狂った国家があった―。

甘受している国民がいた――。


そんな過酷な世界の中で

運命を受け入れ己の道を信じた者が存在した――。
運命にあがないもがき苦しんだ者が存在した――。


これは、そんな少年少女達の物語である。




鎮魂歌―プロローグ―




大東亜共和国という全体主義国家が存在していた。
極東にある小さな島国。
しかし、領土の規模からは想像もつかないほど強力な軍事国家でもあった。
総統と呼ばれる存在を頂点に、一部の人間による専制政治によって成り立っている。
つまり成功したファシズムだった。
国民は普段は平和な日常を送ってはいるものの
ある日、国に突如として命を捧げなくてはいけない危機と背中合わせの人生を送ることを余儀なくされている。














足音が近付いてくる。それも一つや二つでは無い。
複数の人間が全速力で走っていると誰もが理解できるほどの騒々しさだ。
やがて自動ドアの前で、足音が停止したかと思うと、プシューと特徴的な音がしてドアが左右に引いた。
室内にいた人間が一人残らず慌しく立ち上がり、ドアの方に体を向けた。

「どうなっている、状況を詳しく話せ!!」

開口一番、部屋に駆け込んできた者達の先頭に立っていた熟年の男が怒鳴りつけた。

「は、はい、長官ただいま!」
これまた熟年(しかし精神的な問題でもあったのか白髪がかなり目立つ)の男が慌てて駆け寄った。

「もはや爆発を止める事はできません。臨界点突破まで三分を切りました。
東海支部の二の舞です!規模は東海支部よりはるかに狭い範囲ではありますが、ただ――」

そこまでいうと白髪の男は、一枚の紙を差し出した。
「これをご覧下さい。現在、あの地区にいると思われる重要人物の名簿です」
長官は、その紙がやぶれんばかりの勢いで奪い取った。
A4サイズのそのたった一枚の紙切れを凝視しだすと、瞬く間に赤かった顔色が蒼白に変化していった。
変化したのは顔色だけではない。ガッチリと握られていた拳は弱弱しく震えだしている。

「……何と言うことだ」

声を絞り出すのがやっとだったと言っていいだろう。
それほどの衝撃が視覚を通して、長官の脳天に必殺パンチとなってダメージを与えたのだ。




長官――正式名称は科学省長官、名前は宇佐美重満と云った――は
倒れそうになるのをやっと堪えて、ふらふらと長官席までたどり着いた。
力なく椅子に座り込むと、いっせいに部下達が駆け寄ってきて泣き言を漏らした。


「長官!このことが総統陛下の耳に入ったら科学省は終わりです!」
「今からⅩシリーズを派遣しても到底間に合いません。完全にアウトです!」
「正確な居所さえ掴めていないのです!」
「どうしたらいいのですか、もし国防省の捜査が及ぶようなことがあれば、F5事件も表沙汰になります!」


「黙れ!!」


宇佐美の感情が爆発した。立ち上がって、部下達に人差し指を突きつけ殺気立っている。
その目は飢えた野獣のように、ギラギラと血走っていた。

「おまえたちは、私にどうしろと言うのだ?私がなんでも尻拭いをしてくれる便利屋だとでもいうのか?
これは事故だ。誰が見ても不可抗力のな、私に――いや、科学省に何の責任も無い」

宇佐美はそれだけ言うと、力なく椅子に倒れこんだ。




(どうする、どうすればいい?こんなことが表沙汰になったら私の首ではすまなくなる。
終わりだ。私はもちろん科学省上層部の者全員の未来が一瞬で終わる。
下手をしたら科学省は解体されてしまうかもしれない。
いや、落ち着け……落ち着くんだ。
東海支部の爆発ははるかに広範囲だった、それでもお咎めはなかったではないか。
あの時と同じ状況にすればいいんだ。これから起きる事は科学省の責ではない。
国家にたてつくテロリストどもがしでかしたことにすればいい……)




時計の針がチッチ、チッチ、と静かに動いていた。
室内の誰もが微動だにせず、ただ宇佐美の次の言葉を待っている。
やがて、長針が『12』の位置まできた。


宇佐美の背後の窓、そのはるか遠くでカッと閃光が夜空を包んだ――。




直後に熱を含んだ爆風が襲ってきた。














「大変です。香川県政府から緊急連絡が入りました!」
通信部の軍人(准尉)が顔面蒼白になって廊下を駆け抜けていた。
目指していた部屋の扉には『第一等特別室』というご大層なプレートが取り付けられていた。
ノックもほどほどに准尉は扉を開け放った。


「何だ、何が起きた?」


冷静すぎる口調が室内に響いた。
少年が一人、分厚い本を片手にソファに深々と座っていた。
見た目からして普通では無い威厳と異様な雰囲気を漂わせた少年である。

それだけではない。

恐ろしいほどハンサムでもあった。
しかし、美貌が豊かであるのとは反して、まるで感情が無いのでは?と思えるほど表情がなかった。
彼は、とうに三十路を超えた准尉からしたら青二才といっていい年齢の少年だった。
だが、実際には、その少年は准尉など比較にならない経歴と実績を兼ねそろえた士官である。
軍において、階級は年齢より重要視される。少年と准尉も例外ではなかった。


