「そんな……ここも行き止まり?」

は崖崩れで塞がれた山道を見て愕然となった。しかし泣きわめいている余裕もない。
もうすぐ日が暮れる。ぐずぐずしている時間はない。安全な隠れ場所に身を潜めなければいけないのだ。
踵を返すとは元来た道を全力疾走した。そしてツタに覆われた岩壁にたどり着くと、覆い茂っているツタを持ち上げた。
そこには女子供がやっと一人通れるほどのサイズの穴が空いている。
は即座に中に入ると、サッカーボールほどの石を積み上げ入り口を塞いだ。
穴は三メートルほどの奥行きしかない小さなものだ。しかし今のには他に安全な場所はない。
朝まで、この穴でじっとしている生活は二日目に突入していた――。




Panic―1―




(……眠れない)

こんな状況だ、睡眠はしっかりとって体力を少しでも回復しなければならないのだが、恐怖が勝って眠気が吹き飛んでしまっている。

(……皆は大丈夫かしら?)

忍足、亮、ジロー、岳人、樺地、鳳、日吉、そして……跡部。

(……景吾が殺されるわけないわ。第一、私が心配してやることなんてないわよ。あんな奴)


――それに、景吾だって私のことなんか心配してるものですか。


(他校の皆はどうかしら?)

青学や立海、それに四天宝寺の面々がやられたとは思えない。普通の学生を大きく上回る身体能力の持ち主なのだ。
マネージャーにすぎない自分が生き残っているくらいなのだから、彼らも無事だろう。
もしかしたら、すでに、この陸の孤島からの脱出を果たしているかもしれない。
しかしはすぐにその希望的な考えを捨てた。
未だに救助が来ないのは、誰もこの山から出た者がいないという証拠だ。

(いつまで、この地獄が続くの?)

ふさぎ込んでいると外から物音が聞こえ、はびくっと全身を硬直させた。

(まさか……あいつらが?)

はラケットを握りしめ身構えた。今のにとっては、それが唯一の武器、しかし相手は恐ろしいモンスターで数も多かった。
いざ戦闘となったら、どれほども役に立たないだろう。はひたすら見つからないことを祈るしかなかった。
その願いが通じたのか、ほーほーとフクロウが鳴く声が聞こえてきた。はほっと胸をなで下ろした。

(よかった。あいつらじゃなかった)

安心したせいか全身の力が抜け、はその場にゆっくりと座り込んだ。

(あいつらは知能はないみたいだから、きっとこの隠れ家には気づかないわ。
それに万が一見つかったとしても、ここには入ってこれっこない。
U―17のメンバーで、このサイズをパスできるのなんてリョーマ君と金太郎君くらいだもの)

そう考えると安心感からか急に眠気に襲われてきた。

(もう寝なきゃ……明日は日の出と共に起きて行動しよう。脱出ルートをなんとかして見つけないと。何より生存者を探さないと……)

は瞼を閉じた。

(景吾、皆……お願い、無事でいて)














は、幼い頃から、ずっと跡部の事が好きだった。
しかし跡部とは仲のいい幼馴染。本当の気持ちを伝えれば、恋人どころろか、今の関係すら壊してしまうかもしれない。
そんな恐れが先だって前にすすめなかった。けれども微妙な関係にピリオドを打ったのは跡部の方だった。

「俺様に惚れてるんだろ。俺様のインサイトはごまかせねえ」
「……それは」
「俺の恋人になれ。これは命令だ、拒否権はねえぜ」

長年の片思いが実った瞬間だった。その時、は跡部と自分の未来はバラ色に包まれた幸福なものだと信じて疑わなかった。
だが結果は逆だった。
跡部は以前から異性関係においては色々と噂の絶えない男だった。
実際にが知っているだけでも、何人もの女とつきあっては別れていた。
常に言い寄ってくるのは女の方で、外見がそこそこ好みなら跡部はOKした。
そして、しばらくすると飽きてお別れ。積極的ではないにしろプレイボーイだったのだ。


「しょうがねえだろ。実際つきあってみなきゃあ合うかどうかなんてわからねえ。今回もハズレだった、それだけの話だ」
跡部は、いつも、そう言っていた。跡部の意見も一理ある。
だから本気の恋愛には真面目な男だとは思っていた。
との交際は跡部から申し込んできたものだ。跡部は自分のことをよくわかっている。だから本気なのだと信じていた。
本気の相手だから……大切にしてくれる。そう信じていた。それなのに跡部はと交際をスタートさせた後も他の女とデートを重ねた。
が怒っても悲しんでもやめない。そんな状態が三ヶ月続いた。
その頃だった、可愛い転校生と跡部が一緒にいる姿が学園内で度々目撃されるようになったのは。


