。
赤外線の網に突入。天井から床にかけて電流が走る。それでも紅夜の勢いは止まらない。
「……っ!」
直人は、腕をクロスさせた。紅夜の肘打ちが止められる。
ビリッと感じた。あの電流の中をかいくぐるなんて。

(こいつ、化け物か!?何も感じないのか!?)

直人は紅夜の腕を押し返した。バチッと電気が一瞬光るのが見えた。
「おまえ死にたいのか?」
「何だと?」
「だから、残ったとしか思えないな。くくっ」
笑っている。直人も自他共に認める百戦錬磨。
だからわかる。こいつは心の中から戦うことが好きな好戦的なタイプなのだ。
「死ぬのがどっちか、勝負が決まってから言え!」




今度は直人から仕掛けた。紅夜が構える。
「一気に懐に入ったのは心臓が狙いか?」
直人は姿を消した。
「上か!」
天井すれすれの位置まで飛び、右手がベルトの後ろに伸ばしていた。
直人がグリップを握った瞬間、紅夜が床を蹴っていた。
コンマ一秒の勝負。急所を銃弾で貫くのだ。
直人は、銃口を紅夜に向けた。同時に紅夜が空中で回転した。
銃声が鳴り響く。紅夜は……直人の上にまで飛んでいた。

(何て身体能力だ。空中で、咄嗟に体勢をかえるなんて!)

そして、両手を組むと、直人の背に向かって、思いっきり打ち込んだ。
直人はしまったと思ったが、今は体勢を立て直す事が先だ。
クルッと回転して、片膝を床に接触させながらも、何とか着地に成功。
しかし、その後を追うように、紅夜が今度は脳天目掛けて踵落としを繰り出していた。
直人は、慌てて銃口を向けようとしたが……ダメだ、間に合わない!


咄嗟に背後にとんぼを切る。だが顔に激痛が走った。
右頬に赤い筋が入った。完全に避けきれず紅夜の足がかすっていたのだ。
薫ならば、「僕の!究極の美と言われた僕の顔が!」と衝撃で絶叫していただろう。
幸か不幸か、直人は己の容姿が傷つく事などどうでもいい。
勝利だ。今は勝つこと、それだけだ。
とんぼを切りながらも、再度紅夜に銃口を向けた。
だが、紅夜のスピードのほうが上だった。紅夜が一気に間合いに入ってきていた。
そして、銃を握っていた直人の右腕を掴み上げる。
そのまま、腕に向かって蹴り上げた。直人の顔が歪む。しかし、銃は離さない。




(オレの間合いに入った)
瞬時に、直人は銃による攻撃からナイフに切り替えた。
自分が銃を離さなかったことで、紅夜の警戒は今だに右腕に集中している。それを利用する手は無い。
左手を学ランの内ポケットに伸ばした。隠し持っていたナイフが紅夜の喉に向かって一直線。
急所だ。腹部や手足などではない、必ず急所を狙え!
これも父の教えだ。直人は実に忠実にそれを実戦で生かしていた。
だが、直人は、「な……っ」と思わず声を漏らす結果となる。
銃に気をとられ、左手を見ていない紅夜が、スッと右手を上げた。
ナイフは紅夜の右手の人差し指と中指に挟まれ、その動きをピタッと止める。
慌てた直人はナイフを持つ手にさらに力を込め、強引に押し貫こうとした。
だがナイフは押しても引いてもビクともしない。
紅夜は、直人の右腕を掴んでいる左手に力を込めた。


「……っ!」
腕の筋肉が切断されるのではないかという痛み。
直人は紅夜のがら空きのボディに蹴りを繰り出した。
だが、蹴りが決まったと思った瞬間、痛みを感じたのは紅夜ではなく直人だった。
直人の表情がさらに歪む。
人間は、意識を集中させることで、肉体の一部を一瞬だが通常よりはるかに固く出来る。
まるで鎧のように。気功法と同じ原理だ。
痛みのせいで、今度こそ直人は銃を落としそうになった。
だが、ダメだ。それだけはできない。こいつに銃を取られたら勝機は完全に消える。
死ぬとわかっていて、今の苦痛から逃げる為に、武器を手離すなんて、負け犬のすることだ。




