徹の声が背中越しに聞えたが美恵は振り向かずに走った。
アレを今見逃しては千秋の命は無い。
すぐに殺さなかったのは、千秋を繭にするつもりだからだ。そうなってからでは遅い。
暗闇の中、はるか向こうに複数の影が見える。
見失うわけにはいかない。早く追いつかないと。
何としてでも、卵をうえつけられる前に救出しなければ――。
Solitary Island―104―
「……随分と荒れているな」
F4の飼育エリアだった場所だから、ある程度想像していたが……。
あらゆる器具が散乱して床に散らばっている。蜘蛛の巣なんて可愛いものだ。
何より、壁に何かの樹脂のようなものが塗り固められている。
問題はそれが何かということだろうが。
「オレの前に一切出るな」
隼人は忠告をすると、慎重に歩き出した。部屋の中にはいくつも仕切りがあり、自動ドアがついている。
だが、ずっと電源がオフだったせいか、ドアは開いたままの状態で埃を被ってしまっている。
飼育エリアはいくつも部屋があった。隼人たちは、開けっ放しのドアを通過していく。
いくつ目かの部屋の前に立つと隼人の目が険しくなった。部屋中にそそり立った卵が何十個も床に並んでいたからだ。
その、どれもが破れている。つまり卵からかえっているということだ。
(……辺りに気配は全く無い。ここにはいない……はずだ)
隼人は半分閉まり掛けているドアを通り部屋に入った。
続いて勇二、それから一般の生徒達が次々に後に続く。
後は仁科悟と立花薫だけという時だった。突然、ドアが動き完全に閉まったのだ。
「な、何だと!?」
悟は慌ててドアに飛びつき、開こうとするがびくともしない。
「どきなよ」
薫が悟を突き飛ばし、スイッチを押したが、全く動かない。
「……完全にいかれている。仕方ない回り道するしかないね」
薫は気付いた。背後にまとわりつくような視線が複数存在することに。
「……階段?」
突き当たり。他にルートはない。どうやら、また下におりていたようだ。
美恵は懐中電灯で辺りを確認した。この基地は科学省のもので、軍備は万全のはず。
まして危険生物を繁殖している以上、部屋から廊下にいたるまで非常用の武器が配置されていたはずだ。
銃は一丁。これでは大勢さんで襲われたらとてもじゃないが相手にならない。
美恵の思ったとおり、突き当たりに武器らしいものがあった。
ただし、壁の中に埋め込まれたガラスケースに入っている。
非常用の武器なので、この基地の人間にしか使用できない。暗号を入力しないとダメのようだ。
美恵はさらに辺りを見渡した。廊下の隅に消火器が設置されている。
それを持つと、ガラスケースに向かって振り下ろした。
ガラスにひびが入る。さらに二度三度と繰り返した。
ケースは破壊され、美恵は中にあった火炎放射器を取り出すと、すぐに階段を下りていった。
「……!」
靴が落ちている。すぐに女生徒のものだとわかるサイズだ。
美恵はまず、火炎放射器を構え、辺り一面に威嚇放射した。あの化け物たちが潜んでいたら、動きを見せるはずだ。
例え科学省が作り上げた化け物とはいえ、所詮は動物。
本能的に火を怖がるのはず。だが、何も変化は無い。
「……た、助け……っ!」
遠くで弱弱しい声が聞える。美恵は、また走り出していた。
「……仁科くん、君、足は速いほうだった?」
突然の質問に悟は表情を歪ませた。こんな時に場違いな質問をされたということも腹が立つ。
だが、一番腹が立つ理由は身体測定のテストで、悟は薫と一緒に走っていた。
そして数メートル離されてのゴールだったのだ。
テニス部のエースとしての悟のプライドと見栄はどん底状態。
その上、薫は悟のかつての親衛隊はほとんどが今や薫ファンクラブのメンバーだということもあって悟は薫が大嫌いだった。
「何がいいたい?自分のほうが上だとこんな時まで自慢したいのか?」
「それは見当違いだよ。僕のほうが上だって事は十分わかっているさ。
ただね……君が『連中から逃げ切れるかどうか』気になってね」
「……連中?
