殺すと言われて驚かない人間はまずいない。
いるとしたら普通じゃない人間か、普通の社会と大きく隔たりがある世界に生きる人間か、どちらかだ。
そして、この七人は程度の差こそあれ間違いなく普通のレベルの人間。
当然、貴弘の言葉に驚き、そして恐怖を感じている。
もっとも恐怖を感じているのは伊織だった。
なぜなら、伊織は望んでもいないのに地上では貴弘と一緒にいる羽目になった。
その短い間に貴弘が冗談をいう人間でも、まして脅しだけで嘘を吐く人間でもない事を思い知らされたのだ。
こいつは、やるといったらやる。伊織はそう感じたのだ。
だからと言って、まさか本気でクラスメイトを殺そうだなんて思えない。
いや思いたくない。
「……杉村、こんな時にふざけた冗談はやめろ。非常識すぎるぞ。
わかっているのか?今まで、何人殺されたと思っている?
仲間同士が協力しなければいけないときに、どうしておまえは和を乱すことをするんだ?
おまえの行為は正しいとは言えないぞ。もう少し協調性を持ってくれ」
「山科」
貴弘の冷たい視線は、まず最初に伊織にロックオンされた。
「言いたいことはそれだけか?」
貴弘はスッと右拳を握りあげた。
「!」
伊織は殴られると思い、咄嗟に上半身をガードしようと両腕を上げた。
貴弘があげた右手の高さからして、間違いなく顔面から胸部にかけて拳を繰り出す。
伊織はそう判断したのだ。だが――。
「……げほっ……!」
伊織の腹部に貴弘の足が食い込んでいた。
あまりにも強烈な蹴りにガクッと膝が折れ、そのまま腹を抱えた。
「この程度のフェイントに引っ掛かるなんて、はまりすぎて面白くないぞ山科」
床に倒れかけた伊織だったが、貴弘が髪の毛を掴んだので倒れる事も出来なかった。
「……お、おま……えは、間違っている……」
「この期に及んで相変わらず口先だけの正論か山科」
貴弘は伊織を壁に投げつけた。伊織は壁に叩きつけられ呆気なく床に沈む。
「――次」
「……つ、次?」
「次にのされたい奴は前に出ろ。それとも全員まとめてかかってくるか?」
Solitary Island―110―
「な、何だと?!今、何て言った七原!?」
杉村は顔面蒼白になって七原の胸倉を掴んだ。
「だ、だから、おまえの息子さんがオレの息子達を連れ出したんだ!!
部屋の中から凄い悲鳴が聞えてくるし、中から鍵かかってて開かないし!!
オレが何言ってもドアを開けてくれないんだぞ!おまえ、親だろう?何とかしろよ!!」
「……た、貴弘が……貴弘が……」
七原の胸倉を掴んだ手が震えている。
「貴弘がクラスメイトたちに部屋に連れ込まれて暴行されてるだとっ!?」
「そ、そうじゃなくて……」
七原は何か言おうとしたが、貴子がそれを遮った。
「弘樹!!何してるのよ、早く行くわよ!!」
「あ、ああ!!」
二人は猛スピードで例の部屋の前に来た。
タイミングよく、ドアの内側に何かがぶつかったような音がする。
(その何かとは、貴弘に蹴り飛ばされた拓海だった)
「た、貴弘!!」
杉村はドアを開けようとしたが鍵がかかっているせいでビクともしない。
その間にも部屋の中からは物凄い音がこれでもかと聞えてきた。
「や、やめろ!!やめてくれっ!!!」
「ほ、本気なのか?……やめろ、殺さないでくれっ!!」
そんな恐ろしい悲鳴が絶え間なく聞え続けた。
「おい相馬、何があったんだ?」
川田と一緒に医務室にいた三村がやってきた。
「あったも何も、貴子の息子さんが切れちゃったのよ。息子は母親に似るっていうけど、ちょっときつい子よね」
「なんだか杉村や七原のわめく声が聞えたんだが」
「別に大したことじゃないわよ。それよりも洸」
光子は壁に背もたれしている息子に、「ここにおいで」とそばに呼んだ。
「なあにママ?」
「さっき、あの曽根原って娘が口走っていたことだけど」
「曽根原?ああ、あれね」
「あの娘、おまえが自分にプロポーズしたって言っていたけど本当なの?」
プロポーズという単語に三村は少なからず驚いていた。
こんな時でもなければ、「おい冗談はよせよ」と笑っていたのだが。
「ああ、あれ?本当だよ」
「どういうつもりなの?そんなことママ一言も聞いてないわよ」
「そりゃそうだよ。だって、この島に漂流してからプロポーズしたんだから」
「あたしはね洸。いい母親とは言えないかもしれないけど、おまえのことはわかっているつもりよ。
