「……そ、蒼琉」
黒己はゆっくりと振り返った。
「随分と楽しそうじゃないか黒己」
蒼琉は、かなりきつい目で睨んでいたが、黒己が振り返るとニッと笑みを浮かべた。
「黒己、オレにも間違いがあると思うから確認だけはしておくぞ」
「…………」
「オレはおまえに言ったな。その女には手を出すなと。
そして、特撰兵士を一人さっさと生け捕りにして来いとも言った。
おまえも、それは了解したはずだったが、オレの勘違いだったか?」
「…………」
黒己は何も答えなかった。答えられない。
黒己の手が緩んだ隙に、美恵は黒己の下から抜け出して、ベッドから降りた。
「あ!」
黒己は、獲物を逃がした狩人のように呆気にとられたが、もちろん問題はそんなことじゃない。
それくらいは、いくら黒己でもわかっている。


「なあ黒己」
蒼琉は、前髪をかきあげながら、さも楽しそうに言った。
「おまえは本当に憎めない奴だ。だから、オレも大抵の事は大目に見てきた。
だがな、オレも、そうそう大目に見れるほど人間はできてない。時々、何もかもどうでもよくなることだってあるんだぜ」
蒼琉と黒己の間に流れる険悪なムードは、見ている美恵も敏感に感じ取っていた。

(……逃げるなら今しかない)

蒼琉が黒己に気が向いているうちに、隙を見て部屋から飛び出せば……。
幸い、ドアは開いている。蒼琉もドアから距離をとっている。今なら逃げれる。

「一つ忠告しておいてやろうか?美恵、おまえもオレを甘くみないことだな」
「!」
「オレをコケにしたら、おまえの体で償ってもらうことになるぜ」

それから、蒼琉は再び黒己に視線を移した。

「さあ、どんなお仕置きをしてやろうか?」




Solitary Island―137―




「一人で十分だと……上等だ」
一人で十分、つまり一人で勇二たち三人を倒すという勝利宣言とも取れる。
短気で怒りっぽい勇二は当然のように切れた。
「やれるものなら、やってみやがれ!!」
勇二は、助走をつけると、飛んでいた。右足が大きく上がっている。頭部に強烈な蹴りを入れるつもりだろう。
しかし、相手も素早く反応。勇二同様に飛んだのだ。
二人の体が空中で交差し、ほぼ同時に床に片膝をつく体勢で着地した。
先に立ち上がったのは、赤毛の男の方だった。その上着に切れ目が入っているのを見て勇二はニヤッと笑った。
「ふん、完全には避け切れなかったようだな」
咄嗟に反応されたおかげで、肉体への直接ダメージこそ逃した。
だが、かわしきれなかったようだ。勇二は早くも自分の勝利を確信していた。
俊彦も勇二ほど楽観ではないにしろ、頭数の有利も考え、勝利を予測しているようだ。
その表情は、有事ほどではないにしろ余裕がある。ただ一人、直人だけが険しい表情を崩してなかった。


「……おまえ、名前は?」
直人の質問に対して、男は「まず、自分から名乗ったらどうだ?」といった。
「菊地直人。国防省、四国中国支局の人間だ」
「不知火紅夜。名前くらいは覚えておいてやる」
二人の会話に勇二がさらにカッとなった。
「おい、戦っているのはオレだぞ。オレを無視して喋るな!!」
怒りに任せて、勇二は再び紅夜に襲いかかろうと動いた。その瞬間、胸の辺りに衝撃が走った。
「……げふ……っ」
血を吐いた。俊彦の目が大きく拡大される。




「ゆ、勇二!!」
駆け寄り、手を差し出した俊彦。その手を勇二は振り払った。
憎憎しげに、そして驚愕に満ちた目で紅夜を睨む。
「今度はオレが言ってやる。完全には避け切れなかったようだな」
「……て、てめえ」
勇二は胸を押さえながら立ち上がった。
「動くな勇二!」
直人が勇二の前に出た。
「下がってろ」
「うるせえ!オレに指図するんじゃねえ!!」
「まだ、わからないのか!おまえの蹴りはかすっただけだが、あいつの蹴りはおまえのボディに入ったんだぞ!!」
「おまえ、見えたのか?」
紅夜は、少しだけ感心したように直人を見た。


