「で、でたぁ!!き、菊丸先輩、1人で逃げるなんてずるいですよぉぉぉー!!」
本日は立海と青学の練習試合。そのため青学レギュラー陣が立海大にやって来た。
だが、桃城と菊丸は先方の部長・幸村を見るなり逃亡。
それは、まるでホラー映画の登場人物さながらだった。
当然ながら幸村はいい気持ちがしない。これではモンスター扱いではないか。
「……何なんだい、あの坊や達は。手塚、おまえのところの部員は俺を何だと思っているんだい?」
「いや俺は心当たりは無い。2人とも本当にいい子で他人にそんな態度とるはずないくらいなんだ」
「あれがイイコだって?」
「ああ、本当に情の厚い優しい子達だ。ここに来る間も電車の中で不二の話に耳を傾けて泣いていたくらいなんだ」
「泣いた?」
「ああ、確か……泣いた赤鬼だったかな?」
泣いた赤鬼
――それは一時間ほど前に話が遡ります。
「あー、つまんない。ねえ不二、何かお話してよ」
「そうっすね。不二先輩なにか喋って下さいよ」
「んー、そうだな。どんな話がいい?アメリカの死刑史?ロシア共産主義裏のお話?それとも童話系?」
「じゃあ童話系でいいっすよ」
「じゃあ今日は特別にノンフィクションの泣いた赤鬼をきかせてあげるよ。
実は立海の幸村は氷帝のマネージャーに横恋慕してたんだ。
はっきりいってストーカーのレベルにまで達していたほどの一方的で迷惑な狂愛さ。
そんな、ある日、氷帝と立海は練習試合をすることになり、氷帝のメンバーは立海大にきた。
もちろんマネージャーである彼女も一緒さ。優しい彼女は幸村をいいひとだと信じていた。
だが、幸村はついに本性を現したんだ……」
氷帝の面々が立海に到着すると待っていたのは幸村の大歓迎だった。ただし、その対象は1人だけ。
「美恵さん、久しぶりだね!」
幸村は笑顔で駆け寄ってきた。合同合宿で美恵に恋して以来の再会。
「幸村君、今日はよろしくね」
「もちろんだよ。君の為に美味しいお菓子やお茶を用意してあるんだ。まずは――」
幸村は美恵の手をひいて強引に連れてゆこうとした。
密室に連れ込み、これを機会に親密な間柄になろうと思っていたのだが――。
「てめえ、俺の美恵に何しやがる!!」
跡部が無理やり幸村と美恵に割り込んできた。
「いいか、よく聞け!こいつはガキの頃から俺様に首ったけなんだ、俺の女だ!てめえには指一本触れる権利はねえ!!」
「……何だい、それは?」
幸村の表情は絶対零度な冷たさを放っていた。しかし跡部も一歩も引かない。
「今日はあくまで練習試合に来ただけだ。てめえがうちのマネージャーと親交深める必要性ゼロだ!」
「……何だよ、それ」
美恵との再会をずっと楽しみに、この日を指折り数えて待っていた幸村は当然納得できない。
「とにかく二度と美恵に近付くな。いいな!」
跡部は美恵の手を取り、強引に行ってしまった。
「景吾、幸村君に失礼じゃない」
「うるせえ。いいか、あいつが近付いてきても相手にするんじゃねえぞ。命令だ!」
「……跡部め」
幸村は必死だった。何とかこのチャンスに美恵と仲良くなりたかった。
しかし美恵に近付く度に跡部の命令を受けた氷帝の部員達が邪魔をする。
挙句の果てに美恵まで「ごめんなさい幸村君、もう私にかまわないで」と頭を下げる始末。
「……俺の計画が。もうすぐ試合が終わる、彼女が帰ってしまう」
項垂れる幸村。立海の面々は心配している。
「幸村部長、元気だして下さいよ」
「……赤也、もし彼女と今日中に親密になれなかったら俺はショックで病気が再発するよ」
「マジっすか!?」
「……ああ、そうだ。1人で入院するのは寂しいから全員道連れにするかもしれない。
今の俺はそれほど追い詰められているんだ、跡部のせいでね……何をするかわからない」
「……幸村」
少し離れた場所から仁王が見詰めていた――。
(おまえは本当に天瀬にぞっこんなんじゃな……健気なやつ、何とかしてやりたいのう)
仁王は幸村の想いを何とか叶えてやりたかった。そして、ある決意をした。
「飲み物、足りなかったわね」
練習試合は予想以上に白熱したものとなった。持参してきたドリンクはすでに底をつきてしまったのだ。
「ええー、俺のどカラカラだぜ」
向日は両手足を広げコートに仰向けに倒れてしまった。
「待ってて。ポカリスエット買ってくるから」
立海の購買部の前に自動販売機があったはず。美恵は財布を手に校内に入っていった。
日曜日ということで校内には人の気配はなくガラーンとしている。昼間だからまだいいが、夜なら怖くて仕方ないだろう。
購買部はかなり奥にある。もうテニスコートからの声すら全く聞こえなくなった。
「岳人が待ってるから早く戻らないと……えっと」
コイン投入口に百円玉を何枚を入れていると、背後からカツンと音がした。
驚いた美恵は思わず振り返りホッと胸を撫で下ろした。
「……何だ、仁王君だったの。びっくりするじゃない」
こんなに近くにくるまで足音を消すなんて何を考えているんだろう?
美恵は少しおかしいなとは思ったが、今は仲間達に飲料水を持っていくのが優先だ。
自動販売機に向き直りボタンを押そうとした。その瞬間――。
バンっ!!