あの娘はどう見ても、おまえの好きなタイプとは思えないわ。
一体、どういうつもりで、そんなことしたの?冗談なの?」
「違うよ。オレ本気なんだ。本気で愛してる」
「……洸」
「30億を」
「……30億?」
光子の表情がガラリと変わったが洸はペラペラと喋り続けた。
「うん、彼女の家金持ちでね。総資産30億だっていうんだ。
だから好きになった。ま、彼女の外見も中身もタイプじゃないけどさ。
でも人間の価値って一部だけみて決められないだろ?」
「曽根原に、あんな魅力があったなんて今まで気付かなかったのは迂闊だったけどさ。
でも気付いたら結婚したくなった。ま、理想としては結婚して次の日離婚して
財産の半分貰うのが最高だけどね。ママにも贅沢させてやれるし」
「…………」
「ママだって常日頃から狙うなら大物狙えって言ってたじゃないか」
「じゃあ、おまえは30億目当てで好きでもない女の子に結婚申し込んだの?」
「だ・か・ら……好きになったの。財産を」
母子の会話を三村は唖然として聞いていた。
(オレも褒められた恋愛なんて一度もしたことないが……でも、あそこまで露骨に財産目当てってのもなぁ。
さすがは相馬の息子だけあるぜ。ここまでオープンだと見事なもんだ)
あの親にして、この子ありだな。と三村は思った。
だが、三村は思っても無い光景を目にした。
何と、光子が手を振り上げたかと思うと洸の頬を思いっきり叩いていたのだ。
「……え?」
「このバカ息子!!」
あまりの勢いに洸は床に倒れこんだ。
「……マ、ママ?」
洸は信じられない目で光子を見た。
自慢じゃないが、光子に叩かれたのは生まれて初めてだったのだ。
「30億目当てで結婚申し込んだですって!!?
おまえは、一体何を考えているの?そんな情け無い男だとは思わなかったわ!!」
「よせよ相馬!!」
慌てて三村が間に入った。
「でも、おまえが、そんなに腹立てるなんて思わなかったぜ。
悪いな、相馬……オレ、おまえは、『上手くやるのよ』なんてほざく部類の女かと思ってた。
おまえも人の子の親だったんだな。安心したぜ」
「おまえの美貌と才覚をもってすれば100億だって夢じゃないのよ!!」
今、何て言った?三村は自分の耳を疑った。
「それなのに、たかが30億で手を打とうだなんて……」
「…………」
「おまえって子は……おまえって子は……」
「……そ、相馬?」
「そんな志の低い男に育てた覚えは無いわ!!」
三村は思った。この女、オレなんかが理解できる女じゃない……と。
洸はかなりショックだったらしくショボンとしていた。
「……ごめんママ」
洸は心底反省したらしく、珍しく殊勝な表情でそう言った。
「……オレが間違ってた。ほんと、ごめんねママ」
「反省した?」
「……うん。ママに殴られて改心しなかったら、オレほんとのバカだよ」
「そう。二度とバカなことするんじゃないわよ」
「わかった」
「それにしても財産目当てでよかったわ。あんな小娘に本気だったらママ失望してた」
光子は椅子に座るとついつい本音を漏らしてしまった。
「何だママ。もしかして妬いてたの?」
「バカね。そんなわけないじゃない」
「バカだなぁママは。あんな女、ママより大事に思うわけないだろ?」
洸は光子を後ろから抱きしめて、「ママが一番に決まっているだろ?」だ。
「この世にママ以上の女なんていやしないよ。だから機嫌直してよ。ね?」
三村は思った。
(……違う意味の『ママ』にしか聞えねえな)
「こ、殺されてたまるか!!……ぐほ……っ!」
「……ひ、ひぃぃー!!も、もう……もぅ……っ」
悲鳴は続いていた。
まるでアクション映画の音響効果のような派手な物音が絶える事が無い。
それが杉村夫妻を苛立たせたが、ドアは丈夫で杉村の蹴りでもビクともしないのだ。
「おい、何の騒ぎだ?」
煙草をくわえた川田がやってきた。
「……ちょっとケンカしているらしいぜ」
三村も駆けつけており、川田に簡単に説明した。
「ケンカ?そんなレベルじゃないだろう……死人がでそうな勢いだ」
川田は煙草を捨てると靴底で火を踏み消した。
「貴弘っ!かわいそうな貴弘っ!!」
「卑怯者っ!!たった一人に大勢で!!」
杉村と貴子は必死にドアを叩いている。
その横で、やはり七原が、「幸雄、大丈夫なのか幸雄!」と叫んでいた。
「七原!!おまえの息子はうちの息子に恨みでもあるのか!!?」
