夢を見ていた。怖い夢を……。
愛する人が傷ついてしまう、怖い夢――。
「……お、ね……がい。彼を……」
傷つけないで。お願いよ、お願い!
キラリと光った。凶器が彼に振り落とされる。
「いやぁぁー!それだけは止めてぇぇー!!」
飛び起きた。はぁはぁ……息が荒い。
「……ゆ、夢?」
そうよね……そうよ。あんな恐ろしい事、夢なのよ。
ホッと一息ついた。
「……彼を坊主にするなんて、そんなことできるわけないもの」
瞳は頭を抱えた。
「うぅー……でも試合に負けたら坊主になるって言い出したのは彼だし……。なんで、こんなことに……アレ?」
真っ暗闇……どこだろう、ここ?
「は!そ、そうだ!!あたし、階段から落ちて……あれ?根岸くん、どこに行ったんだろう?」
瞳はゆっくりと起き出し、ドアを開け、ちょっと頭を出してキョロキョロと辺りを伺った。
Solitary Island―134―
「美恵が、おまえを裏切った?」
秀明は少しだけ表情を歪めた。
「あ、あああ……あの女ぁ!オレと挙式までしておきながら……。
男の純愛ここまでないがしろにされて……ふざけるなぁぁー!!」
黒己の勝手な言い分に最初に感情的になったのは貴弘だった。
「ふざけているのはどっちだ!貴様、彼女に何をした。まさか攫って口では言えないことしたんじゃないだろうな!?」
「攫ったんじゃない!あの女が自らオレを選んだ。そして、オレたちは結婚した。オレには何の非も無い!!」
「け、結婚だとっ!?」
貴弘には全く理解不能だった。出会って数時間で、なぜそんなことになるのか?
ただ美恵が、この理解不能な男のせいで、今は囚われの身になっていることだけは理解できた。
「彼女はどうした!?どこにいる!?」
「うるさい!貴様には関係ない!!」
「いい加減にしてくれないか?」
二人の言い争いに桐山が参戦しだした。
「おまえの言っていることはオレにはよくわからない。もう少し、わかりやすく言ってくれないか?」
「……ああ?何もかも話してやったのに、わからないのか?
だったら最初から話してやる!オレと美恵が運命の出会いを遂げて……」
そこで秀明が、「その話はいい」とストップを掛けた。
「おまえ……自分の立場がわかっていないらしいな」
秀明の口調はやけに低かった。
「オレの立場……だと?」
「ああ、そうだ」
秀明はスッと銃を取り出し、その銃口を黒己にセットした。
「おまえは自分の立場をわかってないから教えてやる。
この国では重婚は認められていない。総統陛下の一族のみ例外だが、それ以外の人間は相手は一人だ。
よって、おまえと美恵の婚姻は無効だ。美恵にはもうオレがいるんだからな。理解できたか?」
秀明の後ろで隼人が溜息をついていた。
「……ひ、さ、ささささ佐伯」
純平は顔面蒼白になった。徹の背中に銛のようなものが突き刺さったのだから当然といえば当然。
「……き、さま」
「あたしを拒んだのがあんたの罪よ。忘れられない思い出作ってあげたのに!」
「……よくも」
徹の目が恐ろしいくらいに変化していた。
普段のお優しい貴公子としての徹しか知らない純平は震え上がっている。
「……こんなもので」
徹は背中に手を伸ばして、柄の部分を握った。
こんなもので特撰兵士を倒せるとでも思ったのか!?
力任せに引き抜いた。背中から血が流れる。
モップの柄を折り、それにナイフをくくりつけただけの即席な武器だった。
「ふざけるなっ!!」
徹はお返しとばかりに沙黄にそれを投げつけた。
が――バランスが僅かに崩れ、沙黄に当たらなかった。純平が咄嗟に徹の腰にしがみついたからだった。
「根岸、貴様!!」
「ま、ままま待ってくれよ佐伯!!は、話し合おうよ!!相手は女のひとなんだよ。
きっと分かり合えるよ。落ち着けよ、きっと佐伯だって気に入るよ!」
「オレは美恵以外の女なんかに興味は無い!」
どけ!とばかりに純平を蹴り飛ばした。そして、階段を駆け上がる。今度こそ沙黄の息の根を止めるつもりだ。
しかし、沙黄は先ほどと違って逃げる気配がない。むしろ余裕すら感じる。
「今度こそ殺してやる」
徹は沙黄に殴りかかった。しかし、沙黄は紙一重でそれを避ける。
(何!?)
