「それよりもパートナーよ。早く決めないとあぶれちゃうわよ」
毎年、この時期になると校内のあちこちから聞えてくる声。
この並盛中学校は、ごく普通のどこにでもあるような学校だが、一つだけ外国じみた行事が行われている。
それは毎年クリスマスに行われるプロム――つまりダンスパーティー。
このパーティーでペアを組んだ男女は公認の恋人になることだってある。
まして三年ともなると、中学生活最後の思い出作りとあって気合の入れ方は半端ではない。
それは彼女――天瀬美恵も同じだった。
PROM―1―
「ねえねえ、美恵見たわよ!」
「え、何を?」
美恵は心臓がドキリと跳ねるのを感じ頬を赤く染めた。
(あの事、見られたのかしら?)
昨日の日曜日、美恵は百貨店に出かけ純白の絹布を購入した。
プロムまで一ヶ月、そこで思い切って手作りドレスに挑戦しようと考えたのだ。
純白のドレスは自動的にウエディングドレスを連想させる。
愛しいひとの為に着るためだと思われてしまっただろうか?
(……違う、とは言えないし……ね)
だが美恵の推測は見事に外れた。
「隣のクラスの天野君にプロムのパートナー申し込まれたでしょ。彼、なかなかイケメンだし良かったじゃない!」
「……何だ、そのことか」
美恵は半分ほっとし、半分拍子抜けした。
「もちろんOKしたんでしょ?」
「どうしてOKするのよ。話もしたことないひとなのよ」
「ええっ!断ったの、勿体無い!あのねえ、一ヵ月後に恥かきたいの?それとも、もう相手決まってるの?」
「決まってはいないけど……」
美恵は恥ずかしそうに頬を染めた。お目当ての男子生徒はいると、その顔は雄弁に物語っている。
「いるんだ好きな人!ねえねえ誰なの?応援するから教えてよ」
「……本当に応援してくれる?」
美恵は思いつめた表情で言った。その瞬間、友人は重要なことを思い出した。
美恵が、この学校の生徒なら誰もが恐れる恐怖の風紀委員長の幼馴染だというとを!
「……美恵、ま、まままま……まさかとは思うけど……」
美恵は綺麗な少女だった。顔形そのものも魅力的だったが、性格の良さが人相に表れている。
とにかく笑顔が素敵な女性、彼女に憧れている男子生徒も少なくない。
しかし、そんなモテモテぶりとは裏腹に彼氏いない歴15年を更新しようとしている理由は明らかだった。
彼女は、この学校を……いや町内を牛耳る雲雀恭弥の幼馴染!
彼女を愛するということは、つまり雲雀恭弥と戦う覚悟を持たなければいけない。
美恵の事は好きだが、雲雀を敵に回してまでという命知らずは、さすがにいなかった。
天野は転校生だったので、この事実をまだ知らなかったのだ。
「あ、あの……まさか美恵、あんたプロムのパートナーに……」
二人が幼馴染ということは知れ渡っていたが、恋愛関係まで発展しているという噂はまだない。
友人が驚愕するのも無理は無いだろう。
「……うん。恭弥にお願いしようと思っているの」
「ちょ!ちょっと、それ無理、不可能、絶対駄目だって!!」
友人はとりつくしまもなく反対した。その態度に美恵は溜息をついた。
――友達まで根っから反対なんて、やっぱり恭弥ってそういう目で見られているのね。
――妙な活動している恭弥に問題あるのはわかるけど……。
――でも好きなひとが、ただの不良としか見られないって辛いな。
――ああ見えて恭弥は本当は優しいひとなのに。ちょっと、いえかなり不器用なだけで。
「……きっとスーツも似合うはずよ。無愛想だけど、顔だけはいいんだから」
「誰が無愛想なんだい?」
屋上で溜息をついていると背後にいつの間にか雲雀が立っていた。
「恭弥、良かった。捜したのよ、ここに来れば会えると思って待っていた甲斐があったわ」
「僕に何の用だい?」
「うん、あのね……」
美恵は早速例の件を頼もうと思ったが、いざ雲雀を前にすると照れてしまう。
気心の知れた幼馴染とはいえ、いや、だからこそ返って言いにくいこともある。
幼い頃から兄妹のような間柄だったのだ。
今さら、そこに恋愛感情を持ち込むのは勇気がいる。
