そう言った秀明の目は今までとは違った。ナイフのような鋭い目だ。
それだけで何かあるだとうと桐山は察した。
「何がある?」
「……血の臭いがする」
戦場で何度も経験した、間違えるはずがない。秀明は歩き出すと一番奥の部屋のドアを開けた。
その部屋の隅に、シートで包まれた『何か』があった。
秀明はその『何か』に近づくとスッと屈み、そしてシートをめくった。
瞬間、秀明は僅かに眉を寄せた。桐山もみた、それを。
「――攻介」
蛯名攻介が変わり果てた姿となってそこにいた。
Solitary Island―100―
「わかった、あんたの話の乗ろう」
「そう、これで契約成立ね」
女は笑みを浮かべた。狂気を含んだ笑みだった。
「あなたの仮の素性のプロフィールよ。完璧に記憶しておいてちょうだい」
そう言われて手渡された書類。一通り目を通せばこの程度記憶できる。
はっきり言ってⅩシリーズ以外の六人には全く興味がなかった。
だが、もし連中がⅩシリーズの仲間ならいずれ戦う事になったかもしれない。
この手で殺すようなことがあっても瞬はそれは連中の運が悪いという感情しかなかった。
運が悪かった。オレのように。
運が悪いといえば、部屋の壁にかかっている男の写真。
この女によく似ている、例の理不尽な殺され方をしたという女の息子だろうか?
際立った美貌の持ち主だが、どうも虫の好かない顔をしているな。
瞬はそう思った。いや、考えた。
なぜなら、その目の奥に自分以外の者は虫けらくらいにしか思わない冷たい光を感じたから。
あの男――この手で殺してやった塩田もそうだった。
だからわかる。直感ではなく経験で。
「話が決まったらすぐに行動に移してもらうわ。
あなたは二日後にはこの学校に転入してもらうわ、いいわね?」
「ああ、勝手にしてくれ」
瞬の返答に女は満足したのか、壁にかけてある写真に向かって小さく呟いていた。
「もうすぐよ。あなたの無念は必ず母様が晴らしてあげるわ」
春見中学校に転入。容姿端麗な転校生に数少ない女生徒は色めいた。
しかし、やがてそれもすぐに収まった。
瞬があまりにも女生徒たちに対して態度がよくなかったからだ。
冷めた態度で、愛想というものがまるでない。
いや女生徒だけではなかった。男に対してもそうだ。
隣の席にいた根岸純平は瞬とは正反対の人見知りしないタイプ。
純平は転校生に対する親切のつもりでよくグラビアアイドルのいけない生写真をみせたりしていた。
どんなに異性に興味のない男でも、少しは反応するはずだ。
ところが瞬は全く興味を示さず、反対に「ところでこれを見てどうするんだ?」と質問してきた。
純平は唖然として、「早乙女くん、女の子に興味ないの?」と聞いてきた。
「興味を持たなければいけないのか?」
そう言うと純平はまるで地球外生命体を見るような目で瞬をマジマジと見詰めてきた。
「君さあ……顔、いいんだからその気になれば彼女作れるんだよ」
「だから、それがどうした?」
純平はますます呆気にとられた。そして、瞬の耳にそっと耳打ちした。
「もしかして早乙女くんって……あっちの人間?」
「あっち?」
「だからあっちだよ、あっち。ほらぁ……女に興味がなくて、男に興味あるってひと」
「おまえはよくわからない人間だな」
それとも一般人って奴はみんなこの男みたいにわけのわからない人間なのか?
