「ああ、この氷学園で文化祭、卒業式プロム、体育祭と並ぶイベントはやっぱあれだな」
最近、学内の男子生徒の間で妙な熱気を感じるのは気のせいではない。
しかし美恵は「私には関係ないわ」と足早にテニス部の部室に急いだ。
日直の仕事をしていたせいで、すっかり遅れてしまった。
おそらく跡部あたりが激怒しているだろう。
「ドアを開けた途端に怒鳴られたりして……」
とにかく急がなければとドアを開くと、ほぼ同時に耳の鼓膜を突き破らんばかりの怒声。
「てめえ、何をぐずぐずしていやがったんだ!それでもテニス部マネージャーか!!」
「……やっぱり」
「何がやっぱりだ。さっさとしやがれ!」
「……わかったわよ」
美恵はしぶしぶとドリンクを用意しはじめた。
マドンナは誰?
「皆、おまたせ。はい侑士」
「おおきに」
忍足は跡部と違ってとっても優しい(ただ、そのダテ眼鏡の奥には得体の知れない妖気をたまに感じる)
「はいジロー」
「わーい、のどカラカラだC」
ジローはとても可愛い。誰かさんとは大違い(「俺のことか、あーん?!」)
「亮、上達したわね」
「サンキュ、おまえもご苦労だな。跡部はきついだろ」
一見クールにみえる宍戸は案外思いやりがある(「俺に対する嫌味か、あーん!?」)
「ほら岳人、跳ねてないで」
「いいじゃんか、見ろよ宙返り!」
向日はお調子者。明るいムードメイカーだ。
私の大事な仲間達。それに可愛い後輩だっている。
「樺地君、はいドリンク」
「うす、ありがとうございます」
誰かさんと違ってとても礼儀正しい。外見とは違い一番いいこかもしれない(「しつこいようだが、俺のことか!?」)
「鳳君もご苦労様」
「先輩こそ、いつもお疲れ様です」
本当に可愛い。身長は私よりずっと上だけど弟にしたい。
「はい若、頑張って上達してね」
「言われなくてもしますよ。下克上」
ちょっと生意気で妙なこと口走る子だけど、こんなの景吾に比べたら可愛いものだわ(「何だと?喧嘩売ってるのか」)
美恵はテニス部のマネージャーとして彼らの信頼を一心に受けている。
明るくて優しい美恵は何だかんだいってテニス部の皆に大事にされていた。
テニス部は学園の人気者の集まり。部長の跡部をはじめ生徒達に盛大な支持を受けている。
特に女生徒の人気は凄まじく、テニス部のマネージャーになりたいという女は後を立たなかった。
ところが、いざなってみると仕事はきつい上に、レギュラーといちゃつく暇はない。
ほとんどの女は一ヶ月で逃げてゆく。そんな中、残ったのは美恵だけ。
それ以来、美恵は彼らの唯一のマネージャーとして何年も共に頑張ってきた。
「なあ、おまえ誰に投票するか決めたか?」
「やっぱ三年の不二周子(仮名)さんだな。あの優しい笑顔がたまらねえ。
綺麗な顔しているくせに、何だか怪しい趣味もってるところもぐっとくる」
「俺は幸村精香(仮名)さんだな。今時病弱な美少女って貴重すぎるぜ。
あのミステリアスな雰囲気がたまんねえんだよ」
(まただ。最近、この話題ばかり……無理ないわね、年に一度のお祭りだもの)
「おい、美恵、どうした。ぼさっとするな」
「あ、ごめんなさい景吾」
「何を見てやがったんだ?」
「ちょっと噂話が聞えてきて……ほら、女生徒の人気投票が迫ってるじゃない」
「ああ、あのくだらないお祭りか。おまえ、もしかして自分がクイーンに選ばれるとでも思ってるのかよ。
悪い期待はしないことだな。おまえに投票する男なんかいるものか」
これにはさすがにムッときた。
(何よ。それが長年苦労を共にした仲間にいう台詞?)
確かに誰かにラブレター貰ったこともなければ、告白されたこともない。
テニス部以外の男子とは挨拶以外で口をきいたことなんかほとんどない。
「わかってるわよ」
美恵は跡部から顔をそらすと忍足たちの元にタオルを抱えて駆け寄った。
「俺は前から決めてたC」
「そうか、そうか。で、岳人、おまえは誰に――」
「皆、ご苦労様」
美恵が声をかけると忍足たちは一斉に口を閉ざした。
「どうしたの?」
「何でもないよ」
(私にきかれたら困る話かしら?)
