『嫌なことを忘れるんだ』
『嫌なこと?』
『そうだ。きれいさっぱり忘れられる。おまえは余計な人間と接触を持ってしまったからな』
『余計な人間?』
『おまえが私達に黙って会っていた人間だ』
『え?』
『あいつに関する記憶を全て消す。大丈夫だ。他のことは全部覚えているから』
『……いや』
『美恵?』
『やだ!私、忘れない!!約束したんだもの!!
ずっと一緒にいるって、お嫁さんになるって約束したんだもの!!』
『それが余計だというんだ!!あいつは失敗作だった!!
あいつは必要なデータを取った後は廃棄処分されることが決定したんだ!だから忘れたほうがいいんだ!!』
『やだ、やだっ!!』
Solitary Island―132―
「…………」
夢……何だろう。変な夢。
この島に来てから、何度も見たわ……一体、何なの、本当に――。
「目が覚めたかい?」
珀朗がニッコリと微笑んで質問してきた。
慌てて上半身を起そうとする美恵を、「ああ、そのままでいいよ」と制した。
「どう気分は?」
「……私」
寝込んでしまったんだ。瞬は?
瞬は珀朗の隣で苦虫潰したような表情で、じっと珀朗を睨んでいた。
「どうして、あなたがここにいるの?」
監視されるのは仕方ないとしても、監禁用の独房にいるなんておかしい。
「蒼琉の命令でね。君達が妙なマネしないように見張っていろって。
一緒にいてもいいかな?僕は君たちの事、もっとよく知りたいな」
本当に害のなさそうな顔。でも油断はできない。何と言っても、あの蒼琉や黒己の仲間なのだから。
「もっと自分の肉体を大切に扱わないと可哀想だよ。随分と酷使してきたようじゃないか」
「……疲れているのは私だけじゃないわ」
「意地っ張りだね。そんなところも素敵だよ。一緒に寝てもいいかい?」
いきなり瞬が、美恵と珀朗の間に腕を伸ばした。
「冗談だよ」
珀朗は今度は瞬に向かってニッコリ愛想を振りまいたが、瞬はさらにご機嫌斜めのようだ。
「蒼琉は君の事は生かしておくらしいから安心していいよ」
「……どうして?」
「君は科学省の内部にも詳しいだろうし、何より蒼琉自身が君を気に入っている。
だから、君さえ蒼琉の機嫌を損ねなかったら殺される心配はないよ。良かったね。僕も心から君の無事を祈っていたんだ」
「……特撰兵士は捕らえたの?」
自分の命が助かるとか、そんなことは問題ではない。今、一番重要なのは、そのことだった。
「いや、まだだよ。でも心配しなくても、そのうちにつれてくるさ。紅夜が捕獲に乗り出したからね。時間の問題さ」
(何てスピードだ、100メートル11秒で走れるオレが引き離せないなんて!!)
貴弘は全速力で走っていた。その差は広がるどころか徐々に縮まっている。
このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
下手に体力を消耗するより体力が残っている間に決着をつけたほうが良い。
貴弘はクルリと向きを変えると、黒己の間合いに飛び込んだ。
人差し指と中指を同時にたてて、それを黒己の顔面に突き出した。
目だ!まずは目を潰して視力を奪ってやる!!
それは軍人でもテロリストでもない普通の中学生の考える事ではなかった。
なかったが、貴弘はここ数日の異常な状況のせいで、すでにまともな中学生でいることのほうができないと早々と覚悟している。
覚悟しているから、こんな残酷なこともすぐに決断することができたのだろう。
問題は相手も普通の少年ではなかった事。普通どころか異常も異常。人間の範疇すら超えている。
黒己は素早く上半身を後ろにそらすと、そのままブリッジの体勢、さらには体操選手のように回転。
ハムスター愛用の回し車のように猛スピードで何回も回転。思わず呆気にとられる貴弘。
回転が止まったかと同時に、今度は黒己が走ってきた。
貴弘の間合いに一気に侵入。しかも黒己の手がピースの形をとっている。
もちろん平和の象徴ピースではない。先ほど貴弘がしたように目潰し攻撃に出たのだ。
貴弘は咄嗟に腕を自分の目の前にあげた。
だが黒己が突き刺したのは目ではなく、貴弘の喉。
「……っ!」
貴弘は勢いで飛ばされ、床に叩きつけられる。
「……っ」
息ができない。喉全体に痛みが走る。呼吸困難だ。
「……知っているか?オレがもっとも嫌いなことが何か」
ゼエゼエと荒い呼吸をしながら、貴弘は黒己を睨みつけた。
「一つ、目をつけた美しい花を横取りされること。もう一つは、この肉体を格下の下種に傷つけられる事。
オレはそれを短時間で経験した……この怒り……この恨み……」
「…………」
「貴様がミンチになることで晴らさせてもらう。オレは冷静にならなければならない。その為に……細切れになれ!!」
「待て!!待ちなさいよ!!」
「逃げられると思っているのか!!?大人しくオモチャになりなっ!!」
本当にしつこい。だがそれでいい。
徹は頭の中で見取り図を広げていた。この廊下を突き当りまで走る。その後は左だ。
沙黄と紫緒はF5だから戦闘能力はあるだろう。
だが二人とも所詮は生身の人間。
しかも幸いなことに、二人は銃火器を所持していない。徹が目をつけたのはそこだった。
特撰兵士は人並みはずれた戦闘能力を持っている。
しかし、その最たるものは銃火器の扱い方においてだ。
当然、F5にしてもそうだろう。連中に超能力でもあれば話は別だが。
そんな無防備な二人が、猛獣の群れに放り投げられたらどうなる?