F5はⅩシリーズと同格。しかし、それでも男と女の差は無視できないはず。
F5の男(そう、例えば噂に聞くブルーとか)が相手ならまだしも、女相手に遅れをとるなんて。
偶然だ。徹はそう思った。しかし、次に繰り出した蹴りも紙一重で避けられた。
さらに足がもつれて、危うく転倒まで仕掛けた。
(……体が)
徹は自分の肉体の異変に気付いた。何かがおかしい。
「ふふ……ねーえ、知ってる?」
沙黄が体をクネクネさせて近づいてきた。
「科学省が怪しいものたーーくさん作っていることは、あんたも知ってるでしょぉ?」
うふふと下卑た笑みを浮かべている。
「幻覚剤とか変な薬もせっせと作っているのよねぇ。あはは」
「……まさか」
「そういうこと♪さっき、あんたを刺したナイフにべったり塗っちゃったー。
アーハハハ、いい気味。ほんと最高!!ぜーんぶ、あんたが悪いんだからぁー」
沙黄は懐から小さな薬瓶を取り出して、背後に向かってポイッと捨てた。
「安心してよ。これ即効性だけど効き目時間は短いからさ」
徹は眩暈を感じた。視界がぐにゃっと歪み、足元が崩れる感覚に襲われる。
「でも、ちょっとタチ悪いのよねえ。だって、これって人間の深層心理をつくんだもん」
沙黄はスッとスカートをめくった。太ももに隠しベルトがしてあり、ナイフが数本仕込まれている。
「あんたが一番恐怖を感じるもの、一番嫌いなもの、憎いもの」
「…………」
「もしくは一番思い出したくないもの。そういうものが見えるのよ。だから……苦しみぬいてやられなさいよぉー!!」
沙黄がとび蹴りを仕掛けてきた。当然避ける徹。しかし、完全には避け切れなかった。
避けようとする意識はある。あるのだが、体が意識に追いつかないのだ。
「あーはははは!!いい気味ね、思いっきり痛めつけてあげるわぁ!!」
沙黄は続けざまに、そのスラリと細い足を武器に容赦ない猛攻を続ける。
徹は意識すら朦朧とするのを感じた。
体が熱い。まるで高熱だ。
体がだるい。まるで伝染病にかかったようだ。
それ以上に視覚がおかしい。ふと木々が視界に映った。木々だけじゃない、草や黒雲が見える。
そんなわけないのに見える。幻だ。沙黄が言った通り幻覚が見え出していた。
一体、この先、何が見えるのだろうか?
沙黄は、もっともその者が忌み嫌うものが見えるといった。
トラウマを刺激するようなものが見えるというのか?
しかし、徹はこうも思った。冷酷非情な自分に心が傷つけられるような幻が見えるはずがないと。
あるとすれば、それは美恵だ。彼女だけは例外だった。
かつて、彼女を傷つけられた時の、あの苦しみ。
それだけが徹にとっては、人生唯一の辛い出来事だった。
「あーらら。もう終わりぃ?じゃあ、そろそろフィニッシュよ!!
あたしの美貌傷つけたんだから、それ相応の報いは受けさせてもらうわよ!!
ちょっと勿体無いけど、その顔傷めてあげるわ。お仕置きよ!」
沙黄がナイフを二本指の間に挟んだ。そして、徹に向かって投げ飛ばそうとした。
スコーン!と、何かが沙黄の後頭部に当たった。
「痛っ!」
頭を押さえてギロッと後ろを振り向いた。
「ちょっと!佐伯くんに何するのよ!!うちのクラス代表する美少年なのよ!!
佐伯くんに何かしたら絶対に許さないから!!」
飛んできたのは先ほど沙黄が投げ捨てた薬瓶。そして投げ飛ばしたのは瞳だった。
「さっさと佐伯くんから離れなさいよ!!じゃないと、あたしが相手よ!!」
「……ちょっと、あんた」
「さっさと離れろって言ってるのよ!!」
「……そういうセリフは近くで言いなさいよ」
瞳は二十メートルほど先の廊下の角から、こちらを見ていた。
もちろん、いつでも逃げる準備OK!沙黄が一歩でも踏み出そうものならば、瞳は全力ダッシュするつもりだった。
瞳の登場で、沙黄は一瞬徹から目をそらしてしまった。
徹は腕時計に仕込んでいた極細のチェーンを取り出した。
背後から近づいて、それを沙黄の首に回し、一気に首を落とす。
残忍なくらいの方法だが、こんな体では殺し方を選ぶ余裕も無い。
幻覚がどんどん酷くなっている。周りの景色がほぼ完全に森になってきた。
このままでは、沙黄の姿も見失うかもしれない。
それだけは避けたい。何が何でも、今決着をつけなければ。
徹はそっと近づいた。しかし、沙黄も、それに気付いた。
「何するつもりなのよ!!」
逆襲する沙黄。ナイフがいっせいに飛んでくる。
「この卑怯者!!後ろから女襲おうだなんて堕ちたものね!!