「オレの親父は教育熱心でな……動体視力を高める訓練はいやってほど受けてきた」
直人には見えていたのだ。二人が空中で交差した瞬間を。
勇二が蹴りを一発繰り出す、その瞬間に、紅夜は二発連続蹴りをしていたのだ。
「ふざけるな……たかが、まぐれで一発あたったくらいで……」
勇二は再び立ち上がる。普通なら倒れている怪我でも闘志だけは消えてない。
「やるのか?ただのデクの棒ではなかったようだな」
「な、なんだと、てめえ!!」
「やめろ勇二!!」
俊彦は勇二の肩を押さえ込んだ。
「そんなことより、不知火紅夜、おまえに聞きたい事があるんだよ!」
「何だ?」




美恵は?!天瀬美恵はどうした!!」


紅夜の余裕たっぷりの表情が僅かに歪んだ。
「おまえ達の仲間の一人が攫っていったはずだ。美恵は無事か?無事なんだろうな!?
もしも、あいつに指一本でもふれたら絶対にゆるさねえぞ!!」
「…………」
「おい、聞いてるのかよ!!」
「おまえ、あの女の何なんだ?」
「はぁ?」
俊彦は呆気にとられた。何を言ってるんだ?全く違う質問に、直人も少し途惑っている。
「あの女の何なんだと……聞いているんだ!!」
ドン!と凄まじい音が壁から聞えた。紅夜の拳が壁に食い込んでいる。


(……なんだ。この負の感情は?)
直人には理解できなかった。ただ、紅夜はあきらかに機嫌を損ねている。美恵の名前を出した途端にこれだ。
「あいつは無事だ。蒼琉が随分気に入っていたからな。命をとられる心配もない。今はまだな」
「気に入っていた……?どういうことだ?」
勇二の美恵を女として気に入ったから攫ったという発言を聞いた後だ。
命の心配はなくても、とてもじゃないがホッとできない。
「どういうことだ?」
「…………」
「おい、何とか言えよ。どういうことかと聞いているんだ」
「……うだうだうるさい」
口調が変化した。
「いちいち、おまえたちなんかとお喋りしてやる義理なんてないんだ」














「猫の子一匹いない……一体、あいつらどこに行ったんだ?」
晶は、一人でエリアの長い廊下を歩いていた。
エレベーターを使えばいいのだが、乗った途端にブルーの遠隔操作で閉じ込められる危険もある。
コンピュータウイルスといい、ブルーの知能はかなり高いと見ていい。
ブルーにとっては、この基地は庭も同然だ。
敵のテリトリーで、不利な行動はとるべきではない。それが晶の己にかして鉄則だった。
「!」
前方に気配を感じる。それも一つや二つじゃない……。

(……1、2、3……全部で四匹か)

やれやれだな……晶は、荷物を降ろした。
科学省の重要なデータを、資料室にあった鞄に詰め込んだものだ。
これをもって帰れば、陸軍の将軍達は大喜びだ。自分の出世もまた一段とスピードに加速がつく。
それも、自分が無事にここを脱出すればの話だが。

「気配を消しきれてないという事は……F4か」

そう結論付ける前に、連中が飛び出してきた。晶は、すぐに銃を取り出し応戦する。
厄介な連中だが、幸いにも、まだ成長過程の子供だった。おそらく最終段階の脱皮をしていないのだろう。
鉄をも溶かす酸性の血は厄介だが、さっさと片付けるに限る。
晶が、その四匹を片付けた直後だった。F4とは全く違う気配を感じたのは。

(……F5のおでましか?)

少し様子を見るか。晶は鞄を持って歩き出した。




(……つけてくる。どうやら、尾行はあまり上手くないようだな)

まあ、当然といえば当然か。
いくら持って生まれた才能があるとはいえ、所詮奴等には経験値が足りない。
何度も戦場を経験している晶にとっては、F5は青二才だった。
才能と厳しい訓練。それは確かに兵士には重要だ。
しかし実戦は違う。F5は中学生相手に、一対クラス全員というプログラムという実戦しか積んでない。


(オレは違う。オレはプロのテロリストやゲリラ相手に戦ってきた。そのオレに勝てる奴なんて、そうそういるものか。
実際に、こんなお粗末な尾行しかできないようではしれているな)


晶はやや広い場所に出ると、一つの決断をだした。
いつまでも付きまとわれるのもうざい。決着をつけてやる。
「いい加減に後をつけるのはやめたらどうだ?」
どうやら立ち止まっているようだ。
「尾行するのなら、気配は完全に絶っておくことだな。それから、微かだが足音も消しきれてないぞ」
観念したのだろう。今度ははっきりとした足音がひびいた。
晶の背後数メートルの位置で足音は止まる。