悟の心臓が大きくドクン……っ!と体内で弾けた。
「しつこい連中だよ。しかも厄介なことに突進力、凶暴性は凄まじい。はたして君に逃げ切れるかどうか」
ドクン……っ。ドクン……っ。
「……た、立花……おまえ……何言ってるんだ?」
「死にたくなければ全速力で走るんだね」
薫はそう言うと、スタートダッシュを切っていた。
悟に数メートル距離をおいた、あの身体測定テストの時よりも、はるかに速かった。
悟は何が何だかわからなかったが、ただ恐怖感からか、薫の後を追う様に走っていた。
恐怖ゆえに、悟のスピードもまた身体測定テストの時より数段アップしていた。
その直後だった。暗闇の中から一斉に複数の光る目が迫ってきたのは。
「な、何だっ!何なんだ、あいつらは!?」
暗闇だが、何かが物凄いスピードで追ってくることはわかる。
肌で感じるのだ。物凄いプレッシャーを。何より本能が教えていた。
恐怖を刺激する何かが加速しながら迫ってきていることを。そう加速している。物凄いスピードで。
悟も自分の身体能力には自信があった。
だが、所詮は人間のレベル。相手は化け物。
まるで鉄の壁が障害にあろうとも全くものともしないくらいの勢い。
このままでは追いつかれる!!
掴まったら、自分たちなどボロ雑巾のようにズタズタに引き裂かれて殺される!!
ずっと向こうにドアが見えた。あそこ、あそこに駆け込めば何とか助かる!!
いくら化け物でも、あんな頑丈そうなドアは破壊できないだろう。
問題は、ドアにたどり着く前に化け物どもから逃げ切れるか?ということだった。
あの勢いとスピードなら、時間の問題だ。とてもじゃないが、逃げ切れる自信などない。
そう思っていたのは悟だけではなかった。
「……まずいな。多勢に無勢だ、いくら僕でも相手にはできないよ」
「ど、どうする!?どうすればいいんだ!?」
「連中のスピードを一時的に落とせばいいのさ」
どうやら薫には何か策があるようだ。悟は夢中で叫んだ。
「どうやって!?」
「エサをまくのさ。その間に逃げ切ればいい」
「エサ?!エサって何だよ!?」
その質問に薫は意味深な目で、悟をチラッと振り向いてニッと笑った。
(……え?)
その瞬間、悟は化け物以上に冷酷非情なモノがいることを知った。
自分の――すぐ、そばに。
薫の左足が大きく上がった。そして、悟の腹部にヒットしていた。
「……ゲボっ!」
胃が一瞬収縮するような衝撃、そして痛み。腹を押さえる暇もなく、悟は数メートル後ろに飛んでいた。
悟が最後に見たのは美しいくらいに恐ろしい薫の微笑み。
そして、自分を蹴り飛ばすと同時に、再度走り出した薫の背中だった。
その後は記憶にない。鼓膜を突き破らんばかりの唸り声と共に何かが自分に飛びついてきた感触だけ。
「ぎゃぁぁぁー!!」
恐ろしい悲鳴を上げ、悟の意識はプッツリと途絶えた。
「光栄に思いなよ仁科くん」
薫は懐からライターのようなものを取り出して、スイッチを押し背後に投げ、ドアを閉めた。
ドアの向こうで爆発音。ドアが僅かに大きく膨らんだ。
「この僕の……未来の国防省長官様の僕のお役に立てたんだ。歴史に名前が残るよ」
薫はそう言って高笑いした。
「……た、助け……誰か……っ」
千秋は必死になって動こうとした。しかし恐怖から動けない。
その千秋の目の前には見たことも無い大きな卵がパカッと割れ中から何かが出てくる。
「……ひ」
「内海さん、逃げるのよ!!」
声がした。だが体が動かない。
「内海さん!!」
腕を掴まれた感触。そして、強引に引っ張られた。
次に銃声がして、卵がグチャグチャになり、やっと千秋はハッと正気に戻った。
「天瀬……さん?」
「逃げるのよ!!」
美恵は千秋の手を引いて走った。ここは奴等の巣だ。早く逃げないと奴等に囲まれる。
逃げる二人の前に、天井から化け物が飛び降りてきた。
「きゃぁ!!」
見たことも無い、そのおぞましい姿に千秋の理性の糸は再び切断寸前だ。
美恵は銃を向け即座に引き金を絞った。ところが、そいつは銃弾に全くひるむことなく向かってくる。
二発、三発、連続して発射。やっと倒れた。
「な、何なのこいつは……っ!?」
恐怖はないの!?おまけに、血液(なの、この体液は?)が床を溶かしている!!
