レーダーにも何一つ反応が無い。
追っ手が来ないということだ。
それも当然だろう。大東亜共和国の国境線はとっくに超えている。
桐山はエンジンを一端切り着水した。
「川田、具合はどうだ?」
後部座席を振り向くと、川田は何とか笑顔を作って右手の親指を立てていた。
機内にあった医療器具で応急処置は施した。
「……本当におまえは大した奴だよ」
川田は呟くように言った。
キツネ狩り―200―
あの時――脱出の際、川田は心底自分の命はあきらめていた。
もはや単独で動く事すらままならない体では到底脱出なんて無理。
その川田に桐山は考えがあると言った。
「桐山くんの考えた作戦なら大丈夫よ。川田くん、最後まであきらめないで」
美恵の言葉も後押し、川田は桐山を信じることにした。
桐山に支えられながら、何とか集落まで降りてきた。
爆発が三人の気配や物音を消し去ってくれてはいたが、いつまでも隠れきれるものではない。
本当に自分を連れて脱走なんてできるのか?
桐山を信じると決心はしたものの、川田は不安を拭いきれなかった。
「二人とも、少し待ってろ」
兵士達の姿が見えた。見付かるとやばい。その内、一人は無線機で話をしている。
川田と美恵には全く聞えなかったが、桐山には聞えていたようだ。
ふいに桐山が兵士達に向かって走り出した。
「桐山どころか猫の子一匹見えず……あ」
兵士の目が大きく見開かれた。桐山の急襲に咄嗟に反応もできない。
無線機の向こうから、『どうした?』と声が聞えた。もちろん、返答する余裕など兵士達にはない。
あっと言う間に首や腹部に衝撃を与えられ、その場にうずくまった。
無線機も破壊した。こちらの会話を聞かれるわけにはいかない。
桐山は軍服を剥ぎ取り、兵士達を近くの家屋に放り込んだ。
そして二人の元に戻ると軍服を差し出した。
「これを着ろ」
川田は、「……まったく大胆というか」と、半分あきれ半分感心していた。
その後どうなったかは語るまでも無いだろう。
「……今、どの辺りにいる?」
「国境はとっくに越えている。もうすぐアリアナ諸島だ」
「……グアムも近いな。南国の島でバカンスってものいい」
川田はホッと溜息をついた。米国領に入った、もう安心だ。
大東亜共和国が米帝と呼び敵視続ける国。
その国こそ、三人にとっては新しい人生の幕開けの舞台となるだろう。
「……桐山、今、何時だ?」
簡易ベッドに横たわっている川田にも外の景色が変わっていることはわかった。
窓から差込むオレンジ色の光が、とても温かい。
「……ちょっと起してくれないか」
桐山は川田の背中に自分の腕を回し抱き起こした。
窓の外は美しい夕焼け色に染まった水平線が見渡す限り広がっていた。
「……綺麗だな。この海の向こうに、あの狂った国があるとは思えないくらいだ」
川田は、「……慶子にも見せてやりたかった」と小さく呟いた。
「オレはガキのころから醜いものばかり見すぎてきた。
スラム街で医者の息子なんかやってると……な」
傷が痛むのか、川田は少しだけ言葉を中断させた。
「見たくも無いものを見てしまうし、知りたくも無いことを知ってしまうんだ……。
そのオレが最後に、こんな綺麗なもの見れるんだ……。
神様なんて信じてないが、もしいるのなら粋な計らいだと思わないか?」
桐山には川田の言っていることはわからなかった。
しかし、「なあ桐山」と言われ、「そうだな」とはっきりした口調で答えた。
なぜかは、わからないが、それは正しい返事のような気がした。
「川田くん、苦しいの?」
川田の表情の僅かな変化を美恵は見逃さなかった。
「……心配するな、お嬢さん。もうオレの心配はいい。
それよりも、これからは桐山のことだけを考えてやってくれ。
おまえさんは大丈夫だ……だが、この若様はどうも浮世離れしすぎてる。
オレはそこが心配なんだ。おまえさんがしっかり支えてやってくれ……」