しかも、相手が猛獣なんて可愛いしろものじゃないモンスターだったら?
徹は逃げながらも口の端が上がるのを押さえられなかった。
自分でも、よくこんな残酷なことを思いつくものかと感心する。
徹は何度もF4の群れと遭遇した。美恵がF4の集団と遭遇した場所もしっかり覚えている。
そのエリアを中心に、F4は活動していた。
あの近くには非常用階段もあり、F4たちはそれを使って下の階などにも移動している。
あるはずだ。このエリアにも、F4が集団で固まっている巣窟が。
徹は、廊下の突き当りを左に曲がり、さらに走った。
「行き止まり?」
壁じゃない。何かの体液によって固まったようなもの。
まるで樹脂のようなもので作られた即席の壁。
「見つけた……」
徹は、ライターほどの小型爆弾を取り出した。
薫が持っていたそれによく似ているが、こちらはせいぜいドアを壊す程度の破壊力。
だが、それでいい。徹は、それを壁に向かって投げた。
壁に接触すると、それは派手な音を発生させながら爆発した。
「何の音よ!!」
徹を追いかけ廊下の突き当りを左に曲がってきた二人は奇妙なものを見つけた。
樹脂のようなもので固まった壁。その真ん中には穴がポッカリ開いている。
「この中に逃げたのよ。バカな奴、確か、この先には研究室しかないはず。
その先は何もない。つまり完全に逃げ場はないわ。
私達のほうが、この基地には詳しいってこと忘れているんじゃないの?」
「本当だよ。さあ沙黄、さっさと追うよ。掴まえたら……今度こそ」
紫緒はククッと笑った。何だか舌なめずりしている。
「わかっているわよ……言っとくけど、あたしが一番目よ」
「……しょうがないな。先に見つけたのは君だし、譲るよ。うふふ」
二人は暗闇の中に踏み込んだ。
「……どこに隠れているのかしら。出てきなさいよ。
もう逃げられないわ。大人しくしていたら気持ちよくさせてあげるから」
「そうそう……いかせて欲しいでしょ?ふふふ」
少し暗闇にも目が馴れてきた。ドアがある、研究室のドアだろう。
扉は開かれ、その下にキラッと何かが光った。拾い上げてみると春見中学校の校章だった。
これがあるということは……二人はお互いの顔を見合わせてニヤッといやらしい笑みを浮かべた。
「この部屋にいるのはわかっているのよ。さーあ、出てらっしゃい」
「子猫ちゃーん。早く言う事聞かないと暴力に訴えちゃうよ?」
二人は研究室に入室。数歩歩いた。まだ徹は隠れているようだ。
「本当に往生際が悪いわね」
「ほんとほんと。ここまで見苦しいと萎えちゃうよ」
……バタン。
「……え?」
「何だ?」
二人は同時に振り返った。ドアがしまっている。
つまり徹はこの部屋にいない。しかし、二人の余裕は全く消えてない。
「やだぁ。もしかして、あたしたちをそんなことで閉じ込めたつもり?」
「ふふ……ここにきて浅知恵なの?あんまり露骨過ぎるとこっちが呆れるよ」
二人はすぐに引き返すとドアを開けようとした。しかし開かない。
「ちょっと開かないわよ」
「つっかい棒でもしたのかな?」
「紫緒、あんた男でしょ。何とかしないさいよ」
「あー、やだやだ。僕みたいに綺麗な人間に男も女も関係なくない?