純平は勿体無さそうな顔で「残念だよ、早乙女くんにはプレイボーイになれる素質があるのに」と言った。
「興味を持っている女は一人しかない」
そう言うと純平は「誰?あ、もしかして学校のマドンナの聖子さん?」などと根掘り葉掘り聞いてきた。
しかし、瞬はそれ以上は答えるのも面倒だったので無視した。
やがて一ヶ月ほどたって彼女がきた。
「天瀬美恵です」
男子生徒たちは大喜びだったが、瞬にはその時自分の心臓の音しか聞えなかった。
(……美恵)
写真の中でしかしらない美恵がそこにいた。
あの女から詳細な資料はもらっている。美恵の経歴から趣味嗜好にいたるまで詳細な資料だ。
もっとも美恵の性格については、あの女から聞きたくもないことを色々と聞かされた。
『嫌がる息子に近づいてきた性悪女』
『散々付きまとってきて息子に迷惑をかけた非常識な女』
『息子が優しくて女を無下に扱えないのをいいことにやりたい放題』
そんな悪口という名を情報を嫌というほど聞かされた。
あの女が国防省諜報部部長だというのは後で知った(夫は婿養子にして、副部長らしい)
だからこそ、軍の裏の裏、他の部署が知らないような情報も知っている。
科学省が丸秘としている自分の存在すら知っていた。
(だが、オレと美恵の関係までは知らなかったようだな。知っていたら、オレの前で美恵のことを悪くは言えない。
いや、それ以前にオレに復讐の依頼などしないだろう)
Ⅹシリーズと血筋は全く同じなのだ。
いくら女といっても自分のように無愛想な人間だと思っていた。
しかし、思ったよりそうでもなかったな。
あの女の話では、美恵があの女の息子に熱を上げて、その異性関係のもつれから泥沼になったと聞いた。
そうなのか?オレはあの男が嫌いだ。会ったこともないが、あの目があいつを思い出させる。
だが、おまえにとっては殺したいほど憎くなるほど、それほど愛した男だったのか?
信じられない。本能とか直感以前に、遺伝子がそう言っていた。
だが、そんなことは詮索しても意味がない。オレにはオレのやるべきことがある。
今はただの同級生でいい。いずれ、なんとか接点をもって、Ⅹシリーズに、そして科学省に近づく。
そう思って、美恵の自己紹介もほとんど聞いていなかった。
隣の純平が「美恵ちゃん、可愛い。オレ純平っていうんだ、ヨロシクねー!!」という声は音量のせいか嫌でも聞えたが。
それでも自己紹介が終わって、「じゃあ、あの窓際の席に」と担任が言ったときは一瞬全身が硬直した。
瞬の席の後ろだったからだ。
美恵が真横を通り過ぎようとした瞬間、かすかに手が震えたのを覚えている。
その手が消しゴムにあたって、消しゴムが落ちた。
「あ、これ」
美恵がひろって差し出してきた。
その顔をまともに見れなくて、どんな態度をとっていいのかもわからず何も答えなかった。
美恵は少しキョトンとして、気まずい空気が流れていた。
「ごめんごめん、美恵ちゃん気にしないでね。早乙女はちょっと無愛想だから」
純平が慌ててフォローしてきた。こんな奴に助け舟だされるなんて。なんだかしゃくだ。
「オレ、根岸純平。美恵ちゃん、仲良くしてね」
「こちらこそよろしく」
「よかったぁー!」
それから美恵は「ここに置いておくね」と消しゴムを机の隅においた。
「……ああ」
本当は「ありがとう」くらい言うべきだが、当時の瞬はそこまで一般常識が備わっていなかった。
「……あなた」
美恵はちょっとだけ疑問符を浮かべたような表情をした。
「なんだ?」
「……いえ、なんでもないわ」
この時、美恵が何を考えていたのか瞬が知る由もない。
(……彼、どこかで会わなかったかしら?)
「……ここは?」
「美恵、目が覚めたかい?」
「……徹」
目が覚めると徹が心配そうに見ていた。
「大丈夫よ……それより、これからどうするの?」
「……美恵、オレに隠していることはないかい?」
「どういうこと?」
徹の様子が変だ。なんだか怒っているようにも見える。
「どうしたの徹?」
「あの時の約束……忘れたとは言わせないよ」
「約束って……?」
徹は周囲に注意して小声で言った。
「忘れたのかい?志郎と3人で組んだことがあっただろう?」
確かにあった。あの時、志郎が敵に囲まれて大変だった。
美恵は慌てて助けに行こうと飛び出したが徹が腕を掴んで止めた。
「今行ったら君も死ぬ。逃げよう」――と。
志郎を実の弟以上に可愛がっている美恵にとってはとんでもないことだった。
しかし徹にとっては志郎はどうでもいい存在。
軍人として遂行しなければならないのは任務。
個人として遂行しなければならないのは美恵を守ることだけ。志郎の命はどうでもいい。
美恵は「志郎を助けて!」と必死に懇願した。
すると徹は「だったら代わりにお願いきいてくれるかな?」――だ。
「こんな時に何をいうの!?」
「こんな時だから言うんだよ。君の気持ち一つさ。
君にしかかなえてもらえないことなんだ。簡単なことだよ本当にごく些細なことなんだ」
その時、派手な銃声が聞えた。
志郎が撃たれたのではないかと思った美恵は必死になって叫んだ。
「わかったわ!!私にできることなら何でもするから志郎を助けて!!」
「OK、その言葉がききたかった」
徹は大喜びで志郎を助けに行ってくれた。そして、こう思ったのだ。
「これで婚約成立だね」――と。
美恵はできる事なら何でもすると約束したのだ。
それ以来、徹は自分と美恵は恋人を通り越してフィアンセだと思っている。
それなのに、突然とんびに油揚げ状態。たまったものじゃない。
「秀明から聞いたよ。どういうことか説明してくれないか?」
美恵は苦虫を潰したような顔をした。あれほどばらさないでとお願いしていたのに。
「私や秀明が望んだことじゃないわ」
「そんなことわかっているよ。オレが怒っているのは黙っていた事だ。
忘れたのかい?オレはかつて君の為に命すら投げ出した事だってある。
オレが君の事情を受け止めてやれない男だと思っていたのかい?
