「あれはエレンじゃねえか」
ジャンは休日を満喫中、一方的に天敵扱いしているエレンを発見してしまった。
問題は、そのエレンが綺麗にラッピングされた箱を手にしていることだ。
そのサイズから推測すると、いかにも女性に贈るアクセサリーっぽい。
(ミカサにプレゼントかよ!)
三年間、二人の仲を見せつけられてわかっていたが、それでも嫉妬の炎は収まらない。
「……エレンの野郎、リア充め!」
「ジャン。おまえ、いいかげんあきらめろよ」
「そうだよジャン。エレンなら浮気しないだろうし、いっそ二人を応援してあげたら?」
ライナーとベルトルトはもっともらしく諭してくる。
「……人間、簡単にあきらめきれたら苦労はしないぜ」
狂愛
104期生たちが調査兵団に入って数週間後、壁外調査の日が近づいていた。
エレンには今後の人生が決まる最初で最後のチャンスといってもいい。
どんな特殊な存在だろうが弱冠15歳の少年。
最後になるかもしれないので仲間と過ごさせてやろうという温情により、リヴァイの監視付ではあるが新兵用軍舎で過ごせることになった。
そんな、ある日のことだった。
ベルトルトは真夜中一人で歩いていた。
深夜の見張り当番ではない。トイレに起きただけだった。
ただ、新兵たちが生活している軍舎はトイレが屋外に設置されているので、ちょっと辛かった。
「うぅ……寒いな」
ベルトルトは震えながら外にでた。当たり前だが人の気配は皆無だった。
「早く用を済ませてベッドに戻ろう……え?」
雲が途切れ月光が辺り一面を照らした瞬間、ベルトルトの視界に一人の人間が入り込んできた。
「どうして君がここに?だって、ここは――」
「まずは……一人!」
それは一瞬の出来事だった。
雲が再び月を隠した時にはベルトルトは地面に這いつくばっていた。
「ベルトルト、しっかりしろ!!」
ライナーは冷たくなったベルトルトを抱きしめ号泣した。
抵抗した形跡すらなくベルトルトは早朝無残な姿で発見された。
その知らせに104期たちは慌てて駆けつけ、誰もがベルトルトの死に嘆くと共に、謎の殺人者に恐怖した。
「しかし、信じられねえ。仮にも成績三位のベルトルトが手も足もでずにやられるなんて」
「はぁ?何、言ってんだエレン。死人を悪くいいたくないがベルトルさんは、あたしたちの中じゃあ一番のヘタレだろ」
「ユミル、そんな事いったらかわいそうだろ。ライナーの気持ち考えろよ」
ライナーは「おまえの仇はきっとうってやる」と何度もベルトルトの遺体に誓っていた――。
「誰なんだ、こんな酷いことしやがったのは。なあアルミン、どう思う?」
「僕にもわからないよ。ただ警戒は必要だ。
エレンはリヴァイ兵長がそばにいるから大丈夫だけど」
その夜から交代で見張りを立てることになった。
その夜の当番はライナーとアルミンだった。
しばらく二人一緒にいたが、昨夜殺人があったとは思えないほど異常なしだ。
「今夜は大丈夫そうだね」
「だといいが……俺としてはベルトルトの仇をうつためにも犯人にはご登場願いたかった」
「気持ちはわかるよライナー、油断は禁物だしね。まだ今夜は安心だといいきれないし最後まで警戒は怠らないようにしよう」
まだまだ夜は長い。アルミンは「寒くなったから毛布とってくるよ」といったん屋内に戻った。
「……静かだ。さすがに二日連続事件がおきるわけがないか」
ライナーは緊張の糸が切れたのか溜め息をつきながら、その場に座り込んだ。
ライナーは、ぎょっとなった。
座り込んだ自分の影に、もう一つの影が重なるのが見えたからだ。
背後からは全くひとの気配がしなかったというのに!
