「兵長、巨人が、それも15メートル級のやつです!」
「背後からも10メートル以上の巨人多数接近です」

新リヴァイ班の面々は巨人の群れに囲まれ誰もが絶望感に飲み込まれ顔色を失っていった。
多くの仲間の犠牲を経て、ようやく敵の本拠地を探し出すことに成功し、巨人の秘密を暴けるというところまできたというのに。
頼みのエレンも途中で合流したユミルも体力を使い果たし、しばらく巨人化は不可能だ。
ここに来るまで長かった。
クリスタ、いやヒストリアが有する巨人の秘密を知る権利で王政の人類に対する裏切りを知り、調査兵団は外の巨人、内の王政に挟み撃ちになった。
王政を倒すためにエルヴィンをはじめ、キース元団長、ピクシス司令、ザックレー総統など主な軍幹部は殉職。
調査兵団は残された幹部のハンジとリヴァイの指揮の元、敵の拠点をついに発見し攻勢にでた。
ライナーたちが『故郷』と呼んでいた場所だ。
そこに巨人たちの、いや人間を巨人に変える秘密が眠っている。
それさえ暴けば、もう壁外にうろついている巨人は脅威でこそあるが倒せない敵ではなくなるのだ。
そして敵のアジトから禁断の書を奪い取り、後は帰還するところまできていた。
やっと、ここまできた。壁まで、もう少しというところまで来たのだ。
しかし現実は残酷だった。希望が見えた瞬間、巨人の群れに囲まれたのだから。
残った兵は、指揮官のリヴァイと新リヴァイ班の面々、ユミルだけ。
ブレードはボロボロ、ガスの残量も少ない。


「兵長、どうすれば……こんな時にハンジさんがいてくれたら」
常に勝気なエレンですら弱気になっている。リヴァイは決断するしかなかった。
「俺が殿を務める。その間にてめえらは全速力で逃げろ」
「兵長!」
「時間を稼げるのは俺だけだ。これは命令だ、しくじるんじゃねえぞ。
必ず巨人の秘密をハンジに届けろ。巨人の胃袋に消えて行った何十万という人間の命を無駄にしたくなかったらな」
「でも、でも……兵長は必ず戻らなければいけないひとじゃあないですか!」
エレンは涙混じりの声で叫んだ。
「ハンジさんは、どうするんですか!?」
「あいつは強い女だ。てめえに同情される必要はねえ」
「兵長やハンジさんは覚悟されてるかもしれませんが……」


「あなたを必要とする人間が生まれるんだ。兵長として以前に、あなたには生きて帰らなきゃいけない責任があるじゃないですか!!」




未来のために




◇三年前◇

調査兵団の専用医院の病室の一室にハンジはいた。
いつも底抜けに明るくふるまっているハンジだったが、静かにベッドに横たわり無言で窓の外を見つめていた。
その表情は虚ろで感情がまるでない。
付き添っているナナバの方が今にも泣きだしそうな顔をしていた。
しかし、その静寂は、ハンジが聞き慣れた足音が近づいてくると同時に終わりを告げた。
ハンジは慌てて上半身を起こした。その直後に、ノックもなしにドアが開いた。
「ハンジ、何があった?」
滅多に見られない焦った様子のリヴァイにハンジは先ほどまでの沈んだ様子が嘘のような笑顔を見せた。
「過労だってよ。医者に不摂生もいい加減にしろって散々絞られちゃった」
「……驚かしやがって。この奇行種が」
「ごめんごめん。まだ仕事中なんでしょう?私は大丈夫だから戻りなよ。
いい機会だから二、三日休養とって、ゆっくりするからさ」
「ああ、そうしろ」
リヴァイは、「また明日来る」と付け加えると、さっさと病室を後にした。


足音が遠のくと、無言で二人のやりとりを見ていたナナバが堰を切ったように辛い台詞を吐き出した。
「ハンジ、どうしてリヴァイに本当のこと言わないの!?」
「……ナナバ、気持ちは嬉しいけど彼には黙っててよ」
「親友が一人で苦しんでるのを黙って見てろって?リヴァイには知る義務があるはずだ。
二人の問題なのに、どうして1人で抱え込もうとするんだよ」
「……私もリヴァイも周囲に言いふらしてないのに、わかるひとにはわかるんだね」
「当然だろ。何年も共に戦ってきた仲間なんだよ。エルヴィンもミケも、とっくに気づいてる」


「リヴァイが父親だったんでしょ!彼には、ちゃんと話すべきだ」


ハンジは力なく空っぽになったお腹に手をおいた。
ほんの数時間前には確かに命が存在していた。
リヴァイの喜ぶ顔が見たくて、一週間後に迫った彼の誕生日に打ち明けるつもりだった。
妊娠に気づいてからというもの規則正しい生活を心掛け、体調が悪いからと嘘を吐きリヴァイの機嫌が悪くなるのを承知で関係も拒絶してきた。
普通の妊婦以上に注意していたつもりだった。
結果、それでも運命は予定通りにはいかないものだと思い知らされた。


「……リヴァイには余計な苦痛を与えたくないんだ。彼は私なんかより、ずっと多くのものを背負っている。
お願いだよナナバ……リヴァイには黙っててくれ。一生のお願いだ……お願い……」

「……ハンジ」











「よぉ、エルヴィン」
珍しく酒の臭いを漂わせたリヴァイがエルヴィンの私室を訪れたのは深夜だった。
「どうしたリヴァイ、おまえらしくないぞ」
エルヴィンは少し驚いたようだが、リヴァイにソファをすすめてくれた。
「……全然、酔えねえ。てめえ、高級なやつをもってただろう?」
「上官のとっておきをたかりにきたのか」
「ああ、そうだ。もったいぶらずに早くだせ」
平静を装っていたが、リヴァイは明らかに普通ではなかった。三年も苦労を共にしてきた仲間だからこそわかることがあった。
エルヴィンは20年もののワインの封を開けると、「何があった?」と威圧感を与えないように訊ねた。