「し、知るわけないだろう!!」
「もし貴弘に万が一のことがあったら、どう責任とるつもりだっ!?」
杉村と貴子の様子だけ見ると、中に貴弘が監禁され暴行されているらしい。
だが、川田はどうも腑に落ちなかった。
「……オレの気のせいか。杉村の息子以外の奴の悲鳴だけが聞えてくるんだがな」
「多分、気のせいじゃないぜ川田。オレもそうなんだ」
その時、この世のものとも思えない絶叫が響き渡った。
「い、嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁー!!死にたくない、死にたくない、死にたくないぃぃー!!」
その言葉を最後に、今までの騒音が嘘のようにシーンと静まり返った。
ガラ……っ。ビクともしなかったドアが開く。
貴弘が立っている。そして、杉村たちを見て、「何かあったのか?顔色悪いぞ」と呟くように言った。
「た、貴弘、おまえ怪我はしてないか!?」
「大丈夫なの?」
杉村と貴子は息子が怪我してないか、すかさずチェックを入れたが幸い無傷だ。
「大丈夫だ。別に騒がれるようなことは何もない。安心してくれ」
「そうか。念のためだ、医務室に行こう」
息子が無事だった事に安心した杉村は今度はふつふつと怒りが湧いてきた。
「最近の子供は親にどういう教育を受けているんだ!!」
「父さん、よしてくれ。子供のことに親が口出しすることほどみっともないことはないんだ」
「だが貴弘……」
「オレはもう気にしてない。言いたいことは全部言ってやったしな」
貴弘は部屋のあちこちで呻き声をあげてダウンしているクラスメイトたちを一度だけ振り返った。
「……まさか、あそこまで必死になって命乞いするなんてな。
見苦しいのを通り越して憐れな虫けらにしか見えなかったぜ。あそこまで取り乱されると、殺す気も失せる」
とどめを刺されそうになった康一が半狂乱になって貴弘の靴を舐めてでも助かりたいくらいの勢いで命乞いをしたのだ。
普通ならカチンとくるが、康一の態度は怒り通り越して殺気を萎えさせるほどのレベルだったらしい。
「それを見たら、こいつらを殺すことがバカバカしく思えてヤル気が削がれた。
そいつのプライドかなぐり捨てた惨めな性格に感謝するんだな、おまえたち。
だが忘れるな。オレははっきり言って本気だった。だから言っておく。
最初で最後の忠告だ。今度、くだらないパニック起したら本当に殺すぞ。
今回だけは勘弁してやる。二度とバカな言動はしないことだな」
「杉村くん……何があったの?」
騒ぎを聞きつけた美恵が部屋から出て廊下に立っていた。
「何でもない」
「でも、さっきの悲鳴。あれは何?」
「バカなことを言い出した連中がいたから少し話し合いをしていただけだ」
「本当なの?また侵入者が出たのかと思ったわ」
「心配するな。仮にさっきの奴がまた来ても、天瀬と母さんだけは守ってやる」
「天瀬はオレが守るから、おまえが守る必要はない」
貴弘は不機嫌そうな顔で、その声の主を見た。
「……桐山」
「おまえは必要ない」
「言ってくれるじゃないか」
桐山の出現に、それまで激怒していた杉村たちが青ざめた。
「……き、桐山……くん」
自分達とクラスメイトだった桐山とはそっくりな別人と思ってもやはり気になるらしい。
特に七原はまるで亡霊を見るかのような目で見るのだ。川田だけは冷静な表情だった。
「……やれやれハデにやってくれたな」
部屋の中には生徒達が倒れこんで呻いている。気を失っている者もいる。
「……おい七原、三村、手伝え。医務室に運ぶぞ。
それから杉村の息子、おまえも来い。
一人で大勢相手にしたんだ、おまえもダメージ受けているかもしれないからな」
「オレがそんな間抜けだと思うのかよ、おっさん」
貴弘はさっさと行ってしまった。杉村夫妻が慌てて後を追っている。
「……全く、可愛げのないガキだ。そうだ桐山、ついでだから、おまえも診てやる」
「オレは怪我してないぞ」
「そういうな。おまえも何度も危ない目にあったらしいからな。念のためだ」
「……痛っ……滲みる」
「おい、男の子だろ。薬塗ったくらいで文句言うな」
七人は気を失うくらい酷い目に合ってはいたが骨折等の重傷ではなかった。
「……あいつ何であんなに強いんだ?ハンパじゃない」
「7人がかりなのに、ほとんど手も足も出なかった……」
(やれやれ……しかし、やり方はどうあれ、これでこいつらが下手に騒ぐことはない。
