何?何なの?

美恵は混乱していた。突然、乗り込んできた黒己に。
黒己は一目でわかるほど激昂している。自分に対して。
もちろん美恵には身に覚えなどない。それどころか、こっちが怒鳴ってやりたいくらいだ。
出会った当初からセクハラまがいのことをされた上に拉致なのだから。
だが、今の黒己は、そんな反論など一切言わせない迫力があった。
もし一言でも気に触ることを言おうものならば、さらに取り返しがつかなくなる。
そんな雰囲気が黒己にはあった。


「オレを……オレを、ずっと騙して……おまえという女は……」

黒己の目は赤い色付きとなって燃え上がっていた。
そして、物凄い勢いでズカズカと部屋に入ったかと思うと、瞬や珀朗を押しのけて美恵の手首を掴む。
力を込められたせいか、手首に痛みが走った。
「痛い……っ」
美恵の表情が歪んだが、黒己は構わずにそのまま手を引っ張った。


「来い!」
「止めてっ」
「止めて……だと?おまえは今の自分の立場がわかっているのか?!
この尻軽女!!わからないのなら、わからせてやる。おまえの体にな!!」
無理やり引っ張られる美恵。
「待て、どこにつれていく気だ?」
瞬が、黒己の肩に手を置いた瞬間、黒己の感情と言う名の火山が噴火した。




Solitary Island―136―




「……美恵を攫われただって?」

徹はほんの数秒呆然となったが、すぐに勇二を睨むと、その襟を両手で掴んだ。
「どういうことだ!?貴様、さては美恵を売ったなっ!!」
「な、何だと!?」
「おまえは以前から美恵を嫌っていた。そのくらいやりかねない。
まして、おまえは晃司を逆恨みしていたからな。晃司に対する嫌がらせの為に、美恵を敵に引き渡したのか!?」
「そんなことするか!!」
「おまえならやるだろう!!おまえは美恵を疎んじていたからな、オレと違って!!」
勇二の額に青筋が立ったが、もちろん徹はそんなものには気付いてない。


「よくも……よくも、オレの美恵を!!」
勇二を絞め殺しかねない勢いだった。
「よせよ徹!まずは話し合いだ」
先程、自分が勇二を責めたことも忘れて俊彦は徹をなだめだした。徹を怒らせたどうなるか、わかっているからだ。
徹の気持ちはわかる。わかるが、徹は怒りだけでは済まない性格。

「殺してやる!そんなに死にたいのなら……今すぐ、殺してやるよ!!」
「と、徹!!な、直人……おまえも徹を止めてくれ!!」

俊彦一人が必死になっていた。
純平は徹のターゲットが自分から勇二に移ったとはいえ今だに震えている。
瞳はドキドキして、その様子を見守っていた。


「貴様を殺して、その首を持って、今すぐF5の巣を攻めてやる!!
オレから彼女を奪うものがどうなるか……嫌ってほど教えてやる!!」




「徹!勝手な行動は許さんぞ。連中は一人じゃない。よって、こちらも単体行動はしない。軍の基本だ」
直人の言い分に徹は「そんなこと知ったことか。美恵が殺されるかもしれないって時に」と耳を貸さない。
「徹、おまえも士官なら私情より立場をわきまえろ」
「……直人、貴様」
美恵も軍の人間だ。覚悟くらいはあるはずだ」
「オレは上から科学省の秘密を暴けと言われているだけだ。おまえたちと組んで行動しろとの命令は一切受けていない。
どう動こうがオレの勝手だ。おまえの意見に従う立場でもない。直人、オレは海軍大尉だ。国防省の人間の指図は受けない」
直人の言い分はもっともだが、徹は素直に納得するタイプじゃない。


「直人、確かにそうだけど……オレも気持ちは徹と同じだ。一刻も早く助けないと美恵の命は保障は無い。
F5は残忍で冷酷非情な連中だ。一秒でも早く救出しないと。でなければ、本当に美恵は殺されちまうぜ」
俊彦も個人的には一刻も早く救出したいようだった。
ただ直人の言い分もわかるので複雑なのだ。
敵が一人や二人じゃない以上、情報も乏しい中で攻めるのは得策ではない。
それは徹もわかっている。わかっているが、ぐずぐずしていたら美恵の命も危ない。
「それもこれも全て……勇二、貴様が命ほしさに美恵を……!」
徹の怒りは再び勇二に向いた。
「おまえはさぞかしいい気分なんだろうな!嫌いな美恵を手を汚さずに片付けることができて!」
「な、何だと!!?」
「白状したらどうだ!自分の手で殺せば、オレが貴様を殺すから、連中に引き渡して合法的に葬ろうとしたんだろう?
汚い手を使って、よくも……よくもオレの大切な美恵を……!」