「あいつは今までの女と違う」
の前で跡部は残酷な言葉を吐いた。
「おまえの事は好きだ。でも、あいつもほっとけない。仕方ねえだろ」
確かに今までの女と彼女に対する跡部の態度は歴然としていた。
他の女とはデートするだけ。でものことをほったらかしにして、下校時に彼女を送ってやるのだ。
浮気じゃない、本気だとは確信した。
別れ話を言い出せないのは、跡部自身、非が自分にあるとわかってるからだろう。
しかし、きっと心の中では跡部の気持ちは結果が出ている。
いずれに非情な申し込みをすることは必至。
跡部の口から別れ話を聞きたくなかったは自分から申し出た。あの日の事は今でも覚えている。




「……今、何て言った?」
「言った通りよ。別れよう」
「……俺に相談もしないで勝手に決めるのか」
「もう限界なのよ。景吾のことなんか信じられない。もう愛せない!」
……!」
「もう顔も見たくない。さっさと彼女のところに行きなさいよ!」
「おい、落ち着け!」
「安心して。合宿が終わるまでマネージャーは続けるから。でも、その後は彼女にマネージャー頼むのね」
「おい話を聞け!」
「話すことなんて何もないわ。もう景吾なんか――」


「おまえたち、何をもめているんだ?」
部室の扉が開いて榊が現れた。
「いえ、何でもありません」
跡部が否定したが、きっとばればれだろう。しかしプライベートの事なので榊は追及はしなかった。
ただ、「明日から合宿だから早く帰るんだ」と指示を出してきた。
まだ話をしたかった跡部には不本意だったがにはありがたかった。
こうしては跡部と決別し、最後の仕事であるU―17合宿に参加したのだ。
それは、ほんの二週間ほど前の出来事だった。














「……朝、かしら?」
石の隙間から微かに入り込んだ日の光には目を覚ました。
「よく眠ったわ。すぐに出掛けないと」
出入り口を塞いだ石をどかしていく。一つ、二つ、三つ目に取りかかった時だった。
突然、ドス黒い腕が石を押し退けながら、に向かって延びてきた。着ていたシャツをつかまれは悲鳴を上げた。

(そんな、日光が出ているのに!こいつらは太陽の光が苦手なんじゃあなかったの?!)

外に引きずりだされる。もう終わりだ。














「いやぁぁぁー!!」
は絶叫しながら体を起こした。
「……え?」
光など全くない。まだ夜だ。
「……夢?」
ほっとした瞬間、洞穴の出入り口からがらっと不気味な音がした。
「……!!」
腕だ!浅黒い肌に血管が浮かび上がっている不気味な腕!

(さっきの悲鳴が外に聞こえたんだわ!)

は慌てて一番奥に移動してラケットを構えた。
その間にも積み重ねた石はがらがらと崩れてゆく。そして、ついに奴が姿を現した。
「……あ」
ぎらついた目、鋭い牙、黒く変色した肌、猛獣のようなうなり声。その姿はまさにモンスターだった。
だが体型そのものは人間、それも当然だ。この化け物は数日前までは人間だったのだ。
積み上げられた石が完全に崩さた。


(ど、どうしよう)
このまま朝が来るまで籠城するか?
(そうよ。こいつはここには入ってこれない……はず)
だが期待を裏切るかのように怪物はボール大の石を持ち上げるともの凄いパワーで岩壁を殴りだした。
ぴしっと嫌な音がして、岩にひびが入った。
(朝まで持たないわ)
決断するしかなかった。は荷物を肩に掛けると小石を拾い上げ怪物の顔面めがけて渾身の力を込めて投げた。
小石は見事に怪物の左目に命中。怪物は絶叫すると両手で顔を押さえて悶絶した。
(今だわ!)
は外に飛び出すと全力疾走した。走った、ただ走った。奴らの足が遅いことは不幸中の幸いだ。
湖の畔にでたところで、ようやくは足を止めた。




「……助かった」
遠くの山々が微かに明るくなっている。もうすぐ夜明けだ。
「よかった」
ほっと胸をなで下ろし腰を下ろした。だが、その瞬間、の全身に恐怖の旋律が走った。
水面に浮かんだ自分の背後に、あの怪物が映っていたのだ。
怪物はうなり声をあげながらにつかみかかった。
「だ、誰か……!」
怪物の牙が近づいてくる。喰われる、噛みつかれたらおしまいだ。
「誰か、助けて!!」
は叫んだ。


「……え?」

重みが消えた。視界の端に怪物が飛んでいくのが見える。

「大丈夫か!?」
「け、景吾……?」
「何してる。逃げるぞ!」


跡部が生きていた。それは嬉しい情報だった。何より欲しかった嬉しいニュースだ。
だが素直に感情をさらけだしたくなかった。
別れ話を持ち出したのはだ。形の上では切り捨てたのはの方だが、実際は捨てられたのは跡部じゃなくだ。
跡部には、もう新しい恋人がいる。その跡部に助けられるなんて複雑な気持ちだった。
差し出された手をとることを躊躇していると、業を煮やした跡部に手を強引につかんできた。

「何するのよ!」
「うるせえ、今はそんなこと言ってる場合か!!」

跡部に手を引かれは走り出していた。
こんな状況だというのに、繋いだ手のぬくもりには戸惑っていた――。




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