もしかして今まで築いた関係も壊れてしまうかもしれないのだ。
美恵が躊躇していると、雲雀はごろんと床に仰向けになった。
学校の屋上で昼寝。こんなことをするのは彼くらいだろう。
その表情は、まるで子供のように純粋で、とても凶悪な風紀委員長とは思えなかった。
美恵が雲雀の隣にちょこんと座ると、雲雀は少し体を起こして美恵の膝に頭を乗せた。
「今日は温かいわね」
「そうだね。でも美恵の膝枕はいつも温かいよ」
そんな嬉しいことをさらって言ってくれる雲雀。美恵は、そっと雲雀の髪の毛に触れた。
「ねえ恭弥」
「何?」
「あのね、お願いがあるの。聞いてくれる?」
「ふうん、珍しいね。美恵がお願いなんて。何だい?言ってごらんよ」
さあ吉と出るか凶と出るか。美恵は緊張しながら、必死に声を絞り出した。
「あ、あのね!もうすぐプロムがあるでしょう」
「ああ、あのつまらない行事か。風紀委員の権限でいっそ中止にしてやりたいくらいだよ」
「ちょっと恭弥、どうしてそんな酷いことを言うの?皆、楽しみにしているのよ」
「本当のことさ。僕は群れるのが嫌いなんだ。しかも群れるだけじゃ気がすまなくて騒ぐんだ。
本当にうっとおしいこと、この上ないよ」
美恵は溜息をついた。これは前途多難だ。
だが、ここで諦めたら、せっかく作っているドレスだって無駄になる。
(恭弥はこういう人だけど、でも必死に頼めば……本当は優しいひとだもの)
美恵は勇気を振り絞った。
「恭弥!お願い、私と一緒にプロムに行って!!」
言った、ついに言ってしまった。こんなに緊張したのは、きっと生まれて初めてだろう。
雲雀は目を開けると上半身を起こした。そして冷淡な目で、じっと美恵を見詰めた。
「何、ふざけた事言ってるのさ」
二人の間に重苦しい空気が流れた。長年付き合ってきたが、こんな事初めてだ。
「冗談、顔だけにしろ」
「冗談じゃないわ。私のパートナーになって欲しいの……せっかくのプロムなのよ」
「何がプロムだよ。知ってるだろ僕は群れるのが嫌いなんだ」
雲雀に心のどこかで期待していた美恵は強いショックを受けた。
「……だってプロムはパートナーが必要なのよ。恭弥だって知ってるでしょ?」
パートナーという単語に、冷淡だった雲雀の目が急に鋭くなった。
「……パートナーだって、何それ?まさか僕が断ったら他の男と行く気なの?」
雲雀は明らかにご機嫌斜めだ。
(もしかして私が他のひとと組むのは嫌なのかしら?)
だとしたら嬉しい。美恵は思い切って尋ねてみた。
「恭弥、私こうみえてももてるのよ。今日だって申し込んでくれたひといたんだから。
恭弥は私が他の男の人とくんでも平気なの?パートナーって彼氏も同然で……」
話の途中だというのに雲雀が突然立ち上がった。
「恭弥?」
「不愉快だ」
「ちょっと恭弥!」
「しばらく顔も見たくないね」
雲雀は美恵が引きとめるのも無視して、さっさと立ち去ってしまった。
「……何よ、あれ」
断るにしても、もっと言い方があるのに……あんな言い方しなくても。
悲しい――と、言うよりも腹立たしくなってきた。
「……何よ。ずっと一緒だったのに、どうして、あんな冷たいこと」
美恵は昇降口のドアを開き階段を猛スピードで駆け下りた。雲雀は廊下の先を歩いている。
雲雀が廊下を歩くと他の生徒達は道をあけ名行列のように頭を下げる、その時も例外ではなかった。
その大勢の生徒の前で美恵は雲雀の背中に向かって怒鳴りつけた。
「私だって、もうあなたの顔も見たくないわよ!恭弥の馬鹿、大嫌い!!」
そのまま階段を駆け下りていった。残されたのはシーンと静まり返った重苦しい空気だけ。
生徒達はおそるおそる顔を上げ雲雀を見た。雲雀は隠しトンファーを取り出した。
「ぎゃあ!!」
たまたま一番近くにいた生徒がトンファーの餌食になった。
「……その眉は校則違反だよ」
誰が見ても、ただの八つ当たりだった――。
「何よ、恭弥の馬鹿!もう、あんな奴知らない!」
帰宅の途についても美恵の怒りは納まらなかった。それどころか増大さえしている。
「そんなにプロムが嫌なら、もう誘わないわよ!
