「……な!」
何だとっ!?
「だから……さっさと離しな、うっとおしいんだよぉ!!」
黒己は自分の足首を掴んでいる勇二の手を蹴り上げた。
「……と、いうわけだ。だから、女の命は保証してやる。
オレの大事な大事な花嫁だからなぁ……傷一つつけないぜ」
「だ、誰が花嫁よ!?」
「あー?理解してなかったのかよ。お・ま・え……フフフ」
「何をバカなことを言っているのよ!!」
「……心外だな……オレは本気だ。……とにかく、そういうことだ。
おまえのことは大切に扱ってやる。心配するな。誓ってやってもいい。おまえには指一本触れない……」
黒己はニヤっと笑みを浮かべると、「長居は無用だ。アーハハハハっ!!」と高らかに叫び突然猛ダッシュ。
「あ!……美恵っ!ま、待ちやがれ、この変態野郎っ!!」
そして、廊下の先にある非常階段までくると、階段を降りるのも面倒なのか、そのままヒラリと飛び降りた。
勇二が駆けつけた時には、黒己のシルエットが遠ざかるのがチラッと見えただけ。
慌てて、勇二も非常階段を飛び降りたが、その時には黒己の姿は影も形もなかった。
「……美恵」
もちろん美恵の姿もない。完全に消えた。足音さえも聞えない。
「…………バカな」
呆然とする勇二。背後から足音が近づいてきた。
「和田っ!!」
桐山だったが、勇二は振り向きもしない。
「天瀬、天瀬はどうしたっ!?」
勇二は桐山の声が聞えないかのように、ただ呆然と立っていた。
Solitary Island―122―
(……美恵)
頭が痛い……瞬は額にそっと触れた。血がまだ乾ききってない。
(あの淫乱女……余計なことをしてくれたな)
美恵のことは黙りとおしたが、もう奴等には通用しない。
あいつら、きっと今頃血眼になって美恵を探しているはずだ。
(……こんなことなら、あの時、助けなければよかったかもしれないな)
瞬は、あの反吐が出そうなくらい忌々しいクズのことを思い出した。
よぼよぼで、狂気にとりつかれたギラギラした目を持った、殺しても殺したらない男・塩田のことを。
『F5……奴等もわしの作品だ。奴等のプロジェクトにはわしも参加しておったからな。
じゃが、奴等は危険な存在じゃ。Ⅹシリーズとは大きく異なる。
科学省を裏切る危険性もあった。そのくらい危険な奴等じゃ。
だから前もって保険をかけておいた。その保険があるから科学省の連中は枕を高くして眠れる。
そうでなければ、とてもじゃないが、あんな連中を野放しにしてはおけぬからのう』
(……余計な保険をかけてくれたものだ。
そのせいで連中は優秀な遺伝子を持った女には強い興味を抱くようになってしまった)
ガチャ……ドアが開いた。
「気分はどぉ?」
その顔を見た途端、瞬はフイっと顔をそらした。
「あー、せっかくのハンサムが傷ついちゃったわね。あいつホント手加減ないからぁー」
(……うっとおしい女だな)
「ねえ……」
沙黄はベッドに背もたれして床に座っている瞬の隣に座り込むと、媚びた態度を取り出した。
「あたしと仲良くしない?」
腕に絡んでベタベタしてくる。
「しない。さっさと出て行ってくれ」
「えー、せっかくだから遊ぼうよ」
「遊ばない。さっさと消えてくれ」
「そう言わずにさぁ。ね、ね?今なら蒼琉たちもいないし」
瞬の目つきが変わった。
「ブルーたちがいない?」
「うん、そう。今いるのはあたしとー、翠琴と珀朗だけ」
(……それでも三人も残っているのか)
「だーかーらー。あたしと仲良くしよう。ね?」
「おまえはオレを殴った奴の女じゃないのか?」
「はぁ?黒己ー?まさか、あんな変態」
「その変態とそういう関係なんだろう」
「ただのコミュニケーションよ。あいつ、あっちのほうは上手いから」
「……ドアが開く音がしたな。遠くから」
「んー?多分、あいつらが帰ってきたんだよ。あー残念」
「確か、この部屋に研究の資料があるはず……」
晶は単独であるエリアに来ていた。ドアの誤作動もなくF4とも遭遇せず。
驚くくらい簡単にたどり着くことが出来たのだ。
「……真っ暗だな」
電気スイッチは……これか。押すとパッと辺りが明るくなった。
「……なんだ、これは」
書類が散乱している。保管金庫が無理やりこじ開けられた跡もある。
「……誰かがぶっ壊して中身を見たんだな」
厳重に保管されている書類。おそらくF5に関するものだ。
(……思った通りだ。奴等の資料だ)
F5の観察日記だな。ただ、ドイツ語で小難しい専門用語が多いが。
(ドイツ語で良かったぜ。オレが読めない外国語だったら、お手上げだった)
F5は7人……女もいるのか。顔写真付きだ。ご丁寧に。
(それにしても、誰が金庫を壊してまでコレを読んだんだ?)