言ったはずだよ。オレはオレの全力で君を守ると。
言ってくれれば、オレがどんな手を使ってでもそんなこと無効にしたのに」
「……秀明のことは嫌いじゃないのよ」
途端に徹が苦虫潰したような顔になった。
「ただ……ずっと兄のような存在だと思っていたから。
急に、上の都合で一緒になれって言われても実感わかなかっただけ。
今までずっと一緒だったんだもの、嫌とかそういう問題じゃないの。
相手が秀明だから嫌なんじゃない。私たちを人間扱いしてない連中に腹が立つだけ」
「隼人は知っていた。オレはあいつと違って頼りにならないのか?」
「まさか」
美恵は少し笑って見せた。
「あの時……あなたがいてくれなかったら私は殺されていたわ」
美恵はかつてある男に命を狙われた事がある。その時に一緒にいてくれた徹が命懸けで守ってくれた。
「とにかくオレは絶対に認めるつもりはないよ。
ここを出たら君を連れて科学省長官の宇佐美に会いに行く。
そして、こんなバカな命令は撤回してもらう。いや撤回させる。力ずくでも……。
こんなくだらない命令で君を失いたくない。絶対に嫌だ……そんなことは絶対に……」
徹は美恵の手を握って俯きながらそう言った。
「…………」
美恵は何も言えなかった。
(……あいつが承知するはずがない)
徹は科学省の内部を知らない。どれだけ非人間的なところか。
科学省の怖さも、理不尽さも、そして冷酷さもしらない。
知っているのは、そこで生まれ育った人間だけだ。
(ありがとう徹……不可能なことだけど。その言葉だけでも嬉しかった……)
もしも、そんなマネをすれば宇佐美はあなたの記憶を消してしまうわ。
私に関する記憶だけを全て。
きっと街で私とすれ違ってもあなたは私に振り向きもしなくなる。
そして、いつか私以外のひとを愛するようになるかもしれない。
あなたにとってはそのほうが幸せなのかもしれない。少なくても今よりは――ずっと幸せになれるわ。
「おい落ち着けよ雅信!」
「……美恵はオレのものだ……オレ一人の!!