「……貴様が離さないなら」
直人は、ナイフから手を離した。そして紅夜の胸元を掴む。
目的は勝つこと。それは敵を倒す事。自分の命を優先させる事ではなく、任務が優先。
それは養父に徹底的に刷り込まれた直人の悲しい習性だった。

「もう一度、電流地獄を味わってもらう。今度は一瞬じゃない、どこまで耐えられるかな!?」

直人は、紅夜ごと赤外線の網の中に突入した。
赤外線が二人に反応して、天井や床、はては壁から電流が流れ出す。
直人の全身の神経が一気に麻痺した。痛みを通り越して激しい痺れしかない。
バチバチと、全身から火花が噴出してきた。

このまま、心中するか?さあ、どうする?

紅夜は無表情だったが。だが、直人の顔をじっと見詰めた。
その時、直人は心底ぞっとした。紅夜は……笑っていたのだ。


(……こいつ)
限界だった。紅夜よりも、直人の肉体のほうが先に悲鳴を上げだした。
直人の意思に逆らって銃が手から落ちる。もう手の神経が正常に働かなくなっていたのだ。
その銃を紅夜は手にした。そして、四方八方に発砲。
電流装置が一瞬で破壊され、同時に電流も消えた。
二人の体から僅かだが煙のようなものが上がっている。
直人はがクッと倒れた。紅夜も、さすがに堪えたのか、床に片膝を着く。
紅夜は右手を数回開いたり閉じたりている。正常に動いている。
そして直人をチラッとみた。
直人は全く動かなかった――。














俊彦は、勇二の肩に手を置くと、力を込めた。
「……ぅ」
勇二は覚醒した。
「気がついたか勇二?」
「……ここは?」
「安全な場所だ。手当てをしよう」
「オレはどうして……思い出した!あいつ!あの赤毛野郎はどうした!?」
「直人が一人で戦っている。おまえの手当てをしたら、オレは直人を助けに行く。
頼むから今度こそ大人しくしてくれよ。根岸や望月と、ここで待っていてくれ」
「ふざけるんじゃねえ!直人なんかにトンビに油揚げとられてたまるか!」
勇二は立ち上がった。


「おい!頼むから、おまえはここにいろよ。おまえは怪我して……ぅ!」
俊彦の腹部に勇二の拳が入っていた。
「うるせえ!おまえは黙ってろ!奴を倒すのはこのオレなんだ!」
勇二は、呼び止める俊彦を無視して、走り出していた。
「あ、あのバカ……!」
俊彦はふらつきながらも歩き出した。
「おまえたちはここにいろよ。いいか、絶対に出歩くなよ。わかったな?」
純平と瞳はこくこくと何度も頷いた。俊彦は、勇二を追いかけて走り出した。




「……行っちゃったわね」
「……ああ。どうしよう……今、敵に襲われたら……」
「ちょ、ちょっと根岸くん!縁起でもないこと言わないでよね!」
「ご、ごめんよ瞳ちゃん。でも万が一ってこともあるから、何か武器とか持ってないと」
「それもそうね。部屋の中探してみる?何が出てくるかも」
二人がいたのは警備室の一室だった。
二人は部屋の中を歩き回った。銃なんて贅沢は言わないけど警棒くらいはあるはずだと思った。
もっとも、二人の腕力では警棒程度では、とてもあの化け物を倒す事なんて無理だが。


「……何もないよ」
「ほんと……何が警備室よ。頭にくるわよね」
純平はずらっと並んでいるモニター画面の前に来た。
「これって警護用の監視カメラだよね。何かうつってないかな?」
試しに電源をONにしてみた。パッとモニターが表示される。
「瞳ちゃん、瞳ちゃん!見てよ、これ」
「凄いわ根岸くん。よかった、これ見ていれば、ひとまず安全確保できるわよね」
二人は手を取りあってルンルン気分で踊っている。


「あれ?」
だが純平は動きを止めた。
「どうしたの?」
瞳の言葉に耳も貸さずに、一番隅のモニターに飛びつく。
「な、なななな……何やってんだ周藤の奴!」
「え?あたしの(ネタの)周藤くん?」
瞳もモニターに飛びついた。
そこには、ほぼ全裸の美女と、その美女と相対している周藤の姿があった。
純平にはこう見えたのだ。周藤が、美女を襲っていると!
「ゆ、許せない!!こんな美人なおねえさんを裸にして辱めるなんて!!」
純平は、部屋を飛び出すと、猛ダッシュしていた。