大きな影が水平線の向こうから現れた。軍艦だ。それも超が付く大型軍艦が近付いてくる。
美恵は一瞬ギョッとなったが、すぐにホッとした。
戦艦が掲げているのは星条旗。アメリカ国籍の軍艦だ。
ほどなくして拡声器を通じて英語が聞えてきた。
「何て言ってるんだろう?」
「……オレにもさっぱりだ。わかるか桐山?」
「ああ、英語なら問題ない」
「……そうか。やっぱり、おまえは頼りになるな」
川田はそっと目を閉じた。
「悪いが横にしてくれないか……」
桐山は静かに川田の体をベッドに横たわせた。
「……もう大丈夫だ。おまえたちの人生はこれからだ。
長かった……この3日間は本当に長かったよ。もうヘトヘトだ……少し休ませてくれ……」
「川田、傷が痛むのか?」
「……いや眠たいだけだ」
川田は、もう一度だけチラッと窓の外に視線を投げた。
「……オレは少し眠らせてもらう。いいだろう?」
『――二度と悪夢は見ない。だから安心して眠れる』
川田の寝顔は本当にやすらぎに満ちたものだった――。
――三年後――
美恵は純白のワンピースに身を包み、お気に入りのバッグを手にした。
「行ってくるね」
出窓に飾ってある写真立て。その中には色あせない笑顔があった。
修学旅行で思い出を残そうと持参したデジカメ。結局、出発前に撮った3枚だけで終わった。
しかし、その3枚の写真にはかけがえの無い友の笑顔があった。
『ほら杉村くん、もっと笑って』
美恵はそうリクエストしたのに、写真の中の杉村は表情が固い。
反対に誇り高い笑みを浮かべる貴子。
二人のツーショット写真、最後まで一緒にいることを暗示したかのような――。
『美恵、一緒に写真撮ろう』
そう言われ快く光子ととることを承諾した写真。写真の中の光子は、とても輝いていた。
最後までその輝きを失わないと宣言しているかのように――。
『ほらほら三村くん、あなたも一緒に』
月岡に強引に誘われ苦虫を潰しながらも美恵と同じ写真に納まることを喜んでいる三村。
例え、愛しの彼女との間に月岡がいようとも幸せそうだった――。
美恵は三枚の写真を見詰めて、もう一度微笑んだ。
美恵は小さいが素敵な雰囲気の花屋に入った。
「いらっしゃい。今日はどの花を買いますか?」
「そうね……じゃあ、その白い花をお願いします」
「はい、ありがとうございます」
美恵は花束を受け取ると、ある場所に向かった。
その場所には定期的に訪れていたが、特にこの日は毎年かかさずだ。
あれから三年。今は穏やかな生活が続いている。
美恵の英語も上達して、今ではネイティブも同然だ。
桐山と美恵はアメリカに難民認定を受け、アメリカ国民の身分を手に入れた。
さらに未成年だったことを考慮され、成人するまでの生活費と大学卒業までの学費を保証された。
しかも桐山が大変優秀だった為に、通常よりはるかに多い学費を支給してもらえたのだ。
最初の一年は大変だった。
桐山はアメリカ軍に保護された直後、緊張の糸が切れたのか倒れた。
軍医は、「今まで意識を失わなかったのが不思議なくらいだ」と言った。
三日三晩意識不明。その間、美恵は片時もはなれず看病した。
目覚めた後も、怪我が完治するまで長時間を要した。
リハビリには、その倍の時間がかかった。
美恵は英語の勉強をしながら、桐山を支え続けた。桐山が完治しても、即平和が訪れたわけではない。
美恵は時々プログラムの悪夢にうなされた。
流血、銃声、爆音、そして愛しい友人達の死。
それが何度も繰り返されるのだ。
普通に街中を歩いていても、転校生に見られているような錯覚に陥ったこともある。
転校生の幻覚さえ見えたこともあった。心配かけまいと桐山には黙っていたが桐山は気づいていた。
夜中に美恵がうなされていると抱きしめてくれていたのだ。
桐山が抱きしめると、美恵は安心するのか静かに眠る事ができた。
