「教官じゃないか」
エレンたち104期生たちが調査兵団に入団して数日後、キース教官が訪ねてきた。
どうやら訓練兵たちが新兵として順調にやっているか確認するための訪問らしい。
「教官、お久しぶりです」
自分でも不思議なくらいすがすがしい気持ちでエレンは挨拶した。
訓練時代は怖い存在ではあったが、もっと恐ろしい人間(リヴァイ)を知った今は素直に懐かしいと思ったからだ。
「足手まといになっていないだろうな。おまえたちを兵士にした私には責任がある」
「教官の恥にはならないように努力しています」
「そう願おう。おまえの恋人のアッカーマンなら何の心配もないのだが」
「……ミカサは家族です」
「本人がツイッターで言いふらしていたぞ」
……ミカサ、おまえ何やってんだよ。
「いや兵士として立派にやってさえいれば、そんなことは問題ではない。あいつは歴代の訓練兵の中で間違いなく二番目に優秀だった」
「二番目?」
愛と青春の旅立ち
「ミカサより優秀なひとがいた?」
食堂でのアルミンとの会話は自然とその話になった。
「ああ、キース教官がそう言っていた。前教官時代の訓練兵だったらしいけど、歴代最高の逸材だったんだとよ。
ミカサが100人の兵士に匹敵する能力の持ち主なら、そいつは4000人分だって」
「ま、まさか……いくらなんでも大げさすぎだって」
アルミンは苦笑いしている。
そりゃそうだよな、いくらなんでも、そんな人間いるわけがない。
「何だ、おまえたちも教官から、その話を聞いたのか?」
トレイを手にしたライナーとベルトルトがやってきた。
「じゃあ、おまえたちも?」
「ああ、歴代の教官の間じゃ伝説になってるらしいな。他に類を見ない天才だった、おまえたちもそれに続けと言われたよ」
「資質がすごいからって、通常は三年かかる訓練を一年の短期コースで始めたのに半年で終了したんだって。
ちょっと怖いよね、そこまですごいと化け物レベルだから」
ほんの少し話を聞いただけで、とんでもない人間だということだけは十二分にわかった。
そこまで優秀なら、きっと鳴物入りで憲兵団に迎えられただろう。
しかし、憲兵団にそんな優秀な兵士がいるなんて噂きいたことがない。
腐敗しきった憲兵団の空気に汚染されて堕落しきって兵士として使い物にならなくなっている可能性もあるとエレンは推測した。
「あいつらに比べたら駐屯兵団なんてかわいいもんだよ。なんだかんだいってハンネスさんは汚職とは縁がないひとだったもんな、アルミン」
「ああ、そうだね。どんなに優秀な素質があっても継続的に鍛えなきゃ落ちるだけさ」
「そう考えるとジャンやコニーもこっちにきて結果オーライなんじゃねえの?あいつらいの一番に堕落しそうだもんな」
「ちょっと待てエレン!てめえ、喧嘩うってんのか?俺たちを馬鹿にしやがって!!」
「え?なあ、ジャン、どういう意味だよ。俺、馬鹿だから全然わかんねえよ」
何という偶然。エレンたちの後ろの席にジャンとコニーがいた。
と、いうか最初に気づけ。
「それなら俺たちも教官に聞いたぞ」
「人間離れした最強の戦闘力の持ち主ってやつだろ?
でもさ、そいつ死んだっぽいよな」
「死んだ?」
それは意外な新情報だ。教官が強い強いと自慢していた兵士がすでにこの世にいないとは。
「だって教官が言ってたんだぜ。能力は最高だけど最初から長生きできないタイプだったってよ。なあ、ジャン」
「ああ、そう言ってたな。性格に難ありでよ。協調性がない、無謀な行動をする、怖いもの知らずで引くことを知らないって。
だから早死にするだろうって言われてたって」
そうか、死んだのか……道理で最強の憲兵団兵士なんて噂聞かないわけだとエレンは納得した。
しかし実際は違った。
「あ、皆も今食事?」
天使のような声。その優しげな声の主は、そばかすの女傑を伴っていた。
(女神)
(神様)
(結婚しよ)
「随分、会話が弾んでたみたいだけど何の話してたの?」
「キース教官が自慢してた最強の兵士さんの話だよ。憲兵団に所属してたみたいなんだ。もう死んでるみたいだけど」
「その話なら私とユミルも聞いたよ。でも、そのひと憲兵団じゃないみたいよ」
憲兵団じゃない?それは意外な新情報だった。
「ああ、憲兵団は欲しがったみたいだが、そいつは自身は調査兵志望だったんだとよ」
「調査兵団?」
「それでね。さっきナナバさんに訊いたんだけど、そのひと強いだけじゃなくすごいロマンチストだったらしいのよ」
キース以外の人間から得た情報はとんでもないものだった。
エレンは、その後もアルミン、ジャン、コニー、ライナー、ベルトルトと、例の兵士について盛り上がっていた。
しかし、その内容は兵士の強さではなく、笑いの種として。
「おいエレン」
その最中、リヴァイが現れ不遜な態度でエレンの向かいの席に座った。
「あ、兵長」
エレンは即座に立ち上がり敬礼した。他の104期生もそれに続く。
「堅苦しいから、もういい」
「今からお食事ですか?兵長は自室でとられるとばかり」
「俺はてめえの監視役だぞ。可能な限り、てめえに張り付いていなきゃあいけないんだ」
「そうでしたね」
「ところで、随分と盛り上がっていたようだが、何の話をしていたんだ?」
「それがですね……ちょっと、いえだいぶ笑っちゃう話なんですけど」
――10分前――
「そのひと、調査兵団の女性兵士に座学教えてもらってるうちに恋に落ちたんですって」
「「「「「「恋?」」」」」」
