――好きだよ、美恵さん。


――君を愛してる、誰よりも。君を幸せにできるのは僕しかいない。


――君を幸せにするためなら僕は何だってできそうな気がするんだ。




不二の囁き




「みんな、休憩よー!」
美恵がドリンクとタオルを抱え笑顔で呼んだ。
夏休みに避暑地でテニス合宿。それは毎年の光景だった、しかし一つだけ違うことがある。
「ちょっと天瀬さん、それは私の仕事よ。横取りしないでよ!」
もう1人のマネージャーが慌てて駆け寄ってきたかと思うとドリンクとタオルを強引に奪ってきた。
「油断も隙もないんだから。古株だからって勝手なことしないでちょうだい」
美恵が用意したドリンクとタオルを当然のように自分の手柄のごとくレギュラー達に配り出した。
「はい景吾」
先ほどの鬼様な形相が嘘のような笑顔を跡部達に向ける彼女。
「ああ、サンキュー」


――何よ、景吾の馬鹿!


当然、美恵は面白くない。この女が入部してからというもの、氷帝における美恵の立場は微妙なものになった。
何年も苦労を共にしてきた仲間がすぐに彼女と親しくなり、自分がおざなりにされるのはいい気はしない。
まして幼馴染の跡部の心が自分から離れていったのは悲しかった。
確かに彼女は美人なお嬢様で何かと目立つ存在。
だからといって差別されるのも限界にきていた。




美恵、気にするなや。俺にとってマネージャーは今でも自分1人やで」
「ありがとう忍足」
忍足だけだった。美恵に優しいのは。

美恵さん、僕もドリンクもらってもいいかな?」
いや、正確にいうと他にもいる。それは、この合同合宿で供にテニスに励んでいる青学の面々だ。
彼らは笑顔だけ振りまいて碌にマネージャー業をしない彼女よりも自然と美恵に懐いてしまったのだ。
特に不二はとても優しい。その笑顔と優しい言葉にどれだけ慰められたかわからない。
「ねえ跡部達はあの彼女に夢中だし、美恵さん、いっそのこと青学に来たら?歓迎するよ」
「何、寝ぼけたこと言ってんねん!美恵を必要としている人間はまだ氷帝におる。俺や俺!」
「……あ、そう」
不二は面白くなさそうに顔を背けた。




――僕は美恵さんに幸せになってもらいたいだけなんだ。その為なら何でもするよ。




「なあ美恵、知ってるか?」
「何を?」
「今日は花火大会あるらしいで。なあ俺と一緒にいかへん?」
「二人で?」
「そうや。跡部も彼女と二人で行くみたいだしな」
美恵の心にチクッと痛みが走った。まるで棘が刺さったようだった。

そんな美恵を不二はまるで観察するかのようにじっと見詰めていた――。














「景吾、花火大会楽しみね!」
「……ああ、そうだな」
「2人っきりで人気の無い場所行ってみない?」
そんな会話が聞こえてくる。不二はそっと聞き耳をたてながら廊下の角からロビーをのぞきこんだ。
「ホテルがサービスで祭り用の浴衣貸してくれるのよ。私の浴衣姿楽しみにしててね」
そう言って彼女はスキップするかのように行ってしまった。


(せいぜい跡部と仲良くすればいいさ。跡部、君と彼女の幸せ、僕は心から祈っているよ)


不二はずっと美恵の事が好きだった。この合同合宿はまたとないチャンス。
是が非でも、この合宿中に美恵と恋人同士になりたい。
最大の恋敵と目していた跡部が他の女と急接近していたのは不二にとって嬉しい誤算だった。


「!」
だが、そんな不二の視線に気づかず跡部は溜息をついた。

(……まさか)

不二は跡部を凝視した。
あの様子はどう見ても愛しい彼女との夜のデートを楽しみにしている男の顔ではない。


(……恋人にうんざりしている男の顔だ!)

――まさか、まさか!