そういえば忍足の最後の言葉は『誰に――』だった。
(誰に……あ、もしかして)
「皆、誰に投票するか決めてたの?」
全員一斉に瞳が大きくなっている。図星だったようだ。
「ま、まあなあ」
「あなた達に投票してもらえる女の子は幸せね。もしかして不二さん、それとも幸村さん?」
どちらも美少女。多分、今年のクイーンは、あの二人のどちらかだろう。
「私には関係ない話ね。私、美人でも可愛くもないしスタイルだって……」
「そんな事あらへん!」
「ゆ、侑士?」
「美恵は十分綺麗やで。俺は自分の顔も足も気に入ってる、そやから自信を持って――」
「忍足、いい加減にふざけたこと言ってんじゃねえよ」
「あ、跡部!」
「てめえらもだ。さっさと練習しろよ」
跡部に怒鳴られ部員達はいっせいにテニスコートに走っていった。
「私って、そんなに魅力ないかな?」
美恵は等身大の鏡を見詰めて溜息をついた。
(悪くないと思うんだけどな。マネージャー業なんてやってるから、おしゃれとは無縁だし……)
自惚れではなく美恵は造作は悪くなった。
(けど、景吾の言うとおりなんだ。きっと、女性としての魅力にかけてるのね)
きっとテニス部の皆も不二や幸村のような美少女に投票するに決まってる。
一週間ほどたち、美恵は廊下で榊に呼び止められた。
「天瀬、ちょうどよかった。少し手伝ってくれないか?」
「はい、先生」
「例の人気投票なんだが委員が一人欠席してな。集計を手伝って欲しいんだ」
何の因果か美恵は人気投票の裏側を覗き見できる立場となってしまったのだ。
「不二周子(仮名)さん一票、幸村精香(仮名)一票」
読み上げる名前はやはり大本命の二人、それに混ざってたまに他の女生徒の名前がちらほら挙がるのみ。
(やっぱり不二さんと幸村さんの人気はすごいわね。最終的に勝つのはどっちかしら?)
美恵は投票箱の底にあった投票用紙を手にとって広げた。
「えーと……え?」
美恵は我が目を疑った。
「どうしたんだ、早く名前を言ってくれ」
「あ……はい。でも……」
『天瀬美恵』
何度見直しても、そこには美恵の名前があった。
(ど、どうして?)
嬉しいと思うよりも驚きが先立ってしまっている。
無記名投票であるため誰が投票してくれたのかはわからないが、投票理由にはこう記載されていた。
『ずっとそばにいてあいつの良さがわからねえほど激ダサじゃないんだよ』
(……亮?)
第六感で宍戸だと悟った。
(私のこと、ちゃんと見ててくれたんだ)
今度は素直に嬉しさがこみ上げてきた。女扱いすらされてないと思っていたのに……。
しかし、投票してくれたのは宍戸だけではなかった。
数こそ少ないが他にも美恵に投票してくれた男子生徒が複数いたのだ。
『自分が尊敬する男の先輩は跡部さんですが、女では美恵先輩が一番好きです』
――樺地君
『すごく優しい先輩です。先輩への気持ちをこの一枚に入魂してみました』
――鳳君
『下克上だ』
――若(意味不明だけど)
『いつも膝枕してもらってるから大好きだC』
――ジロー
『くそくそ、何だかんだいってあいつ以外考えられねえんだよな』
――岳人
『ここだけの話やけど、ずっと目をつけてたんや。近々騙してマンションに引きずり込んで一線超える予定や』
――ゆ、侑士……!
まさか美恵の目に晒されるとは思ってなかったのだろう。中にはとんでもないものもあった。
でも、嬉しかった。自分はテニス部の皆に愛されていたのだ。
(ありがとう……みんな)
そして、ついに最後の一票になった。
すでにクイーンは不二に決定していたので、その一票は必要なかったのだが好奇心から開いてみた。
『天瀬美恵』
(私だ……でも、一体誰なの?)
『俺様が選んだ女がいい女じゃないわけねえだろ。あーん?』
「……も、もしかして……景吾?」
「今年のクイーンは不二だったなあ」
「まあ妥当じゃねえの。激マブだもんな、あの女」
次の日、テニス部でも人気投票の結果でもちきりだった。
「皆、ご苦労様。はいドリンクとタオル!あ、それからこれクッキー焼いてきたの、食べる?」
「マジマジ?わーい、俺、美恵のクッキー大好きC!」
「ずるいぞジロー!そのでかいのは俺のだ!」
「張り合ってんじゃねえよ岳人、激ダサだな」
「喧嘩なんかしなくてたくさんあるわよ。明日はカップケーキ焼いてきてあげるから」
「ほんと、ほんと?美恵、大好き!」
ジローは美恵に飛びついて大はしゃぎ。
「何の騒ぎや?」
「ガキみてえなことしてるんじゃねえ」
「あ、侑士と景吾も食べる?」
「どういうつもりだ?やけに機嫌がいいじゃねえの」
「うん、ちょっとね」
「もしかして来年のクイーン目指して今から俺様の機嫌とろうって腹か?
やめておけ、俺様は美女にしか投票しねえ。てめえに入れるつもりは微塵もねえからな」
「そんなのかまわないわよ。ふふ」
「?」
嫌味を言ってもご機嫌の美恵に跡部は思わずきょとんとなっていた。
――クイーンなんか興味ないわ。だって私はテニス部の皆に大事に思われてるんだもの。
――それで十分。これ以上に最高の座なんてないじゃない。
空ははてしなく青く。テニスボールを打つ音はその後しばらく続きましたとさ。
END
~おまけ~
「なあ美恵、今度、俺のマンションに遊びに来いひん?」
「……それはちょっと……いえ、絶対に無理だわ」
「何でや!!」
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