「うん、そう。一年の訓練期間を半年で終了させたのも、そのひとと早く一緒にいたかったのね。いいなあ、そういうの」
女の子にはたまらない話らしいが、男からみたら呆気にとられる内容だった。
「しかもね。そのひと訓練兵を卒業したら他の団の勧誘も無視して入団式すっとばして調査兵団にきたんだって。
ナナバさんが言うには――」
『あの時は驚いたよ。調査兵の正装で決めた彼が、食堂にやってきてね。
その彼女を公衆の面前で抱きしめてキスまでしたんだから。
相手は私の友人だったけど、彼女もべた惚れだったんだろうね。まんざらでもない様子で、その笑顔がまぶしくて。
それで私は思わず拍手したんだよ。「幸せにね」って。
それにつられたのかエルヴィンやミケも拍手したから全員それにならってね。若さって本当に怖いよね。
で、その後、彼が彼女を抱き上げて退室していったよ。
調査兵団であんな事件後にも先にも、あの時だけだった。若かったから怖いもの知らずだったのさ』
「――って、言うんですよ。そいつ正気だと思いますか兵長?」
エレンは真剣にそう思った。人前でお姫様抱っこなんてフラッシュモブより恥ずかしいというのが彼の認識だったのだ。
「それは言いすぎだよエレン。きっと、その時はハイになりすぎてたんだよ。
たぶん、その状態のまま壁外調査にいって巨人に食べられたんだよ。甘い脳みそで生き残れないからね」
アルミンはちょっと同情していた。
「けどよ、今の俺らとそう変わらない年齢だったんだろ?自分におきかえてみろよ。できるか、そんな恥ずかしいこと」
ジャンは心底馬鹿にして大笑いだ。
「けどよ、ミカサならやるんじゃねえの?すげえ奴って脳みそのほうも常人離れしてるっていうしさ」
コニーは半ば真面目にそう言った。
「つまり馬鹿と天才は紙一重ということだ。いくらクリスタが相手でも俺にはできん」
ライナーは想像したのか思わず赤くなっている。
「う、うん。そんな恥ずかしいこと、ちょっとできないよね。死んだひとのこと悪く言いたくないけどさ」
ベルトルトは中傷すら地味だった。
「兵長?」
リヴァイが俯いている。何か様子が変だった。
「どうして笑わないんですか?こんな面白いギャグを」
そういえばナナバの知り合いということはリヴァイの知り合いでもある、とエレンは気づいた。
「もしかして、そのバ、いえちょっと変わったひと兵長のお友達だったんですか?
すみません。俺、ちょっと言い過ぎました」
慌てて謝罪したのだがリヴァイは俯いたまま顔をあげない。
その不穏な様子にアルミンも不安になってきた。
「みんなー、どうしたの?」
そこに天の助けかハンジがやってきた。
「よかったハンジさん、実は――」
エレンは今までのいきさつを簡単に説明した。
「え?」
するとハンジが硬直した。硬直どころじゃない凍結レベルだ。
「それってさ……」
ハンジは耳まで真っ赤になってリヴァイに視線を移している。
その様子にただならぬものを感じたのか、なぜかアルミンは青ざめだしている。
(アルミン?)
「エ、エレン……用事思い出したんだ。悪いけど付き合ってくれ。兵長、失礼します!」
エレンはアルミンに半ば強引に連れられ、その場を後にした。
「何だ、あいつら?」
「せっかくの笑い話だったのに」
残されたジャンとコニーは白けてしまっている。
「ああ、兵士は絶えず重圧と背中あわせなんだ。たまにはストレス解消にバカな話をするのも必要なのにな」
「ライナーがそういうのなら間違いないよ」
ライナーとベルトルトもせっかくの笑いの種にケチをつけられたようで残念そうだ。
しかし、それは次の瞬間、残酷な形で大逆転を遂げる――。
「ひどいなあ。笑い話だのバカな話だのって。確かに私たちも若気の至りで調子に乗ってたかもしれないけど」
「「「「え?」」」」
四人は同時に奇妙な声をあげた。
「それにしても、よく、この子たちに、あの事話す気になったねリヴァイ」
「「「「……え”?」」」」
「ま、まじかよアルミン」
「あ、ああ、そうだよ。僕たちはとんでもない過ちを犯していたんだ……どうして思い込んでしまっていたんだろう」
――歴代最高の逸材
――他に類を見ない天才
――人間離れした最強の戦闘力の持ち主
そうだよ。ストレートに考えれば、誰のことかなんてすぐわかったはずなのに!!
「どうして錯覚してしまってたんだ……その兵士が壁外調査でとっくに死んだなんて」
「……あ、あの俺も用事思い出して」
ジャンは思った。こんなことならエロ本始末しておくんだったと。
「ずるいぞジャン。お、俺だって、そう用事あったんだ」
コニーは思った。母ちゃん、俺、壁外に出る前にフラグたっちゃったよ。
「待ってくれ、おまえたち。俺も――」
ライナーは思った。もう故郷どころじゃない。
「ひっ、ライナー守ってくれっ!!」
ライナーはさらに思った。不可能だと。
「どこに行くクソガキども」
ずっと俯いていたリヴァイが顔をあげた。
そして、ゆっくりと椅子から腰をあげたではないか。
「ま、待ってください兵長。は、話し合いましょう」
「無駄だな。てめえらは今から軽い記憶障害になる。だから話しても無駄なんだよ」
現実は残酷だ。その上、美しくない。
薄れゆく意識の中、四人は思った。
アルミン!あの裏切り者がぁっっ!!――と。
FIN
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