「おまえにしては手間取ったな」
晃司はゆっくりと立ち上がると懐から携帯電話を取り出した。
「国防省にばれないように科学省に移送するのが任務だ。移送用の覆面トラックを呼び――」
そこまで言って、晃司は携帯電話をしまった。
「秀明まだだぞ」
秀明の顔面目掛けて腕が鋭いくらいに腕が真っ直ぐ伸びていた――。




鎮魂歌―95―




暗幕によって日光を遮った暗室。椅子にロープでくくりつけられた男女。
そして美しいが恐ろしい目をした少年がいた。
そう、囚われの身になった美恵と良樹、そして佐伯徹だ。
「さあ吐いてもらおうか」
徹は良恵の写真を取り出すと、美恵と良樹の眼前に突き出した。


「俺の恋人をどこにやった?」
「そんな事しるかよ!」

威勢よく答えた結果、良樹は予告もなしに顔面を殴打された。


雨宮君!やめて、お願いだから酷いことしないで!」
「俺に逆らうから痛い目に合うんだよ。じゃあ君に聞くけど、俺の恋人をどこにやったんだい?」
「し、知らないわ。本当よ」
美恵は震えながら答えた。途端に徹がムッとする。


「殴るなら俺を殴れ!」


美恵まで同じ目に合うと思ったのか、良樹は自由を封じられながらも必死になって彼女を守ろうとした。
恋人でも家族でもない、ただのクラスメイトだが、女の子を守ってやるのは男として当然。
ちょっとお人好しかもしれないが、それが雨宮良樹だったのだ。




「よくわかったよ。安心しなよ、俺は女の子を殴ろうなんて思ってないんだ」
徹はほんの一瞬だけ良樹をほっとさせた。が、次の瞬間、今度は脚を急上昇。そのつま先が見事に良樹の顎にヒット。
哀れにも良樹は、椅子ごと宙を舞いそのまま床に激突した。
「蹴ろうと思っただけさ。君が身代わりになるっていうから望みをかなえてやった、満足かい?」
良樹の健気な男気は、この非情な男には全く通用しない。
良樹は思わず自分の死を連想した。それは決していいものではない。

「質問する人間は1人いればいいんだ。見せしめとして君には死んでもらっても全然構わないんだよ」

あまりにも非情な言葉に美恵も良樹も心底ぞっとした。
その男の凍てついたような眼光がハッタリでは無いと告げている。
「ほ、本当に知らないんだ」
良樹の口調は随分弱気になっていた。しかし知らないものは知らない。
しかし徹にはそんな理屈は通用しない。
途端に腹部に脚を食い込まされ良樹は胃液が逆流するような感覚に襲われた。


「知らないわけがないだろう!貴様らは悪名高き天瀬瞬と係わっているんだからな!」


徹は我慢の限界とばかりに良樹の胸元をつかみ上げた。
天瀬瞬のいるところに俺の良恵がいるんだ。さあ吐け!」
「……天瀬……瞬?知らない、そんな奴」
「ふざけるな!貴様らの仲間の1人が吐いたんだ、おまえ達の中に天瀬瞬がいたと!」
徹は良樹をさらに蹴り上げた。
「さあ吐け!それとも、もっと痛い目に合いたいのか!?」


「そこまでだ徹」


出入り口にシルエットが見える。逆光で顔は見えない。
しかし徹には声で相手が誰かわかったらしい。苦々しそうに顔をしかめている。

「そいつらは国防省に引き渡してもらうぞ」
「……直人、貴様!」
「勝手に尋問しやがって。おまえがやっていることは任務じゃなくただの私刑だ」
直人と呼ばれた男が近付いてきて良樹と美恵に手錠をかけると縄を切った。
「さあ立て。ぐずぐずしていると、こいつは本当におまえらを殺すぞ」
良樹と美恵は慌てて立ち上がると直人について歩き出した。


「待ちなよ直人、2人を捕らえたのは俺だ、どっちが勝ってなんだ!」
「おまえの勝手な行動を上に報告してもいいぜ。おまえはうるさいのが嫌いだろう?
くだらない事に足止めくらって良恵を探せなくなってもいいのかよ?」
徹は忌々しそうに直人を睨み口を閉ざした。
2人は直人に連れられ徹との距離がどんどん離れて行く。
徹の視線に込められた殺気はとても禍々しく恐ろしかったが、とりあえず窮地から救われたのだ。
歩きながら美恵はふとあることを思い出した。結城司の診療所での事だ。


『早乙女瞬って知ってる?』


あの時は、なぜ早乙女瞬の名前が出たのか全くわからなかった。
今でもよくわからないが、早乙女と同名である天瀬瞬の名前が出た事が偶然とは思えない。

(……早乙女君が、その天瀬ってひとなの?だとしたら、どういうことなの?)

