『うわぁーん…お母さん…お母さん……』


冷たくなった母。その母に縋り付いて泣く弟。
いつ思い出しても嫌なものだな。


『何もあんな小さい子を二人も残して死ぬことないのに』
『彼女、旦那さんに惚れ抜いていたからねぇ』
『やっぱりショックが大きかったんでしょう。あの自爆テロは』
『でも、旦那さんの死が確認されたわけじゃないんでしょう』
『かわいそうなのは子供よ。あんな所に入れられるんだから』



『おまえが周藤晶か?』
『……誰だ、あんた?』
『おまえみたいガキは滅多に会えない人間だ。
……フン、生意気そうなツラだな。気に入った。
今日から、おまえは陸軍の少年兵士だ』





キツネ狩り―過去との決別①―




「兄貴、施設に戻るのか?」
「ああ、外出許可は一度につき最大一週間だからな。しばらくしたら、また帰ってくるさ」
「……そうか」
「どうした?」
「来週、おふくろの命日だろ?」
「そうだったな。で、それがどうかしたのか?」
「……たまには兄貴も墓参りに行かないか?」
「オレはいい。それに来週は晃司が任務から帰ってくる。
そんな時に出掛けてなんてられないだろ。おまえ一人でいけ」
「……でも」
輪也は酷くシュンとした様子だった。
全く、オレの弟なんだから兵士としての素質と才能はあるはずなんだ。
おまえに足りないのは精神力だな。周藤は溜息をついた。


「いいか輪也。オレが一番嫌いなものは知っているな?」
「……負け犬になること」
「そうだ。オレは同じ人間に二度敗北感を味わうつもりはない。
その為には墓参りなんてしている暇はないんだ。わかるな?」
「そうだな。兄貴は強いよ」
「わかっているなら、もういうな」
周藤が玄関のドアを開けると、すでに部下の少年兵たちが左右それぞれ一列に並び整列していた。
「行ってらっしゃいませ、周藤さん」
口々にそう言って全員頭を下げている。
「ああ、行ってくる」
その間を、まるで大名行列のように周藤と見送りの輪也が歩く。
この異様な光景は周藤にとってはごく当たり前のことだった。


「晶ぁー!!」
背後から、正確には三階の窓から聞こえる。
どうやら身を乗り出しているようだ。
「いいか氷室隼人にだけは負けるな!もしも負けたら二度と陸軍の敷居はまたげんと思え!!」
そして、鬼龍院が個人的な恨みのこもった激励をとばすのも恒例行事だった。
周藤は振り向かずに、スッと拳を握り締めたまま右手を高く上げた。
無言ではあったが、『ああ、わかったよ』と意思表示でもしたのだろう。
周藤が特選兵士に選ばれ、輪也たちにはあずかりしらないが何かがあった。
その何かの為に傲慢で高飛車になっていた周藤が、謙虚な姿勢で鬼龍院のしごきを受けるために帰ってくる。
そうなってから繰り返されたシーンだった。


黒塗りの車が停車した。周藤が近づくと、ずっと直立していた兵士が敬礼してすかさずドアを開ける。
元をただせば周藤は孤児院出身で何の後見もコネもなかった少年だった。
それが特選兵士に選ばれてから何もかも待遇が変わった。
この送迎車も、その一つ。もちろん、それと引き換えに以前よりはるかに過酷な生活を送っている。














一週間ぶりの特撰兵士専用施設。
周藤はここでのカリキュラムをこなしながら、尚且つ特別訓練を受けるために鬼龍院の元に帰っている。
どうしても勝ちたい相手がいる。鬼龍院が必ず勝てと言った氷室隼人ではない。
(もちろん氷室にも負けるわけにはいかないが)
その相手に勝つためなら、どんな努力も惜しまない。

