その日みた光景は今でも俺の目に焼き付いている。
「…………兵長」
俺が知っているリヴァイ兵士長は誰よりも強いひとだった。
人類最強の代名詞に値する大きな人だった。
いつも追っていた小柄なはずの兵長の背中は、とても大きく感じていた。
――でも。
「…………へ、い……」
ハンジさんの遺体を無言のまま抱きしめている兵長の背中は辛く悲しく、そして何より小さく見えた――。
二千年後のあなたへ
「話はきいたリヴァイ。ハンジのことは……」
片腕を失い最前線から退いていた団長は兵長に対面するなり切り出した。
ハンジさんのことで俺たちは帰還途中誰も兵長に話しかけることはできなかった。
「リヴァイ、私は」
「エルヴィン」
慰めの言葉を兵長は遮った。
「何も言うな。俺は調査兵団の兵士長だ、立ち直る義務を理解している」
兵長は淡々と言った。
「だが今だけは独りにしてくれ」
兵長は自室に戻り姿を現さなかった。
その次の日も物音ひとつださない兵長に俺は不安を隠せなかった。
まさかとは思うが……兵長に限って、そんなことはないと思うが、まさか……まさか、ハンジさんの後を追って……。
そんな馬鹿な考えが頭から離れたなかったからだ。
俺は意を決して兵長の自室の扉の前にたった。
固唾をのんで扉をノックしようと握った拳をあげたとき、その声は聞こえてきた。
「……なあ、ハンジよ」
(兵長?)
「いつか、こんな日がくるとわかっていた。
何百人という仲間が巨人の胃袋に飲み込まれてきたのを見てきたんだ。
俺は常に覚悟してきた。
上官も戦友も部下も、調査兵団に在籍している以上、死と隣り合わせだと、いつも遺体をイメージして生きてきた」
――兵長
「……それでも、ハンジ」
――あなたは
「おまえだけは特別だったんだ」
俺は動けなかった。
声は聞こえなくなった。
それでも俺は兵長が泣いていると、はっきりわかってしまった。
それは俺には踏み込めない領域だった――。
次の日、兵長は少しやつれてはいるものの、いつもと同じ表情で姿を現した。
皆は安堵した。最強の男を失わずにすんだのだと、人類の希望が戻ってきた――と。
けれど俺は知っていた。
ここにいる男は『調査兵団兵士長』のみで、1人の人間としての『リヴァイ』という男は死んだのだと。
肉体は生きている。
でもリヴァイ兵長の魂と心はハンジさんと共に死んだのだ。
その後、兵長は前にも増して巨人を狩ることに精力的になった。
そんな兵長にも終わりの時がやってきた。
最終決戦で兵長は俺たちを守るために単身で巨人の群れに立ち向かい撃破した。
自分の命と引き換えに――。
「兵長、しっかりしてください!」
俺は兵長の血まみれの体を抱き支え狂ったように叫んだ。
「救護班はまだかよ!早く止血するんだ!!」
「……おいエレン」
「兵長、意識が戻ったんですね……よかった。
大丈夫です、必ず助かります。いえ助けます。
今度は俺たちが兵長を助ける番だ、絶対に死なせません、だから、だから気をしっかりもってください!!」
「……俺は生きた」
兵長は苦しい息の下から言葉を紡いでいた。
「俺には兵士長としての使命が残っていた。だから生き続けた。あいつが死んだ後も……」
「兵長……?」
「死んでいった多くの仲間の……部下たちに誓った責任を果たすために……調査兵団兵士長は死ぬわけにはいかなかった……からな」
「そ、そうですよ。兵士長はその約束を果たしました。巨人を絶滅させたんですよ。あなたは勝ったんです!」
「……そうだ。兵士長としての俺は生きる目的を果たした」
俺は兵長の言葉の意味を理解した。
それは悲しすぎる意味だった。
「……やっと……これで、ようやく……」
リヴァイという魂が抜けた肉体は、巨人を滅ぼすという誓約だけで動いていたんだ。
何よりも俺たち残された部下を守るために。
それも、もう終了した。兵長は兵士長ではなく一人の人間として自由になれる。
その自由がたとえ死だとしても、俺にはそれを遮る術はなかった。
「……ようやく……迎えにきてくれたか……遅かったじゃねえか」
兵長の目は俺には見えないものを見ていた。
「……ハンジ……やっと、おまえのところに行けるぞ」
――それが俺が憧れ背中を追い続けたひとの最後の言葉だった。
「エレン、急ぎ過ぎ」
「何、言ってるんだ。早くしねえと上映時間に遅れちまうだろ?」
「……遅れてもいい。エレンとゆっくり歩きたい」
「はぁ?」
「……エレンはいや?」
ちょっと悲しそうな顔をするミカサ。おまえ、それ反則だろ?