「蒼琉の命令は生きたまま捕獲だったからしくじったな」
紅夜は自嘲気味に笑った。
「仕方ない。あいつらを追うか」
倒れている直人の隣を通り過ぎようとした瞬間だった。
足首が掴まれた。直人は死んだと思っていた紅夜は少し驚いたらしい。
反射的に無意識に銃口を向けた。だが、直人は、その前に紅夜の間合いに入り、その腕をとった。
紅夜は気付いた。狙いは銃だ。銃を取り戻そうとしている。
これまた反射的に紅夜はスッと体を低くすると、直人の胸元を掴み引き寄せたかと思うと投げ飛ばした。
直人の体が宙に浮く。間抜けだ。自分はミスを犯したと、紅夜は思った。
敵の生死確認は基本中の基本。それなのに、自分はそれを怠った。


実戦の経験数が少ないことが災いしたのだ。
たとえ生まれつき戦闘能力がずば抜けており、過酷な特訓を受けていても、やはり実戦は違う。
紅夜たちF5の存在は科学省の丸秘ゆえに、表立った実戦はできない人間だったのだ。
直人たちのようにプロのテロリストを相手にしたことは一度もない。
島などの限定された場所で、世間やメディアに規制をしいた上で行われるプログラム。
それが唯一の実戦経験だった。実戦経験だけは、特撰兵士の誰もがF5よりはるかに上。
そのことを紅夜は思い知った。




投げ飛ばされた直人は、多少ふらつきながらも見事に着地を決めた。
そして、またしても紅夜との距離を一気につめ、銃に手を伸ばす。
紅夜は背後に飛びながら、銃を持っている手を高く挙げた。
直人は手を伸ばすが届かない。
だが、銃には届かないが、紅夜の腕を掴んだ。
紅夜は、直人の腹部に蹴りを入れたが直人は離さない。
紅夜は銃を背後に投げた。直人は、それを見て銃目掛け走る。
一発!たった一発でいい、それですべてが終わる!
直人は野球の盗塁のように銃に向かって滑り込むとクルッと振り向き叫んだ。


「これで終わりだ!」


紅夜がこちらに向かって走っているが大丈夫。発砲するほうが早い!
直人はデリンジャーの銃口を紅夜に合わせ、指先に力を込めた。
カチっ……聞えたのは金属同士がぶつかる音だけだった。
「……何だと?」
直人は耳を疑った。銃声が轟かない、そんなバカな!
カチっ!再度引き金をひいたが、直人をあざ笑うかのように銃声は無かった。
そして、紅夜が飛んでいた。頭部に向かっての膝蹴りか?!
だが、紅夜は直人を大きく飛越する。
呆気にとられる直人の目の前で紅夜はスッと握り締めていた拳を胸まであげ、そして開いた。
紅夜の手の中から、何かが落ち、床にぶつかってカラーンと鈍い音を発した。
弾だった。デリンジャーの銃弾。いつの間に抜き取ったのか?


これで銃は使えない。肉弾戦しかない。
苦しいが、それしかない。直人は悲痛の思いで再び立ち上がった。
ところが、その直人を見て、紅夜はクルリと背を向けると走り出した。
「……何だと?」
どういうことだ。殺せるはずの相手に止めを刺さずに?
直人は疑問に思ったが、それでも任務を優先させなければならないことはわかっていた。
ふらつきながらも立ち上がる。でも、足元がおぼつかない。
「なぜ……奴はオレを殺さずに去ったんだ?」
疑問を口にしながらも直人は紅夜を追って歩き出した。





一方、紅夜は俊彦たちが逃げ去った階段を駆け下りた。
「……どこに行った?」
降りた先は廊下。右か左か?右に進む事にした。理由は無い、直感だ。
「あいつ、あれほど肉体にダメージを負っても、オレを殺すことしか考えてなかった」
紅夜は不敵な笑みを浮かべていた。
あのままやりあっても良かったが止めた。やめた理由はたった一つだ。


「あのまま、あいつと戦っていたら、蒼琉の命令を無視してでも……殺してでも勝ちたくなっていたからな」




【残り24人】
【敵残り6人】



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