ベッドの傍らで、愛しい子供たちの頭を撫でながら母親が物語を語ってやる。
それは、どこの家庭でも、よく見られる光景だっただろう。
違うのは俺と妹(双子なのだが、見事なまでに似ていない。
妹は母にそっくりだが、俺は顔も知らない父親に似たらしい)に母が聞かせてくれたのは昔話でも童話でもなく、調査兵団の英雄伝だったことだ。

『調査兵団は英雄だよ。命を顧みず人類のために自由の翼を背負って戦う兵士なんだ』

母は、まるで幼子のように瞳をきらきらと輝かせながら語った。
ただ、その瞳の奥には、言いしれぬ悲しみを含んでいるようにも見えた――。




魂の継承




「貴様、名前と出身地を答えろ!」
「はい自分はトロスト区出身――」

ちっ、うるせえな……それが訓練兵団初日の感想だ。
大声だして巨人が逃げるくれるとでも思ってるかよ。
俺は、つまらなそうに口元を手で覆い欠伸をした。途端にハゲ……もとい教官とばっちり目があった。

「貴様!」

しまったと思った。延々と、あの怒鳴り声で説教されるのかと思うと頭痛がしてくる。
俺としては鉄拳一発で簡単に済ませてくれたほうがありがたいってもんだ。

「貴様、名前を言え!」

周囲の連中は目を見開いて、俺たちのやりとりを見つめている。
訓練兵どころかハゲ(面倒だから、今後はハゲと呼ぶ)の腰巾着の教官連中たちもだ。
よほど俺は態度の悪い問題児だったようだ。
ハゲに謝意を表明するどころか、「懲罰なら、さっさとすませてくれ」と余計なことをほざいたばかりに3日間独房に入れられた。
育ち盛りに一日一杯の水と一個のパンだけってのは正直堪えたが、その程度で俺は改心できなかった。
やつれているだろうという大方の予想を覆して案外元気な姿を見せてやったら同期の連中は皆驚いた。
「大丈夫?」と親切面する奴、小声で「いかれた奴だな」と陰口たたく奴、結論から言えばどうでもいい集団だ。
唯一の有益な情報は、「立体機動の訓練開始するってよ」、だった。
周囲を見渡せば誰もがそわそわしているのが一目瞭然だ。
成績の上下が決まる要素は立体機動が大半を占めるというか当然といえば当然か。
俺は興味はなかったが、初日の訓練が終了する頃には俺を胡散臭い問題児だと思っていた連中の見る目ががらりと変わっていた。





「教官、彼は天才ですよ!」
数週間後、教官室に呼び出された俺に腰巾着たちは感嘆の声をあげた。
反してハゲは眉間の皺の数を倍増させて俺を睨みつけている。
「立体機動だけじゃない。他の面でも教えることはないとか。さすがは――」
「黙ってろ。ここは巨人の餌になるしか脳がないバカどもを兵士に仕立てあげるところだ」
ハゲの言いたいことが何となくわかった。
大方、生意気なガキに己の未熟さを悟らせ大人しくさせてやろうという腹だったんだろう。
当てが外れて悪かったな。
「ですが、実際問題として、訓練兵にしておくには他の者とレベルが違いすぎますよ。どうします?」
「……三年もいらんな。上に報告して――」



「その必要はない」



突然室内に響いた威厳のある口調に振り返ると、数名の兵士を従えた男が入室してきた。
俺でも、その顔は知っているくらいの有名人だ。
今日は調査兵団の幹部が来訪すると聞いていたが、まさか、その人物が人類最強と名高い兵士長殿だとは思わなかった。
問題児として定評のある俺ですら、その威圧感に心臓の鼓動が大きくなる。
頭ではなく直感で感じた。この男、ただ者じゃない。
「これは兵士長殿」
腰巾着たちは慌てて敬礼した。兵長は俺をじっと見つめると宣言した。

「この子は俺が預かろう。調査兵団兵士長の班員として迎え入れたい」

訓練兵の大半が忌み嫌う調査兵団へのスカウトだったが、俺はつまらない訓練兵団とおさらばできるという理由であっさり了承した。
元々、権威を盾に威張り散らすしか脳がない腐敗集団・憲兵団や、数ばかり多くて大した仕事もしてない駐屯兵団には、はなっから興味はなかった。
調査兵は、その任務内容から実力が重視される。くだらねえ軍律や上下関係よりもだ。
それなりに好きに動けて給料がもらえる、そこが魅力だった。
これで、女手一つで苦労して俺たち兄妹を育ててくれた母さんに少しは楽をさせてやれる。
学者志望の妹の学費だって作ってやれるんだ。



「期待しているぞ。せいぜい巨人どもを駆逐してやれ」
「それが仕事なら、やれと言われればやるが……ところで兵長」
「何だ?」
「どこかで会わなかったですか?」

幾多の修羅場をくぐり抜けたであろう鋭い眼光に、なぜか懐かしいものを俺は感じていた。
「壁外調査の隊列を見送ったことがあるんだろう」
確かにガキの頃、一度、母さんや妹と一緒に見物したことがある。
俺の脳裏に幼き日の記憶が鮮やかに蘇った。












「調査兵団の主力部隊だ!」

誰かが熱っぽく叫んだ。

「団長、巨人どもを殲滅してください!」

民衆の歓声に迎えられ、先頭をゆくのは貫録あふれる金髪の男。調査兵団の団長そのひとだ。
続いて姿を現した馬上の男に、民衆の熱狂的な歓声はさらにボリュームアップした。