『今すぐに殺してやる!』と徹が叫ぶ前に、切れた勇二が叫んでいた。
「そんなことするか!!第一、美恵は殺されねえんだよ!!」
「何だって?」
殺されない、その言葉に徹は即座に反応した。直人や俊彦も同じだ。
「晶が、そう言ったんだ。あいつは殺す為に美恵を攫ったわけじゃない。
殺したら元も子もないってな。だから、いちゃもんつけるな!」
「本当に晶がそう言ったのか?根拠はあるのかい?
まさか、オレに殺されるのか怖くて、出鱈目言っているんじゃないだろうね?
オレは誤魔化されるのは大嫌いなんだ。嘘だと判断したら、ただ殺すだけじゃすまないよ。
さあ、言ってごらん。彼女が殺されないという理由を」
「……そ、それは」


晶は言った。事実をそのまま言えば厄介なことになる。
だから『美恵が攫われた理由だけは伏せて上手くごまかしておけ』とも言った。
何とか説得力のある理由を考えればいいのだが、勇二は晶ほど頭が回らない。
考えているうちに、徹の口から「言えないのか、やはりでまかせだったんだな」と暴言がとぶ始末。
「おまえは、いつもそうだ」「この場を逃げれば済むと思っている」と、徹の暴言はエスカレートしだした。
「さっさと認めたらどうだ!晃司やオレに勝てないから、腹いせにしたことだと!
自分の実力の無さを棚に上げていい気なものだな勇二!貴様ほど自分に自信にない男はいない。それだけは認めてやるよ!」
勇二は切れた。そして言ってはならないことを言った。




「オレが言い訳するような男に見えるのか!?オレはくだらねえ嘘はいわねえよっ!!
あいつらは美恵を女として気に入ったから連れ去ったって晶が言いやがたんだ!!
連中は同族同士では繁殖できねえから、たまたま交配相手として気に入ったってなっ!!」




あれほど、悪態ついていた徹が固まった。直人も俊彦も。
しばらくしてやっと「……なんて言った?」と徹が底冷えするような口調で言った。
「……何度でも言ってやる!!美恵は気に入られてんだよ、あの男どもにな!!
だから殺されるものか、これで安心して落ち着いただろ、この馬鹿野郎!!」


「ふざけるなっ!!」


勇二は頬に何かがのめりこむ感覚を味わった。
奥歯がきしんだかもしれないが、それよりも壁に激突した衝撃のほうが上だ。
殴られていた。しかも、ふっ飛ばされていた。口の端から血が流れ、ずるりと、その場に落ちた。


「……交配相手?」
勇二ははっとした。徹の顔色が変わっている。
直人と俊彦も、少々やばいという目で徹を見詰めていた。
「……ふ」
徹の頭の中には、美恵の命の危険しかなかった。
F5にとってⅩシリーズは宿敵。女も例外ではないと思っていたのだ。


「ふざけるなっ!!美恵はオレの妻になる女だっ!それを……っ!!
遺伝学の産物の分際でふざけやがってっ!!殺す、八つ裂きにしてやるっ!!」


徹は、物凄い勢いで階段を駆け下り出した。
それを見た勇二は思った。

(あ、晶の大嘘つき野郎……な、何が命の危険がないと教えてやればいいだ。全然っっ逆効果じゃねえかっ!!)

徹は横たわっている沙黄を見つけると、駆け寄り、その髪の毛を掴み上げた。
「おまえたちの巣はどこだ!?どこにあるっ!?」
しかし、すでに冷たくなっている沙黄が答えるはずもない。

「……役立たずめ。あの程度でころっと死にやがってっ!!」














「……貴様」
瞬は黒己から手を離した。黒己が自分に銃口を向けたからだ。
今、何か言えば、すぐに引き金が引かれる。そんな雰囲気があった。
瞬が手を離すと、黒己は再び美恵の手を引き歩き出した。
「黒己、彼女に勝手な事をしたら……」
今度は珀朗に銃口がセットされた。珀朗は両手を挙げて「わかったよ。おろしてくれ」と言った。
黒己は、美恵を連れ部屋を出て行った。


「……やれやれ、困ったひとだな」
「……おい」
「何だい?」
美恵はどうなる?あいつは、美恵をどうするつもりなんだ?」
「わからないな。黒己は僕と違って情熱的だから、時として本人も予想できない行動をとる。
彼女に乱暴な事だけはしないなんて保証もできないよ。ただ……」
「ただ?」
「彼は気付いてないみたいだけど、本当に危険なのは彼女じゃない。黒己だよ」
「奴が?」
「もっとも怒らせてはいけないひとの怒りを自ら招いてしまっていることに気付いてないのさ」