「帰ってきたんだ。久しぶり、元気そうだね晶」

嫌な奴が話しかけてきた。その声を聞いただけで虫唾が走る。
しかも最悪なことに、この男はルームメイトときている。


「オレがいない間にふざけたマネしなかっただろうな薫?」
「ふざけたマネ~?」
「おまえならオレの居ない間にオレのベッドに毒針仕込むくらいのことやりそうだからな」
「……相変わらず失礼な男だな。僕はそういうセコイマネはしないよ。
君が居ない間はプライベートで忙しかったんだ」
気分を害したのか立花薫は、すぐにその場を離れた。




「久しぶりだな晶」
今度は大人びいているが低くない澄んだ声が聞こえた。
この声は立花以上に耳になじみのある声。幼い頃から何かとライバル扱いされてる氷室隼人だ。
「またテロリストを一人片付けたそうだな隼人。オヤジが地団駄ふんでたぜ」
「また薫とやりあったのか?」
「あいつは信用できない」
「安心しろ。薫は私生活が忙しかったから悪さもしてないだろう」
次に氷室は少々あきれた表情で、こう言い放った。
「おまえが居ない間。何人も女を連れ込んでいたんだ」
「……またか。世の中、バカな女が多すぎる」
こんな特殊な施設に入れる女なんて大体予想がつく。普通の家庭の娘に、この施設の門をくぐれる筈が無い。
女のエリート士官か、将官の娘だ。


「あいつは男娼も同然だな」
周藤は半ば蔑むように言い放った。
立花薫が軍においてエリートとしての地位を固めているのは実力だけではない。
個人的な関係で軍の上層部にコネを持っているからに他ならない。
華やかな顔立ちと物静かな雰囲気で女に絶大な支持を受けている美少年と言えば佐伯徹も同じだ。
しかし佐伯はそういうことは大嫌いだった。
(聞いた話では実母が高級娼婦だったため、そういうものには嫌悪感を抱いているのだろう)
周藤にしても、背が高くスラッとした均整の取れたスタイルと今風の整った顔立ちを持っている。
その為、女にモテる要素はあるのだが、周藤は恋愛を踏み台にしてのし上っている立花薫とは正反対だった。
そういうことには一切興味がない。
立花とは性格が正反対の上に、水と油ほど相性が悪い。
その立花とルームメイトだなんて、本当に世の中嫌なことばかりだ。
まして周藤は特選兵士に選ばれたその日に立花から手痛い仕打ちを受けた。
今思い出しても激昂するだけの十分な理由だろう。














――三ヶ月前――

周藤晶は栄えある特選兵士の一人として式典に出席するためにある施設に来ていた。
式が始まるまでに一時間ほどある。
周藤にとってはスタート地点に過ぎない。これからは、さらに飛躍するのだ。
その前に、他に選ばれた奴にも注意をはらわなければならないだろう。
周藤は注意深く少年達を観察した。
科学省出身の三人組は今だに姿を現していないので後回しだ。
まず最初にやはり氷室隼人に視線が向いた。
顔見知りということもあるが、氷室が選ばれることはある程度予想していた。
その氷室のそばに立っている柳沢大佐が何か激をとばしている。
(海軍のお偉いさんで、周藤の上司・鬼龍院とは士官学校時代から犬猿の仲だった)
十中八九『鬼龍院の腰巾着にだけは負けるな!!』とでも言ってるんだろう。


氷室以外で目についたのは、派手な金髪フラッパーパーマの鳴海雅信だった。
何か得体のしれない危険な匂いがするが、周藤はこれといって興味がわかなかった。
なぜなら危険な奴には違いないが、野心のあるタイプではない。
だるそうな態度とヤル気があるのかないのかわからないうつろな表情。
周藤のライバルにはならない相手だと直感で感じたからだ。
野心のないタイプということなら、仲良く会話している瀬名俊彦と蛯名攻介も同様だろう。
そらから菊地直人。あれも地位や権力に執着するタイプじゃない。
だが菊地自身はそうでも、何がなんでも上に引き釣り上げようという存在が近くにいる。
周藤は、これまた直感でそう感じた。
(正解だった。菊地は義理の父親に束縛され、トップにたつことを強要されている)


