――美恵、美恵!!


意識の彼方から声が聞こえる。
よく知っている声のはずなのに、誰なのかはっきりわからない。


――美恵、しっかりするんだ!!


美恵はうっすらと目を開いた。視覚に飛び込んできたのは幼馴染の顔。

「……恭……弥……」

ようやく絞り出した声は呼吸器によって遮られ雲雀の耳には聞こえなかっただろう。
しかし唇の動きから察してくれたのか、雲雀は美恵の手を握りしめてきた。


「大丈夫だ、だから……!」
「……何……泣きそうな……」


――泣きそうな顔してるのよ。あなたの、そんな顔、初めて見たわ。




PROM―6―





――あれから、どのくらいの時間がたっただろうか?


「……私、どうしたんだろう?」


体がとても軽い。確かに被弾して大怪我したはずなのに痛みなどない。
それどころか以前よりも爽快に動けるくらいだ。
「恭弥?」
雲雀が廊下の長椅子に座りうなだれている。
そこにはいつも自信満々に並盛中学を支配している独裁者の姿はない。


「恭弥、私なら無事よ」
雲雀に駆け寄り声をかけた。だが雲雀の様子がおかしい、自分を見ようともしないのだ。
「恭弥?」
もう一度名前を呼んできたが結果は同じ。美恵は混乱した、何かが変だ。


「恭弥、どうしたのよ。聞こえてないの?」

雲雀の肩に触れようと手を伸ばした瞬間、美恵はこの異様な状況をさらに衝撃的な形で思い知った。

(……え?)

手が雲雀の肩をすり抜けたのだ――。




「……どう……いう、こと?」


どうして、どうして?


必死になって考えた。でも、わからない。
無意識に振り向くと手術室の前だということを知った。手術中のランプがやけに赤い。
「……美恵」
背後から雲雀の声がした。この手術室の向こうにいるのは自分だ。
では今の自分は?手術が終わってないところを見ると、まだ死んではないだろう。

「……幽霊じゃない……生霊ってやつなの?」




「ヒバリさん……!」
廊下の角から綱吉たちが飛び出し駆け寄ってきた。
「本当にすみません。ヒバリさんの大切な女性を巻き込んでしまって……本当に申し訳ありません!」
綱吉は必死になって頭を下げているが、雲雀は完全に無視している。
「おい、十代目が頭下げてるんだぞ!てめえだって守護者なんだ、どういうつもりなんだよ!!」
獄寺は病院内だということも忘れて怒鳴っている。
それでも雲雀は全く相手にしていない。ただ疲れ切った表情で手術室の扉を見つめているだけだ。


「獄寺君、悪いのは俺なんだからヒバリさんを責めるような事は言わないでよ」
「何言ってんすか。こいつは元々十代目に対して忠誠心無さ過ぎなんですよ。
ボンゴレの守護者やってる以上、こういうアクシデントは使命みたいなもんなんですよ。
ヒバリの彼女が犠牲になったからって十代目が罪悪感を感じる必要は――」
ガシャン!!と凄まじい破壊音がしていた。
獄寺の姿はない。代わりに数十メートル先の窓ガラスが内側から木端微塵に割れていた。


「ヒ、ヒバリさん……」
「……消えなよ」

雲雀がトンファーを構えている。


「殺されたくなかったら消えろ!!」


綱吉は慌てて逃げ去った。









「……恭弥、私はここにいるのよ」
優しく呼びかけた。しかし相変わらず雲雀に自分の声は聞こえないらしい。
「……僕のせいだ」
「恭弥、それは違うわ」
「……あいつらにとどめを刺しておけばこんな事にはならなかった」
「……あ、あのね……それもちょっと怖いわよ」


どんなに叫ぼうと雲雀には聞こえないようだ。美恵は諦めて雲雀の隣に腰かけた。
やがて手術中のランプが消え、雲雀は即座に立ち上がった。
程なくして扉が医者がマスクを取りながら出てきた。

「院長、美恵は!?」
「ご安心下さい。命に別状はありませんよ」

雲雀の表情が緊張から安堵へと変化してゆく。
そしてベッドに乗せられた美恵が出てくると、雲雀はすぐにそばに寄った。


美恵」
「全身麻酔から目覚めるまで、まだ数時間かかりますよ」
医者の言葉を裏付けるようにベッドの上の美恵は微動だにしない。
「命に別状はありませんし、傷も目立たないように整形しておきました。ただ」
「ただ、何?」
「説明するまでもないですが、当分は絶対安静ですよ。当分は散歩も無理です」














「しばらく絶対安静か……そうだよね」

サイドソファに座りながら、美恵は自分自身を見詰め溜息をついた。

「……プロム、踊るどころか出ることもできなくなっちゃった」

変にこだわったりしたから、罰があたったのかしら?


そんなネガティブな考えすらでてくる。




「そんなわけないでしょう。あなたは単なる腐れマフィアの被害者ですよ」




「……え?」
美恵は思わず立ち上がっていた。
「どこを見てるんですか?ここですよ、ここ」
声は隣から聞こえてくる。いつの間にか骸が隣に座っていた。
「どうして、あなたがここ?」


それよりも、どうして自分の心の声が?
いや、それ以前に幽体である自分が見えるなんて!