「離して、私をどうするつもりなの!?」
「……黙れ」
「痛いわ。離して……離してよ!」
「黙れと言ってるんだ!」
パンと、乾いた音が美恵の頬からきこえた。
「……っ」
思わず頬を手で押さえて黒己を見上げた。
「……オレはおまえに出来る限り優しくしてやった。おまえを優遇してやった」
「…………」
「その見返りがこれか?……おまえは男がいるんだろ。
Ⅹ4に会った。おまえは自分の女だと言った。このオレの前でだ!!」
「秀明に会ったの?」
「ああ、そうだ。おまえは自分のものだと言った。オレのものじゃないと言ったんだ!」


黒己は、『B』と書かれたプレートを掲げられた部屋の前に来ると、「入れ」と美恵を突き飛ばした。
殺風景な部屋だった。部屋の隅に筋力トレーニングの運道具がいくつかある。
でも、それ以外はほとんど何も無い。あるといえば、ベッドくらいだ。
黒己は、そのベッドまで美恵をつれてくると、また突き飛ばした。
美恵はベッドの上に投げ出され、反動で少しだけ体が浮んだ。
恐怖で振り返ると、黒己が「おまえが悪いんだ」と自分の服のボタンを外しだした。
「……来ないで」
この男は異常だ。雅信と似ていると思ったけど、とんでもない。
少なくても雅信は、自分を殴ったりと暴力をふるった事も自分に怒りをぶつけた事もない。
(違う意味での暴力は何度もふるわれそうになったが)
でも、この男は違う。殺されるかもしれない。黒己が近づいてきた。




「……いや」
殺される。そんな予感が胸を過ぎった。美恵は後ずさりするが、黒己も近づいてくる。
ベッドから飛び起きようとした途端に黒己が腕を押さえつけてきた。
「嫌っ!離して!」
「うるさい!オレのモノのくせに!!」
「私はあなたのものじゃない!」
「なんだと!?」
パンっ!また頬から乾いた音がした。
「オレのモノなのに、オレに逆らうのか!?」
「最初から私はあなたのものじゃないわ!」
枕を投げつけて逃げようとしたが、黒己がそれを許さない。
美恵はベッドに押し付けられた。黒己が鎖骨に顔を埋める。
「……痛いっ」
噛み付かれた。赤いシルシがまるで所有者が誰かを主張しているようだった。


「忘れるな……おまえはオレのものだ。オレが見つけてオレが選んだ。
だから……他の男は絶対に許さない!オレは裏切りは許さないっ!!
誰がおまえの主人なのか、その体にたっぷり教え込んでやる!!」
黒己は美恵の服を掴むと左右に引っ張った。簡単に服が引き裂かれ下着が露出した。
「何をするの、止めて、触らないで!!」
「おまえに拒否権はないんだ、まだわからないのか!」
黒己の手がスカートの中に入ってきた。腿に黒己の手の感触を感じる。美恵は顔を歪ませ、必死に抵抗した。
「清純ぶるな、どうせ初めてじゃないんだろう?あいつには……Ⅹ4にはやらせたんだろう?!
あいつにはやらせて、オレにはやらせないのか?そんな、ふざけたことが通用すると思っているのかっ!!」




「おまえはオレのものだ!!どうしようとオレの勝手だ!!
だから……おまえが生む子もオレの子でなければならないんだ!!
他の男なんか……他の男なんか……絶対に許すものか!!」
「誰が、あなたの子供なんか!」
美恵は必死に黒己に押さえつけられている手を抜くと、お返しとばかりに黒己の顔に平手打ちを食らわせた。
「まだ逆らうのか……オレのモノなのに!!それとも何か?オレがⅩ4より劣っているというのか?
オレより、あいつの方が上手いっていうのか?そうなのか!?」
黒己は美恵の腿をなでていた手を止めると、爪を立てた。


「……感じたのか?」
黒己はもはや理性など微塵も残ってなかった。
「どうした?何故、辛そうな顔をする?おまえは、こうされるのが好きなんだろう?!
どこを触られて感じた?ここか?それとも、ここか?泣け、喘げ!おまえが、Ⅹ4にしたように感じてみろ!!
それとも、最後までいかせて欲しいのか?この淫乱めっ!!」
黒己は、美恵から一端手を離すと、自分のベルトを外しにかかった。
美恵が青ざめる。冗談じゃない。
「……嫌よ!」
逃げようとした美恵を黒己は押さえつけた。


「離して!!殺されたほうがマシよ!!」
「何だと!?オレの純愛をそこまで踏みにじるのか!?」


今度は首に圧迫感が走る。
「……ぁ」

黒己の両手が美恵の首に食い込んでいる。息ができない……っ!

