立体機動の訓練こそ欠かさないが、酒を飲み戦友と語り合い恋人と愛を育む。
もちろん例外もいる。第四分隊長、ハンジ・ゾエ、そのひとだ。彼女の辞書に休息などという言葉はない。
今日も資料をあさり実験や検証を繰り返し研究に余念がない。
同僚のリヴァイが力づくで風呂にいれベッドに放り込まなければ、睡眠すら忘れてしまいかねないほど彼女は仕事に取りつかれている。
「いい加減にしろ。てめえは自分を酷使しすぎる」
「いいじゃないか。自分の身体なんだから」
「付き合わされる部下たちの身にもなってみろ。モブリットやニファがどれだけ心配してると思ってるんだ」
「あなたも心配してくれてるの?」
「馬鹿いえ。俺が心配しているのは部下の精神と健康だけだ」
「……ふーん」
ハンジは意識的に面白くなさそうな声をだした。
愛とコトバと時々オウム
リヴァイとは、もう長い付き合いになる。
声に出しては言えないが彼の芸術的な立体機動に一目惚れして早数年。
その間、不器用だが情に厚い彼の人間性を知る度に恋心は深く大きなものへと変化を遂げていった。
もはや恋などというかわいい感情はとうに超えた。
ハンジはリヴァイを愛している。
ごろつきだったリヴァイがハンジの尽力の元、少しずつ兵団に馴染んでゆく姿を見るのも楽しかった。
ところが、いつの頃からか、ハンジには苦悩が付きまとうようになっていった。
今やごろつきどころかご立派な兵士長様となったリヴァイを熱い眼差しで見つめる女性兵士は一人や二人ではない。
リヴァイ目当てで入団する不逞の輩もいるほどだ。
「リヴァイ兵長の好み?そりゃ清潔で小柄で三歩後ろを歩くかわいい女だよ。俺が言ってんだから間違いない」
酒の臭いをぷんぷんさせながら女性兵士たちに力説するゲルガーの姿が目立ちだしたのもこの頃からだった。
(清潔で小柄、三歩後ろを歩く女って……私と正反対じゃない)
ハンジは中庭のベンチに腰を下ろすと、ふぅっと重い溜め息をついた。
ゲルガーの言葉に追随するように一週間前リヴァイに浴びせられたきつい一言が頭をよぎる。
『少しは身綺麗にしやがれ。てめえは女を捨てて汚物になる気か』
リヴァイとは気心の知れた仲間だ。固い友情と信頼で結ばれていると確信している。
しかし女として彼を魅了できているかといえば答えは即NO。
(しょうがないよね。私みたいな女らしさの欠片もない女、リヴァイでなくても嫌になるよ)
綺麗な女の子に告白されるリヴァイを見るたびに劣等感と嫉妬に支配され、最近ではリヴァイの顔もまともに見れなくなっていた。
「何があったかしらないけどリヴァイの事さけすぎじゃないの?」
親友・ナナバは節穴ではない。
「そ、そんなことないって……はは」
ごまかそうとするも出るのは乾いた笑いだけだ。
「気の毒なのは兵士たちだよ。ただでさえ怖い兵士長殿がここ最近ご機嫌最悪ときている。
リヴァイと廊下ですれ違うたびに、びくびく怯えてさ。見てられないよ」
「リヴァイが?何で?」
気性こそきついが部下思いで案外良識的なリヴァイ。それが彼の本性。
部下たちだってリヴァイの性格はある程度把握しているはず。にもかかわらず今は恐怖の対象?
首をかしげるハンジにナナバは呆れながら言った。
「あんたが避けてるから拗ねてるんだよ、あの男は」
「はぁ?」
ナナバはもう何も言わなかった。
「騒がしいな、何だろう?」
翌日、ハンジは野外訓練場で輪になっている兵士達を目撃した。
「何、見てんだい?」
人ごみをかき分けて中央まで来るとニファが網を抱え込んでいる。
「猫でも捕まえたのかい?」
最近、台所に出没するネズミ退治用に猫を捕獲して飼育しようとしているのだろうかと思ったが、ニファは「違いますよ。見てください」と、そっと網から慎重に中身を取り出した。
赤、黄色、青、色鮮やかな羽根に大きなクチバシ。
絵に描いたような幻想的な鳥だった。
「こんな鳥見たことありません。壁外から迷い込んだんでしょうね」
「……これ、オウムじゃないか」
以前、ハンジは禁書でお目にかかったことがあった。昔はペットとして人間にも飼われていたらしいが、巨人のおかげで人類が壁外という狭い世界に閉じ込められて以降はお目にかかれなくなった幻の生物だ。
「さすがは分隊長」
兵士たちはハンジの博識ぶりに感心している。
「こいつは人間みたいに口がきけるらしい」
「まさか、鳥ですよ」
「だろうね、私も実際聞いたわけじゃないから信用してるわけじゃないよ。だからといって先人が残した図鑑が偽情報とも思えないな」
「ところで、これどうします?」
閲覧禁止となった大昔の動物図鑑の中にしか存在しない貴重な鳥だ。まさかフライドチキンにするわけにもいかない。
エルヴィンに相談したところ、重要な支援者が物珍しがって飼い主に名乗りをあげた。近日中に迎えにくるそうだ。
それまでハンジが面倒を見ることになった。
「……リヴァイともう二週間も口きいてないなあ」
寂しいなあ……リヴァイは平気なのかな?