「僕も生霊みたいな存在ですからね。くふふ」
「……あなたって」
「おや、もう驚かないんですか?つまらないですね」
「……もう慣れたわ。本当に、あなたって何でもありなのね」
美恵は骸の隣に座り直した。


「どうしてここに?もしかして、あなたも恭弥みたいに私に罪悪感を感じているのかしら?」
「僕が?まさかでしょう」
骸は不敵な笑みすら浮かべている。
「ただ、僕は一度目をつけた人間に逃げられるのは癪に障るだけです。
あの世に逃げられてしまっては困るから様子を見に来た。ただ、それだけですよ」
「あなたらしい返事ね……あなた、そういえば私とプロムで踊ってもいいって言ったわよね?」
「ええ言いましたよ。やっと、その気になってくれたんですか?」
美恵はクスッと笑みを浮かべた。


「何がおかしいんですか?」
「私、絶対安静なのよ。病院内を歩くこともできない、ダンスなんて無理だわ」
それから先ほどの笑みが嘘のように悲しそうな顔を見せた。
「……恭弥は全部自分のせいだと思っているわ。恭弥に悪い事をしたわね」
「彼の事をよくわかっているんですね」
「それは当然よ。子供の頃から一緒にいたんだもの」
「だったら彼がプロムなんかに行くような人格じゃない事もわかっていたはずなのに」
確かにそうだ。それでも、もしかして……と期待してしまっていた。


「……本当にそうね」
「彼の事が好きなんですか?」
「……よく、わからないわ。そういうあなたはどうして私にこんなに構うのよ。
私、あなたの事全然知らないのよ。
あなたくらい美男子だったら、他にいくらでも美人との出会いあるんでしょう?」




「それほどじゃあありませんよ。こう見えても僕はマフィアの実験動物でしたからね」




どのくらい静かな時間がゆっくりと流れただろう。
もしかしたら数十分かもしれないし、あるいは数秒かもしれない。
そんな不思議な感覚に陥るような時間だった。
言葉がなかなかでない。ふいに骸が美恵の頬に手を添えてきた。
その時、美恵の脳裏に浮かんだ映像は凄惨なものだった。
日々、繰り返される残忍な実験。起こるべきして起きた殺人、脱走。そして復讐。
流血の日々、脱獄、終わる事のない戦闘。それは美恵にとって驚愕すぎる修羅の世界だった。


「……あなた」
「何ですか?」
「……あなた、どういう生き方してきたのよ」
「くふふふ、僕が怖いですか?」

怖い、不思議とその感情は沸いてこなかった。ただ気が付くと涙を流していた。

「……あなたは」
「僕は?」


「……本当は優しいひとなのね」


骸が目を丸くしていた。余程、驚いたのだろう。
「……何の冗談ですか?」
「本心よ。だって、そんな辛い思いをしてきたのにクロームちゃんに優しく接してあげられるだもの」
「彼女は僕の駒だから粗末にできないだけですよ。バカバカしい」
美恵は笑っていた。
「恭弥も似たようなものよ。あなた達って不思議ね。全く違うように見えて、実は似た者同士なんだもの」


顔を突き合わすたびに骸に反発していた美恵。
だが、今は骸がとても近く感じる。
この優しい時間を悪くないと思えるほどだった――。














――数日後――


「……痛っ」
美恵はゆっくりと体を起こした。
「……今日はプロム。皆、楽しんでるでしょうね」
反対に自分は今だ寝たきりだ。立ち上がり、ゆっくりと歩くのが今できる限界。
「無理もないわね。命があるだけでも感謝しなきゃ」
朝食を終え再びベッドに横になり、何気なく外の景色を見詰めていた。
病院というものは実に暇だ。やる事が限られてしまい退屈すぎる。
そんな美恵の気持ちに神が気づいたのか、トントンと病室の扉をノックする音が聞こえた。


「はい、どうぞ」
「あの……傷、どうですか?」
「クロームちゃん、お見舞いに来てくれたの?」
嬉しい来訪者だ。神様が話相手をプレゼントしてくれたのだと美恵は喜んだ。
ところがクロームは、「あの、これ……」と小さなメモ用紙を美恵に差し出してくる。
受け取ると、「じゃあ……」と急いで帰ってしまった。
「あ、待ってクロームちゃん……行っちゃったわ。残念、また暇になるわね」
がっかりしながらメモ用紙の文面に視線を走らせた。


『くふふふ。今日は楽しいパーティーなのに、いつまでベッドで寝ているつもりですか?』


「……骸?」

――何て奴なのよ。私が動けない事知ってて!
――優しいひとだと思ったけど、やっぱり最悪だわ!!


メモ用紙をゴミ箱に放り投げようとすると文字が変化した。
「どういう事?」
『君はもうどこにでも行けるはずですよ』
その時、美恵は自分の異変に気付いた。肉体の痛みがいつの間にか無くなっている。
そっと両足を布団から出し床につけ立ち上がったが、いつも感じる鈍い痛みは全くない。


「……嘘」

歩いても結果は同じだ。痛みどころか爽快感すら感じる。
慌てて包帯を解いてみると、痛々しい傷が消えていた。
両腕を広げ片足だけでくるりと回転してみた。


「踊れる……でも、どうして?」

――いえ、考えるまでもない。


それはきっと、いや間違いなく骸からも最高のプレゼント。
踊れる。プロムに行ける。
嬉しそうに微笑む美恵。そんな美恵に骸からの最後のメッセージが一つの決断を迫っていた。




『パートナーを選んでほしい。誰でもない、君自身心で』




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