「景吾に新しい恋人?」
「ああ、A組のマドンナだとさ。帰国子女でハーフの胸のでかい女」

美恵は宍戸の気持ちなどおかまいなしにおしえてくれた。

「……そう」


――まただ。景吾って、本当に異性関係派手なんだから。
――いつも美人に告白されて、よほど気に食わない限りOKして、すぐに別れての繰り返し。


(……でも)


いつか景吾が本気で誰かを好きになったらどうしよう――。




紫陽花




幼馴染として物心ついた時から一緒にいる。
他の女の誰よりも一番長く一番近い場所にいる。


――でも景吾は私を女として見てくれない。それどころか異性とすら意識されてないんだわ。

美恵は悲しい気持ちを抑えコートの後かたづけに向かった。


「あっ」
フェンス越しに跡部が綺麗な女生徒と話している。
すぐに宍戸が言っていた美人帰国子女だとわかった。
なるほど、跡部が彼女にするだけあって高校生とは思えない色気を持ち合わせた美人だ。

「……比べると私なんか色気の欠片もないって思ってるわよね、あの俺様は」
「何言ってるんや美恵」

突然背後から抱きしめられた。


「忍足、ちょっと何するのよ」
「何ってスキンシップやないか。あー柔らかい。それに、ええ匂いするなあ。
美恵、もっと自信もってもええで。この俺が夢中なんやから美恵はええ女なんやで」
「……そんな事言ってくれるのは、あなただけよ」

冗談だか本気だかわからないアプローチをしてくる忍足。
でも悪い気が起きないのは、跡部が自分をないがしろにしすぎるためだ。
先月だって当時の彼女の白い手を取り「綺麗な手だな。美恵とは大違いだ」と失礼な事をほざいていたのだ。
もちろん後で抗議してやった。
すると跡部は謝るどころか「あーん、事実だろ。おまえの手は女らしくねえからな」だ。

何よ、じゃあ私は女じゃないっていうの?
誰のために、こんなに手が荒れてると思っているのよ!!
などと怒っても跡部にはどうせのれんに腕押しだ。喧嘩なんかしたってむなしいだけ。

(私、結構努力してるんだけどな)




幼い頃から一緒だった跡部。跡部は口は悪いけど大変な努力家。
その努力に見合うだけの結果をだせる才能も持ち合わせている。
少しでも気を抜いたら置いていかれそうだった。
跡部のそばにいたくて、跡部に必要な存在でいたくて、必死になって頑張ってきた。
その甲斐あって成績だって常に上位だし、一通りのお稽古ごとやマナーだってきちんと修得してきた。
上流社会のパーティーに出席しても恥ずかしい思いなんかしたことは一度もない。
誰もが「天瀬家のお嬢様はご立派で」と誉めてくれる。


(でも肝心の景吾にだけは認めてもらえてないんだから)


一番近くにいるってことは、思ったよりいいものではない。
跡部にとっては何のときめきも感じない女だと、認識させられてしまうからだ。


(何よ。景吾のバカ!)


空を見上げると雨雲が目に入った。
(一雨きそう。でも、もうすぐ終了時間だから大した影響はでないわね)
そう思っていると案の定ぽつぽつと雨が降り出してきた。




「おーい、そろそろ切り上げようぜ」
岳人の大声がコート上に響きわたっている。美恵も大急ぎで片づけを済ませた。
文句を口にする部員たち。
突然の雨に喜んでいるのは部室の隣で咲いている紫陽花くらいだろう。


「紫陽花は雨に濡れると、ますます綺麗ね」


美恵は、つい魅入ってしまった。
土の微妙な成分により色を変える紫陽花はとても綺麗だったのだ。


「じゃあな美恵」
「あら?岳人、忍足は?」
「それがさあ。もう少しで新しい必殺技が完成するから、もう少しやってくっていうんだよ」
「やってくって……もう、土砂降りじゃない」














「忌々しい雨だぜ。おい美恵、送っていってやるから、さっさと来い」
「ごめんなさい景吾、私、もう少し残っていくから」
「何だと?」

せっかくの好意を断ったせいか跡部は頭にきた様子だった。


(でも、今更景吾に悪感情もたれたって何もかわらないわよ)
皆が帰ると美恵はドリンクを作り始めた。肌触りのいいタオルも用意した。
(かなり時間たってるわね。やっぱり夢中になってるんだわ)
美恵は傘をさしてコートに向かった。


「忍足、いつまでやってるのよ。もう一時間もたってるのよ」
「何や美恵か」
美恵かじゃあないわよ。風邪でもひいたら元も子もないわ。いい加減にあがりなさいよ」
美恵は、こういう場合、常にブレーキ役をかってでていた。
それもマネージャーの役目だと心得ていたのだ。


「さっさとシャワーをあびて……きゃあ!」
突然、強い風がふき傘をもっていかれてしまった。
美恵、大丈夫か?」
すぐに忍足と部室に戻るも後の祭り。
「……びしょびしょね」
美恵、シャワー浴びたほうがええで」
「何いってるの忍足の方が先でしょ」
無理矢理忍足をシャワールームにつめこんで窓から外をのぞくと、ますます雨足は強くなっていた。