(……後は、オレと同じように野心を持っている連中だ)
佐伯徹。噂で聞いたことがあった。何でも海軍の将軍の隠し子らしい。
外見とは裏腹に支配する側にいなければ我慢ならないタイプだ、要注意だ。
それから佐伯を凄い目で睨んでいる立花薫。
自分の欲望の為なら、どんな卑劣なことも平然とやってのける人間だ。
和田勇二は考えなくてもわかる。我侭で自己主張が激しいタイプだ。
もちろん、そうでなけば、この世界では生きていくのも難しい。


「まあ、オレの敵じゃないな」
「兄貴、何かいったか?」
「別に。それより喉が渇いたな。何か買って来い」

すると周藤の取り巻きの一人が早速走り出していた。
この時、周藤は気付くべきだった。
あわよくば自分以外の人間を陥れてやろうと考えていた奴がいることに。














「周藤さんの好きな飲料は確か……」
「君、周藤くんの部下かい?」
綺麗な声が聞こえ、振り向くとこれまた綺麗な顔がそこにはあった。
中世ヨーロッパの貴族の御曹司を思わせるような上品な巻き毛に、白い肌。
そして女といっても通るくらいの美貌。思わず、息を呑んでしまいそうになった。
「僕は立花薫。周藤くんって、すごく感じいいよね。強そうだし凛々しいし、すごくカッコいい」
「やっぱ、わかりますか?」
周藤を敬愛して止まない取り巻き少年(名前は幸作といった)は立花の本性に気付かずに話に乗ってしまった。
「ああ、わかるよ。彼とは仲良くしたいな」
そしてスッとコーヒー入りの紙コップを差し出した。
「お近づきに。僕のおごりだよ」
「ありがとうございます」
幸作はお辞儀をすると、紙コップを受け取り走り去っていった。

「これで一人脱落。彼、見るからに野心家ってかんじだからね。
悪いけど早めに潰させておいてもらうよ、さようなら周藤くん。フフ」

彼等の戦いはスタート開始以前に、すでに始まっていたのだ。














「周藤さん、どうぞ」
うやうやしく差し出されたコーヒーに口をつける周藤。
だが一口飲んだ途端に、その味に僅かに違和感を感じ口をはなした。
「……幸作、どこで買ってきた?」
「親切なひとに奢って貰ったんですよ。あそこにいる立花薫さんです」
周藤は瞳を拡大させ、紙コップを地面に叩きつけると立ち上がった。

「……このバカが!」

立ち上がると同時に僅かに脚がふらついた。
「兄貴!?」
輪也が慌てて支えようとしたが、周藤がその手を振り払った。
「……この場所には軍のトップも大勢来ているんだ。そんな時に弱みを見せるようなマネは出来ない。
おまえは、そんなことも判断できないのか!?」
輪也は「あっ」と小さい声を漏らした。















「……で、あるからして諸君たちは選ばれた精鋭である。
総統陛下ならびに国家の為に、今後益々精進することを期待している」
軍のお偉いさんの長ったらしい話がようやく終わろうとしていた。

(どういうことだ?おかしいじゃないか、致死量ではないにしろ一週間は寝込む劇薬だぞ)

立花は、ありがたい話とやらも聞かずに、周藤を見ていた。
どう見ても毒を盛られた人間とは思えない涼しい顔をしている。
周藤が立花を一目見て野心のあるタイプと悟ったように、立花もまた周藤を邪魔な男だと本能的に悟っていた。
そこでライバルになる前に蹴落としてやろうと考えたのだ。
もちろん、いくら何でも殺すつもりは無い。要は倒れて式典に欠席してくれれば良かったのだ。
栄えある式典に病欠ということになれば、そんな脆弱な男は特選兵士の資格を剥奪されるだろう。
それが立花の目的だった。ところが周藤は何も無かったような表情で式典に出席した。
どうやら、あのコーヒーは飲まなかった、そういうことだろう。
立花は「ちっ」と舌打ちした。

