「おい跡部さんだぜ」
「さいてーじゃん。仲のよかった幼馴染を死なせるなんてさ」

本日は氷帝と青学の練習試合。
そのため青学レギュラー陣が氷帝学園にやって来たのだ。
だが、桃城と菊丸の跡部を見る目はやけに冷たい。蔑んですらいる。
跡部がインサイトに長けてなくてもわかるほど露骨な目つきだった。
当然ながら、跡部は黙っているような性格ではない。

「てめえら、言いたい事があればはっきり言え」

桃城と菊丸は跡部の迫力に怖気づいたのか逃げ出したが、跡部は釈然としない。

「……何なんだ、あいつら。おい手塚、おまえのところの部員は俺に文句でもあるのか?」
「いや俺は心当たりは無い。2人とも本当にいい子で他人にそんな態度とるはずないくらいなんだ」
「あれがイイコかよ」
「ああ、本当に情の厚い優しい子達だ。ここに来る間も電車の中で不二の話に耳を傾けて泣いていたくらいなんだ」
「泣いた?」
「ああ、確か……マッチ売りの少女だったかな?」




マッチ売りの少女




――それは一時間ほど前に話が遡ります。

「あー、つまんない。ねえ不二、何かお話してよ」
「そうっすね。不二先輩なにか喋って下さいよ」
「んー、そうだな。どんな話がいい?猟奇殺人?政界の黒い噂?それとも童話系?」
「じゃあ童話系でいいっすよ」
「じゃあ今日は特別にノンフィクションのマッチ売りの少女をきかせてあげるよ。
実は跡部には物心ついた頃から仲のいい幼馴染がいたん。
ずっと彼女と一緒で周囲は将来2人は結婚するんじゃないかって思っていたほどだ。
中学にあがっても2人の仲睦まじさは変わらず、その子はマネージャーになって跡部を支えていた。
でも、2年に進学した頃から跡部は新しい恋人を作って、その女を新しいマネージャーにしたんだ。
その女は仕事は全くせず全部彼女に押し付けてるくせに、何かと彼女の悪口を跡部に吹き込んでいた。
もちろん彼女は否定したけど恋人に夢中になっていた跡部は彼女のことを信じなかった。
それどころか恋人を庇って、彼女に辛くあたったんだ。
そして真冬のとても寒い日、事件が起きたんだ……」














美恵は、とても疲れていた。風邪気味だろうか、いつにもまして仕事がきつい。
それでも美恵は手を止めるわけにはいかなかった。
冬休み中の部活動最終日。今日はテニスコートと部室の大掃除だった。
いつもはレギュラー陣も手伝ってくれていた。しかし今年は違う。


「テニスコートの整備を先にやらなきゃ……」

コートにいくと今年最後のプレイにレギュラー達は夢中になっていた。
そしてベンチでは彼らのマドンナである、もう1人のマネージャーが声援を送っていた。
その度に彼らは大喜び、ほんの数ヶ月前までは美恵が、あのシーンの中心にいた。


「あの景吾」

美恵が声をかけると跡部は冷淡な顔つきで振り向いた。

「何だ?」
「そろそろコートの……」
「ああ、早いところ掃除しておけよ。来年も使うコートだ、しっかり磨いておけ」


美恵の手は水仕事のせいで赤切れができていた。
何より1人で大掃除は重労働だ。しかし跡部達は美恵が単独でやるのは当然だと思っていた。
一生懸命仕事をしてくれる大事なマネージャーは、いつの間にか仕事をするのは当然の存在になっていた。
あの女が入部してきたせいだ。あの女は美恵からマドンナの座を奪った。
そのくせ自分は手が荒れるのが嫌いだとぬかすわがまま。
それすらも男目線だと可愛いと思ってしまうらしい。
美恵が注意すると泣き出してレギュラーの同情をひく始末。
あれほど仲のよかった幼馴染の跡部ですら、今や、その女の味方で美恵に冷たかった。




美恵は必死になって1人でコートを奇麗にした。
次は部室だ。レギュラー用の部室は贅を凝らした造りだった。
当然、掃除も手間がかかる。奇麗好きな跡部は手抜きを決して許さない。
それなのに今年は温水器が壊れてしまい冷水で掃除しなければならない。本当に災難だ。
部室に戻ると跡部達はすでに帰り支度を済ませていた。


「今年もご苦労だったな。また来年も頼むぜ」
ベンチに座って応援しかしなかったマネージャーに優しい言葉をかけている。
それなのに美恵には視線も向けない。惨めだった。

「景吾」

名前を呼ぶとようやく跡部は此方を向いた。

「何だ美恵」
「1人じゃ大変なの……彼女にも掃除手伝って欲しいんだけど」

途端に女は虐められたような顔をした。
「酷いわ。自分の仕事をあたしに押し付けようなんて……これから景吾とデートなのよ、邪魔しないでよ!」
泣き出してしまった。こうなったら展開はお決まりのパターンだ。
美恵、俺の女を泣かせて、そんなに面白いのかよ!」
まただ……最近は跡部との会話はいつもこんな調子。