反射的にライフルを構えながらふりむいたライナーだったが、相手の顔をみた途端、こわばった表情を崩した。
「……なんだ、おまえか。驚かすな、敵かと思ったぞ」
「寝ずの晩?」
「ああ、いつベルトルトを殺った奴が現れないとも限らないからな」
「もう現れてるけど」
「何だと!?」
ライナーは再びライフルの銃口をあげた。だが全てが遅かった。
「……がっ」
声がでない。ぼとっと地面に血が吸い込まれていく。
「な……ぜ、おま……え……が?」
ライナーは完全に意識を失い、しばらく痙攣した後、動かなくなった。
「残る邪魔者、後四人」
「ライナーまで呆気なくやられるなんて……」
エレンは、さすがにショックを隠せなかった。同期の中でもミカサをのぞけばライナーは一番強いと信じていたからだ。
「簡単なことだ。敵がこいつより、ずっと強かった。それだけだろう」
リヴァイは百戦錬磨というだけあって、死体を前にしてもまったく動じない。
「今夜は俺が見張りをしてやる」
「兵長がやるなら俺もやります!」
「ふざけるな。てめえは代えのきかねえ人間なんだ。ガキはしっかり食って寝ろ」
「ですが兵長!」
なおも食い下がるエレンだったが、アルミンがリヴァイの命令に賛成しエレンを説得した。
「兵長の言うとおりだよ。それに兵長はベルトルトやライナーよりずっと強いから大丈夫だよ」
確かに4000人分の戦力をもつと言われている人類最強の男までやられるとは思えない。
「……おまえの言うことはわかるよアルミン。でも、俺は胸騒ぎがしてたまらないんだ。
この事件は俺がとめなくちゃいけない気がする。他の誰でもなく俺自身が……」
「エレン、どうしたの?まるで自分を責めるかのように」
「エレン」
「ん、ミカサ?」
女子用軍舎は、この男子用軍舎の隣の敷地内にあり歩いて十分とかからない距離だった。
「ミカサ、エレンは大丈夫だよ」
「そんなことわかっている。私はただエレンに会いに来ただけ」
実にミカサらしい台詞だった。
「それにアルミンも大事に思ってる」
「うん、ありがとう。でも大丈夫だよ、今夜は兵長が見張りしてくれるっていうから」
「……そう」
その夜、謎の殺人鬼は姿を現さなかった。
「今夜はコニーが見張りか。一人で大丈夫なのかよ」
「ばーか、俺だってやるときはやるんだよ」
ベルトルトとライナーは油断してただけだ。気合いだ、気合いさえあればなんとかなると、コニーは盛大に吹いた。
しかし、僅かに額に汗がにじんでいるのをエレンは見逃さなかった。
「……うー、寒っ」
コニーは座り込んで震えていた。その震えが寒さだけが原因ではないことは明白だ。
自分より成績上位のベルトルトとライナーを瞬殺したほどの相手だ。完全武装しているとはいえ、はたして勝てるかどうか。
「お、俺だってやるときはやるんだ。あいつらの仇は俺がとって――」
コニーは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
野生の本能とでもいうのだろうか、コニーは勘が鋭いところがある。
その勘ってやつが全力で警鐘をならしたのだ。
『今すぐ逃げろ』と。
「だ、誰だぁ!」
いる!姿は見えないが確実にいる!
そして、その相手は自分など何人いても勝てる相手ではない。
蛇に睨まれた蛙のように確実に殺される!
「コニー!!」
聞き慣れた声が耳に届いた。
「おい、大丈夫かコニー!」
汗だくになりながら、ゆっくりと頭を背後に回すとエレンが駆け寄ってくるのが見えた。
コニーはがたがたと震えながら、その場に座り込んだ。
「コニー、しっかりしろ!」
「……い、いた……いたんだよ。おまえがこなかったら……俺、絶対に殺されてた……間違いなく殺されてた!」
「……なあ、コニーはやられなかったし、例の殺人鬼野郎も、もう凶行はやめたんじゃないのか?」
「……そういう希望は抱かないほうがいいよジャン」
「……そうだな」
その夜はジャンとアルミンが見張りにたっていた。今のところ猫の子一匹姿を現していない。
アルミンはずっと考えていた。
昨夜、コニーが助かってから妙な違和感を感じ、その正体がなんなのかを。
(エレンが現れたから?でも、相手はライナーとベルトルトを瞬殺できる戦闘力の持ち主なんだ。