あんた、顔だけがとりえなの?そうなの?蒼琉に引き渡す前に、あたしがたっぷり可愛がってあげるわよ。
あたしとあんたの子供なら、どっちに似ても美男美女よねぇ?」
「ふざけないでよ!!佐伯くんに手を出したら、あたしが許さないわよ!!」
「うるせえわよ!!文句があるなら、近くでいいな!!」
沙黄と瞳の言い争う声すら徹の耳にはかすかにしか聞えなくなっていた。
(……声が遠い。……クソ、体が熱い)
この感じ……どこかで感じた。
熱い……黒雲……森……どこかで、そうだ、どこかで見た。この景色は。
「さーあ、そろそろ終わりよぉ♪大丈夫よ、ちょっと痛めつけて気絶させてあげるだけだから」
その言葉も徹にはほとんど聞えなかった。
「うふふ……楽しみね」
その時、徹の耳に全く別の言葉が、いや声が聞こえだした。それはおそらくは幻聴だったのだろう。
「どうやって楽しませてもらおうかしら?」
「…………」
『貴様は生きていること自体が罪なんだ。この薄汚い屑めっ!!』
「……!」
この声……覚えている、この声を忘れるはずがない。
「あーら、どうしたのかしら?幻でも見てるの?目の焦点が合ってないわよ」
沙黄の声など、もはや完全に徹には聞えなかった。
それどころか、沙黄の姿すらぼやけて見える。
代わりに、全く違う声、そして違う人間の姿が見え出したのだ。
『この女は貴様を地獄に叩き込むためだけの餌だ。
その為だけにオレは、こんな馬鹿げたお遊びに乗ったんだ。
佐伯徹、貴様なんかが息をしていることが、オレにはこれ以上我慢ならない!!』
「おまえは……戸川小次郎っ!!」
「……ここはエリアのどの辺りなんだ?さっぱり見当つかないぜ」
勇二は、一人歩いていた。晶とはさっさと別れた。晶と一緒なら、こんな苦労はなかっただろう。
でも、誰かと協力すること。まして頼ることなど勇二の性格上不可能だった。
「……あいつ、どうしているかな」
晶の言ったことが正しければ、殺される心配はない。
でも……殺されないだけだ。
普段、女なんてあまり見ないような連中に攫われたんだ。何されるか、わかったもんじゃない。
「……オレには関係ねえけどよ」
くそっと、壁を蹴った。ちょっと痛かった。
「おまえは……戸川小次郎っ!!」
「……あの声は徹?」
何だ?戸川……戸川は死んだはずだ。
テロリスト(表向きは)に殺されたはずだぞ。もう一年以上も前に。どういうことなんだ?
階段を駆け上がった。純平が座り込んでいた。
「おい、何があった!?」
「……な、何って……その……」
血痕を発見。何かが起きている。
「……徹の野郎、誰と戦っているんだ?」
「……え?」
沙黄は目を丸くした。
「……貴様……貴様、生きていたのかっ!!」
沙黄は目を丸くしただけではない。思わず二歩下がった。
徹の様子がおかしい。薬を使ったのだから、体に異変をきたすのは当然だ。
だが、何かが違う。
足元がふらつき、戦意すら喪失しかけていたはずだった。
それが、完全復活した。いや、それどころか、前以上に敵意も殺意もみなぎっている。
あまりの迫力に沙黄は己の死を連想した。
(ど、どういうことなのよ!……話が違う、違うじゃない!一体、何を見ているのよ。一番嫌なものを見るはずよ。
どんな人間だってトラウマの対象を見れば、気力すらなくすはずなのに、なぜ!?)
「……ろしてやる」
沙黄は、もう三歩後ろに下がった。
「……ひ」
わかる。肌で感じる。
今までとは何かが違う。殺気のレベルが桁違いに違うのだ。
「貴様は……貴様だけは……永遠に許さない」
「殺してやるっ!!何度、生き返っても、何度でも地獄に送ってやるっ!!」
【残り24人】
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