それらを乗り越えて、美恵と桐山は今は幸せに暮らしている。
街中の雑踏のなかで転校生と似た容姿の人間を見つけると心臓が凍りつきそうになったこともあった。
(特に金髪フラッパーパーマの男性を見つけたときは思わず買い物袋を落してしまった。
振り向いたその顔がそばかすだらけの馬面だったときは心底ほっとしたものだ)
今では、転校生に似た後姿を見かけることがあっても、心を取り乱すことはなかった。
小さいが庭付きの綺麗な家に住み、無事に高校を卒業。
桐山はずば抜けた頭脳で一流大学に入学した。
美恵は家事をこなしながら、法律事務所に勤めている。多忙だが充実した日々を過ごしていた。
「こんにちわ。今日はとてもいい天気ね」
美恵がたどり着いたのは、とても大切な場所だった。
持っていた花束をそっと置く。
「美恵」
愛しい声が背後から聞えてきた。
「和雄」
美恵は微笑みながら振り返った。
「帰るのは明日だと思っていたのに」
「今日は特別だからな」
桐山は美恵の隣に立つと、前方の墓石に語りかけるように言った。
「しばらくは、ここにも来れなくなる。美恵もだ」
「和雄?」
「やはりおまえも連れて行く。二人で住めるマンションも探しておいた」
桐山は少し心配そうに美恵を見詰めた。
「ここにいたいのか?」
「それは……三年も住んでいたんですもの。でも和雄がいるところが私の一番のふるさとよ」
「では一緒に来てくれるな?」
「うん」
桐山は嬉しそうに美恵の肩に腕を回した。
「でも来年の今日は必ず来る。おまえに会いに」
桐山はそう言って自分が持参した花束を、美恵が用意したそれの隣に置いた。
「帰ろうか」
「うん。またね川田くん」
桐山がバイクに跨ると、美恵は後部座席に座って桐山の腰に手を回した。
木漏れ日が墓石に反射して眩しかった――。
「ねえ和雄」
「何だ?」
「買い物を済ませてもかまわないかしら?」
「ああ、かまわない」
「買い物を済ませたら久しぶりに公園に行かない?」
街中にはアメリカらしい広大な公園があった。
街の人々が居心地のいい芝生の上で時間を潰す光景はとてものどかで平和だった。
大きな池には美しい噴水が、素晴らしいショーを毎日公開している。
美恵は、その公園が大好きだった。よく桐山と二人で、その公園を散策した。
ここを離れたら、しばらく来る事もないだろう。
二人は、まず美恵のお気に入りのショッピングモールに向かった。
色々な人種の人々が右往左往し、エネルギッシュな雰囲気がそこにはあった。
この騒々しさにも、三年の間にすっかり慣れた。
「えっと、あとは……」
食品売り場で果物に手を伸ばした美恵は視線を感じて振り向いた。
(――え?)
およそ、商店街などには不似合いな美しい若者が立っていた。
(誰?)
こちらを見ている。意味ありげな笑みを浮かべて。
(この雰囲気どこかで……)
その美しい外見とは全く逆の残虐性のようなものを感じた。
「美恵、どうした?」
桐山に肩に手を置かれ、美恵はハッと桐山を見上げた。
「あそこにいる男の人が……」
「男?」
美恵が再び視線を向けたとき、その男はいなかった。
いたのは、ちょっとチャラチャラした服装をしたどこにでもいそうな中年男性だった。
先ほどの美しい若者とは似ても似つかない。
「あいつがどうかしたのか?」
「……いいえ、なんでもないわ。見間違いみたい」
まるで白昼夢だった。夢とは思えない実感もあった。
(……あの雰囲気、どこかで)
まるで記憶喪失になっていた人間が過去を思い出したようにハッとした。
(……あの感じ……あの男のひとの雰囲気は……)
記憶の井戸の底に封印していた思い出が全身を駆け巡った。
(――徹に似てた)
「美恵、大丈夫か?」
「何でもないわ。ごめんなさい」
治ったと思ったのに、また幻覚を見るようになったのだろうか?