「兵士長!人類最強の兵長殿だぞ!!」


人類の希望、人類の最後の砦。そんな代名詞をこれでもかと背負う男。
その隣には女の身で調査兵団幹部までのし上がった、これまた優秀極まりない分隊長殿の姿があった。

「……ひとの気も知らねえで、うるさいな」
「よそ見しない。あなたは前だけを見ていればいい」
「言われなくてもわかってる」

興奮しきった民衆の耳には聞こえなかったようだが、俺には兵士長と分隊長の会話が聞こえた。
どうやら人類の思いとは裏腹に、このお祭り騒ぎのような歓声に兵長は辟易しているようだ。
そんな兵長に分隊長は、まるで母親のような小言を口走っている。
まるで夫婦だな、この2人。
団長、兵士長、分隊長。この3人は俺が生まれる前から文字通り二人三脚(いや、この場合三人四脚か?)で兵団を統率してきたらしい。


「ほら、ごらん。英雄たちを目に焼き付けておくんだよ」
「ママー、見えないよ」
母さんは妹を抱き上げた。
「……変わってないね。あの頃と」
懐かしそうな母に、俺はきょとんとなった。
「お母さん?」
「ああ、何でもないよ」
母さんは笑っていた。嬉しそうな、そしてせつなそうな不思議な笑みだった。










「俺の母親は、調査兵団を英雄だと事あるごとに言ってました」
「お母さんはお元気か?」

俺の訝しげな表情に兵長は「聞いてないのか?」と問い、直後に、しまったという顔を見せた。

「母さんと知り合いなんですか?」
「……何も知らなかったのか。まいったな」

兵長は本当に気まずそうに頭をかいた。威厳を崩さなかった男が初めて見せた素の表情だった。

「兵長、それはいったい――」

俺の言葉を遮るように威勢のいい声が轟いた。



「おーい!」
声の方向に視線を移動させると複数の兵士が駆けてきた。
「こいつか、例のすごいガキってのは?」
威勢のいい声の主は小柄な坊主頭だった。共に走ってきた面長の兵士と一緒になって俺の顔を見るなり失礼にも驚いている。
どうせ無愛想でかわいげのなさすぎる面だと思っているんだろう、いつものことだ。

「眼光鋭すぎだろ。俺が想像してたより、ずっと――」
「おい!」

兵長が声をあげた。

「な、何だよ」
「俺の部下だ。余計なことは言わなくていい」

坊主頭と面長は腑に落ちない表情で俺と兵長を交互に見た。


「兵団のことは俺がおいおい教え込むから、おまえたちはしばらく黙っててくれ」

坊主頭は、まだ眉間に皺を寄せていたが、面長は納得したのかおとなしくなった。

「紹介が遅れたな。こいつらは一応分隊長だ。顔だけは覚えておけよ」
「何だよ一応ってのは」

面長が面白くなさそうに顔を歪めた。
分隊長か。いちいち名前を覚えるのも面倒だ。俺は面長を分隊長A、坊主頭をBと記憶することにした。



その後、調査兵団本部訓練場で俺は異例の新兵として調査兵の面々に紹介された。

「特例の入団に反発を覚える者もいるだろうが、こいつの実力は本物だ、俺が保証する。
俺を信じて受け入れてくれ。技術面では、すでにベテラン兵士レベルだが、まだガキだ。
俺が徹底的に躾てやるが、おまえたちも先輩として導いてやれ」

本来なら三年かかる訓練兵の課程に三週間で終わりを告げ、人類の英雄様とやらに見いだされての入団だ。当然、妬みはあると予想はしていた。
それを裏付けるかのように、下っ端の兵士たちは汚いものを見るかのような目で俺を睨み付けている。
だが少し年齢を重ねている熟練の兵士たちは違った。

(なんだ、こいつら?)

敵意は、まるでない。それどころか、好意……いや、それすらも越えた妙な感情を込めた目だ。
自分で言うのも何だが、初対面で、この強面に何で好感持てるんだ、こいつら?
気のせいか、涙ぐんでいる奴もいないか?
調査兵団ってのは変わり者の集団か?


俺の仮説が間違いではないことは食事の時間に確定した。
トレイを手に席につくと、先ほどの熟練兵士たちが俺の周囲に集まってきて、立体機動の腕前は?座学のレベルは?と、質問責めしてきやがった。
すぐに兵長がとんできて、連中を追い払ってくれなかったら、俺は夕飯にありつくこともできなかっただろう。
どういうわけか、俺は年寄りたち(世間的にいえば、まだまだ若い連中に対してきつい言葉だが、俺はもともと口が悪い)に、相当気に入られてしまったようだ。
しかし、特例で入団したというだけでも反発を買いやすいのに、上の連中のお気に入りとなれば、他の下っ端兵士に妬まれる格好の材料になる。
俺は面倒臭そうに周囲を見渡してみた。
思った通りだ。嫌な目をした奴が大勢いる。多分、近いうちに事件が起きるだろう。
訂正、近いどころか翌朝その時はきた。








「どんな手段で兵長に取り入ったんだよ」

あからさますぎるな、面倒くせえ。

「何とかいえよ、おい!」

俺が下手に出て一言謝りさえすればいいんだよ、というわけか。
だが俺は生憎と、ひとに頭を下げるような殊勝な人間じゃあないんだ。

「何だ、てめえらは。死にたいのか?」

その一言で連中は簡単に切れやがった。




TOP NEXT