仁王の腕が背後から伸びて自動販売機に。ガラガラっ!と音がしてコーラが大量に出てきた。
「……に、仁王君?」
仁王の様子がおかしい。美恵は、ゆっくりと振り向いた。
「なあ、お嬢さん。俺といい事せんか?」
「……いい事って」
怖い!美恵は逃げようとした。ところが仁王が腕をつかんできた。
「離して、何をするの!!」
「いいから、こっちにきんしゃい」
仁王は美恵を保健室に引きずり込みベッドに押し倒した。
「何をするのよ!やめてよ、こんな事して景吾達が黙ってると思ってるの!?」
「ほう、おまえさんみたいな純情な子にレイプされましたって言える度胸があるのかのう?」
美恵はぞっとした。跡部達はテニスコート、叫んでも助けを求める声は届かない。
「いやぁぁ!お願い、やめて、誰か助けてえ!!」
文字通り美恵は泣き叫んだ。
「仁王、美恵さんに何をするんだ!!」
美恵の体から仁王の重みが消えた。同時に壁に激突する仁王の姿が視界に入る。
「美恵さん、大丈夫かい?」
「幸村君……!」
助けてくれたのは幸村だった。
「仁王の様子がおかしかったから後をつけたら……何て奴だ、ここから出て行け!」
「……言われんでも出て行ってやるぜよ」
仁王は口の端から流れる血を手の甲で拭い去っていった。
「すまない美恵さん、立海の人間がこんなことするなんて俺の監督不行き届きだった」
幸村は頭を下げてきた。
「幸村君のせいじゃないわ……幸村君がいなかったら私……」
本当に怖かった。男のひとに襲われるのがこんなに怖い事だったなんて。
「……幸村君!」
安心した途端、美恵は気が抜けたのか幸村の胸の中で激しく泣いた。
そして、美恵は跡部が何と言おうと幸村を信じる事にした。
「よかったら俺と友達になってくれないかな?」
「私でよかったらよろこんで」
「……幸村、幸せにな」
仁王は海が一望できる崖に立っていた。その手には一通の手紙が握られている、幸村宛の。
もう自分は立海には戻れない。その旨を書いた手紙なのだ。
手紙の最後には『天瀬と仲良くな』と一文が付け加えられている。
「……俺はいいんじゃ。故郷に戻ってテニスが出来れば」
「困るんだよ、それじゃあ」
仁王はハッとして振り向いた。いつの間に居たのか幸村が立っている。
「おまえのおかげで彼女と親密になれたよ。ありがとう仁王」
「……そうか。それを聞いて安心した。じゃあな、さらばじゃ幸村」
立ち去ろうとした仁王。だが幸村は仁王の肩をつかみ、その歩みを止めた。
「幸村?」
「俺は彼女と良好な関係になれたんだよ仁王。だから今回のからくりがばれると困るんだ」
「……わかっとる。だから俺は」
「わかってないだろ?俺は証拠を完全に消さないと安心できないと言ってるんだよ仁王」
つかまれた肩にズキンと痛みが走った。幸村の目が異様に冷たい。
「火種は完全に消さないと、いつどこで燃え上がるかわからない」
「……ゆ、幸村?」
「おまえがこの先一生絶対に秘密を守るという保証がどこにある?」
仁王の全身に冷たいものが走った。
「……ゆ、幸村……まさか、おまえ……」
「おまえの友情、俺は一生忘れないよ」
幸村が仁王の胸を押した。背後は崖、仁王が最後に見たのは幸村の笑みだった。
「ゆきむらぁぁぁー!!」
そのまま仁王の体は波に飲み込まれ二度と浮かび上がってはこなかった。
「ありがとう仁王。おまえの命は無駄にしないよ、ふふふ」
「……こうして幸村は生き証人を完全に排除する事で彼女の信頼を不動のものにすることに成功したのでした。めでたしめでたし」
根が単純で怖がりな桃城と菊丸は大号泣したのでした。
「うぎゃぁぁぁーー!!ひどい、ひどいっすよぉぉーー!!」
「幸村は邪悪だ、悪魔だよぉぉー!!」
「桃城、菊丸、一体何があったんだ?!」
手塚が慌てて駆け寄ってきた。
「それが、泣いた赤鬼の話をしてたら泣いちゃって。2人にはまだ刺激が強すぎたみたいだよ」
「そうか、あれは泣ける童話だからな……さあ、もう泣くな。
年齢の割には気の強い子だと思っていたが、まだまだ子供だな」
その後、桃城と菊丸は駅に到着するまで泣き続けたのでした。
「……何か、腑に落ちないね」
「優しい奴等なんだ。気にしないでくれ」
幸村は釈然としませんでした。
「そういえば幸村、先月氷帝と練習試合をしたようだな。跡部から聞いたぞ。
それにしても、何だか跡部の様子がおかしかった。
他校との練習試合には二度とマネージャーは出さないと言っていたぞ。何かあったのか?」
「知らないよ。嫉妬深い器の小さい男さ。ふん!」
「何を怒っているんだ。ところで仁王の姿が見えないが何かあったのか?」
「しばらく旅に出るといっていたかな。長い旅にな……ふふふ」
そんなやり取りを不二はニコニコして眺めていた。
「……何笑っているんだい。俺を馬鹿にしてるのか?」
「別に。僕のスマイルはいつもの事じゃないか」
「……気に入らないな」
幸村は、まだ何か言いたそうだったが、手塚に促され歩き出した。
不二は微笑んでいたが、2人の姿が小さくなると冷たく開眼した。
「僕は何もしてないよ。ただ恋敵の悪評をちょっとたててやっただけさ。クス」
FIN
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