腹部に衝撃が走った――。
鳴海に後ろ襟首を掴まれ引き寄せられたと思ったら、奴の膝が腹に食い込んでいたからだ。
いつもなら、こんな簡単に攻撃をくらったりしない。
いつもなら、簡単に除けれた攻撃に過ぎない。
いつもなら――これほどの痛みなど感じない。
考えなくてもわかる――。
肉体が限界だ。身体が悲鳴をあげている。
それでも引くわけにはいかない――。
佐伯は美恵
が巻いてくれたハンカチを握り締めた。
絶対に引けない――。
キツネ狩り―102―
「天瀬……天瀬……」
「ああ……桐山くん、しっかりして…!!」
オロオロと桐山の手を握り締める月岡。
「おい祈りなら離れた場所でやってくれ、今は治療が先決だ」
川田は慣れた手つきで注射に薬を注入していた。
その手際の良さを目の当たりにして七原は、転校生ということもあり、
あまり知らなかった川田がとても頼りがいのある人間だということを知った。
自分達だけなら(例え頼りになる三村がいても)桐山を治療してやるなんてことは出来なかっただろう。
「出血は酷いが幸い急所は外れている。不幸中の幸いだったな。
専門の医者でないとどうしようもないような傷だったらオレの手には負えないところだった」
「桐山くんは大丈夫なの?」
「出血は止まったし、化膿止めの薬も打った。後は本人の体力と精神力次第だろう」
「……ああ、よかった桐山くん」
その時、桐山の目が静かに開いた。
「桐山くん!」
「桐山、大丈夫か?おまえずっと気を失っていたんだぞ」
「……彰、七原……ここは?」
「ああ、この田舎島唯一の病院って奴だ。篭城するにはまあまあな建物だぞ。
第一おまえの怪我を何とかしなけりゃならないから、ここをオレたちのアジトにすることにしたんだ」
「……川田…今何時だ?……」
「午前5時を10分ほど回ったところだ」
……午前5時……制限時間が切れている!!
他の奴等が侵入している!!
桐山の意識が一気に覚醒した。そして上体を起こす。
「ダメよ桐山くん!まだ寝てないと!!」
「寝ている場合じゃない!天瀬が!!」
「雅信……貴様……」
「……おまえが悪いんだ」
だが次の瞬間、鳴海の目が一瞬大きく見開かれていた。
ズギューンッ!!
その銃声が轟く前に、鳴海は背後の木の影に飛び込んでいた。
そう佐伯が鳴海がベルトに差しておいた銃を素早く抜き取り発砲していたのだ。
油断していた。まさか、ほとんど死に掛けている男が逆襲してくるとは思ってなかった。
鳴海が隠れると同時に佐伯は美恵を抱き上げ、近くの岩影に飛び込んだ。
「……くっ」
なんて様だ。この程度の動きで身体中が軋むように痛みを感じるなんて。
「……美恵」
美恵は静かに目を閉じていた。その汚れた服が赤く染まってゆく。
そう……佐伯から流れる出血量はそれほどにおびただしいものだったのだ。
そっとの美恵の頬に手を添えた。
「理解できないな。女の為に戦うなんて」
そうだ理解できない、今でもそう思っている。
それなのに自分は持論と全く違う行動を取っている。
死と紙一重の状態で自分に向かってきた三村信史を理解するどころか、見苦しいとさえ思った。
それなのに――。
佐伯は、美恵をそっと地面に横たわらせた。
そして、もう一度、その頬に手を添えた。
……一撃だ。最初の一発で終わらせる。それしかない。
血が流れる。今こうしている間にも。
腕を伝わり、そしてその綺麗な指の先からポタポタと赤い雫がとめどなく滴り、地面を赤く染め上げていた。
(……来る)
奴が、鳴海が――チャンスは一回だけだ。
逃したら後がない。
佐伯は意を決し飛び出した。
そして銃を構えた。狙いは鳴海の眉間、そう確実に命を奪う!
引き金にグッと力を込めた。
「……!!」
動かない。指が、いや身体全体が。
そして、眼前に広がる景色が――歪んだ。
それは時間にして、コンマ0.01秒にも満たない時間だったに違いない。
しかし――彼等には全てを決定付けるのに十分すぎる時間だった――。
ズギューンッ!!