私にとってはリヴァイは大事なひとでも、彼にとっては大勢いる同僚の1人だよね。
せつないなあ、片思いって……はぁ。
「リーヴァイ、リーヴァイ」
「……ん?」
妙な声だった。ここはハンジの個室、他には誰もいない、はず。
「……気のせいか」
疲れているんだ。今夜は早く寝よう。
ハンジはランプの灯りを消すとベッドに潜り込んだ。
その日、見た夢は最高だった。夢の中でハンジは花嫁だった。隣にはリヴァイがいた。
「……なんて都合のいい夢なんだ」
カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさに目覚めると、いつもの日常が待っていた。
夢の中ではリヴァイとラブラブだっただけに、何気ない現実が何倍も重く感じる。
「見なきゃよかったよ。あんな夢……あーあ、気分は最悪だ」
ハンジはのろりとベッドから這い出ると兵服に身を包んだ。
「ああ、そうだ。オウムに餌やらないと」
籠を少し開けた。その直後――。
「リーヴァイ、リヴァイ」
「はぁ?」
ハンジは耳を疑った。
「リヴァイ、リヴァイ。アア、リヴァイ」
幻聴ではない。確かに、今、こいつは喋った!
昨日、空耳かと思った声は、こいつが犯人だったのだ。
何て事だ、伝承は事実だった。こいつは人の言葉をまねやがる!
いつものハンジならば素晴らしい研究対象だと胸滾らせるところだが、今回はそれどころではない。
オウムはとんでもないことを口走ったのだ。
「リヴァイダイスキ、ケッコンシテ。アア、リヴァイ」
「……おい」
こ、こいつ、何言ってるんだ?
冷たい汗がハンジの額から溢れ出した。
「ダメ、リヴァイ。モットヤサシク……アン!」
ハンジの脳天に核弾頭直撃のダメージ。
「……このオウム、私の夢の台詞覚えてるー!!」
しかも一番まずいシーンの!!
何て事、何て事だ!やばい、まずい、とんでもない!
幻の生物はとんでもないトラブルの種だった!
こんな台詞、兵団の仲間はもちろんのこと、リヴァイにだけは絶対に拝聴されてはならない、だんじてならない!!
「そ、そうだ。差しさわりのない言葉を教え込めば、余計な台詞は忘れてくれるかも」
グッドアイデア!
などとガッツポーズをとったのが過ちだった。
その僅かな隙を狙ったかのようにオウムは羽根をばたつかせ、籠の出入り口から外へ。
「あ!」
最悪なことにハンジが先ほど開いた窓から屋外へ飛び去っていった。
「リヴァイ、スキ、ダイスキ、アイシテル、モットハゲシクシテ」
「冗談じゃない!!」
ハンジは慌ててオウムの後を追いかけた。
廊下に飛び出し階段を駆け下り、その途中踊り場の窓から外に視線を投げると、オウムはさらに距離をひろげていた。
もはや一刻の猶予もならない!
ハンジは窓を開くと窓枠に足をかけ一気に地上まで飛び降りた。
「い……っ!」
地面に触れた瞬間爪先から全身にかけて強い痺れが走った。
「痛ってぇぇぇ!!」
などと絶叫している場合じゃない!
オウム!オウムはどこに!?
頭を左右に激しく動かし視界をフル回転させたがオウムの姿はすでに影も形も見当たらなかった。
非常にまずい!直に兵士たちの訓練時間だ。そこにオウムが飛来してきたらどうなる?
「どーしよう!早く……早く、あいつを捕まえないと」
「何、妙なこと口走ってやがる」
こ、この声は……!
