「……なぜだ」
鳴海は一歩前に出ようとした。
途端に、美恵はナイフをグッと喉に突き上げようとする。
当然、鳴海の足も止まる。
「……それ以上近づかないで。本気よ」
(……驚いたな。あの女、ここまでするとは)
佐伯は、あの女に惚れたが為に命を縮めた。
(馬鹿なことをしたが……それでも女を見る目だけはあったようだな徹)
周藤は制服の内ポケットからコインを1枚取り出すと、
廊下の先――それこそ二十メートル程先の曲がり角――に向かって投げた。
キツネ狩り―110―
「……なぜだ。なぜ、そこまで」
……カツーンッ。
「……!」
精神的ショックを受けていようと、やはり鳴海は特選兵士だった。
微かな物音を聞き逃すことはない。
(……誰かいる)
よりにもよって、この場所に。
美恵を監禁している場所。誰だろうと知られるわけには行かない。
なるべくなら、この女から離れたくない。
特にこんな状況だ。今、美恵から離れるわけには行かない。
しかし、それ以上に何者かに、美恵を監禁している場所を知られたくはなかった。
殺さなくてはならない。今すぐに。
「すぐに戻ってくる……大人しく待っていろ」
鳴海は未練がましい目で美恵を見詰めるとくるっと向きを変えドアに向かった。
そして、ドアノブを手にすると今一度美恵を悲しそうな目で見詰め部屋を後にした。
鳴海の姿が完全に視界から消えると、美恵はナイフを握り締めたまま、その場にゆっくりと座り込んだ。
「……徹」
『君を守るために戦うよ』
「……徹」
……カツーンッ……ナイフが床に落ちる。
「……う…ぅ」
……雫が床に落ちた。
「……と…おる……」
『君を守るために戦うよ』
「……うっ……!」
美恵は床に突っ伏した。
「……徹、徹……!」
私だ!私のせいだ!!
あの時、徹を止めていればこんなことにはならなかった!!
いいえ!!
それより、もっと早く真剣に話し合って入れば……。
こんな馬鹿げた戦いから身を引いてくれるように真剣に頼んでいれば……。
あんなにもそばにいたのに。
あんなに長い時間一緒にいたのに……。
何度もチャンスはあったはずなのに……。
それなのに……それなのに……。
私は自分やクラスメイトのことばかり考えて彼のことは何も思いやってやれなかった。
それが出来るのは、私しかいなかったのに。
私しかいなかったのに……。
それをしなかった私が……私が……。
私が全部悪いんだ!!
「‥‥徹‥徹‥‥ごめんなさい」
鳴海はドアに背を預け部屋の外にいた。
背中越しに聞こえてくる美恵の嗚咽。そして涙。
自分以外の男の名を読んで号泣する美恵。
「……クソ」
悔しい悔しい!!
オレは勝った。あいつは死んでオレは生きている!!
それなのに、なぜ美恵はオレの名を呼ばない!!
どうして、あいつの名を呼んで泣いているんだ!!
イライラする、イライラする!!
この怒り、どうしたらいい?
誰にぶつけたらいい?
そうだ、さっき物音を出した奴。
きっと、まだ遠くには行っていない。
殺してやる!!
鳴海は感情をいらだたせたまま走った。
自分の背後、廊下の壁と天井にバランスよく張り付いている周藤に気づかぬまま。
「……やれやれ。恋は盲目とはよく言ったものだな」
鳴海の姿が見えなくなると周藤はスッと床に降りた。
「……徹……私を許して……」
ガチャ……ドアの鍵が外された音。
美恵はハッとして顔を上げた。再びナイフを持って身構えた。
佐伯を殺した男に……鳴海雅信にだけは抱かれたくない。
もしも力ずくで事に及ぼうものなら自ら命を絶ってもいい。
美恵は本気でそう思っていた。
だが、ドアの向こうから姿を現した男を見て、美恵は別の意味で驚いた。
鳴海雅信ではない。教室で一度見ただけの男だった。
「……どこだ……どこにいる」
イライラする。イライラする!!
美恵を抱きたい。抱きしめて口付けて全てを手に入れたい。
それなのに思い通りに行かない。
あんなに華奢な女なのに。
ただのか弱い女のはずなのに。
それなのに、それなのに。
なぜ、オレを拒絶できるんだ!!
「……どこだ。どこにいる」
どんな生徒でも構わない。10ポイントでもいい。
とにかく今は何かを壊さなければ気が済まない。
ほんの二十メートルほど向こうの茂みが微かに動いた。
瞬間、鳴海は走っていた。
殺してやるっ!殺してやるっ!殺してやるっ!!