俺は手を差し出した。ミカサは少しきょとんとしている。
「ほら手」
「……?」
「俺と一緒に歩きたいんだろ?」
俺が手を握るとミカサは嬉しそうにちょっと涙ぐんだ。
「置いてったりしねえから、いちいち不安な顔するなよ」
俺たちは今、平和な時代に生きている。あの地獄の世界の記憶をもったまま。
それまで俺は自分の中でずっと何か欠けたような感覚を抱き生きてきた。
その欠けたピースはミカサと再会した瞬間わかった。
忘れていた記憶があふれ出した。
それはミカサも同じで、俺たちはお互いを強く抱きしめ号泣した。
以後、ずっと一緒にいる。もちろん、同じ人生を歩むつもりだ。
この時代の人間たちは巨人の存在すら知らない。
確かに存在したのに、その痕跡すら発見されていないからだ。
食い殺された仲間が大勢いることを思えば複雑な気分だが、同時に、あんな地獄が人類の記憶から消えてよかったとも思っている。
「エレンは今、幸せ?」
「は?幸せに決まってんだろ」
「でも時々エレンは悲しそうな顔をする」
ミカサには気づかれていたようだ。ただ、その理由までは悟られていない。
「ミカサと一緒にいるんだ。俺は幸せだよ。
ただな……他の連中はどうしてるのかなって気になってるだけだ」
アルミンとは再会できた。他にも何人か存在を確認している。
「だったら、どうして……人ごみで誰かを探しているの?」
俺は言葉につまった。そうだ仲間たちには会えた、皆それぞれ元気にやっている。
――でも俺にとって一番尊敬しているひとにはまだ会えてなかった。
「おまえの気のせいだよ。少し走るぞ、でないと本当に時間に間に合わな――」
「リヴァイ、待ってよ」
「ちっ、さっさと来い。時間に遅れるだろうが」
――え?
忘れるはずのない声。俺は反射的に振り向いた。
スクランブル交差点にあふれる人ごみの中――ほんの一瞬だけ、懐かしいひとたちの後姿が見えた。
忘れるわけがない。あのひとの背中を。
小柄でありながら、誰よりも大きく見えた、あの背中。
そのひとが愛するひとの手を引いて雑踏の中に消えようとしていた。
「待っ……!」
「エレン、信号が変わる。早く」
ミカサに手を引かれ一瞬目を離した。その一瞬で、二人の姿を見失っていた。
「エレン?」
呆けている俺の顔をミカサが心配そうに覗き込んでくる。
「どうしたのエレン……泣いてるの?」
「……俺が涙?」
ああ、そうか。俺は――。
「悲しいことがあったの?」
「その逆だよミカサ」
――よかった。
「さあ急ぐぞ」
――あなた達も出会っていたんですね。
――今度こそ、愛するひとの手を離さないでください。
――この穏やかな世界で必ず幸せになってください、前世の分まで。
「手、離すなよ」
「うん、行こうエレン」
――さようならリヴァイ兵長。そして、ありがとう。
FIN
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