「いつから気付いていたの?ふふ……あなたも、随分ひとが悪いわね」
「……女か」

晶はつまらなそうに振り向いた。
漆黒の髪。肩までのびていおり、先端が内側にロールしている。
緑の瞳はエメラルドを連想させた。そして、雪のような白い肌、血のような赤い唇。
何よりも、随分と豊なプロポーションで、普通の男なら、思わず固唾を飲んでしまうだろう。
晶は普通の男とは違うようで、一瞥しただけだったが。




「おまえ一人か」
「ええ、そうよ」
女が近づいてきた。
「翠琴よ。あなた、名前は?」
「周藤晶だ」
「周藤晶……もしかして、陸軍の特殊部隊の少年隊長さんかしら?」
「こんな絶海の孤島にも、オレの噂は届いているのか?」
「ええ。でも、意外ね」
「何がだ?」
「だって、そう思わない?特殊部隊の人間なんていうから、私、ゴリラみたいな筋肉ムキムキの粗暴な男を想像してたわ」
翠琴は晶の胸部に手を添えた。


「まさか、こんな素敵な二枚目だったなんて。本当に想像と現実って違うのね。
でも、良かったわ。不細工な男だったら始末してやろうと思ったけど。あなたみたいなハンサムで本当に良かった」
「何が良いんだ?ブルーから特撰兵士の抹殺命令は出てないのか?」
「ああ、蒼琉ね。彼……気まぐれだから」
翠琴は、「それよりも……」と、晶の首に手を回すと、胸に頭を預けた。
「何のマネだ?」
「あなた強いのね。見ててわかったわ」
「なんだお世辞か?断っておくが、オレはお世辞でのぼせ上がるような男じゃないぞ」
「あら、そう?ますます気に入ったわ。それに、あなたの目……」
翠琴は「ふふ」と笑いながら、晶の頬に手を添えて、その瞳をじっと見た。


「一番にならないと気が済まない男の目ね。野心家なの?」
「なぜ、わかる?」
「簡単よ。蒼琉に似てるから。もっとも、彼は気まぐれだから、地位や権力よりもゲームのほうが好きだけど」
「そうか。ところで、いつまでオレにひっついている気だ?オレは片付けるなら、早いほうがいいんだ」
「私と戦うの?」
「おまえは戦いたくないのか?その為に後をつけていたんだろう?」
「そうね。あなたが腕力馬鹿のつまらない男だったら、そうしていたわ。
でも、あなたハンサムだし、頭もよさそうだし、何より、私は野心のある男が好きなのよ」
翠琴の唇は、まるでフェロモンの塊のように晶を誘惑していた。
この怪しいまでの色気を当てられたら、男なら誰しも押し倒してしまいそうな雰囲気が翠琴にはある。


「ねえ、私達このまま殺しあって、それで終わりなんて、つまらないと思わない?」
「何が言いたい?」
「随分と、私達の資料をたくさん手に入れたみたいだけど、それなら私達のことわかるでしょう?」
「ああ、おまえたちに残された時間も知っている」
「そう、だったら、話は早いわ。女って本当に厄介な生き物なの。
男はその気になれば、一年で何百人って子供作れるのに、女はたった一人だけ。
だから、相手が女でさえあればいい男と違って、女は相手を選ぶの。
この男だったら、自分の相手にふさわしいかどうか……ってね」
翠琴は、媚びた視線を晶に送りながら、両腕をしっかりと晶に回した。


「ねえ……あなたの子供を私にちょうだい」
晶は眉一つ動かさなかった。F5の資料から、F5の秘密は知っている。
その上、翠琴にここまでされたのだ、ある程度予想はついていたのだろう。
「他にも特撰兵士は大勢いるぞ。結論が早急すぎるんじゃないのか?」
「あら、そんなことないわ。私、見る目はあるつもりよ。
あなたは素敵よ。それに強い。あなたほど魅力的な男なんて、そうはいないでしょ?」
「なるほど、説得力はあるな」
晶はニヤッと笑うと、翠琴の腰に手を回し引き寄せた。

「おまえ、男を見る目はあるな」
「良かったわ。私達、気が合いそうね」














「蒼琉!!き、貴様ー!!」
黒己は床にはいずりながら、蒼琉を見上げていた。そばでは美恵が顔面蒼白で二人を凝視している。
美恵は見たのだ。勇二が勝てなかった黒己を簡単にのした蒼琉の強さを。
黒己は血みどろで床に転がっていた。
蒼琉は、屈むと黒己の首を掴み、持ち上げた。黒己の顔が苦痛で歪む。
「……そろそろ逝くか?」
黒己の顔色が、あっと言う間にドス黒く変色していった。
「やめて!」
たまらず、美恵が蒼琉の腕を掴んだ。そのせいで蒼琉の腕から力が抜け、黒己が床に落ちた。