「何故だ!?何故、オレを裏切る、オレを受け入れないっ!?」
「……やめ……っ」

息が……息ができない……っ。


「何故だ何故!!?こんなに愛しているのに!!」
黒己は泣きそうになっていたが、美恵の目には黒己の顔など入っていない。
目が霞む。顔色が悪くなってゆくと同時に全身がぐったりしてきた。

(……苦しい)

私、死ぬの?……こんなところで、こんな男に殺されて……。
それが私の運命……なの?

ぼんやりとした意識の中、美恵はただそう思った。

科学省に作られて白い壁の中で孤独に育った。
ずっと……ずっと、ただ毎日一人で時を過ごし、やっと外の世界に出たのに。
それでも辛い事はたくさんあった。わけもわからず攫われて酷い目に合った事もある。
ああ……そういえば、あの時は隙を見て逃げ出して……。
そう、確か秀明が……助けてくれた。でも、今度は誰も助けに来てくれそうも無い。
運が尽きるとは、こういうことを言うんだろうか?

(……さよなら晃司……さよなら秀明……さよなら志郎)

次々に、親しい人間の顔が頭に浮んだ。
おかしな話だったが、死の間際に思い浮かんだ人間が結構いたことが美恵は嬉しかった。
自分はひとりではなかった。それを、この命の終わりに実感できたのだから。

(……さよなら……桐山くん)

最後に桐山の顔が頭に浮んだ時だった。
何かが視界に映った。それが何なのかわからなかったけど。




「オレのものだ!!……おまえは、オレの……オレ一人だけのものなんだ!!
オレだけのものにならないくらいなら……オレの手で殺す……!
そうすれば、おまえは永遠にオレ一人のモノなんだ……!!」
「…………」
美恵がぐったりしていく様子は黒己にははっきりわかった。
今、この手を離さなければ死ぬということもわかっていた。それでも黒己は離さなかった。
美恵の顔から血の気が引く。それを見て黒己は涙目になったが、それでも力を緩めなかった。

「……渡さない……誰にも渡さない。おまえはオレのモノなんだからな」

首をしめられていても、尚彼女は美しいと黒己は思った。
その顔を……その目を、もう一度しっかり、この目に焼き付けよう。
彼女の最後を顔を見るのは自分だ。そして、彼女の目に最後に映るのも自分だ。
そう思って黒己は美恵の顔を覗き込んだ。
だが、その瞬間、失われていた黒己の理性が一気に意識の底から蘇った。
美恵の瞳に、自分以外の男が映っていたからだ。
黒己は、美恵から手を離した。窒息寸前だった美恵は意識を覚醒させ、ケホっと咳き込む。
黒己の体内で、心臓がゆっくりと、そして大きくなりだした。

……ドックン……。……ドックン……。

美恵の瞳に映っていたのは……銀髪の悪魔。
恐ろしいほど冷たい目をした男だった――。














「徹の奴……クソ、後を追いかけないと」
「ああ、あいつ一人に任せられない。勇二、おまえはどうする?」
直人は、勇二を見た。
「……知るかよ」
「そうだな。美恵を救出するなんて、おまえには頼まれても嫌なことだな」
「なんだとぉ!?」
三人の会話は、そこで中断された。
なぜなら、三人は気付いたのだ。エレベーターが動いている事に。
上がってる。そして、自分達の前で、エレベーターが停止するときの、あの独特の音がなった。
扉が左右に静かに開き三人は、反射的に身構えた。


「……三人か。おまえたちは何だ?特撰兵士か?それとも民間人か?」


男が乗っていた。
「オレが民間人に見えるのか、クソッタレ!!」
勇二の怒声がすぐに響く。
「……おまえ、一人か?」
直人は額から汗が伝わるのを感じた。

(……これがF5?)

オレはF5を甘く見ていたのか?徹が一人片付けたから、だから何とかなると思っていた。
自分でも十分倒せる相手だと思った。
だが、直人の楽観的な考えは、その男を見た途端に吹き飛んだ。
殺気でもない。闘気でもない。それ以上の何かを感じたのだ。
その結果、最初に口から出たのが、「一人か?」という質問。
情け無い話だ。こいつ一人でも勝てそうも無い気がした。
だから、とっさに仲間の存在を確認するようなマネをした。悔しさで直人は拳を握り締めた。
「オレ一人だ」
男は平然と答えた。直人と違って完全に平常心だった。


「オレだけだ。一人で十分だ」


燃えるような赤い髪をした男だった――。




【残り24人】




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