オレが最初に目をつけたんだ……忘れたのかっ!?」
「最初に彼女を誘ったのは僕だけどね」
薫が口出すすると雅信は「うるさい立花薫!!」と、怒鳴りつけた。
「うるさいぞ、おまえたち。それより支度は出来たのか?」
晶はいたるところから集めた銃を手入れしながら強い口調で言った。
美恵が目覚めた。だから今から地下に入ると秀明からそう連絡が来たのだ。
当然、こちらもそのつもりだ。
「連中はどうする?置いていくつもりなのか?」
隼人が別室で震えているクラスメイトたちのことにふれた。
選ぶのは誰でもない。彼等自身だ。
「ついてきたところで足手まといになるとしか思えないがな」
「オレから話をしよう」
隼人は立ち上がると別室に向かった。なぜか、薫も一緒に。
「おい、それより攻介だが……あいつはどうするんだよ」
俊彦は今だに帰らない攻介を心配していた。
一度は真一や海斗が攻介の姿をみたが、その後の消息が不明。今だにどこにいるのか連絡もない。
「攻介のことは考えるな俊彦。あいつなら後から追ってくるだろう」
直人は冷静かつ非情にそう答えた。
「まあ……そうなんだけどな。やっぱ、一緒にって思うだろ?」
「おまえはいつもそうだな。忘れるな、オレたちは常に己一人なんだ。
たまたま今は任務上手を組んでいる同志でしかない」
「……ああ、そうだな。おまえのそういうところ羨ましいよ直人」
「急いでいるから要件だけ言わせて貰う」
隼人は簡潔に話をした。自分達は地下基地に入る。
そこには外の世界でみた化け物がうようよいる。
だが、この島を統治しているメインコンピュータは最下階にある。
よって島からの脱出はそこに行くしかない、と。
クラスメイトたちの大半は青ざめ震えた。中には泣き出してしまっている子もいる。
その中でビクビクしながら美登利が立ち上がった。
「立花くん……立花くんも行くの?」
「ああ行くよ。僕についてくるかい?」
「い、行くわ!!立花くんが行くなら私も行く!!」
薫は(まあ適当に守ってあげるか。適当に)と、心の中で呟いた。
何しろ資産三十億はそれなりに魅力的だからね。
「薫が行くならあたしも行くわ!!」
美和も立ち上がっていた。
「良かった。二人とも僕が責任を持って全力で守ってあげるよ」
まあ、適当にね。
隼人が何だかしらけた目で薫を見ていた。
「……本当にそれしか手はないのか?」
今度は拓海が質問してきた。
「ここは絶海の孤島だ。船もない以上そう断定するしかない」
「……そうか。だったらオレも行く。
何もしないで殺されるより、行動して殺されたほうがずっとマシだ」
拓海の一大決心は他の連中も動かした。
「そ、そうよね。こういう時は積極的になるほうがいいわ。
だって格闘漫画では弱気になったらそこで負けだもの」
瞳の理屈は正しかった。その元が少々問題だったが。
「……そうだね。可能性があれば、それにかけたほうがいいわ」
「蘭子さんが行くなら僕も行きます」
邦夫は蘭子についていく決心をしていた。
「モ、モ、モルダーはいつだって自ら危険の中に飛び込んだ。オ、オレも……オレもモルダーの後に続くぞ……」
隆文は今にも倒れそうなくらい青ざめていたが結論だけは賛成のようだ。
とにかく次々に賛同するものが現れた。
ただ悟や誠など一部のものは絶対に反対だとわめいた。
それでも隼人が「わかった。おまえたちは残れ」と突き放すと、慌てて「冗談じゃない、見捨てる気か!?」と結局ついてくることに。
正直いって、クラスメイトたちは置いていこうと思っている晶がこの結果を聞いたら苦虫を潰すな。
隼人はそう思った。
「三十分後に突入する。心の準備をしておけ」
隼人はそれだけ言うと部屋を後にした。それから薫に言った。
「女二人を全力で守ってやるというのは本心か?」
「もちろんだよ」
「意外だな。曽根原はともかく、あの女はおまえには用なしと思ったが」
「話をしたんだけど、美和の実家はマンションと不動産を経営しているらしいんだ」
「そうか」
あきれてものも言えなかった。
「このルート……ここだ、ここが最短ルートだ。このルートを使って連中と合流する」
秀明は青写真を使って説明した。
「本当に行くのかい?美恵はまだ休んだほうが……」
徹が心配そうに美恵を見た。
「大丈夫よ」
「聞いたか徹、大丈夫だそうだ。
それに美恵はオレがそばにいて守る、おまえもそれでいいな?」
途端に徹はムッとして反論しようとしたが、それより先に美恵があることを言った。
「早乙女くんはどうするの?」
瞬は自分の命の恩人。そしてなぜか行方不明。このまま置いて行くなんてできない。
「美恵、早乙女のことは仕方ないよ。自分からいなくなったんだ。
彼自身に責任がないとはいえない。それに……この島で行方不明になったんだ。
生きているとは思えない。きっと、もうやられたのさ連中に」
徹の言葉は非情ではなく現実だった。
確かに武器をもたない民間人が一人で無事でいるとは思えない。
ただ徹に誤算があるとすれば瞬は善良な一般市民ではないこと。
そして武器も、この島の詳細な情報も知っているということだけ。
それだけだが、徹以上に今の時点では生存率は高いのだ。
「彼には命を救われたわ。その借りを返してもないのに……」
「仕方のないことなんだよ」
「とにかく突入する。早乙女瞬の事はもう忘れろ美恵」
「……秀明」
確かに秀明や徹の言うことは正論だわ。でも……。
――彼は生きている。そんな気がする。
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