徹は言った、『悪名たかき天瀬瞬』と。
しかし美恵が知っている瞬はミステリアスな雰囲気こそ持っているが普通の中学生だった。

(どうなっているの?)

そして、今はそれ以上に気になる事がある。それは直人の口から聞かされた。

「桐山和雄という男ももうすぐつかまる。晃司と秀明に目をつけられて逃れられた奴はいない」














秀明は宙高く背面飛びで舞っていた。
「まだ動けたのか」
少々驚いたせいか、秀明の口調からは先ほどのような余裕はない。
「……俺は負けるわけにはいかない。理解してくれるかな?」
「そうか、だったら俺も言わせてもらおう」


「俺はあらゆることを教わったが敗北の仕方だけはマスターできなかった」


その言葉が終わらないうちに秀明が再び目にも止まらぬスピードで襲ってきた。
(真正面からか?)
桐山は反射的に腕をクロスさせた。秀明の蹴りが腕に激突。
その威力に桐山の腕はギシギシと悲鳴を上げた。
(骨が……折れる!)
耐え切れないと判断した桐山は自ら背後に飛んだ。しかし秀明もさらに攻めてくる。
(早い……!)
格闘技の世界では0.01秒単位で勝負が決まるといわれている。
桐山と秀明の差は時間単位でいえば僅かなものだが、それは勝負を決するには十分すぎる差でもあった。


(俺は負けるわけにはいかない)
美恵の為にどんな手段を使ってでも勝たなくてはいけないのだ。
(だがどうやって?)
さすがの桐山も万策尽きていた。相手は自分より格上、しかも2人。
此方は味方もなく、彼らを瞬殺できる武器も無い。肝心の美恵 はつかまり、どこかに連れて行かれようとしている。
秀明に手首をつかまれ桐山はハッとした。考え事をしていたせいで隙を生んでしまったのだ。


「余計なことを考えられるほど、おまえは俺より強いのか?」
それは嫌味ともとれるきつい一言だったが秀明にそんなつもりはなかった。
「それはわからない。だが考えていたのは余計なことではない」
そして桐山は相手の言葉を嫌味ととれるだけの豊な感情などない。
そんな2人の会話は実に妙なものだった。
「そうか、だが余計な事を考えなくても、おまえは俺には勝てない」
ぽきっと妙な音がして桐山の手首から先がぷらんとしなだれた。
桐山の表情にほんの僅かだが苦痛の色が現れた。


(俺は折るつもりだったのに)
秀明は不思議だった。骨に異常はない、ただ関節が外れてしまっただけだ。
桐山はもう片方の手で関節をはずされた手首をつかむとボキッと力をこめた。
それは第三者が聞いても痛みを感じそうなほど鈍い音だった。
しかし当の桐山はすぐに能面のような表情に戻り、ゆっくりと拳を握り締め手首を曲げて見せた。
(こいつ自分で関節を元に戻した)




「秀明、予定時間をすぎたぞ」
黙って2人の戦いを見ていた晃司がふいにそう言った。
「それは驚いたな」
秀明はまったく驚いた口ぶりではなかったが、それは本心から出た言葉だった。
それから晃司は携帯電話に着信されたメールの内容を読み上げた。
「徹が捕獲した2人を直人が国防省に連れて行くぞ。俺達もすぐにそいつを科学省に連れて行こう」


(俺は科学省?)