「リ、リヴァイ……!」
ゆっくりと振り返ると目つきの悪い兵長殿が腕を組んで仁王立ちしていた。
懐かしのリヴァイ。会いたかったが事情が事情だ。
「何を捕まえるって?」
「……そ、それは」
「ニファたちに聞いたが、てめえは人間の口真似をする鳥を飼ってるそうだな」
「あ、ああ、オウムって言うんだ……禁書での伝承だけだから、実際に喋るかどうかは不明だけどね」
「なぜ焦ってやがる?」
「あ、焦ってなんか……」
「……俺に隠し事でもあるのか?」
「……そ、そんなこと」
駄目だ、言葉がでない。
いつもはリヴァイが辟易するほど流暢に出る言葉が。
「面白くねえな……てめえが俺を避けたいってのならお望み通りにしてやる」
リヴァイは冷たく背中を見せると、さっさと歩きだした。
「……ち、違うんだリヴァイ」
リヴァイとの距離が広がってゆく。
「……そうじゃないんだ」
リヴァイとの間に見えない溝ができていた。深い溝が――。
あれから半日過ぎた。オウムは、まだ見つからない。
もしかしたら、すでに壁外に飛び去ったかもしれない。
「……ひとのこと散々引っ掻き回しておいて」
いや、オウムのせいじゃない。
リヴァイから逃げ続けたのは他ならない自分なのだ。
すべて自分が蒔いた種ではないか。
「もう……友達にも戻れないかもしれないなあ」
思えばリヴァイが心を許してくれるまで随分時間がかかったものだった。
当時のリヴァイは地下街からつれてきた友人を失ったばかりということもあり頑なに心を閉ざしていた。
近づく人間全て敵のように威嚇し見えない壁をつくるリヴァイは、まさに鋭利な刃物そのものだった。
今でこそ笑って話せる懐かしい想い出だったのだが――。
「信頼を築くのは大変だけど崩れるのは短時間ですんじゃうんだ」
元より家族でも恋人でもない。ただの同僚。
所詮、それだけの関係だったのだ。
ハンジはベンチに腰掛け、そっと涙を拭った。
「何、泣いてやがるんだ」
「……え?」
陽が暮れようとしていた。
赤く染まった地面に影法師が二つ。ハンジとリヴァイ。
ゆっくり顔をあげると肩にオウムを乗せたリヴァイが立っていた。
「……リヴァイ」
「こいつだろ、てめえの鳥は」
数刻前は仏頂面の見本のようだったリヴァイ。
その三白眼は相変わらず鋭いが口調は妙にご機嫌だった。
「リ、リヴァイ……そいつ何か言ってなかった?」
おそるおそる訊ねた。返答如何によっては、もうリヴァイの顔をまともに見れなくなる。
「ああ、面白い奴だな。鳥のくせに犬や猫の啼き声しやがる」
ハンジはきょとんとなった。
「……あ、あの、それだけ?」
「何だ、他になにかあるのかよ?」
全身から力が抜けてゆく。
「ううん、何でもないの!見つけてくれてありがとう」
最悪の事態は免れたようだ。幸い、オウムは余計な事は喋っていない。
その上、リヴァイはもう怒っていない。それが一番重要だった。
本当に良かった。
ハンジはホッと胸を撫で下ろした。
「もうドジ踏むんじゃねえぞ」
「はいはい、わかってるって」
これにて一件落着。ハンジの悪夢のような一日はようやく終わりを告げた。
ともかく無事に見付かって良かった。
「いいかい、もう二度と苦労かけないでおくれよ。でないと金持ちの飼い主に紹介する前に焼き鳥にしてやるからね」
ハンジは部屋に戻ると何度も念を押した。
「リヴァイ、リヴァイ、アイシテル」
「おまえ、全然わかってないでしょ」
「リヴァイ、ケッコンシヨ、ケッコンケッコン」
「……おまえの口の軽さが羨ましいよ」
「リヴァイ、ズットソバニイテ」
「はいはい、わかったから――」
「オレモスキダゼ」
(……え?)
ハンジは、はっとしてオウムを凝視した。
(……今の言葉)
明らかにハンジのマネではない。
「ハンジ、オレモオマエガスキダ」
リヴァイの悪戯っぽい微笑が脳裏を過ぎった。
「……あ」
オウムは口真似しかしない。
しかし、その言葉は真実を語っている。
「ハンジ、アイシテル」
ハンジは、頬を伝わる温かい涙をそっとぬぐった。
「私も愛してるよ」
END
FIN
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