書類をめくっていた晶の手が止まった。
(……これは)
F5の遺伝子に関する資料だった。
(……そういうことか。これでわかった、あいつらが科学省を裏切って反乱を起したわけが)
晶は、その書類を折り曲げポケットにしまった。
(おそらく連中は、このことに気付いていたんだろうな。だが実際にそれを確認するのと、想像で終わるのとはわけが違う。
想像が現実になった瞬間、奴等は怒り狂ったんだ。科学省もとんだヘマをしたものだぜ。奴等にばれるなんて)
「これで、あいつらが、たった二日で基地破壊なんてバカなゲームを仕掛けたわけもわかった。
あいつらには元々自分の命を守ろうという観念がなかったんだ。最初から何もないのと同じ状態だったんだからな」
晶は溜息をついた。
(随分とふざけた連中だと思ったが、この秘密をしった以上やりにくいな。
オレはこういう、ほかっておいても、いずれ滅びる連中は基本的には相手にしたくない。
はっきり言って無駄な労力だ。余計なことをするのは好きじゃない)
だが現実問題として奴等は宣戦布告してきた。
そして、「お断りします」などと丁重に断ったところで、「はい、そうですか」とは言わないだろう。
「……とりあえず美恵の存在は隠しておいたほうがいいな」
連中に知れたら何をされるかわからない。
(早乙女が奴等に全てを話している可能性もあるからな。全く、厄介な連中と手を組んでくれたぜ)
晶は知らなかった。すでに美恵は攫われていることに。
晶が手にしたF5の情報は、科学省の冷酷さを物語るものだった。
科学省はF5の戦闘能力を高めるために、遺伝子に残忍性、凶暴性を人為的に植え付けた。
しかし、同時に、そんな彼等を恐れたのだ。
だから、万が一にも、彼等が科学省を裏切ったときのことを考え保険を二つかけた。
彼等が勝手に増えないようにした処置だ。
一つは、同族同士では繁殖できないようにした。
だから、彼等は同族の女には基本的にはあまり興味がない。
個人的にタイプなら話は別だろうが、五人とも沙黄や翠琴はタイプじゃない。
そして、もう一つ。これが決定打だった。
だが、その保険が連中にバレ、連中はこの島の人間を皆殺しにした。
「科学省も本当にバカな連中だ……自分で自分の首をしめるとは、まさにこのことだな」
「……ん!」
助けを呼ばれないように口にハンカチを詰め込まれた美恵を抱えたまま疾走する黒己。
そしてエレベーターに乗り込むと『R』のボタンを押した。
『パスワード』と表示される。すぐに打ち込む。
パスワードがないとレッドゾーンには直行できないのだ。
危険な猛獣も同然の連中の育成区域なので無理もないが。
エレベーターのドアが閉まると、黒己は嬉しそうにその場に座り込み美恵を抱きしめハンカチをとった。
「乱暴なことをしないと言っておいて……どの口から言ったのよ!!」
「……んー、そんなに怒らないでくれ。これでも優しくしたつもりだから」
黒己は嫌がる美恵を抱きしめると、ペロッと頬を舐めた。
「……っ!」
「……んー、美味だ」
「この……っ!」
平手打ちを飛ばすもあっさり防御されてしまう。
「……乱暴なことはしないでくれ……オレはおまえと仲良くしたいんだ」
「……私はごめんよ。私は、あなたについていく事は承知したけど、セクハラの被害者になることには同意してないわ」
「んー……頑固な女だな。でも……そこもそそる……ふふふ」
