美恵は慌てて、取り急ぎ一番近くにいた秀明の腕を掴んだ。
「横山が殺されたことは聞いたか?」
「ええ……でも、どうして早乙女くんを」
「Fシリーズはまだここには入ってない。にもかかわらず死人が出た。
やったのはFシリーズではなく、ここにいる連中の誰かだ」
それは推理としては妥当だが、遠まわしに何の証拠もない瞬を犯人と決め付けているものでもあった。
「まって秀明!証拠は……証拠はあるの?」
「証拠なんか必要ない。危険な人間はすぐに動きを封じる」
これが民事裁判ならとんでもない人権侵害だろう。
だが戦場においては、それほど非常識な行為でもなかった。
美恵もそれはわかっているつもりだが、突然の出来事に途惑い、即賛成などとは言えない。
軍に身を置く美恵でさえそうなのだから、一般の生徒たちは尚更だろう。
突然の晃司たちの豹変に皆驚愕し、そして恐怖を感じた。
「待てよ!早乙女が横山をやったのを見たって奴がいるのか?
物証どころか状況証拠もなしに。おまえたちは間違っている。こんな時に仲間割れなんて!」
一番に異を唱えたのは伊織だったが、目の色が変わっている雅信が銃を向けるとすぐに口をつぐんだ。
「あーあ、こうなったらテコでも動かないね。自由にさせたら?別に殺すっていうわけでもないしさ」
伊織とは反対に洸はまるで西部劇でも見ているかのような軽い感覚でそう言った。
「おまえは美恵の命の恩人だ。だから今は何もしない。今はな」
晃司はロープを取り出すと、瞬の両手首を縛り上げた。
そして、そばにあった椅子に押し付けるように座らせると、「大人しくしろ」とだけ言った。
その後の説明は隼人がした。
「早乙女、おまえには24時間体制で常に二人以上の人間が見張る。妙なマネをすれば、命の保証は一切しない。いいな?」
Solitary Island―112―
「じゃあ、そのメールの中身は見てないのか?」
「ええ」
瞬を拘束した晃司たちが次にしたことは別室での美恵への質問攻めだった。
「おまえを気絶させた人間の顔も全く見てないのか?」
「そうよ」
「本当に早乙女じゃないのか?」
「一瞬だったのよ。顔の確認なんかする暇はなかったわ」
「そうか」
そのメールは削除されていた。メインコンピュータに残されていたオリジナルも完全消去だ。
だからこそわかる。横山殺しはFシリーズの仕業ではないと。
所詮は獣のあいつらにメールを削除する理由も、まして削除する技術もない。
「しかし、一つだけわかんねえ。何で、美恵のことは殺さなかったんだ?」
俊彦の疑問はもっともだった。康一は首に一撃。その一撃で骨が折れていた。つまり即死だ。
当然、女の細首に一撃加え殺すことなど容易いはず。
だが、美恵は気を失わせられただけで外傷もなかった。
「メールの中身を見てなかったからだろ。少しは頭を働かせろ!」
勇二がすかさず俊彦に悪態をつく。
確かにメールの中身を見てなかったからといえばそれまでだが。
だが、簡単に人の命を奪うような奴が、そんな理由で命を助けたとも思えない。
「あれこれ考えてもしょうがない。早乙女からは今後絶対に目を離すな」
メールの中身は何だったのか?
それが殺人の動機なら、余程見られては困る内容だったはず……。
「……オレに何か用なのか?」
瞬は小さな部屋に閉じ込められ常に特撰兵士に見張られている。
その異様な雰囲気に、クラスメイトたちは誰もが近寄らずにいたのに一人だけ例外がいたようだ。
「おまえが殺したのか?もし、そうなら何故天瀬は殺さなかった?」
「殺して欲しかったのか桐山?」
「いや、それはして欲しくない」
それははたから見ても妙な会話だった。
瞬はドアの外に立っている見張りに気を配りながら小声で言った。
「桐山和雄、おまえもオレと同じだな」
「どういうことだ?」
「オレと一緒だ。自分の意思など関係なく押し付けられた過去を持っている」
桐山には、瞬が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
「警告だ。奴等はおまえの味方じゃない」
「味方じゃないなら敵なのかな?」
「そういうことだな。せいぜい気をつけろ」
「おまえは変なことを言うんだな。今、おまえが言った台詞を連中に言えばどうなる?」
「オレは奴等に無理やりこんな所に監禁されたんだぞ。
その奴等がオレの味方なはずないだろう。つまり敵だ」
「それもそうだな」
桐山は簡単に納得してしまった。
奴等は仲間じゃない奴には疑心だけで何でもすると言ってもいいから。
だが、押し付けられた過去を持っている、という言葉だけには納得できなかった。
確かに自分には約二年あまりの記憶が無い。
それと関係あるのか?