「今のうちに早く!!」
死体を迂回して二人は走った。だが、今度はさらに最悪だ。複数の化け物が前方を塞いだ。
銃は……ダメだ、あの化け物には銃に対する恐れが無い。
一匹は殺せても、その間に他の化け物にやられる。
美恵は千秋に、「これを持ってて」と銃を渡した。いざというときは自分の身は自分で守れということだ。
そして火炎放射器を取り出して炎を放射した。化け物が一瞬ひるみ、僅かに後退した。
その隙に美恵は千秋の手を引いて角を曲がって全速力で走った。
後ろから、あいつらが追いかけてくるのがわかる。
幸いだったのは千秋も運動神経がよく足が速かったことだ(美恵より0.1秒遅いだけだった)
ドアがある。あそこの部屋に飛び込めば!
二人は部屋に飛び込むと同時にドアを閉めた。
ドアがドンドンっ!と大きな音を出して、少しずつ変形していくのがわかる。
あいつらが体当たりをしているんだ。このままでは、ここもそう長く持たない。
他に入り口はないだろうか?
二人は同時に向きを変え、そして固まった。
その部屋は広かった。先ほど千秋がいた部屋よりも何倍も。
そして部屋の奥には無数の光。あの化け物たちの目だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
美恵は火炎放射器で威嚇した。やはり炎は怖いのか、一定の距離を保って近づこうとはしない。
だが、このままでは時間の問題だ。
ドンッ!!ドンッ!!ドアがさらに変形していく。
美恵はドアから少し離れ、火炎放射器を構えた。
「天瀬さん、あ、あいつらが……あいつらが近づいてくる!!」
美恵は慌てて向きを変えた。すると連中も少しだけ後退。
いつ崩れるともわからない危険な均衡。その間にもドアはどんどん外側から変形してゆく。
このままでは持たない。あと数十秒でドアをぶち破って侵入される。そうなったらお終いだ。
(どうしよう……どうしたら……)
千秋が震えながら美恵の袖を掴んできた。
(……いけない。彼女はもっと怖いはずだわ。でも……でも、どうしたらいいの?)
こんな時、晃司や秀明なら?
とてもじゃないが、素手で勝てるわけがない。美恵は千秋を背中越しに隠しながら部屋の隅に移動した。
何とか……何とか火炎放射器で距離を保って皆が助けに来るのを待つしかない。
情け無いがそれしか方法が思い浮かばなかった。
二人が移動すると、化け物たちも移動。二人の前方に壁のように立ちはだかっている。
ジリジリと近づく。すぐに炎を放射する。
(……炎の勢いが弱くなっている?)
まさか!美恵は火炎放射器のメーターを見た。
燃料が後僅か。非常用の武器は常に点検が義務付けられているはずなのに!!