僕は性別を超えた位置にいる永遠の美しきもの……んふふふ」
「いいから早くあけてよ!逃げられちゃうじゃない!!」
「しょうがないな。一つ貸しにしておくよ」
紫緒は二歩下がると、ドアに向かって強烈な蹴りを繰り出しドアを粉砕した。
「さあ、観念して僕等に……」
紫緒と沙黄は感じた。多数の気配を。先ほど、徹が使った爆弾が呼び寄せたのだ、このF4の群れを。
ちょうど、この研究室の二つ上の階で寝ていた連中だった。
「逃げ場がないのはおまえたちだったようだな」
群れのずっと向こうから声が聞える。
「科学省が作り出した化け物同士。せいぜい仲良く宴でも開いていろ」
徹はそれを捨て台詞に身を翻す。あっと言う間に足音が遠のいていく。
もちろん、徹を追いかけたF4もいたが、それは、たったの二匹。
15匹はいたであろうF4をこれから丸腰で相手にしなければならない二人を思うと憐れとさえ思う。
「こちらも片付けないとな」
徹はある程度の距離を走ると、立ち止まった。
遠くでF4たちの不気味な声が聞える。どうやら襲撃開始のようだ。
「……終わりだ。後は……おまえたちだけだな」
徹はやや手こずったものの、二匹を片付けると面白そうに歩き出した。
F4たちの声はまだ聞える。随分と派手にやっているようだ。
すでに沙黄と紫緒、二人の死を確信していた徹は余裕で歩いていた。
(後は美恵を捜すだけだ。早く見つけて守ってやらないと)
その時、F4たちの声が悲鳴に変わった。
(何?)
なんだ、あの声は。先ほどの襲撃に狂喜していた声とは違う。
まるで……あれでは、あいつらのほうが襲われているみたいじゃないか。
二人は武器を持っていなかった。いくらなんでも丸腰でF4の集団相手に勝てるわけがない。
やがて悲鳴は消え、辺りがシーンと静寂に包まれた。
「…………」
徹は嫌な予感がした。
(……まさか)
すぐに、この場から離れたほうがいい。武器を手に入れなければ。
再び頭の中に基地の見取り図を広げた。武器が置いてある場所は多数ある。一番近くは……。
(この廊下の先にある警備室だ!)
徹は走った。その時だ、天井が、バリバリと突き抜けた。何かが落ちてくる。
「何だと!?」
突き抜けたのではない。半分、溶けかかってもろくなった天井が崩れたのだ。
そして、落ちてきたのはF4の死体だった。
「……よくも、舐めたマネしてくれたわね……ぼうや」
「……っ!」
徹は身構えた。天井に今しがたできた穴から沙黄が飛び降りてきた。
「貴様……っ!」
「……年下だと思って優しくしてあげりゃあつけ上がりやがって」
この僅かの時間に外見が凄まじく変貌している。
服は所々引き裂かれ、肌に爪痕が。沙黄の自慢の顔にも、目の上に、引っ掛かれた傷。
最も酷い傷は、沙黄の右腕だ。F4の血液がかかったのだろう。表皮が溶け、火傷状態になっているのだ。
「……許せない。あたしの体を……あたしの肉体美を……」
何より、変わっていたのは沙黄の形相だった。
先ほどまでは、どれだけ徹の美意識に合わずとも、世間一般の常識から言ったら沙黄は間違いなく美女だった。
しかし、今は鬼のような恐ろしい顔をしている。
「……男のほうは死んだのか?」
「知らないわよ!あいつならF4の血液でできた穴に落ちていったわ!!」
「…………」
「殺してやる……あたしのモノの分際で……あたしをこんな目に合わせるなんて。
あ、あんたなんて……あたしのモノのくせに……あたしのモノなのにぃぃー!!」
スコーン!爽快な音が黒己の後頭部に響いた。もちろん黒己からしたら溜まったものじゃない。
貴弘に消火器で殴られてできた傷がさらに広がった。傷口からプシューと血が噴出す。
「だ、誰だ!!邪魔しやがって!!」
黒己はウサギより血走った目で振り返った。
「その姿……貴様、F5だな」
男が4人立っていた。全員、愛想の欠片もない表情をしている。
だが、その4人のうちの2人。その2人に黒己は本能的に敵意を感じた。
ムカムカする。こんな気持ちは生まれて初めてだ。
「……貴様等、何なんだ?」
黒己は完全に貴弘から興味をそがれていた。
「おまえたち……何なんだっ!!」
黒己は走った。まるで重戦車のような迫力だった。
そして毒を仕込んだ太い針を取り出すと、その2人に襲い掛かった。
うち、一人がスッと前に出た。そして、黒己の攻撃を避けると、思いっきり顔面を殴りつけた。
黒己が飛んで行く。壁にぶつかる。
「……お、おまえたち……気に入らない……はぁー……はぁー……気に入らない……何なんだ、おまえたちは……?」
黒己を殴った男が自己紹介をした。
「オレは堀川秀明。こっちは高尾晃司だ」
「……Ⅹ4に……Ⅹ5!?」
「これで満足か?だったら話は早い。急かすようで悪いが、早速死んでもらうぞ」
【残り24人】
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