黒己は必死に胸を押し返して離れようとする美恵にさらに密着すると、その頬にツツーと指を這わせた。
「……どうして涙は塩辛いか知っているか?」
「塩分があるからに決まっているじゃない」
「……違う。涙は人間が……いや、全ての生き物がかつて海から生まれたという証なんだ。
オレも……おまえも……海から生まれた。だから……涙は海の味がするんだ。
男にとって女は海なんだそうだ。荒波で扱いにくい……かと思えば、穏やかで恵みを与えてくれる。
だから……おまえも、オレの海になってくれ。お互いの海になって……溶け合おうぜ」
「な、何するのよ!!」
押し倒された美恵は必死になって黒己の胸を叩いた。
「……エクスタシー」
タイミングよく(黒己にとっては悪いかもしれないが)エレベーターのドアが開いた。
「……黒己、あんた、何やってるの?」
覚めた目で見下ろしている沙黄が立っていた。
「……オレたちの営みを覗き見するなよ。H」
「エレベーターのドアが開いたら、あんたがいたのよ」
黒己が沙黄に気を取られた隙に美恵は慌てて黒己の下から這い出てきた。
「……とこで、誰、その女?」
「……クフフフフ……聞いて驚け」
黒己は美恵の肩を抱いて立ち上がると胸を張って言った。
「オレの女房だ。ワイフだ」
「つまり攫ってきたわけ?」
「人聞きの悪いこというな。脅迫して連行しただけだ」
ご機嫌の黒己とは裏腹に、美恵を見るなり沙黄は不機嫌な表情を見せた。
「……なんだか、この女、気にならない。……すごく気に入らない」
沙黄はツカツカと美恵に近づくと、顎を掴み顔を上げさせた。
そして、その顔ををジロジロと見て、再び、「……気に食わないわね」と言った。
どうして、これほど気に入らないのか沙黄自身わからない。
きっと、美恵が美人というのも気に入らない要素なのだろうが、それ以前に本能的に嫌なのだ。
「……どうしてだろう?」
「簡単だ。おまえより美人だからだろう。
何しろ、オレの女房に選んだ女だからな。な?」
「何ですって!?」
「そうだろぉー?オレが選んだ女だぜ。ま、そういうわけだから、おまえとの関係も終わりだ。
おまえとはもう寝ない。我慢できなかったら他の奴等に相手してもらえ」
「いい加減にして!!私を何だと思っているのよ!!」
あまりにも一方的な黒己の将来設計図に美恵は頭にきて叫んだ。
叫んだ途端に黒己が慌てて美恵の口を塞ぎ、「シーシー」と自分の口の手前に一本指を立てジェスチャーした。
「静かにしろ……いいか?静かに……だ」
黒己は辺りをキョロキョロと見渡した。
シーンと静寂さが漂って猫の子一匹でてこない。
「……どうやら、他の連中は帰ってきてないみたいだな。フー……良かった」
心から安堵すると、今度は真剣な眼差しで美恵に言った。
「……いいか?声を出すな。物音も立てるな」
「…………?」
口を押さえられているせいで声は出せない。
しかし、目で『どういうこと?』と訴えたことは通じたようだ。黒己は理由を語りだした。
「……ここにはオレの他に四人も男がいる。普段、女なんか見てないような連中だ」
沙黄が頬を膨らませて、「失礼しちゃう」と不満を言ったが、もちろん黒己は聞いてなどいない。
「女に飢えているんだ、あいつらは。オレと違って理性があるのかも怪しい」
「あんたに言われたくないわよ」
沙黄がまたしても口をだしたが、黒己はもちろん聞いてない。
「そんな連中におまえの存在がばれたらどうなる?