不二の心にドス黒いものが生まれ、そして急激に大きくなっていった。
ふと見ると美恵が歩いてくるではないか。不二は咄嗟に植木鉢の影に隠れた。
美恵は跡部を見つけると気まずそうに視線を反らした。
不二はばっと跡部を見た。その顔は平静を装っているが、その瞳は悲しそうだった。

(……あれは後悔している目だ!跡部の奴、美恵さんとの間に距離を作ったことを後悔している!)

不二にとって許しがたいことだった。




今さら、今さら、今さら!




「……おい、美恵」
跡部が美恵に歩み寄ってくる。不二は慌てて植木鉢から飛び出した。
美恵さーん!」
「不二君?」
「良かった。探していたんだよ」
不二は美恵の手を取ると「美恵さん、占い好き?」と尋ねた。
「えーと……特別好きってわけでもないけど人並みには……」
「僕は占いが得意なんだ。姉さんにも才能あるって言われてるんだよ。良かったら試してみない?」
美恵は声をかけてきた跡部をちらっと見詰めた。
「今、フリータイムだから時間あるよね?僕の部屋に行こうよ」
「あ、不二君」
不二は半ば強引に美恵を引っ張りながら走り出した。
チラッと振り返ると苦虫潰したような跡部が此方を睨んでいた。














「じゃあ始めるね」
不二は美恵の手を取るとそっと瞼を閉じた。
「不二君?」
「静かに……今、精神を集中させてるんだ」
実は不二は本当に占いの才能があった。いや、占いどころか予知能力に近い凄い技なのだ。
「そう遠くない未来なら何となくわかるんだ」
美恵は半信半疑のようだ。無理も無いだろう。


「……見えるよ。浴衣姿で出かける君が……隣にいるのは忍足だ」
まるで動画を見ているかのように不二の脳裏にはっきりと映像が浮かび上がる。
暗い夜道。周囲には誰もいない、2人っきりだ。忍足が美恵の手を握ってきた。驚いている美恵。


「……こんな殺意、滅多に味わえないよ」


「……え?」
「……何でもないよ」

忍足はどんどん人気の無い場所に向かって行く。


(一体どこまで……)

その時だ!不二はとんでもない映像を見てしまった!

「……なっ!」
「ふ、不二君?」

美恵の手を握る不二の手がわなわなと震えだした。不二の豹変に美恵は不安そうに此方を見詰める。

「何か悪いことが……?」
「……いや、何でもないよ」














美恵、はよう行くで!」
忍足はまるで子供のようにはしゃいでいた。
「ほんまに綺麗や。日本一のべっぴんさんやで!」
普段のマネージャー姿しか見てない氷帝の面々も、浴衣姿の美恵に呆気に取られている。
「さあ行くで」
「ええ」
忍足と美恵は2人で出掛けてしまった。その後姿を跡部が恨めしそうに見詰めている。




「ねえ、景吾。私達も行きましょうよ」
「……うるせえ」
「景吾?」


「うるさいって言ってるんだ、引っ込んでろ!!」


跡部の怒鳴り声に誰もが驚愕した。
手塚など「跡部、油断せずに静粛してくれ」などと意味不明な言葉を吐いている。

「俺は部屋で寝る。てめえらは好きにしろ!」

部屋に戻る跡部。不二はその後についていった。
部屋の前までくると跡部が低い口調で言った。


「……不二、てめえどこまでついてくるつもりだ」
「ちょっと跡部に話しておきたいことがあってね」
「俺に話だと?」
「僕って占いが得意なんだ。かなり当たるんだよ」
跡部は舌打ちした。
「俺は占いなんて信じねえタチなんだ」
「そう言わずに試してみなよ。僕の占いはそこらの占い師とはレベルが違うんだ。
近い未来のことを第三者にも見せてやれる事ができるんだよ」
跡部は訝しげに不二を見詰めてくる。不二は懐から水晶玉を取り出した。


「騙されたと思って一度試してみてよ」
「知るか」
跡部は相手にしてくれない。そんな跡部に不二は魔法の一言を吐いた。

美恵さんの未来を君に見せてあげられるんだ」

ドアノブに触れた跡部の手が一瞬止まった。その数十秒後、不二は跡部の部屋に入る事を許されていた。




「本当だろうな?」
「僕は嘘はいわないよ。水晶をじっと見詰めて」

跡部は言われた通りにした。すると徐々に水晶が黒く濁っていった。
さらに凝視すると人間が見えた。忍足と美恵だった。
跡部は驚愕した。だが、その直後、跡部の目にとんでもないものが映った。