まるでビデオテープの早送りを見ているかのようだった。
学生服をだらしなく着こなし、だるい感じで動いていた鳴海が、
一気にスピードの乗り、オリンピックの100メートル走選手のような動きを見せたのだ。
それこそ、あっという間だった。茂みに到達したのは。
だが、そこにいたのはターゲットではない。
一匹の三毛猫だった。
「……猫」
人間じゃない……。こんなものに構っていられない。
鳴海はふてくされたようにゆっくりと歩いて戻った。
そして美恵を監禁している部屋の前に来た。
「……美恵」
…………どうしてもオレのモノにならないのなら。
他の男のモノにしかならないのなら……。
それくらいなら……それくらいなら……。
オレの手で殺してやる……方がいいかもしれない。
少なくても他の男のモノにはならない。
ずっと、美恵を想って生きることができる……。
でも……これから先、ずっと美恵はいない。
オレは生きる。でも美恵はいない。
抱くこともできない。会うことすらできない。
やっぱり嫌だ…………。
欲しい、欲しい……たまらなく欲しい。
美恵が欲しい……他の女なんていらない。
美恵だけだ……オレが欲しいのは美恵だけ……。
「…………美恵?」
ドアを開けた。ひとの気配がしない。
「……美恵?」
もう一度読んで見た。やはり返事は無い。
部屋を見渡した……隠れる場所なんてどこにも無い。
このドア以外に入り口はない。
窓も勿論無い。それなのに姿がない。
「……美恵」
鳴海は呆然としながら一歩前に出た。
「……美恵!!」
次の瞬間、駆け出していた。
そして伏せるようにしてベッドの下を見た。
いない、やはりいない!!
どこにもいない、どこにもいない。
いない、いない、いないっ!!
「美恵ーっっ!!」
――イナイ。ドコニモイナイ……。
「……うわぁぁー!!」
「……さて、と。取り合えず一度戻るか」
周藤はスポーツカーの運転席に乗り込むと、エンジンを入れた。
「……戻るって……どこに行くのよ?」
後部座席には半ば押し込められるように座らされた美恵が居た。
両手首を縛られてはいるが、生きているし、勿論怪我もない。
「学校さ」
「……え?」
学校……って。あの坂持たちのいる?
「冗談じゃないわ!」
「ああそうだ。冗談じゃない」
「あんな所に私を連れて行ってどうするつもりなの!?」
「帰りたいのか雅信のところに?」
「……!」
「素直にオレに従っていろ。少なくてもオレはあのバカのようなマネはしない。
今、あいつのところに戻ったら、問答無用で結婚できない体にされるぞ」
「……あなたに連れて行かれても殺されるだけだわ」
「ハハ、それもそうだな」
「笑い事じゃないわ!」
「まあ話はあとだ。大人しく座っていろ」
周藤はアクセルを踏み込んだ。
(……どうしよう。私どうしたらいいの?)
――数分前――
「……周藤……晶?」
男の顔をみて美恵は愕然とした。
貞操の危機は(一瞬だが)取り合えず去った。
しかし、今度は命の危機だ。
この男は佐伯や鳴海とは違う。問答無用で自分を殺しにかかるだろう。
「……ふーん、オレの名前覚えていたんだ。感心だな」
周藤はツカツカと近づいてきた。
「こ、来ないで!」
ナイフを振りかざし応戦。
が、周藤は簡単にナイフを握っている右手首を掴みあげると物凄い力で握り締めた。
「……痛いっ」
思わずナイフを落とす美恵。
「大人しくしろ。オレは徹と違ってフェミニストじゃない。
逆らえば一切容赦しないぞ」
「……簡単に殺されて……たまるものですか!」
美恵は自由を失っていない左手を振り上げると周藤目掛けて振り下ろした。
が、その左手も簡単に手首をつかまれてしまった。
「やれやれ、千草貴子といい、本当に感心する女達だ。
藤吉文世や矢作好美のような殺しがいのない女ばかりかと思ったがそうでもないようだな」
「……藤吉さんに……矢作さん……殺したの?」
「ああ簡単だった」
「……次は私ってわけ?」
「まさか、だったらすぐに殺している」
その言葉。つまり少なくても『今は』殺すつもりはないということだろう。
だがなぜ?
「なぜって聞きたそうな顔だな。後で教えてやる。来い」
周藤は美恵の手を握ったまま強引に歩き出した。
(……どういうことなの。なぜ私を殺さないの?)
鳴海は自分を強姦するために、こんな場所に連れ込んだ。
しかし、この男は鳴海とは違う。
佐伯は最初、自分を利用しようとしていた。
ならば、この男も桐山をおびき寄せる為に自分を利用しようと思っているのだろうか?
「……わ、私を餌に桐山くんを殺すつもりなの?」
「ああ、それもいいかもしれないな。だが……」
周藤はチラッと冷たい瞳で美恵を見詰めた。
「取り合えず今は報復が先だ。執着した女を奪われた奴がどういう行動にでるのか……」
「こんな面白いショー。久しぶりだ」
【B組:残り21人】
【敵:残り3人】
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