狼の群れに羊を放り込むのも同然だ。あー!考えただけでおぞましいぜ」
沙黄はもはや何も言わなかったが、目で「おまえがいうな」と言っていた。
「だから静かにしろよ……いいな?」
美恵がコクっと頷くと、ようやく黒己は口を押さえていた手を離してくれた。
「……と、いうわけだ。いいか沙黄……このことは誰にも言うなよ」
「蒼琉にも?」
「当然だろ。あいつにばれたらトンビに油揚げどころじゃない。
この女はオレのものだ……オレが見つけて連れて来た。
今更、他の男に目をつけるなんて冗談じゃない……」
「ねえ、それより、この女、一体何者なの?」
「だから言っただろ。オレの女房だ」
「……何だか、この女ムカつくのよねー。見ててイラつく」
「それも当然といえば当然だな。この女の体にはⅩシリーズの血が流れているんだから」
「……何?」
「Ⅹシリーズだ」
「……それでわかった。この女の顔が気に食わないわけが」
「おまえが気に食わないのなんか問題じゃないんだよ。
オレが気に入ったらそれが全て……オレはエクスタシーなんだ……」
「……ちょっと」
「今まで、おまえや翠琴で我慢してきたんだ……もう二度と我慢はしない……んふふふ」
「……ちょっと黒己」
「しかもだ。おまえたちみたいな穢れた女とは違って正真正銘の処女だぞ。
匂いでわかった。誰にも穢されてない女をオレが染めるんだ。
ああー!!白雪を泥靴で踏んでしまわないと気がすまない気持ちそのものだー」
「……いい加減に」
「いいか、おまえたちみたいな下等な女が近づいたら変な影響受けるから寄るなよ。
何しろ純粋培養されただけあってみろよ、全身から滲み出るような知性や品性。
おまえみたいな胸がでかいだけの女とはレベルが違うんだよレベルが」
「何よ、こんな女っ!!」
パチンっ!!沙黄の怒りは黒己ではなく、なぜか美恵の頬に炸裂されていた。
「……っ」
頬を押さえて沙黄を見る美恵。
「……何をするのよ」
「それはこっちの台詞よ。どうやって、このバカたぶらかしたのよ!!」
「……あ……あああああ」
「何よ、黒己。何か文句ある?」
「……な……ななななな」
「何よ。いいたいことあるなら、さっさと言えばー?」
「何てことしやがるんだぁぁ!!オレの花嫁だぞぉぉー!!
てめえの顔が変形するまで殴りたおしてやろうか沙黄ぃぃー!!」
「なーにが花嫁よ。どうせ押し倒すことしか頭にないくせに」
「オレを見損なうなー!オレだってなぁ、本来はロマンチストなんだ!!
だから、急いで式だけ挙げてことに及ぼうと考えてるんだよ!!」
「な、何が式よ!」
「美恵、おまえは黙ってろ!!黙って病めるときも健やかなるときもオレに付いてくればいい!!」
「誰がついて……」
ついて行くものですか、と叫ぼうとした途端、黒己が再び口を塞いできた。
「答えはもちろんイエスだ。あー、他は省略、『黒己ー、汝はこの女を妻にすると誓いますかー?』
答えはもちろんイエス、イエス、イエス!!これで結婚終了!ただ今をもって、オレたちは夫婦だ。文句あるか?ああっ!?」
黒己は沙黄を指差すとさらにボリュームを上げて叫んだ。
「オレたちは、たった今結婚の誓いをした!オレと美恵はもう夫婦だ。今度、美恵を殴ったら、殺すぞ!!」
「ふん……こんな女に骨抜きにされてカッコわるー。もう知らない!」
「こっちの台詞だ!!わかったら、さっさと消えろ!!二度と美恵に近づくな!!」
「わかったわよ。何さ、こんな女」
沙黄は、美恵に舌を出し、アッカンベーと子供みたいなマネをするとスタスタと歩き出した。
「全く……なんて女だ。だから、あいつじゃあエクスタシーを感じなかったんだ。
でも安心しろ美恵。これで、もう大丈夫だから……」
「ああ、そうそう、一つ言い忘れたけど」
「何だ。まだなにかあるのか、このバカ女」
「蒼琉たち……あんたが帰ってくる五分前に戻ってたのよ。聞かなかったら教えなかったけどねー」
「……なっ!!」
黒己は一気に顔色を失った。沙黄は楽しそうにスキップをして行ってしまった。
「……蒼琉が……帰って……来てる?」
黒己は顔面蒼白で美恵を抱き上げた。
「お、おろして!!」
「黙ってろ!!」
まずい!とりあえず、ここを出よう……科学者たちの寝室、あそこに行こう!
黒己はエレベーターに乗り込もうとした。
「どこに行く気だよ黒己」
ハッとして振り向くと紫緒が立っていた。
「随分と大声だったよねー。もう耳塞いでても聞えるくらいだったよ」
「……て、てめえ」
「で?……誰、彼女……僕にも触らせてよ」
紫緒が近づいてきた。
「触るなぁぁー!!コレはオレのものだ、オレの女だ!!」
「誰の女だって?」
今度は別の方向から声がした。しかも気配は一つじゃない。
ぞろぞろと何人も出てきた。黒己は必死になって美恵を抱きしめた。
「いいか、よく聞け、おまえら!この女はオレのものだ!!寄るな、触るな。この女には手を出すなっ!!」
【残り25人】
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