二人に増えたくらいで逃げるなんて考えられないよ)
考えられるとしたら、ただ一つ。
『エレンは殺す標的ではない』と、いうこと。
実にシンプルな答えなのだが、アルミンは、その脳性を心の中で否定していた。
なぜなら、それを認めてしまえば、恐ろしい真実の扉を開いてしまうような気がしたから――。
「エレンはいいよな。兵長が監視、いや護衛してくれんだ」
ジャンは舌打ちした。
「仕方ないよ、その条件でエレンは助かったんだから」
「史上最強のボディガードじゃねえか。ミカサといい、なんで、あいつばっか……ミカサは何で、あんな野郎がいいんだ」
ジャンは畜生とつぶやきながら頭を抱え込んだ。
「あのさジャン、エレンにとってミカサは妹みたいなもので……」
「慰めなんていらねえよ。俺は知ってるんだ、あいつがミカサにプレゼント買っていたのを。
あいつら、とっくに両想いなんだよ。畜生、リア充は全員巨人に捕食されろってんだ」
こんな時に嫉妬で愚痴がでるジャンが、アルミンは少し羨ましくさえ感じた。
「けど、あいつの幸せも、そう長くは続かねえぜ」
「ジャン?」
アルミンは見た。ジャンが黒い微笑を浮かべたのを。
「……君、何したの?」
嫌な予感がする。アルミンは絶対零度の悪寒を感じた。
「別に大したことじゃねえよ。ちょっとした嫌がらせさ」
ドクン……ドクン……捧げたはずの心臓が鈍い音を奏で始めた。
「すり替えてやったんだ。エレンのプレゼントの中身を」
「……え?」
アルミンは思わず立ち上がっていた。
「あいつ、柄にもなくアクセサリーなんか贈るつもりだったんだ。
何が『おまえの全てを俺によこせ』だよ、ふざけたメッセージまで添えやがって」
アルミンは顔面蒼白になっていった。
「何とかえたの?」
「は?」
「何とかえたんだよ!」
アルミンはジャンの襟首をつかみ激しく詰め寄った。
「男物の下着だよ。そんなもん贈られたら大抵の女はドン引きだろ?
さすがのミカサも100年の恋もさめてエレンのことは……ん、どうしたアルミン?」
「……んてことを」
「なんてことをしてくれたんだジャン!!」
アルミンの中で全ての点と点がつながった。
それは恐ろしい事実を告げていた。
認めたくなかった可能性を否定できた、たった一つのものが崩れた。
それは動機だ。
なぜ『彼女』が、突然、こんな凶行に走る必要がある?
『彼女』には動機がない。だから『彼女』じゃないとアルミンは自分に言い聞かせていた。
「……ずっと不思議に思っていた。殺人鬼が出没する時としない時の違いがなんなのかって」
「違い?」
「リヴァイ兵長が見張りにたったとき、奴は現れなかった」
「そ、そりゃあ兵長が相手じゃ、さすがに勝てないからだろ?」
「ああ、そうだよ!兵長だけなら僕だって、そう思ったさ!でも、僕の時は?エレンの時は?!」
ようやくジャンもアルミンが抱えていた違和感に気づいた。
「……ねえジャン。もし、君が愛している女性から下着なんか贈られたら、どう思う?」
「どうって……そ、そりゃあ、夜のお誘いかな?」
ジャンは赤面しながら言った。
「……その通りだよ。とんでもないことをしてくれたねジャン」
「……え?」
アルミンの言葉の意味を悟ったのか、ジャンも青白くなっていった。
「ま、待てよ……そ、それは、あくまで男の場合だろ?女は逆だって!女はドン引きするって……なあ、普通そうだろ?」
「……ああ、普通ならね。君の計算通りになっていたと思うよ」
「計算外だったのはミカサのエレンに対する愛情の度合いが普通じゃなかったことだけさ」
ずっと思っていた。なぜエレンが現れた途端、姿を消した?
なぜライナーは殺されたのに、自分は殺されなかった?
「ミカサはエレンに誘われたと思って理性がふっとんだだろうね。そうなるとエレンと同室の僕らが邪魔だった。
だからベルトルトを殺し、ライナーを殺し、コニーも殺されかけたんだ!
でも、さすがのミカサも幼馴染の僕だけは殺せなかったんだ」
「……嘘だろ?」
「君のせいだよジャン。君の嫌がらせのせいでミカサの心のウォール・マリアは崩壊したんだ!
ミカサは幼いころから、ずっとエレンだけをみてきた。
エレンのそばにいるためだけに生きてきた……それだけをやるために生きてきたんだ!