「どうした、緊急の連絡じゃなかったのか?」
相変わらず冷静な口調。それとは裏腹に准尉はすっかり取り乱していた。
「そ、それが……さ、先ほど!」
准尉はいったん言葉を止めると、深呼吸した。

「……か、香川県にあった秘密研究所が大爆発を起したそうです」
「そうか、それで被害は?」




爆発という単語を聞いても、少年は全く口調に変化は見られなかった。
「……三つの町が爆発に飲み込まれ、近隣の住民に避難命令が出されました。
爆心地には科学省特殊班以外は決して近づくなという厳戒態勢がしかれています」

「そうか」

少年が放ったのは、それだけだった。
「俺には関係ないな。俺が関与するのは軍事面だ。
科学的なことまで報告する必要は無いのではないか?」
「い、いえ大尉」
落ち着きを取り戻したのか、准尉はゆっくりと話し出した。
「長官直々に大尉に連絡がはいったのです」

長官直々、その言葉に少年は初めて視線を上げた。

「言ってみろ」
「これを」
准尉は一枚のディスクを丁寧に差し出した。
人づてでは言えないようなことだということだ。

「確かに受け取った。さがっていいぞ」
「はい」


少年は立ち上がると、デスクに設置していた電話のボタンを押した。
『用件はなんだ?』
電話のスピーカーから、その少年とよく似た冷たいりんとした声が聞えた。
「すぐに来い」
それだけ言うと、少年は通話を切った。















「何があった?」
肩まである長髪、恐ろしいほど整った顔立ちの少年がやってきて、そう言った。
彼を呼びつけた少年に劣らぬほど見事な容姿、その容姿はとてもよく似通ってもいた。


「長官からこれが届いた。大至急見ろということだ」
それだけ言うと、さっそくディスクをセット。
ほどなくして壁一面の大画面に映像が表示された。


『晃司、秀明、大変なことが起きた』
顔面蒼白の科学省長官・宇佐美だった。
『香川県で起きた爆発事故のことはすでに聞いたな?
これはただの事故などではない、奴がからんでいる』

『奴』という単語に、二人の少年は鋭く反応した。


『Ⅹ6だ。奴はF5事件だけでは物足りず、またしても我々に甚大な被害をもたらしたのだ』




『あれだけの大爆発だ。おそらく骨も残らなかっただろう。
だが欠陥品とはいえ、奴も腐ってもⅩシリーズだ。
我々の眼を欺いて生き延びている可能性も大いにある。
だからおまえ達を呼ぶことにした。
奴を探せ。奴の遺体が見付かれば、それに越した事は無い。
遺体でなくてもいい、奴が死んだという証拠があればいい。
ただでさえ頭の痛い事態が起きたのだ。その上、奴の事で悩むのはたくさんだ。
戦闘機を向かわせている。あと五分で到着するだろう。
すぐに来い。Ⅹシリーズの不始末は、Ⅹシリーズでつけてもらう』




ディスクはそこで終わった。
「秀明、Ⅹ6が生きていると思うか?」
「五分五分だろう。任務なら遂行するだけだ。
それが俺達の仕事だからな。行くぞ」
「ああ」


「秀明、一つだけ確認しておきたい事がある」
「何だ?」


良恵には言わなくていいのか?」


秀明と呼ばれた少年―肩まである長髪のほうだ―は僅かに顔をしかめた。
しかし、すぐに「必要ない」とだけ言った。
「そうか。わかった」
晃司と呼ばれている少年―こちらは腰まである長髪だ―は、それ以上何も言わなかった。




高尾晃司
科学省所属の兵士。現在の階級は大尉。

堀川秀明
科学省所属の兵士。現在の階級は大尉。

共に科学省が芸術品とまで称した遺伝子の集大成ともいえるⅩシリーズ。


*Ⅹシリーズ*
およそ七十年前から科学省(当時は科学庁)が優秀な人間を選び出し
その遺伝子を人工授精によって何代も交配を重ねた末に誕生した生まれながらの人間兵器。
高尾晃司達は、そのⅩシリーズの二世代目に当たる。



そして大東亜共和国の少年兵士の頂点に立つ、第一等特別選抜兵士である。


*第一等特別選抜兵士*
四年に一度、主に全国の少年兵士の中から選び抜かれた特別優秀な人材。
幼年兵でありながら士官であり、将来大東亜共和国の軍部を率いることを約束されている。
特撰兵士という別称を持つ、エリート中のエリートである。