大人のオレではこんな事出来ないからな。結果よければ全て良しということか)
ただ、しばらくは動けないので安静にしてもらうことになった。
美登利も薬のせいで落ち着いたようだ。(それとも薫の励ましが効いたのか)
『男の集団と一緒の部屋では寝れないわ』と悪態ついて出て行ってしまったのだ。
美恵と千秋が川田について看護をしている。
「ゆっくん、大丈夫?もうケンカなんてしないでね」
「……ケ、ケンカというより……一方的にやられたんだけどな」
「もし気に触ることがあるのなら話し合いですませて。
いちいち、こんなことしてたら、あいつらに襲われる前に仲間割れで死ぬようなことになるわ」
「……そ、そうだけど……でも、あいつが」
仲間割れで死ぬ……その言葉に美恵は一抹の不安を覚えた。
(攻介はどうしたのかしら?皆は何も教えてくれない、それに早乙女くん……。
早乙女くんに対する皆の態度、絶対におかしいわ。
さっきは早乙女くんを連れ出して何か話していたみたいだけど。
一体、何を隠しているの?……わからない)
「……た、隆文……杉村さんって何であんなに強いんだよ……。
内海も吉田も山科も運動神経いいのに歯が立たないなんて……」
「……そ、それはだな……雄太。オレの睨んだところ彼は……な」
「……何だよ?」
「お、おそらくUFOのアブダクト経験者……なんだろう」
(アブダクトとは誘拐の意。宇宙人による地球人誘拐事件に頻繁に使われる単語)
「アブダクトされたさい……生体実験によりバウンティ・ハンター並のパワーを手に入れたんだ」
(バウンティ・ハンターとはⅩファイルに度々登場するとにかく強い人型エイリアン)
「……ほ、本当なのか?」
「あ、ああ……オレの推理に間違いない……それだけじゃないぞ雄太。
オ、オレが睨んだところ……早乙女も普通の人間じゃない……」
その時、偶々廊下を歩いていた瞬に隆文の声が聞えたが隆文が気付くわけがない。
「……さ、さっき……奴が皆に呼び出しされていただろう?
お、おそらく……彼等は早乙女の正体に気付いたんだ……。
さ、早乙女は……政府が作り出した特殊な人間なんだよ……」
瞬の目つきが変わった。もちろん壁を隔てているので隆文にその表情はわからないが。
「……や、奴の正体は……」
瞬がその先の言葉を知ることは無かった。
何故なら、背後から晶が歩いてきたので、その場を離れたのだ。
「奴の正体は……ハイブリッドか……無敵兵士だ」
(ハイブリッドとは異星人のDNAを持った地球人。
無敵兵士とはその名の通り無敵の上不死身の恐るべき政府の殺し屋。どちらもⅩファイルに出てくる単語である)
隆文の推理は単なるオタクの妄想だった。
もしも、怪しい単語が出てくるまで隆文の推理を瞬が聞いていたのなら目をつけられる事もなかっただろう。
「よし、次は桐山だ」
「オレはどこも怪我してないぞ」
「いいから診せてみろ」
川田は半ば強引に桐山を診察した。
(見れば見るほど桐山にそっくりだな……。あいつが生きていれば、このくらいの息子がいてもおかしくない。
もちろん、そんなことあるはずがないが)
ふと桐山の襟元から銃痕のようなものが見えた。
「……?」
「どうした?」
「……その傷」
「ああ、これか?二年前に事故に合った時についた傷らしい。オレはその事故で二年間意識がなかった」
「事故?どんな事故だ?」
「記憶にない。医者は頭を打ったせいで記憶が消えたと言っていた」
「……その傷よく見せてくれないか?」
桐山は特に疑問も持たずにボタンを外して傷を見せた。
(事故だと?……ふざけるな、これは銃痕だ。なんだって中学生に銃痕が?)
だが、川田は銃痕よりも、ずっと気になる傷を見てしまった。
胸部に大きな傷跡があったのだ。心臓に当たる部分に。
「……この傷は?おまえ、心臓の手術でもしたのか?」
「これも、その事故が原因だと聞いている」
川田と桐山の会話は何も知らない者が聞いたら、何気ない医者と患者のそれに聞えただろう。
だが、そばにいた美恵はそうじゃない。
自然と手が震えるのを感じた。
そして視線を感じ、ハッとしてドアのほうを見た。
(……晶!)
二人の会話を聞いていた晶の目は標的を見ているヒットマンのそれだった――。
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