(‥‥兄貴)

だが、立花とは全く逆の意味で周藤を見つめている者がいた。
身内ということで、式典会場に入ることを許可された輪也だった。
輪也はほんの三十分ほどまえの出来事を思い出し、心配でたまらなかった。













「……クソっ……あの女男。よくも……舐めたマネしてくれたな」
「兄貴、兄貴、大丈夫か?」
輪也は顔面蒼白だった。無理も無い、洗面所に駆け込んだ周藤は吐血したのだ。
輪也が差し出したタオルは瞬く間に真っ赤に染まった。
「すぐに病院にいこう」
「……冗談じゃない。やっとスタート地点にたったんだ。
今、式典を欠席したらオレは特選兵士の資格を失い、エリート街道から滑り落ちる」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう!死んだらどうするんだよ!!」
「……安心しろ。致死量じゃない、とにかく式典には出席する。
それに……あんな女男相手に尻尾を巻いて逃げ出すのは真っ平ゴメンだ」
こうなると周藤はテコでも動かない。
周藤の性格を知り尽くしていた輪也はどうすることも出来なかった。














「おまえは馬鹿か?」
ベッドの横に腰掛けながら鬼龍院は、さも呆れたように言い放った。
「……なら聞くが、もしもオレが救急車で運ばれていたらオヤジはどうした?」
「決まってるだろう。そんな根性の無い奴は殴って放り出す」
周藤は式典終了まで、今にも倒れそうな身体だということを周囲に微塵も勘付かれずに済ませることが出来た。
ただ氷室にだけはばれていたようだ。
式典が終了して会場を後にした時、僅かに脚がふらつき倒れそうになった。
氷室が腕を掴んできたので事なきを得た。
何年もお互いを知った仲なので、周藤の微妙な変化に気付いていたのだ。
まさかバラすつもりじゃないだろうなと周藤は一瞬焦った。
しかし氷室は『その通路は将校閣下が通るから裏口から行った方がいい』とだけ言って立ち去ってしまった。
周藤の面子に配慮でもしてくれたのか、自分が気付いていることは何も言わずに去ったのだ。


(相変わらず理解できない奴だ。オレなら長年争っていた相手をかばったりしない)


周藤はふとそんなことを考えた。
そして車に乗り込んでドアがしまった途端に倒れたというわけだ。

「1週間後には特別施設に入るんだ。それまで身体を元に戻せ。
それから、おまえにふざけたことしたクソガキにきちんと落とし前付けろ」
「……ああ、オヤジに言われるまでもない」














「結局、科学省のⅩシリーズはいつ姿を現すんだ?」
「さあ、任務中とか言ってたからなぁ。まあ、そのうち来るだろ」
噂の科学省ご自慢の人間兵器たちは、まだ姿を現さなかった。
思ったよりももったいぶっているようだ。


「やあ周藤くん」
その声は周藤が待っていた声だった。
「式典以来だね。気分はどうだい?」
ばきっと軋むような音に、他の特選兵士がいっせいに此方を見た。
そして彼等の瞳の中には壁に背中からぶつかり、口の端から僅かに血を流している立花薫の姿があった。
「気分だって?」
周藤は不敵な表情で、さも愉快そうに言い放った。


「ああ最高だ」
「……血……僕のっ、究極の美と言われた僕の顔を……!!」

これが周藤と立花の遺恨の始まりだった。
特選兵士の中でも、最も忌み嫌いあっている二人の。
だが、後に軍人生命どころか、命そのものを脅かしかねない秘密を、この二人が共有することになろうとは。
さすがの二人もこの時は夢にも思わなかった。




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