それは妙だった。しかし桐山は夏樹から政府の複雑な事情を幾度と無く聞かされていた。
彼らは決して一枚岩ではなく、それどころか組織同士の対立が凄まじいらしい。
おそらく国防省と科学省もそうだろう。何か事情があって桐山は国防省ではなく、科学省が捕獲したいらしい。
そうなれば美恵 とは離ればなれになってしまう。それだけは避けなければならなかった。
桐山は突然秀明に背中を見せると全力疾走しだした。
科学省ではなく国防省の人間に捕獲された方がましだ。
美恵と離れることだけはない、それが桐山が下した決断だったのだ。
しかし秀明がそれを許さない。即座に桐山の前方に回りこみ邪魔をする。


「貴様はⅩ6の情報を知るために必要なんだ。国防省に渡すわけにはいかない」
「Ⅹ6?」
天瀬瞬、俺が殺さなければならない男だ」
「そんな奴知らない」


桐山は大ジャンプ。一気に秀明を飛び越えようとした。
しかし足首をつかまれ投げ飛ばされる。木の枝をつかまなければ岩に激突していただろう。
秀明は攻撃の手を緩めない。自らもジャンプしてきた。
桐山は片手で大車輪、枝の上にでると、枝から枝へ、まるでムササビのように移動。
人間離れした動きだった。だが秀明も恐るべきスピードで迫ってくる。
桐山は地上に飛び降りた。しかし、ほぼ同時に背後に秀明が着地。
勿論、桐山は即座にダッシュ……しようとしたが動けなかった。
背後から今まではなかった殺気が告げていたのだ。今、動けば殺す――と。
桐山が静止したまま数秒がすぎた。突然、殺気が一瞬で消えた。


「そうだ。それでいい」

秀明は桐山の肩をがっちりつかんだ。

「Ⅹ6はどこにいる?」
「知らない。そんな奴きいたこともない」
「おまえ達はⅩ6を知っているはずだ」
「それはおまえの想像だ。事実は違う」
「いや、そんなはずはない。おまえはⅩ6を知っている」

秀明の腕が桐山の眼前に伸びた。その手には似顔絵が握られている。
それを見た瞬間、桐山はりんとした声でこう言った。

「早乙女瞬」














「桐山和雄確保。Ⅹ6を除く謎の一団全て拘束」
『よくやった直人、すぐに連中を連れて戻ってこい』
「了解した」
直人は携帯電話を切ると、今だに納得できない面持ちで2人の人間兵器を睨みつけるように見詰めた。
「本当にいいのか?科学省も連れて来いと命令していたのだろう?」
秀明と晃司は直人の疑問に対し淡々と応えた。
「桐山和雄はⅩ6の事を何も知らない。俺達のターゲットはⅩ6だ。
情報を提供できない人間に用は無い。俺達は引き続き奴を追う」
それだけ言うと2人は風のように消えた。




「桐山君!」
輸送車の中で桐山と美恵は再会した。
「すまない守ってやれなかった」
「桐山君のせいじゃないわ」
「これからはずっとそばにいる。それだけは約束する」
「ありがとう桐山君」




桐山は何も知らなかった。知っていたのはⅩ6の顔と偽名だけ。
本名すら秀明に教えられてやっと知った。瞬は桐山達の仲間では無い、瞬は彼らの前でも己を偽っていた。
それを知った途端、晃司と秀明の桐山に対する興味は消滅した。
彼らは探さなければならない。Ⅹ6こと早乙女瞬、いや天瀬瞬を。
彼の元に奪われた者もいるのだから。














良恵は黙って瞬についてきた。会わせたい人間がいるという説明以外は何も無い。
それどころか乗車する時に「乗れ」と言ったきり口を開こうともしない。
やがて郊外の廃墟ビルの前で車を止めると、瞬はまた「降りろ」とだけ言った。

(……ひとの気配は全くない)

静かすぎる。良恵は不安を感じた。
それでも瞬は何もいわない。それどころか良恵の顔を見ようともしない。
何も言わず歩き出した。良恵も黙って後に続いた。
壊れかけた扉は完全に開いている。足音が異様なほど響く。

(ここに何があるのかしら?)

良恵は静かに視線だけを動かした。しかし何もない。
階段をあがり最上階までやってきた。その時だ、何かが動いたのが見えた。

(何?)