薄暗くなった公園。噴水の近くに設置されていた外灯がパッとついた。
セーラー服姿の二人の少女が足早に噴水の横を通り抜けようとしていた。

「遅くなっちゃったね。早く、帰らないと」
「ねえ、いくら近道だからって、この公園やばくない?」
「どうして?」
「だってほら……通り魔がでたのって、この公園でしょ?」

城岩町。香川県所在のその町で、通り魔事件が相次いだ。
小学生の女の子がナイフで脅され連れ去られそうになったことが二度もあったのだ。
幸いにも近所の人が女児の悲鳴を聞きつけ駆けつけたので大事にはいたらなかった。
しかし、その不審者は逃げ去り、今だ警察は手掛かりすらつかめないでいる。


平和な町を突然と襲った凶行に、町民、特に女子供や、幼い子供を持つ親は心底震え上がった。
だが時間の経過というものは便利なもので、二ヶ月もすると嫌なニュースも過去のものとなる。
通り魔が逮捕されてないにもかかわらず、その危険を忘れ注意を怠るようになるのが人間だ。
現に彼女達も、通り魔事件のことはすっかり忘れていた。


だが、ふと思い出した過去の情報は、同時に恐怖感をも蘇らせた。
あれから通り魔が出没したことは一度も無い。
警察も厳重パトロール態勢を解き、町はすっかり以前の様相に戻った。
だが悪魔というものは忘れ去った頃に、再登場するものだ。


ホラー映画の中のモンスターは、そんな連中ばかりでは無いか。


「走ろうか?」
一人が提案すると、もう一人も考えるまでもなく「うん」と賛成した。
二人は同時に走り出した。

辺りは静寂そのもので、二人の駆け足の音だけが盛大に鼓膜に刺激を与えていた。
もうすぐ公園の出口が見えるはずだ。
安心感が大きくなった、まさにその時だった。
影が一つ木の陰から飛び出して二人の前に立ちはだかったのは。
さらに、シューと音がして膜が覆いかぶさったように視覚が途切れた。





一瞬の事だったので、二人は何が起きたのかわからない。
ただ、何かが襲ってきたということだけは本能が理解していた。
二人は半狂乱になった。
目が見えない。それどころか、激しい痛みに襲われたのだ。
あまりの痛さに、自分達を襲った影の正体を推測することすら忘れ二人は両目を押さえて叫んだ。
激痛の向こうから声が聞えてきた。

「へ、へへ……大人しくしろよ」

厭らしい声。
「大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫だから」
口にハンカチのようなものが押し当てられた。
痛みの次に襲ってきたはてしない戦慄に、彼女達はパニックになった。
しかし理性を無くした時間は、ほんの数十秒だった。
意識が遠のき、そのまま二人は地面に倒れこんだ。

「や、やった。やったよ、ふふ」

飛び出してきたのは、ひょろっとした長身の男だった。
右手に痴漢撃退用スプレー、左手にクロロフィルムを染み込ませたハンカチを握り締めている。
二ヶ月前に城岩町を恐怖の渦に巻き込んだ通り魔事件の犯人その人だった。
この悪魔は警察に怯え二ヶ月間大人しくしていたというわけだ。
町民を恐怖に陥れた悪魔の正体は、危険な性癖の持ち主であると同時に、
威圧感など皆無の小心者でもあった。
だが生来もって生まれた性癖に対する欲望を抑えることができなかったこの悪魔は
ついに再び犯罪に手を染めたのである。

「さ、さあ僕の家に行こうね。ああ、僕嬉しいよ。女の子招待するの初めてなんだ。
きっと気に入ると思うよ。僕の事好きになってくれるかな。ああ楽しみだ、楽しみだよ」
まるで純情な少年のように頬を染め、そっと倒れている女子中学生達に手を伸ばした。





「おい」
「!」


心臓の鼓動が一気にスピードアップした。
背後から突然声を掛けられたのだ。小心者にはそれだけで十分すぎた。
「ひっ」と小さい声をあげ、飛び上がった。
そして振り向いた。ところが振り向いたと同時に意識が途切れた。
こうして通り魔は、初めて女の子を自宅に招待する予定を強制的に中止させられ、その場に倒れた。
手刀を首に一撃くらっていたのだ。

「変態め」

二人の少女を凶行から救ったのは、年端の行かない少年だった。


この少年は正義の味方だろうか?


残念ながら、それは違う。
彼はある目的のために結果的に彼女達を救ったに過ぎなかった。


今だに夢の世界にいる少女達に近付くと屈んだ。
その手には、針のような細く鋭い刃物が握られている。
それで少女達の後ろ首を軽く突いた。先端に僅かに血がついている。
少女達は、ピクッと少しだけ生物的反応を示したが目覚めはしなかった。

少年は上着のポケットから、コンパクトのようなものを取り出した。
フタをあけ、採取した微量の血をそれにつけた。
極小の液晶画面にピピピッと、数字と文字が表示された。


『5.2%……不一致』




「違う。こいつらじゃない」




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