この基地で働いている連中が手抜きしていたのだろう。
ドンッ!!ドンッ!!ドアが……壊れる!!
(ダメだわ。皆が助けに来るのを待つ余裕なんてない!!
あいつらを威嚇してひるんだ隙に脇を通り抜けるしかない!!)
美恵は覚悟を決め、千秋に「突き抜けるわよ。ついてきて」と言った。
まずは、この目の前にいる連中を追い払わなければ!美恵は炎を放射した。
「今よ!!」
二人はドアに向かって走った。すぐに化け物たちの動きも素早くなる。
美恵はいったん振り向くと、再度炎を放射したが、その炎は、とても小さい。燃料が切れたのだ。
「……そんな!」
火炎放射器が使い物にならなくなった。それをきっかけに連中がいっせいに飛び掛ってきた。
「きゃぁぁー!!」
千秋は恐怖のあまり、その場に座り込んだ。
美恵が手渡した銃も思わず落としてしまっている。今使える武器は、この銃だけだ。
美恵は銃に手を伸ばしたが、銃は美恵をあざ笑うように数メートル先に転がっていった。
そしてドアがぶち破られた。
(……もうダメだわ!!)
美恵はギュッと目を瞑った。
「ギィィー!!」
おぞましい悲鳴が聞えた。そう悲鳴が。
(え?)
美恵は目を開けた。そしてドアを見た。あいつらが飛び込んで来るはずの蹴破られたドアを。
だが、あの連中は一匹として入ってこなかった。
(……ど、どういうこと?)
それどころか、先ほどまで自分と千秋を狙っていた化け物たちが一斉にドアに視線を移している。
動物的本能で理解しているのだ。このドアの向こうに『敵』がいると。
大きな穴が空いたドアから人影が入ってくるのが見えた。
(……誰?)
顔は見えない。でも、この化け物とは違う。あきらかに人間だ。それだけは間違いない。
そしてドアの向こう側から異臭が漂ってきていた。
ドアの向こうにいる化け物たちは殺されたのだ、この謎の人物に。
仲間を殺した者に対して化け物たちは激しい敵意をむき出しにしている。
そして、その人間に向かって一斉に飛び掛っていた。
「あ、危ない!!」
あの数だ。一斉にこられたら勝ち目は無い。
だが、そいつは、その化け物たちを大きく超えるジャンプをして化け物たちの背後に着地。
間髪いれずに、全ての動物の急所である頭部に銃弾を放っていた。
あっと言う間に化け物たちは頭に被弾され異臭を放ちながら床に倒れた。
(誰?誰なの、この人?)
突然の乱入者に気をとられて美恵は気付かなかった。背後に一匹近づいてきていることを。
「天瀬さん、後ろ!!」
千秋の声に美恵はハッとして振り向いた。だが遅かった。奴はすでに飛んでいた。
「……ぁ」
暗闇の中、そいつが大きく口を開けて、ギラついた牙が光るのが見えた。
終わりだ。恐怖でも絶望でもなく、ただ、その一言が頭の中に浮んだ。
美恵はギュッと目を閉じた。
「……っ!!」
だが、目を閉じた瞬間、誰かが自分の腰を掴んで抱き寄せた感覚を感じた。
そして飛んでいた。さらに銃声が二発。
悲鳴が聞え、美恵は抱きかかえられながら両膝を床についた体勢で着地していた。
「…………」
そっと瞼をあけた。
(……誰?)
秀明?そうだ、きっと秀明たちが助けに来てくれたんだ。
美恵はそう思った。それしか答がないと思ったから。
だが視界に映った人物を見て美恵は自分が完全に思い違いをしていたことを知った。
その相手は美恵に見詰められ、ふいっと視線をそらした。
(……どうして……どうして、このひとがここにいるの?)
その男は黙って美恵から手を離した。
(……もしかしたら、もう死んだかもしれないと思っていたのに)
「どうして、ここにいるの?……早乙女くん」
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