恭弥なんかより、ずっと素敵なひとを見つけて、その人と行くから!
恭弥より優しくて紳士で思いやりのあるハンサムなひとと……」
そこまで言って今度は虚しくなってきた。雲雀の幼馴染の自分と誰が一緒に行ってくれるというのだ?
唯一の例外だった転校生の天野も自らの手で潰してしまったではないか。
仮に雲雀を恐れずに自分を誘ってくれる男が存在するとしても、その男の手をとれるだろうか?
「……恭弥の馬鹿」
想像してみたが雲雀以外の男は駄目だった。悔しいが、やはり雲雀のことが好きなのだ。
「……ずっと子供のままだったら良かったのに」
なまじ恋愛感情なんか持つから知らなくていい悲しさや切なさを味わう羽目になった。
ずっとずっと仲のいい幼馴染のままでいれば、つまらない喧嘩をすることもなかった。
(……言いすぎたかしら?)
感情のままに怒りをぶつけてしまったが、なまじ喧嘩したことが少ないだけに仲直りするのも難しそうだ。
明日学校で会った時、どんな顔をしたらいいだろう?
もしも無視されたら?顔をそらされてしまったら?考えただけで悲しくなる。
(……あんなこと言わなきゃよかった)
後悔先に立たずというが、その意味を美恵は痛いほど理解してしまった。
(恭弥と喧嘩なんて、昔、二人で黒曜センターに遊びに行った時以来だわ)
ルンルン気分の美恵、反して雲雀はご機嫌斜め。もっと遊びたいという美恵と、もう帰るという雲雀。
自制心がきかない小学生ということもあって二人は派手に喧嘩した。
その結果、そこでお別れ別行動をとることになったのだ。
だが帰り道に迷い泣いていると、いつの間にかそばにいた雲雀が手を出してきていた。
『恭弥……帰ったんじゃなかったの?』
泣きつかれてしゃがんでいた美恵。歩き回ったこともあり立てそうもなかった。
『ほら、今回だけだよ』
雲雀は美恵の前に背を向けてしゃがんだ。そして美恵を背負って家まで送ってくれた。
(……今度はそうはいかないわよね。もう子供じゃないんだから。
黒曜センターか。確か廃園になったけど、今どうなってるだろう?)
懐かしさのあまり自然と足が向いてしまった。もう何年も、あそこには立ち寄ってない。
思い出の中の黒曜センターは小規模ながらも、子供にとっては中々の遊び場だった。
だが今は土砂に埋もれ、残っている建物も老朽化しており昔日の面影は無い。
それでも雲雀との喧嘩で少々感傷的になっている美恵は懐かしさが込みあげていた。
門扉の鍵はさび付いていて壊れていた。好奇心から足を踏み入れてしまった。
「本当に随分変わってしまったわね」
歩いていくと大きな建物が見えてきた。例に漏れず、随分荒れている。
「……え?」
気のせいだろうか?誰もいないはずの窓にチラッと人影が見えた。
普通の女の子なら幽霊でも想像して逃げ帰ったかもしれない。
しかし美恵は、あの雲雀とも平然と付き合えるような人間。恐怖ではなく好奇心が湧いていた。
その建物に足を踏み入れ階段を昇ってゆく。廃屋と化した建物は屋内も酷いものだった。
こんな所に人がいるとは思えない。やはり気のせいだろうか?そう思いかけたときだった。
「あなたは……」
ある部屋の扉を開くと、部屋の隅で女の子がうずくまっていた。可愛い子だが眼帯をつけている。
制服からして黒曜中学の女生徒のようだが、どうしてこんな所にいるのだろう?