ミカサは絶対にやめはしない。必ず殺す、君もターゲットの1人なんだ。
最後の1人になるまで絶対にやめはしない。そして君にはそれを止められない」
「必ず、君もミカサに殺される!!」
「い……」
「いい加減にしろ!てめえのくだらねえ妄想サイコ小説を聞かされるほど俺は暇じゃねえんだ!!」
ジャンはアルミンを突き飛ばした。
「冗談じゃねえ!だったら、おまえひとりで見張ってろ、おまえだったら殺されないんだろ!」
ジャンは悪態をついたが、それは虚勢だった。
実際は動揺していた。自分が犯したささやかな過ちのために殺人まで起きたなどと言われたのだ、当然と言えば当然。
逃げるように、その場を離れた。
心の中で繰り返した言葉は、ただ一つ。
『そんな馬鹿なことあるわけがない!』だ。
(そ、そんなことあるわけがない。いくらミカサがエレンにべた惚れだからって殺しまでするわけないだろうが!)
――ミカサは絶対にやめはしない。
(全部、アルミンの妄想だ。そ、そうに違いない……そうに)
がたっ……と、前方の廊下の角から不審な物音がした。
「……は?」
人の気配などなかったのに音がした。
ジャンは動けなかった。ただ視点だけを、ゆっくりと床に移動させた。
人影がのびているのが見えた。
(……う、嘘だろ?)
――君もターゲットの1人なんだ。
「ミ、ミカサ?」
ゆっくりと現れたシルエットには見覚えがあった。
見間違えるはずがない。三年間、思い焦がれて見続けた相手の影を――。
――君には止められない。
(嘘だ、嘘だ、嘘だ!そんなことあるわけない、誰か嘘だと言ってくれ!)
小さな願いを打ち砕くかのように月明かりが見せつけたのは――ミカサだった。
「ジャン、逝って」
ミカサは一瞬でジャンの間合いに入ってきた。その手にはキラリと凶刃が光っていた――。
「うわっぁぁぁー!!」
「うわっあああああぁぁぁぁー!!」
ジャンは必死に手を伸ばした。リアルな苦痛と恐怖があった。
「ジャン、まだ夜明け前だぞ!」
エレンが言い終わらないうちに「うるせえなクソガキ」とリヴァイが物を投げつけてきた。
こめかみに見事にヒット。じんじんと鈍い痛みが頭蓋骨に走った。
「……こ、ここは?」
確か廊下を歩いていたはずなのに、いつの間にか部屋に戻っているではないか。
「どうしたのジャン?汗、びっしょりだよ」
アルミンが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「おまえ大丈夫か?」
ライナーがいる、ベルトルトも生きている。
「怖い夢でも見たの?」
「……ゆ、夢?」
――夢だったのか。
恐怖から解放された安心感からジャンは枕に顔をうずめて泣き出した。
(……エレンに意地悪したから、あんな最悪な夢見ちまったんだ。天罰がくだったんだ)
ジャンは激しく後悔した。
ひとの恋路を邪魔するものは馬面だろうが許されないことを悟ったのだ。
罪悪感から朝食の時間も、ついつい目がエレンを追いかけてしまっていた。
そのエレンが懐から例の小箱を取り出すのが見えた。
(あ、あれは!)
ジャンは反射的にエレンに駆け寄ると小箱を奪い取った。
「ジャン、てめえ何するんだ。大事なものなんだ、返せよ!」
「こんなもの!」
ジャンは小箱を窓から思いっきり投げた。
遠くからぽちゃんと水音が聞こえる。湖に落ちたようだ。
――これでいい、これでいいんだ。
「どういうつもりだよジャン!」
当然、エレンは激昂してジャンに掴みかかってきた。
「これでいいんだ」
きっとエレンは二、三発俺を殴るだろう。そんなもの、あの悪夢に比べたら安いもんだ。
ジャンはすでに覚悟を決めていた。だが――。
「あれは兵長からハンジさんへのプレゼントなんだぞ!!」
「……え?」
だ、だって……おまえが買って……は?これどういうこと?
「兵長は有名人で、あんな店入りにくいから代わり俺が受け取りに入店しただけで……あ、兵長」
背後から肩をつかまれた。物凄い力だった。
「おいクソガキ、そんなに死にたかったのか?」
――夢は現実の終わり
――現実は夢の続き
――ジャンの本当の悪夢は始まったばかりだった
FIN
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