「変な女だな。おまえを殺そうとした男だぞ」
「あ、あなたの仲間でしょ。殺すなんて……!」
そのやり取りを朦朧とした意識で眺めていた黒己は驚いていた。

(……オレを庇った?……や、やっぱり……オレのことを……)

少々、余計な勘違いまでしていたが、黒己は生きている。
まだ、あの世への扉をくぐるには早いようだ。
蒼琉は、少し考え、「そうだな」と、面白そうに笑い、チェーンを取り出すと黒己を縛り上げた。

「そ、蒼琉……おまえ、何を……?」
「安心しろ。『オレ』は、おまえを殺さないでやることにした」

蒼琉は、黒己を引きずるように部屋から出て行った。
「おまえは、ここにいろ。すぐに迎えに来てやる」
美恵は引き続き、黒己のプライベートルームに残された。




「そ、蒼琉……どにに行く気だ?」
F5達の巣とも言うべきエリアを出て、二人は非常階段を降りていた。
かなり下まで降りている。黒己の表情が徐々に険しくなっていった。
「……この先は確か」
Fシリーズの下等生物の中でも、もっとも危険視されている生物の管理区域。
F4の中でも、親ともいうべき存在が厳重に閉じ込められている場所。
たとえ、どんなにコンピュータが暴走しようとも、その部屋だけは勝手に解放されない作りになっていた。
今まで桐山たちが相手にしてきたF4の何倍ものサイズの化け物達なのだ。
それだけに、その化け物達だけは、決して自由にならないようにしてあったのだ。
十メートル以上ある、大きな鋼鉄の扉の前に蒼琉はたどり着いた。
この部屋だけはコンピュータで遠隔操作できない。直接、扉に暗証番号を入力しなければ開かないのだ。


「蒼琉!!ま、まさか、おまえ!!」
「安心しろ。『オレ』はおまえを殺さない」


蒼琉は暗証番号を入力した。そして、プラスチックで覆われている赤いボタンを押す。
重苦しい空気の中、その扉は左右に開いた。黒己を引きずるようにして中に入る蒼琉。
さらに、もう一つ扉がある。これも十メートル近くある頑丈な鋼鉄製だ。それにも暗証番号を入力した。

「久しぶりだな。こいつらを見るのも」

蒼琉は、そのエリアに足を踏み入れた。中央の床に大きな穴がある。その中に奴等はいた。
十メートルはあろうかという巨大なF4。ギロッと此方を見ている。
もっとも体重があるせいか、さすがにジャンプして、ここまではこれないが。


「オレの命令に逆らったご褒美だ黒己」

蒼琉を黒己の背中を思いっきり押した。

「蒼琉、貴様ー!!」


黒己が落ちた。恐竜クラスのF4の群れの中に。チェーンで縛られている為、両腕は使い物にならない。
立ち上がることすら困難な黒己の周りをF4が囲みだした。だらだらと涎をたらしながら、じっと黒己を見下ろしている。




「黒己」
蒼琉は冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
「命令違反をした貴様をどう料理してやろうかと思ったが、貴様も知っての通りオレは慈悲深い男だ。。
今まで苦楽を共にした仲間を直接手にかけることは心が痛む」
「い、痛むだと!?」
「だから……そいつらに喰わせることにした」
「ま、待て蒼琉。貴様、卑怯だぞ!!オレの体の自由を奪って!!」
「あの女にすぐに戻ると約束したから、オレはもう行く。
せいぜい、オレに逆らった事を後悔しながら、そいつらと仲良くやるんだな」
蒼琉は、歩き出した。黒己には、もう興味がなかったし、奴等の食事を見物するほど悪趣味でもなかった。
やがて、背後から、メキメキとおぞましい音がしだした。それでも蒼琉は振り返らなかった。
だが、突然、「キィィー!!」と悲鳴が上がった。
立ち止まった蒼琉は、踵を翻し、元の地点に戻る。

「……黒己の奴」














「きっと私達、肉体の相性も良くってよ」
翠琴は、晶の頬を両手で挟むと、自らの顔を近づけた。
その唇が晶のそれに重なろうとした寸前、翠琴の目がカッと拡大した。
同時に、晶を突き放すように、背後に飛んだ。
「……おまえ」
その目は赤く燃え上がり、今までの色気が嘘のように殺気で満ち溢れている。
晶の手にはナイフ。そして、間一髪でかわした翠琴だったが、髪の毛が数本切れていた。


「最初に言っておく。オレは女でも容赦しない。惚れた女ならともかく、おまえはそれに該当しない」

「……よくも」


「残念だったな。生憎とオレはカマキリ女は趣味じゃない」




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