その子は美恵を見て少し怯えているようだ。
人見知りするタイプなのだろうか?それとも恥ずかしがりや?
「怖がらなくていいわ。あなた黒曜の生徒さんでしょう?」
「……違う」
それは予想外の答えだった。
「だって、その制服は黒曜のものでしょう?」
「……これしか着るものないから」
またしても予想外の返事だった。
「着るものがないって……あ、もう、こんな時間。あなたも、そろそろ家に帰らないと」
「……ここが私の家だから」
予想外の答えも三度目ともなると慣れてきた。どうやら、この娘は随分わけありのようだ。
「あなた一人でここに住んでいるの?」
美恵は娘を怖がらせないように、なるべく優しい口調で話しかけた。
その思いが通じているのか、彼女は素直に答えてくれる。
「ううん犬と千種と一緒……でも最近帰って来ないの」
空腹を告げる腹音が聞えた。娘は途端に真っ赤になる、どうやら随分おなかをすかせているらしい。
「あなたご飯は食べてる?」
彼女は無言のまま左右に頭をふった。どうやら、何日も食事をしていないらしい。
辺りを見渡すと、お菓子の袋が散乱している。
(まさか、これが主食?この子……いえ、この子とその仲間はストレートチルドレンかしら?)
美恵が自分なりに出した答えは微妙だった。半分当たり、半分外れといったところだろう。
(可愛い子なのに……こんな寒くて不衛生なところで満足な食事もしないで)
そこまで考え美恵は、その子の顔が赤いのは恥かしがりやだけではない事に気づいた。
慌てて彼女の額に手を押し当てると、掌に熱を感じた。
「あなた熱があるじゃない。大変、こんな所にいたら悪化するわ。私の家にいらっしゃい」
見ず知らずの女の突然の申し出に少女は慌てて頭を左右に振って拒絶した。
「大丈夫よ、何もしないから」
「……私、ここにいる」
控えめではあるがテコでも動きそうもない拒絶の意志を感じた。
考えてみれば出会ったばかりの相手を信用できないのは無理もない。
「わかったわ」
美恵は、それ以上無理強いせずに、その場から立ち去った。
そして二時間後、大きな荷物を持って再び、この場に戻ってきたのだ。
当然のように少女は驚いていた。
美恵はボロボロのソファの上に敷物を引いて即席ではあるが温かいベッドをこしらえてやった。
「病人は栄養のあるものを食べて、しっかり寝ないとね。はい」
小さな保温バックから取り出した雑炊をお茶碗によそい箸と差し出すと少女は途惑って美恵を見上げた。
「口に合うかどうかはわからないけど栄養だけは保障するわよ」
「……あ、ありがとう」
どうやら手料理は無駄にならないようだ。美恵はニッコリ微笑んだ。
「……美味しい」
「良かった」
十分、栄養をとらせるとソファに寝かせ毛布をかけてやった。
「……温かい」
随分長い間、まともな睡眠をとってなかったのだろう。少女は安心したように眠りに付いた。
美恵も一安心した途端、眠くなった。
「……少し仮眠しよう」
壁に背もたれして、すやすやと寝息を立て、どのくらい時間が過ぎただろうか?
ふと、すぐそばに人の気配を感じ美恵は目を覚ました。
隣に誰かいる、その肩に頭を預けている体勢になっているではないか。
(……誰?)
見上げて美恵は驚きのあまり息を呑んだ。視界にはいったのは、恐ろしいくらい麗しい男だった。
「おや、お目覚めですか?クフフフ、久しぶりに楽しいことになりそうですね」
TOP NEXT