桐山が、それを質問しようとした時だった。
電灯が――消えた。
「きゃあ!な、何よ、真っ暗じゃない!!」
突然、電気が消えた。人間は暗闇を恐れる。
それは、この異常な状況の中、通常より倍増された恐怖があった。
何があった?いや、誰が電源を切った?というほうが正しいだろう。
「おまえたちコンピュータルームに行くぞ!」
川田は懐中電灯を素早く取り出すと、子供たちには動かずにジッとしていろと指示をだした。
そして貴子と光子には子供達を頼み、コンピュータルームに急いだ。
そこには、すでに特撰兵士たちが集結していた。
(瞬の見張りをしている直人と俊彦はいなかったが)
「何があった?」
川田は開口一番そう言い放った。
「電源を切られた」
わかっていたことだが、いざはっきり言われるとさすがに焦る。
こんな時に電源が切られるなんてセキュリティーシステムも全て無効化。
死への入り口に向かってスピードアップするようなものではないか。
問題は電源を切った奴だ。誰もはっきり言わないが、F4以外にはありえない。
「バカな!奴等は下等生物じゃないか!!」
否定するかのように七原が叫んだ。
「だが実際に切られた。しかも主電、副電、予備まで全部だ。
三つの電源が同時に落ちるなんてシステム上ありえない。事故なんかじゃない。間違いなく奴等の仕業だ」
冷静に言い放つ隼人に七原はうっと呻いた。
「……か、川田!」
「何とか電源を復活させないとな……でないと何も出来なくなる」
その言葉を待っていたかのように、秀明が一枚の図をテーブルの上に広げた。
「三つの電気ケーブルはそれぞれコンクリートに埋め込まれている。
ケーブルを切断されたとは考えにくい。おそらくブレーカーをやられたんだ。
それだけは埋め込むわけにはいかないからな。壁から剥き出しの状態なんだ」
図に赤ペンで丸がつけられていく。
「こことここ……それに、ここも。計15箇所に管理ルームがある。
そこにブレーカーもあるはずだ。奴等のことだからご丁寧にスイッチを切るわけがない。
多分、壊しまくったんだろう。応急処置でつなげないと」
「……よし、七原、三村、オレたちで五箇所ずつ分担しよう」
「おい、おっさん。あんたたちだけでやろうってのか?修理時間考えたら10分や20分じゃ済まないんだぜ」
勇二は相変わらず悪態をついたが、それは事実だった。非情な現実だ。
「一人一箇所ずつだ。それなら往復時間と修理時間含めても最大で30分ほどで終わる。
もっとも、F4に見つからず、邪魔もされずに帰ってこれたらの話だがな」
晶の意見に七原は慌てて、「子供にそんな危険なことさせられるか!」と叫んだ。
「オレたちは特殊な訓練受けたプロだぜ?普通のガキと一緒にしないほうがいい」
「だ、だが……この避難エリアを出て化け物がうようよいる場所に行くんだぞ?」
「このエリアだって100パーセント安全じゃない。それは、さっき証明されたばかりだろう?」
七原はまだ何か言いたそうだったが、川田が制止した。
「その坊主の言うとおりだ七原。このままじゃあ、遅かれ早かれ全員死ぬかもしれん。
だったら、危険を承知でやるしかない」
こうして川田たちと特撰兵士11人は一時的にしろ緊急避難エリアから出ることになった。
無事に戻ってこれるか保証などない。
「生きて帰る保証はない……か。そんなことオレたちには日常茶飯事だ」
直人は皮肉を込めて呟いた。死ぬのは覚悟している。
だから今行動するのも当然の行為。だが、一つだけ気になることがある。
「早乙女はどうする?」
瞬の見張りがいなくなる。それだけが心残りだった。
だが、今は瞬が最優先ではない。
「……他の連中に見張りをさせるしかないか」
「奴はF4を一人で殺した奴だぞ?いざとなったら……」
「だが、そうするしかないだろう」
瞬は個室に閉じ込められ、武器も取り上げ体の自由も奪われている。
それでも不安は残るが、今は瞬にかまっている暇もない。
仕方なく、残っている連中に銃を持たせ瞬の見張りをさせることにした。
警告として、絶対に守れと三つの事を言い残して。
一つ。絶対に瞬を監禁している部屋から出さないこと。
二つ。絶対に常に三人以上の体制で見張ること。
三つ。絶対に瞬にセットした銃口を下ろさないこと。
その三つを約束させて14人は避難エリアから姿を消した。
「……内海、おまえもオレを疑っているのか?」
瞬は、ライフルを構えたまま同情的な目で自分を見詰める幸雄に質問した。
その口調は、先ほど桐山と対話をしたときの口調ではない。
無口で無愛想だが、普通の中学生らしい、『いつもの早乙女』だった。
「まさか!」
幸雄は慌てて否定すると、「おまえ……大変だな」と、つい本音を漏らした。
「あいつらもさ……クラスメイト疑って、きっと横山やったのだって、あの化け物なんだ。
曽根原襲った奴は猫くらいの大きさだったし、それならどこかの隙間からもぐりこんだ可能性大だろ?
