バカな、そんなバカな!こんなバカなことあるはずがない!!


「ハンジ……!」


やられるのは俺だったはずだ。巨人に殺されるのは俺だ、俺なんだ!
それなのに、なぜ俺が無事で、あいつが……!


「ハンジ、ハンジ、ハンジ!!」



あいつが死ななければいけないんだ……!!




戦場の勇気




リヴァイは激しい混乱に陥った。
この状況を作り出した己自身に対する憤怒、ハンジを手にかけた巨人への憎悪、それすらを上回る負の感情に支配されていた。
太陽の届かない深い地の底に突き落とされたような感覚。
生まれて初めて味わう感情だった。



「……!」

巨人たちがハンジを吸い込んだ建物に集まりつつある。
頭の中で、ほんの数週間前にハンジに教わった言葉が蘇った。

『どういうわけか巨人は生きてる人間にしか興味を示さないんだ』

ハンジは、まだ生きているのか?

結論を出す間もなくリヴァイは飛んでいた。
「ハンジィー!!」
ハンジに近づく巨人たちをリヴァイは瞬く間に血祭りにあげた。
それは普段のリヴァイからは想像もできない戦いぶりだった。
芸術的で無駄のない動きとは程遠い余裕のないものだった。
「ハンジ!」
窓を突き破り建物の中に入るとベッドに横たわるハンジを視界にとらえた。
シーツはすでに血に染まっている。そしてハンジはぴくりとも動かない。


「ハンジ、しっかりしろ!」
駆け寄り抱き起したがハンジの瞼は閉じられたままだ。
反射的にハンジの胸に耳をあてると微かだが心臓の鼓動が聞こえた。
「目を覚ませ、目を……あけてくれ……頼む!」
無情なほど反応はなかった。リヴァイは、ぬるっという嫌な感触に己の掌をみた。
べったりと血がついている。医療には素人のリヴァイでも、非常にやばいことだけはわかる。
このままではハンジは失血死する。早く医療班の元に連れていかなければならない。
文字通りハンジの命は風前の灯だ。一刻の猶予もならない。
リヴァイはハンジを抱き抱え立ち上がった。
そのタイミングを計ったかのように巨大な腕が伸びてきた、巨人だ!
リヴァイは素早く避けると反対側の扉を蹴破り外に飛び出した。
巨人がいる。それも一体や二体じゃない。しかも大型サイズの奴だ。
いつものリヴァイならば、例え、こんな状況だろうが巨人の死体の山を難なく築いたであろう。
だが今はハンジを抱え両手が塞がっている。
どんな天才だろうが武器を持つことができなければ敵を殲滅することなど不可能だ。


「……リ……ヴァイ」
「ハンジ?」


ハンジの意識が戻ったようだ。虚ろな目ではあったが。

「……私に構わず……逃げて……」
「つまらないことなら喋るな!」

ハンジは再び意識を失った。リヴァイの焦りはさらに加速した。
巨人の数の多さにリヴァイは群れの中心部にまで入り込んでしまっていた己の愚かさに気づいた。
重傷のハンジを抱えながら、この群れを突破するのは、さすがのリヴァイでも容易ではない。


(こいつは……ハンジだけは……!)


リヴァイは巨人どもの猛攻を避けながら猛スピードで飛んだ。だがスピードが急激に落ち始めた。
それは最悪の事態を示していた。

(ガスの残量が……!俺、一人ではハンジを連れて逃げきるのは不可能だ)

今まで仲間との共闘をバカにしていたツケがまわってきた。
どれだけ強くとも個人の力には限界があることをリヴァイは思い知ったのだ。
それでも自分の命と引き換えにしてでも助けたい、いや必ず守り抜く。
リヴァイは意を決してハンジを一番高い建物の屋根の上に、そっと横たわせると、団員たちがハンジを発見してくれることを願い信号弾を撃った。
そしてブレードを抜いた。ガスの残量を考慮すれば、それは自殺に等しい行為だった。


「糞野郎どもが、俺を喰えるものなら喰ってみろ!」


リヴァイは飛んだ。
(ガスが尽きるまで一匹でも多く巨人を狩ってやる)
ハンジを生かすためだけに一秒でも多く時間を稼ぐ。それがリヴァイが命を懸けた賭けであり、生まれて初めて大切な者を守るための戦いだった。
巨人たちはリヴァイの猛攻に瞬く間に倒れていったが、それ以上に新たな巨人が増えていく。

(俺の責任だ。俺が、あの時、命令に従っていれば――)