桐山を心配させてはいけない。美恵は笑顔を作って、桐山の腕に自分の手を回した。
二人は公園の芝生の上に腰をおろし、噴水ショーを眺めていた。
「今日は暑いわね。待ってて和雄、何か飲み物買って来るわ」
美恵は桐山を残し露店に走った。
噴水の向こう側には、すっかり御馴染みになったホットドッグ屋がいる。
桐山と美恵は、よくそこでオレンジジュースを買っていた。
オレンジジュースを二つ受け取って、美恵はすぐに桐山の元に向かった。
白い鳩が群れを作って、人々からポップコーンをおねだりしていた。
この人懐っこい鳩たちとも、もうすぐお別れと思うと少し寂しく感じる。
バサッと鳩たちがいっせいに飛び立った。
「―――!」
その瞬間、美恵は全身が凍りついたように硬直した。
似ていた――。
それは全てが似ていたのだ――。
その端整な容姿も――。
その凍てついた目も――。
何よりも全身を覆う独特のオーラが――。
飛び立つ鳩の群れの向こうに立っていた男が――。
こちらにゆっくりと歩いてくる男が――。
恐怖の転校生・高尾晃司に何もかもが似ていた――。
「――そんな」
忘れ去ったはずの恐怖が全身を駆け巡った。
ありえない、そんなはずはない、あの男は死んだ。
自らの遺体すら残さず違う世界に旅立ったのだ。
美恵の視覚が麻痺したのか、視界がスローモーションのように、その動きを緩めた。
足元が崩れるとは、こんな感じなのだろうか?
ぐらっと全身のバランスが崩れ倒れそうになった。
その前に、両手が痺れオレンジジュースが入った紙コップが落ちた――。
「――ジュース」
美恵が落した紙コップが地面と激突する前に、男がそれを受け止めていた。
スッと差し出してきた。
あのオーラが消えていた――同時に美恵の中で緊張感が消えた。
「あ、ありがとう……」
男は、そのまま去っていった。
何もなかった。そう――何もなかったのだ。
(私の勘違いだわ……単に、あのひとと顔が似てるだけだった)
「美恵、どうかしたのか?」
美恵が戻るのが遅いので心配したのだろう。
桐山が迎えに来た。そして美恵の様子がおかしいので心配そうに抱きしめた。
とても温かくて力強い腕だった――。
「……何でも無いの」
この腕に守られた。そして、これからも守ってくれる。
何を心配していたのだろう?
「帰ろう和雄!私達の家に」
「ああ」
二人はどちらかともなく手をつないだ。
二人の影が重なり、そして動き出した。
辛い過去だった。大切なひとを大勢失った。
それでも未来は誰にでも平等に訪れる。
その未来に向かって二人は歩き続けるだろう。
もし、あの時のように命をかけた恐怖が訪れようとも決して歩く事は止めない。
なぜなら、守るべきひとも、守ってくれるひともいるのだから。
決して一人ではない。
二人でなら、どんな困難も乗り越えられる。
それは死んでいった川田達に対する約束でもあるのだから。
だから、どこまででもいい――。
最後まで全力で――。
――走れ!
【B組:生存者2名】
――完結――
やっと完結しました。サイト開設以来ずっと連載してきた作品でした。
完結できず断筆になるんじゃないかと思ったこともありました。
完結できたのは、応援してくださった全てのお客様のおかげです。
チャットなどでアイデアを提供してもらったことも一度や二度ではありません。
ですから、この作品はお客様との共同作品です。
この作品を見守ってくださった全てのお客様に心から感謝してます。
本当に、本当に、ありがとうございました。
三月二日
管理人KML
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