おまえを疑っているのはあいつらだけだよ。あいつら、ちょっと神経質になっているだけなんだ。
少し我慢しろよな。きっと、そのうちに冷静になっておまえを自由にしてくれるさ」
幸雄は精一杯の言葉で瞬を励ましたが、瞬が欲しい言葉はまだ言ってなかった。
「オレはおまえを信じているよ。そう思っているのはオレだけじゃない。なあ、そうだろ?吉田、山科」
幸雄は拓海と伊織を見て同意を求めた。
もしも瞬が演技が下手な人間ならば、この時ニッと口の端を上げていただろう。
「ああ、内海の言うとおりだ。あいつらは、今は普通じゃない。
多分、この異常な状況に精神的にまいっていて早乙女に無意識に八つ当たりしているんだろう」
素早く伊織が幸雄に賛成意見を述べた。
「……ま、オレもクラスメイトを疑いたくは……ないけどさ」
拓海のほうは何だか歯切れが悪かった。
その瞬間、瞬は決めた。幸雄と伊織、このどちらかだと。
この暗闇は瞬にとっては千載一遇のチャンスだった。
ここから逃げ出す為のチャンス……絶対に逃すわけには行かない。
「ねえ、あんたたち。食事の用意が出来たんだけど」
蘭子がやってきた。
「ここまで運ぼうか?」
「オレにかまわずに行けよ。縛られている上に、ドアには鍵だろ?
とてもじゃないが逃げ出せそうにない。第一……外のほうがずっと怖いしな」
瞬は疲れきった声で俯きながら言った。
「……あいつら無事だといいけどね。このエリアの外は化け物でうようよしているだし」
蘭子も疲れた声だった。もっとも、こちらは瞬と違い本当に疲労しているが。
「鬼頭、オレたちにかまわずに、おまえは少しでも体力つけて休んでおけ。
いざという時、動けなければ話にならないからな」
「あたしは、そんなやわな女じゃないよ」
「ダメだ。その……頼むから」
伊織と蘭子のやり取りを瞬は黙って聞いていた。
(……本当に甘いな。そういう奴はいずれ足元を掬われる)
「早乙女もこんな扱い受けて精神的にまいっているだろう。見張るどころか看病が必要なくらいだ。
内海も吉田も食事して来いよ。ここはオレ一人で十分だ」
「……でも、氷室たちが絶対に早乙女と二人きりになるなと」
「吉田、今の早乙女に何が出来る?」
「……まあ、確かに……そうだな」
その時を見計らったように、瞬が立ち上がった。
「トイレに行きたいんだ。いいか?三人とも付いてくるんだろ?」
「わざわざトイレなんかに三人揃って付いていく必要ないだろ。オレが付いていく。それでいいだろ内海、吉田?」
もし、ここで瞬が『付いてこないで欲しい』などと言えば疑われる。
だから、あえて瞬は『三人とも付いてくるんだろ』、そう言った。
「ああ、そこまで徹底する必要ないだろ」
幸雄はあっさり伊織に同意した。すると拓海も、「それもそうだな」と自然に同意。
特撰兵士と違って一般の生徒たちは自分に対して激しい疑心など微塵もない。
それどころか連中の強引なやり方に反感を持っている。
だから、瞬は大人しく、いつも通りの普通の中学生を演じた。
自分の正体に何の疑いも持たない張感ゼロの人間などちょっとしたことで簡単に操縦できる。
「……ほんと、生きてここから出られるのか。もしかしたら、あたしの命運もここで尽きるのかもしれないね」
蘭子は心細くなったのか、つい本音を漏らしてしまった。
「……鬼頭、何を言うんだ。きっと帰れる。オレがそうさせて見せる」
「そう」
伊織は精一杯励ましたつもりだったが、蘭子の態度から残念ながら自分はあまり頼りにされてないと悟ってしまった。
(オレはそんなに頼りない男なのか?)