『い、嫌!やめて忍足!!』
『跡部はもう自分には振り向いてくれん!ええ加減にして、俺のものになれ!』





それは忍足に押し倒され浴衣を脱がされ泣き叫ぶ美恵の姿だったのだ。

「……な、何だと!?」
「近い未来のことだから……危ないね」
「あの野郎……!」

跡部はいきなり立ち上がるなり「美恵!」と叫びながら飛び出して行った。




「……これでいい」

――僕は彼女が幸せになればそれでいいんだ。




「不二先輩」
ふと見るとリョーマが扉の前に立っていた。跡部が扉を閉めずに行ったのだ。
「……聞いていたんだね」
「そりゃ、あんな大声じゃあね。いいの不二先輩?」
「いいって何が?」
「不二先輩が美恵さんを助けてやれば株あがるのに、恋敵に塩を送るようなマネするなんて」
「僕は彼女が幸せになればそれでいいんだよ」
リョーマは納得できないといった顔で不二を見詰めている。

「愛しているから……越前は子供だから、まだわからないんだよ」
「……ま、何にしてもよかったですね。ほかっておいたら強姦事件になるんすから」
「そうだよ。僕は美恵さんを傷つけたくない。ただ、それだけなのさ」














「……今頃、跡部と忍足は」

不二はホテルの屋上からジッと惨劇の現場となっているである方角を見詰めた。
「不二、聞いたぞ」
手塚だ。どうやらリョーマに事の成り行きを聞いたらしい。
天瀬が跡部に惚れていることはみてればわかる。だから彼女と跡部のために敢えて身を引いたのだろう」
手塚は嬉しそうに不二の肩に手を置いた。




「誰が身を引いただって?」




「……不二?」

その時だ!手塚の特異能力・才気煥発が発動したのは!!


「……な、何だと!?」


見えたのだ!見てはいけない未来が!!

「……ふ、不二?」
「……そうか。君の能力……それは厄介だったよね。何、その目?
ほかっておけば彼女は犯されていたんだよ。だから助けてやるのは当然だろ」
「……不二」
手塚は見たのだ。確かにほかっておけば美恵は忍足に犯されていた。
だが、不二はその先をあらゆる角度から読んだ。そして、それを実行していた。


「……あ、跡部に教えたのは……お、おまえは予知能力でこうなることを予測して……」
「……手塚、恨むなら」

不二はクルリと向きを変えた。手塚は後ずさりした。


「妙な能力に目覚めた自分を恨むんだね」














「手塚部長!」

人々の騒ぎ声を聞き駆けつけたリョーマが見たものは屋上から落下した手塚の姿だった。

「部長、何があったんすか?!」
「……え、越前……い、行くんだ……ま、まだ間に合うかも……しれない」
「何のことだよ?」
「……あ、跡部と……忍足は……い、行け……早く……げほっ!」

血を吐いた手塚、もはや意識はなかった。
リョーマはわけがわからなかった。だが嫌な予感だけはする。


『ま、まだ間に合うかも……しれない』


(跡部さん、忍足さん……まさか!)

リョーマは走った。手塚の遺言を無にしない為に。
その姿を屋上から1人不二は静かに見詰めていた。




「……僕は間に合わないことを祈るよ」


不二は活眼しニッコリと笑っていた。

「……見えたんだ。もしも跡部が現場に駆けつければ」




――怒り狂った跡部と忍足は殺しあってどちらも死ぬってね!




「大丈夫だよ2人とも。残された美恵さんは僕が責任を持って幸せにするから」


――跡部、忍足、君達が悪いんだよ。彼女を傷つけるから。

――彼女を傷つけた事が君達の罪、彼女を失う事が君達への罰。

――そして彼女を幸せにすることが……僕の罪滅ぼしさ。




リョーマはひたすら走った。漆黒の闇の中を――。




END


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