瞬は何も反応しなかった。自分でさえ気づいたのだ、瞬が気づかないはずはない。


「……瞬、あの部屋」
「黙ってついて来い」
「……でも」
「いいから来い」

瞬は何も教えてくれない。その部屋の前も通り過ぎ、廊下をすすんでゆく。
良恵は仕方なく歩き出したが、やはり気になり振り返った。
扉の影から誰かが此方をのぞきこんでいるのが見えた。


「やっぱり誰かいるわ」
良恵は引き返し部屋の前に立った。しかし扉を開くと虚に包まれた。
「……いない」
気のせいではない、確かに誰かいた。
しかし、その部屋には埃だらけのベッドと横倒しになっているデスクがあるだけで誰もいない。
良恵は幽霊なんてオカルト現象を信じるようなか弱い女の子ではない。
この部屋には誰かいる。それは確信だった。
そして、こんな部屋には隠れる場所なんか限られている。
良恵はベッドに近付くと身をかがめようとした。




「やめろ」
瞬が背後から肩をつかんだ。
「噛み付かれるぞ」
「噛み付くって……人間よ」
まるで動物扱いする瞬。良恵は納得できなかった。すると瞬は突然ベッドを蹴り上げた。
長年手入れもされず、ゆっくりと朽ちていたであろうベッドは呆気なく空中分解した。


「……あ!」
男の子がうずくまって震えていた。見た目は志郎と同じくらいの年齢だ。
怖いのかガタガタと震え小さくなっている。まるで、おびえた子狐のようだ。

「大丈夫よ、私達は何もしないわ」

良恵はなるべく脅かさないように優しい口調で話しかけた。
しかし少年は不信一色の瞳でチラッと見上げるだけだ。


「……う、うぅ」
様子が変だ。体調でも悪いのかと心配した良恵は思わず手を伸ばした。
「……っ!」
予想外の事が起きた。何と噛み付かれたのだ。
その狂犬のような行動に良恵は驚愕し、痛みに思わず目を瞑った。
「ぐくっ!」
だが痛みは一瞬だった。瞬が少年の腹部に強烈な蹴りを食い込ませていたのだ。
瞬の目は赤く染まっている。
少年は本能で瞬の怒りを感じ取ったのか怯えた目で瞬を見上げた。
瞬は間髪要れずに今度は顔面に強烈な蹴りを放った。
少年の口に瞬の靴が入り、その勢いのまま壁に激突、少年の体は床に落下した。




「瞬、やめて!」
さらに少年に危害を加えようと接近しようとした瞬の腕を良恵は慌ててつかんだ。
「乱暴な事はやめて!」
瞬は面白く無さそうに「ただの躾だ」と言い放つ。
「躾ですって?……口から血が出てるじゃない!」
「知るか」
瞬はポケットからハンカチを取り出すと血が滲んでいる良恵の手に巻きつけた。


「こいつには再教育が必要だ。二度と近付くな」
「……瞬」


確かに凶暴で危険な少年だが、あんなに怯え怪我までしている少年をほかっておけというのか?
良恵は危害を加えられながらも、なぜかその少年が気になった。

(どこかで会ったような……あっ)

初めてあったような気がしない理由に良恵は気づいた。
そのボサボサな長髪、その前髪の間から覗きこむような怯えた目からは最初はわからなかった。
しかし、その外見はいつも自分を実の姉のように慕ってくれる志郎によく似ていたのだ。


「……誰なの、この子。志郎にそっくりだわ」

瞬に疑問を投げかけるが、「さあ行くぞ」と強引に引っ張られた。
「待って瞬、あの子は」
「あいつは戦力外だ、どうでもいい」
「どういう事よ。戦力外って……そんな事より、あの子の――」
瞬は話を聞いてくれない。廊下の奥の扉の前でようやく立ち止まった。




「ついたぞ」

瞬はもう良恵に質問すら許さなかった。

(あの子を1人にしてよかったのかしら?)

気になったが今は瞬に従うしかないようだ。瞬が扉を開き、良恵はおそるおそる入室した。
3人の男がいた。良恵の全身の細胞が何かを告げてくる。
それが何なのかわからない。ただ敵ではなさそうだと直感で察した、しかし味方というわけでもなさそうだ。
長髪の男――晃司とよく似た髪型だと思った――がソファに深々と座っている。
その両端に男が立っている。3人とも普通の男とは明らかに違う独特の雰囲気があった。


良恵だ」


瞬が良恵の肩に腕を回し簡単に紹介した。
紹介はしたが、「それ以上は近付くなよ」とでも言いたげに、その視線には棘が含まれている。
3人とも静かに良恵を見詰めた。立ち位置からしてソファに座っている男がリーダーらしい。
その男がにっこりと笑みを浮かべた。作られたような綺麗すぎる笑顔だった。


「……あなた、誰?」

男は脚を華麗に組み形の良い指を顎に添えると、良恵が予想もしてなかった言葉を吐いた――。




「はじめまして従妹殿」




【B組:残り45人】




――第一部完――




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