このまま、その程度の存在だと思われて死ぬのか?
「どうせ死ぬんなら、せめて……」
そこまで言って蘭子は言葉を遮断した。
(……あたしにこんな未練がましい面があったとはね。お笑いだわ)
「鬼頭、後で少しいいか?話したいことがあるんだ?」
「何だい?今、言いなよ」
「その……後で言う。後悔したくないんだ、だから……」
蘭子は伊織が何を言いたいのか、さっぱり見当は付かなかったが、「いいよ」と返事だけはしておいた。
「……じゃあ後でな」
ジャー……洗面台の前でただ手を洗っている瞬。
トイレに入ったと思ったら蛇口をひねって水に手をかざしているだけだ。
(トイレに用があったんじゃなかったのか?手を洗いたかっただけなのか?)
伊織は何の疑問もなく、瞬を背後から見ていた。
俯いているせいか、瞬の表情はまるで見えない。
鏡に映っている瞬の目は前髪が邪魔して見えないのだ。
「あいつらも悪いが早乙女、おまえにも何か問題あったんじゃないのか?」
水の音だけの空間が居心地悪かったのか、伊織はそんなことを話し出した。
「もし疑われるような行為をしたのなら何をしたのか言ってみろ」
「…………」
ただ蛇口から流れる水の音だけが聞え続ける。
「ケンカ両成敗というだろう。あいつらのほうが結果的には間違っている。
だが何事にも原因があるはずだ。それを解決しないと」
瞬は相変わらず何も言わなかった。
「おまえは一年生の頃に転校してきてから、友達といえる人間も作らないし。
それどころかクラスメイトと滅多に口もきかない個人主義者だったな。
個人主義は個人の自由だという奴もいるがオレはそうは思わない。
学校というのは団体生活だ。それになじもうとしないこと自体問題がある。
今回、おまえが目をつけられたのも、そういうことが原因だと思わなかったか?」
瞬は一言も返事をしない。この時、伊織は瞬との距離の中にある異常な雰囲気に気付くべきだった。
「早乙女、おまえ、どうして何も言わない?おまえの、その態度は問題だぞ」
瞬は何も言わなかった。
「どうした早乙女。おまえは言葉を忘れたのか?!」
「……な?!」
その瞬間を伊織は錯覚だと感じた。目の前にいるはずの瞬が消えたのだ。
だが、その姿を探そうと視線を動かす間もなく伊織の意識は完全に途絶えた。
目の前にある鏡。その鏡に瞬がいた。
そういたのだ。瞬は鏡に映っていた。
自分の『背後』にいたのだ。
一瞬で、自分の前から背後に。まるで瞬間移動をしたかのように。
しかし、伊織には反射的に背後に振り向く時間もなかった。
ただ、瞬が鏡に映っていた。その認識だけだった。
なぜ突然目の前から姿を消したのか。
なぜ突然背後に移動していたのか。
そんな疑問が浮ぶ間もなかった。
何が起きたのか、伊織にはまるで記憶がなかった。
鏡だけが知っていた。
伊織が鏡に映った瞬を認識したと同時に、瞬の腕が伊織の背後から首に巻かれたのを。
そして、一気に腕を引き抜き、その時、微かにゴキッと鈍い音がした。
伊織の意識はそこで完全に途絶え、そのままガクッと床に沈みピクリとも動かなかった。
自分に何が起きたのかさえわからずに呆気なく旅立ったのだ。
瞬はスッと屈むと伊織が持っていた銃を奪い、それをベルトにさした。
そして伊織を掃除道具入れに突っ込んだ。
――後にはカッターナイフで切られたロープの残骸だけが残されていた。
【残り28人】
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