(……傘ないし困ったわね。少し様子をみようかしら)
忍足がシャワールームから出てくると、すぐに美恵も雨に濡れた体を洗った。
時計をみると、いつもなら夕食の時間だ。しかし雨はいっこうに衰える気配はない。
「……困ったわね」
「何なら、二人で部室に泊まるか?」
こんな時だというのに忍足は冗談だ。

「笑えないわよ」
「俺は本気やで」

忍足がそばにやってきた。

「ベッドもあるし。知ってるやろ、俺が、ずっと前から自分に気があったこと」
「あ、あのね」

重苦しい空気が流れた。しかし、その空気は突然扉が開く音で一瞬で瓦解した。


「てめえら、何してやがるんだ!!」


「け、景吾!?」
「跡部、自分、何でここに!?」
「何じゃねえだろ!こんな時間になっても美恵が帰宅してねえから、まさかと思って来てみたら……。
てめえら、できていやがったのか!!」
「変な誤解しないでよ!忍足、あなたが妙な事いうからよ」
「誤解だと。じゃあ、何でシャワーなんか浴びていやがるんだ!」
「それはなあ。俺ら二人で濡れたからや」
「何だと!?」


え?何、今のニュアンス……『俺ら二人で』?


「ええやないか。自分は美人の彼女いるんやろ。俺だって美恵と幸せになりたいんや」
「ふざけるんじゃねえ!!」

跡部は忍足を突き飛ばすと、その険しい視線を美恵に向けた。


「ちょっと誤解しないでよ。雨に濡れたからシャワー浴びてただけよ。だ、第一、何でそんなに怒るのよ」
「うるさい。とにかく忍足、てめえは出ていけ!!」

理不尽な物言いだったが跡部の剣幕に押されたのか忍足は文句を言いながらも引き下がった。
後に残された美恵と跡部。今までにない重い空気。
跡部と二人きりでいて、言葉すら出せないほどの雰囲気なんて初めてだった。




「……本当に何もないんだろうな?」

数分後に跡部が発した言葉に、美恵は噛みつくように「当たり前でしょ!」と叫んでいた。
それから、またしばらく沈黙が続いた。
やがて「……そうか」と、ほっとした口調で跡部は言った。


「……どうして?」


美恵は不思議でたまらなかった。跡部は自分の事なんか何とも思っていないはずだ。
いつも色気がないと悪態ばかりつく跡部。それなのに……。


「……私のことどうでもいいんでしょ?」
「……俺が本当にどうでもいい女を十年以上そばにおいてると思っているのか?」

跡部が近付いてきた。心臓の鼓動が大きくなっていく。

「……ずっと何も変わらないと思っていた。
けど年月がたつたびに思い知らされていた。おまえが女だってことを」
「……景吾?」
「どんどん女らしくなりやがって……体だって」
「ちょっと待ってよ。だって、あなたは私の事を……」

いつも女じゃないみたいな言い方を――


「そうでも言わねえと自分を押さえる自信がなかったんだ」


こんなに自信のない跡部をみるのは初めてだった。




「だ、だって……私の事をほったらかしにして他のひとと……」
「……無理矢理おまえから目を逸らさねえと何するかわからなかったからな」

跡部の腕が背中にまわってきた。

「……おまえは純粋な女だから」

耳元で聞こえる跡部の声。美恵は期待を込めた目で跡部を見上げた。


「……け、景吾……私、昔から、ずっと……ずっと、あなたのこと……」

「ずっと愛してた」


跡部は微笑みを浮かべながら「告白は男からするものだ」と言った。
美恵も微笑みながら「私も、ずっと愛してた」と想いをつづった。


「だから悔しかった……あなたが他のひとをと思うと」
「断っておくが、あいつらには何もしてないからな」
「本当に?」
疑りぶかそうに見つめてやった。
「俺の女はおまえだと決めてたんだ。当然だろ。
デートうけただけで本当に付き合ってたわけじゃねえよ。女や周囲が勝手に騒いでいただけだ」
「……よかった」
跡部の手が頬にふれる。美恵は、そっと目を閉じた。
それを合図に跡部の唇が美恵のそれに重ねられた。

どのくらい時間が過ぎただろう?

名残惜しそうに唇を離すと跡部が「もう我慢できねえ」と呟くように言った。
その言葉の意味は考えなくてもわかる。




「……いいわよ。景吾なら」

本当に自然に出た言葉だった。

「……本当にいいのか?」

跡部の視線がいつになく熱かった。


「ええ。……でも、その……優しくしてね」
「ああ!」


美恵を抱き上げると跡部は奥の部屋のベッドに向かった。


「紫陽花が綺麗って言ってたよな」

ベッドにそっと美恵を降ろしながら跡部が言った。


「ええ、雨に濡れて綺麗だって」
「おまえも濡らしてやるぜ。覚悟しな」
「ええ、あなたの色に私を染めて」


その夜、美恵は跡部の腕の中で開花した。
外で咲き誇る紫陽花だけが二人の情事を聞いていた――。




END




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