「リヴァイ!!」
孤独な戦いを繰り広げていたリヴァイの周囲に兵士たちが飛来してきた。
「エルヴィン!」
「ハンジはどうした?」
「あいつは俺を庇って……」
ハンジを視界に捉えたエルヴィンは全てを悟り、「ここは私たちが引き受けるから、おまえはハンジを頼む」と叫んだ。
「……!」
「何をしている。さっさとするんだ!」
「了解した……すまないエルヴィン」
リヴァイはハンジを抱きかかえると残りのガスをフル噴射して、その場を離れた。

「……『了解した』か。初めてだな、おまえの口から、その言葉をきいたのは」










「全身打撲に数本の骨折。奇跡的に内臓は無事だ。
ベッドではなく床に叩きつけられていたら、おそらく即死だっただろうな」
ハンジを診察した軍医は難しい表情で言った。
「じゃあハンジは助かるんだな?」
リヴァイは言葉を震わせながら軍医に訊ねた。
「怪我自体は……だが出血量が多すぎた。もっと早く治療して止血できていれば」
「どういうことだ!」
詰め寄られた軍医は「こればかりは、どうにもならん。医者は神じゃないのだ」と必死に主張した。

「最善は尽くした。後は本人の体力次第……おそらくは今夜が峠」
「……何だと?」

リヴァイの中で何かが凍りついた。全身が震え立つことすら困難だった。
足元が崩れ奈落に落ちてゆく錯覚すら覚えた。


「てめえは医者だろ、何とかしたらどうなんだ!!」
リヴァイは軍医の胸元をつかみ激しく詰った。
「やめるんだリヴァイ、ドクターを責めても事態は変わらんぞ!」
エルヴィンやミケが必死になってリヴァイの制止を試みるもリヴァイは止まらなかった。
「ハンジを死なせてみろ!どんな手を使ってでも死なせるな!!」
「ひっ、そ、そんなこと言われても……!」
「殺されたいのか!!」
「わしを殺しても彼女は助からんぞ!」
当然だ。そんなことはリヴァイも本当はわかっている。
「リヴァイ、ここはハンジを信じよう。彼女はタフな女性だ、きっと大丈夫だ」
「エルヴィンの言うとおりだ。彼女からは死臭はしない。だから助かるぞ」
慰めの言葉などリヴァイの耳に入らない。
リヴァイに理解できたのは、もはやハンジの命は神頼みのレベルだということだけだった。


「……頼む」

どれほど脅したところで軍医にできることはもうない。

「……頼むから、あいつを助けてくれ」

それまでの野獣の威嚇のような姿はどこにもなかった。
リヴァイは絶望に精神を蝕まれ弱弱しく、その場に膝をついた。


「助けてくれぇー!俺の命をわけてやってくれっ!!」










「リヴァイ、衛生兵が看護するから、おまえは休め。夜が明ければ、いつまた巨人が襲ってくるかもわからない。
その時が来たら、他の誰よりも、おまえの力が必要になるんだ」
あれから数時間。ハンジは、まだ目覚めなかった。
リヴァイはベッドの傍らにおかれた椅子に座り、ただ、じっとハンジの顔を見つめている。
「リヴァイ、巨人が襲撃してきたらハンジも確実に死ぬぞ」
「……ああ、わかってる」
ずっと無口だったリヴァイだがハンジの名前に反応し、ようやく言葉を返した。
「……約束する。もし、その時が来たら、今度はしくじらない」
「だったら少しは体を休めてくれ」
「……俺は地下街育ちだ、柔じゃない。第一、とても眠れない」
「……リヴァイ」
「眠れないんだ……こいつが目を覚まさない限り」
エルヴィンは、それ以上、何も言えなかった――。





深夜に突入しても依然としてハンジの意識は戻らない。
軍医が予告した命のタイムリミットが刻一刻と近づいてきている。


「……ハンジ」

――なぜ俺を助けた?

「俺がいつ、おまえに身代わりになってくれと頼んだ?」

――このまま、おまえが目覚めなければ、俺はどうすればいい?

「てめえほど最悪な女はいない」

――こんな最低な気分にさせてくれた人間は今まで存在しなかった。



「……酷いなあ……騎士に悪態つくなんて……」



リヴァイの瞳が拡大した。
「……死神に嫌われちゃったみたいだね」
激痛を我慢して無理に笑顔を見せるハンジ。
「……手」
リヴァイは、はっとして、ずっと握っていたハンジの手を思わず離した。
「ねえ、もしかして、ずっと握っててくれたの?」
顔を背けるリヴァイ。その横顔が微かに震えていた。

「……リヴァイ、泣いてるの?」
「……糞みてえなこと言うな。エルヴィンたちに知らせてくる。残念ながら奇行種が生き返ったってな」





リヴァイが医療用テントから出るとエルヴィンや団員たちが待っていたように集まってきた。
「リヴァイ、ハンジは?」
「大丈夫なのか?」
リヴァイに反発し仕事以外のことでは声をかけてこない班長や班員達もだ。
「……」
無言のリヴァイにエルヴィン達は不安な表情を隠せない。
「……エルヴィン」
「何だ、リヴァイ?」
「俺、一人では、あいつを連れて逃げ切ることはできなかった」
いつもの不遜な態度からは想像もできないほどリヴァイは殊勝だった。