「お可哀想に。しかし心配することはございませんよ。
あの方は常にあなたを身を案じておられます。
あなたにいいように全てを取り計らって下さいますので、どうかご安心を」
雨の日――あの女の墓の前で、そう言われた。
相手は名前も思い出せないようなつまらない弁護士。
あの男――ああ、オレの父親か。最初から当てになんかしていない。
この女を首尾よく片付けられただけでいいんだ。
これでやっと――オレの人生が始まるのだから。
「徹くん、今日から君の新しいご両親となってくださる佐伯ご夫妻だ」
「よろしくね」
「本当の親だと思って何でも言ってくれていいんだよ」
ふーん、いいように取り計らうってのは、つまり厄介払いするってことか
適当な人間に適当に莫大な養育費をあてがい遠ざける
まあ、しばらくはいい子にしてやるさ
「よろしくお願いします。お父さん、お母さん」
「まあ、なんていい子なの」
「良かったな優しい子で」
ええ、せいぜいイイコを演じて差し上げますよ。
しばらくの間は――。
初めて、あの男に会ったときの顔は傑作だったな。
疫病神がきた。そんな感じの青白い顔。
大人しく金でも貰って引っ込んでやれなくて本当に申し訳ございませんでしたね『お父さん』
あなたにとってオレは世界一会いたくない人間でもオレにとってはあなたは必要な人間なんですよ。
あなたが権力の中枢にあるまでの間は――。
だから、それまではあなたの傍を離れるわけにはいかないんです『お父さん』
その代わり、あなたがオレの役に立たない人間になる日が来たら、こちらから縁を切って差し上げますよ。
それなら文句はないでしょう『お父さん』
これがオレの生き方だった。
誰も必要としない。
誰も求めない。
利用することはあっても決して愛することはない。
だから、自分以外の者の為に行動をするなんて考えられない。
まして――自分の命をかけるなんて行為は。
そう――絶対に無い。
「……美恵……!」
死ぬことは怖くない。
程度の差こそあれ特選兵士なら誰もが持っている『覚悟』だった。
「……グ…ッ…」
左胸――心臓――から一気に鮮血が噴出した。
そう、心臓――急所を、だ。
頭部だけを後ろに振り返らせた。
そして見た美恵を
――死にたくない。
いや違う、オレは――。
『あなたは可哀想な人だわ』
なぜ泣く、オレを憎んでいたはずだ――。
そのオレの為になぜ涙を流すんだ?――
『認めるわ』
オレは認めない――。
いや……認めたくは無かった――。
『……そんな目に合ってどうして軍を抜けなかったの?』
わからないな。どうしてそんな疑問が出るのか――。
君みたいな女は初めてだよ――。
本当にこんな女がいるなんて信じれれない
どうして、こんな女が存在するんだ?
今まで見てきた女とはまるで違う
どうしてたかがクラスメイトを殺されたくらいでオレに歯向かえるんだ?
怖くないのかい、死ぬのが。いや殺されることが
どうして敵であるオレの過去を気にするんだ?
重要なのは自分が生き残ることだけじゃないのか?
少なくても、オレはそういう女しか見たことがない
どうしてオレは――
あの時――君が爆発で死んだと思った瞬間――我を忘れたんだ?
敵に止めを刺すことさえも忘れて
とうしてオレは――
あの時――君の無事を確認した瞬間――心の底から安堵したんだ?
そして同じ過ちすら犯した
どうしてオレは――
『君を守る為に戦うよ』
どうしてオレは――
『二度と桐山の名前を口にするな!
心の中で思い出すこともするな!!』
どうしてオレは――
「……美恵」
…オレが死んだら美恵は雅信のモノになるのか?
あいつの……雅信の……女に……
オレ以外の男のものに……
このゲームが始まって以来ずっと一緒だった。
怒った表情――
困った表情――
そして涙――
美恵の顔をいくつも見た。
でも、まだ見ていないものがある。
まだ死にたくない。オレはまだ――
佐伯は無意識に美恵の傍に立っていた。
もう鳴海雅信など視界にも脳裏にも無かった。
ただ美恵だけしか見えなかった。
左胸――心臓――からは身体中の血液が流れているのではないかというくらいの状態だった。
もしかしたら、すでに肉体は終わっていたのかもしれない。
ガクッと膝がおれ、地についた。
「……美恵」
オレは、この女が欲しかっただけなのか?
「……美恵…オレは……まだ…」
美恵の髪を愛おしそうに撫でると同時に……身体が前に倒れた。
美恵に折り重なるように……
「……オレは……まだ…」
(……徹……?)
美恵の声が一瞬だけ聞こえたような気がした――。
佐伯は美恵の胸に頭をおくように重なっていた。
美恵の心臓の音だけが薄れゆく意識の中、はっきりと聞こえた。
「オレはまだ……」
美恵、オレはまだ……君の笑顔を見ていない
静かに目を閉じながら、佐伯は美恵を抱きしめた。
そして――二度と動かなかった。
ただ……死後硬直でもないのに、その腕は、これ以上ないくらい力強く美恵を抱きしめていた。
冷酷な男、痛みや愛を知らずに育った男だった。
その命を終える瞬間……佐伯の脳裏には、かつて彼自身が放った一言が浮かんでいた。
――初恋は実らないんだよ――
【B組:残り22人】
【敵:残り3人】
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