「……だって景吾」
「だってもくそもねえ、おまえは変わったな。昔はあんなに優しい女だったのに」

それは此方が言いたい台詞だ。昔はあんなに優しかったのに。

「だって天気予報では今夜は大雪になるって。だから早く掃除しなきゃ……」
「てめえがさっさとやれば済む事だ!こいつを巻き込むな!!」

それが跡部が美恵に掛けた最後の言葉だった――。









「……冷たい」

夜は更けていた。やはり1人ではきつかった。
先ほどの跡部の冷たい態度で傷ついたせいかはかどらない。
赤切れの手に冷水はとてもしみる。ポトポトと手に水滴が落ちた、涙だ。

「……寒い」

運が悪いことは続くものでエアコンも壊れていた。
外は雪。しかも見る見るうちに荒れ出し吹雪に変化していた。
幸いにも石油ストーブが残っている。美恵はマッチ箱を取り出した。
突然、電気が消えた。美恵は慌ててマッチに火をつけた。
暗闇の中の小さな灯り。それは何だか特別なものに見えた。


「……景吾」


――ずっと仲良しだったのに。
――幼馴染ってなんだろう?
――たった数ヶ月で他の女より存在下になるなんて……。




「……景吾?」

灯りの中に何かが見えた。じっと目を凝らすと映像だとわかる。

「……あ」

それは幼い日の思い出。跡部と手をつないで歩いている自分が見えた。
幸せだった頃の思い出。自然に涙が溢れていた。
しかし、マッチが消えると同時に。その思い出も消えた。
美恵は溜息をついた。幻覚まで見えるなんて……。
もう一度火をつけた。だが、また灯りの中に何かが見えた。


「これは昔クリスマスで……」

2人で夜遅くまでサンタを待っていて、結局寝込んでしまったあの夜。
マッチが消えると、その思い出も消えた。

「……もしかして」

美恵は、三度マッチに火をつけた。
今度はテニス大会で跡部が優勝した時、跡部が「おまえのおかげだ」とメダルを首に掛けてくれた。


――私と景吾の……過去だわ。


美恵は次々にマッチに火をともし出した。

――夏休みに跡部家のプライベートビーチで南国の夕陽を2人っきりで眺めた思い出。
――お正月、2人で初詣に行きお互いに「来年も一緒にいられますように」と祈った思い出。
――美恵にちょっかい出す男子生徒に、跡部が激しく怒ってくれた思い出。

数々の思い出。それは耐えることなく美恵の乾いた心を潤していった。
反して肉体が冷たくなるのも気づかないくらいだった――。




極寒の中、美恵はいつの間にか横たわっていた。
そばにはマッチの燃えカス。マッチは全て燃やし尽くしていた。
とても寒いはずなのに、美恵は不思議とそうは感じなかった。

――とても温かい、美恵は、そう思っていたのだ。


「……景吾」


美恵は、そのまま眠りについた。マッチの先端からはうっすらと煙が出ていた。














「……こうして美恵さんは、マッチ売りの少女のように雪の中で永遠の眠りにつきました」

根が単純で優しい桃城と菊丸は大号泣したのでした。

「うわぁぁーーん!!ひどい、ひどいっすよぉぉーー!!」
「跡部は鬼だよ、鬼畜だよー!!

「桃城、菊丸、一体何があったんだ?!」
手塚が慌てて駆け寄ってきた。
「それが、マッチ売りの少女の話をしてたら泣いちゃって。
2人にはまだ刺激が強すぎたみたいだよ」
「そうか……あれは悲しい最後だから、おまえたちには辛い内容かもしれないな。
さあ、もう泣くな。年齢の割には気の強い子だと思っていたが、まだまだ子供だな」
その後、桃城と菊丸は駅に到着するまで泣き続けたのでした。














「……何か、腑に落ちねえな」
「優しい奴等なんだ。気にしないでくれ」


「景吾、青学の皆さん、到着したの?」

愛らしい声。 跡部と手塚の真横を不二はニッコリと笑いながら、さっさと通過した。

美恵さん、久しぶり。合同合宿以来だね、会えて嬉しいよ!」
「こんにちわ不二君、私も会えて――」


「そこまでだ美恵!」

凄い勢いで跡部が二人の間に割り込んできた。

「俺のマネージャーに近付くんじゃねえ!」
「……『俺の』?」

不二はあからさまに不愉快そうな表情をした。


「ああ、そうだ。こいつは物心ついた時から俺様にメロメロのベタ惚れで心底愛しまくって夢中になってるいやがるんだ。
よって俺様のものだ。こいつの心も肉体もなあ。
それが気に入らないって言うんなら今すぐ決着つけてやってもいいんだぜ?」


「ちょっと景吾、やめてよ!不二君ごめんなさいね、ほら行くわよ景吾」
「気にしてないよ。僕は争うのは苦手だから身を引くよ」


跡部は満足そうにニッと笑みを浮かべると、美恵の腰に腕を回し行ってしまった。
不二は微笑んでいたが、2人の姿が小さくなると冷たく開眼した。



「僕は争いはしないよ。でも腹いせくらいはしてるかもね。クス」




FIN




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