「仲間がいてくれたから、あいつは助かった」
仲間など弱者が寄せ集まるのを正当化するための理由ぐらいにしか思ってなかったリヴァイ。
「俺が軍律を乱さなければ今回の事件は起きなかった」
規則など破るためにあるようなものだと信じてすらいたリヴァイ。
「迷惑をかけてすまなかった」
そのリヴァイが頭を下げた。
「……ハンジを助けてくれて礼を言う」
誰もが呆気にとられていた。そんな中、エルヴィンが一歩前に出てリヴァイの肩に手をおいた。
「正直にきかせてくれリヴァイ。ハンジが死にかけた時、おまえは、まず何を思った?」
巨人への憎悪か?己への憤怒か?
「俺は……」
まだ、はっきり覚えている。二度と経験したくない場面だ。


「俺は怖かった」


今、思い出しても足がすくむ。
「俺は臆病者だエルヴィン……恐怖を感じた」
ハンジを失う、それがたまらなく怖かった。
「だが、おまえは立ち止らなかっただろう?」
「それは、ハンジが助かる可能性に賭けただけだ……俺は」
「リヴァイ」
エルヴィンはリヴァイの言葉を止めた。
「恐怖を感じない人間なんて存在しない。もし、いるとしたら、そいつは巨人と同じ、ただ生きているだけの化け物だ」
「……巨人と同じ?」
「おまえが人間だとわかって私は心からほっとしてるんだよリヴァイ」


「そして恐怖を乗り越えたおまえなら、二度と同じ過ちは繰り返さないと信じているよ」


リヴァイが本当の意味で調査兵団の人間になった瞬間だった――。










「リヴァイ兵長、質問よろしいでしょうか?」
エレンが遠慮がちに訊ねた。
「何だ?」
「俺は同期から身勝手な死に急ぎ野郎と言われてます」
「合ってるじゃねえか」
「俺は兵長のような兵士になりたいんです。失礼ですが兵長も昔は少々勝手だったとハンジさんから聞きました。
教えてほしいんです。その兵長が、どのように今のご立派な兵士になることができたんですか?」
返事をしないリヴァイにエレンは「すみません。忘れてください」と慌てて前言撤回した。
それから数時間後――。



「じゃあ、失礼するよ。リヴァイ、後は頼んだよ」
「てめえも寝首だけはかかれねえように警戒だけは怠るな」

夜明けと共にハンジは部下たちを連れ調査兵団本部に戻らなければならない。
本当なら監禁してでもハンジをそばにおきたいリヴァイだったが、兵士長として送り出さなければならなかった。
扉を開き外に一歩出れば、それはリヴァイとハンジの別れのスタートになる。
「ハンジ」
リヴァイはハンジの腕をつかんだ。


「俺は何だ?」
「人類最強の兵士。調査兵団の希望。人々のカリスマ」
「それだけか?」


「私の最愛の男」


「ああ、そうだ。だから絶対に死ぬな。てめえが死んだら俺の魂も半分死ぬんだ。
エルヴィンに言わせれば、それは人類にとってでかい損失になるらしいからな」

「わかってる。努力するよ」

ハンジはリヴァイの背中に手を回すと「しばらく会えなくて寂しいよ」と言った。

「あなたにとって私は何?」
「今度会ったときおしえてやる」
「なおさら死ねなくなったね」



「分隊長、そろそろお時間ですよ」
馬を連れたモブリット達が催促している。
「そろそろ行くよ」
「ああ」
ハンジは名残惜しそうにリヴァイから離れると馬上のひとになった。
ほんのひと時の恋人たちの時間に終幕が訪れたのだ。





「エレンよ」
二人の別れをエレンは、そっと見ていた。
「昨日の質問に答えてやる。その前に教えろ、てめえは、どうやって巨人を操る能力を発動させた?」
突然のことにエレンは言葉につまった。
「何でもいい。その力を使った時、てめえは何を考え何をした?」
「……何って。俺はただ」
エレンの視線の先にはミカサがいた。


「あいつを守りたかった。ただ、それだけです」


六年前、ハンジに守られ、守り抜こうとした記憶がエレンの言葉と重なった。
リヴァイは静かに目を閉じた。


「同じだ」
「え?」



大切なことは全て、あのクソメガネが教えてくれた。
その為には、本物の勇気をもった本当の兵士として生きることの大切さを。



「あいつを守りたかった。ただ、それだけだ」



FIN




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