「……てめえは知ってたんだろ?」

グラスを持ったものの、リヴァイはワインに口をつけようとしなかった。


「あのクソメガネ……墓場まで秘密を持って行く気だ」


エルヴィンはリヴァイの視線に耐え切れず思わず俯いた。

「……気づいていたのか」
「……最近のあいつの様子みてれば嫌でもわかる」

ハンジはもちろんのこと全団員の健康状態を把握する義務と権利が団長たるエルヴィンにはある。
まして分隊長ともなれば軍医が検診の結果を逐一報告してくるのは当然だった。


「残念だったな」
飾り立てた慰めの言葉など不要だった。
「ナナバから聞いたのか?」
「……ハンジが口止めしてるに決まってんだろ」
「それで、おまえはどうしたいんだい?なぜ、傷ついている彼女のそばにいてやらないんだ」
「あいつは本気で俺に知られたくないと思っているんだ」
あなたを思う乙女心を悟ってなんていう小賢しい気持ちではなく、本心から、そう思っている。
「……必死で笑顔を作っていた……だったら俺は、あいつの望み通り知らないふりをしてやるしかない」


「あいつの前では普通でいるしかねえだろう」


くだらないことだがな、と付け加えリヴァイはワインを一気に飲み干した。

「……おまえたちは不器用すぎる」
「……ああ、まったくだ」
「今夜はとことん付き合うよ」
「悪いな……なあ、エルヴィン」

――俺は何百という命を簡単に削いできたのに、たった一つの命を守ってやることもできねえんだな










「分隊長、お休みになってください」
女性班員がしつこいほど安静をと要求してくる。その口うるささはモブリット以上だった。
「あなた方に何かあったら兵士長に恨まれるのは私なんですから自重してもらいますよ」
「それもそうだ。じゃあ、少し休憩するよ」
執務用の椅子からソファに移動すると、ハンジは大きくなったお腹を愛おしそうに撫でた。
あれから二年間は妊娠の兆候すらなく諦めていただけに、この子が宿った時は本当に嬉しかった。
安定期にはいるまでリヴァイには秘密にしているつもりだったが、すぐに気づかれて、随分大切に扱われたものだ。
それからというもの作戦立案に参加することしかできず、リヴァイには随分負担をかけてしまい心苦しかった。

『あ?母親ってのはガキとてめえの体の心配だけしてりゃあいいんだ。
てめえが安心してガキを生めるように環境を整えてやるのは親父の仕事だろ』

リヴァイはハンジの分まで仕事をこなしてくれた。
おかげで臨月まで無事に胎児は成長してくれた。

『こいつにだけは巨人なんか存在しねえ世界で育ててやりたい。そのためなら何だってしてやる』

それがリヴァイの決まり文句になっていた。
実際、子供を授かったと知った後のリヴァイはハンジですら心配するほど凄かった。
かつては多忙ゆえの不摂生な生活を散々リヴァイに叱咤されていたハンジからしたら想像もしてなかったほど立場は逆転していた。
もしかしてリヴァイは『前』の事に気づいているのでは、と何度も考えた。
だからこそ今度の子だけは守ってやりたいと必死になっているでは、と。

そんなリヴァイの影響を受けたのか、もともとの素質なのかエレンをはじめとする団員たちも皆懸命に働いた。
今度の作戦は人類か巨人、どちらが未来を握るかという重要な局面になるだろう。やるべきことは全てやった。
後はリヴァイたちが戻ってくるのを待つだけだ。
「おっ、また蹴った」
これは絶対に男の子だな。それもリヴァイに似た子だ、ハンジは自然と表情が緩んでゆく。

「そろそろ、お父さんが帰ってくるよ。おまえも早く会いたいだろ?」



「分隊長、団員たちが帰還しました!」
兵士が歓声のような熱っぽい声で言った。
「壁上の警備兵が姿を確認したと報告がはいったそうです。今頃はシガンシナ区に到着していることでしょう」
「そう、よかった」
ハンジはリヴァイの好きな料理を用意しようと思い立ち上がった。
がちゃんと、音がした。窓から入った風がデスクに置かれた一輪挿しの花瓶を床に落としたのだ。
安物の花瓶だがリヴァイがプレゼントしてくれた思い出の品だった。










「新しいブレードと……馬、それに……ガスをすぐに用意してくれ。増援も頼む!」
到着するなりエレンは、ぜえぜえと途切れ途切れの息の下から叫んだ。
「エレン、まさか戻るつもりなのかい?」
「当たり前だろ!」
「無茶だよエレン、それに、それに今戻ったって……もう」
「うるせえアルミン、俺は1人でも戻るからな!!」










「……リヴァイの花瓶が」

出陣前にリヴァイが柄にもなくさしていったバラを手に取りハンジは言い知れぬ不安に駆られた。

「……まさか」


「暗い顔してんじゃねえよ。胎教に悪いだろうが」


ハンジは、ハッとして顔をあげた。

「戻ったぞ。笑顔を見せろよクソメガネ」
「お帰り、リヴァイ」

思わず駆け出しそうになったハンジは、慌てて足を止めると、ゆっくりリヴァイに近づいた。
最初に抱きしめてきたのはリヴァイの方だった。


「体は大丈夫か?」
「順調だよ。あ、また動いた。この子も、あなたが帰ってきて喜んでるよ」
リヴァイはハンジをソファに座らせると、大切そうに肩を抱き、もう片方の手で膨らんだお腹に触れた。
「元気な子だから、きっと、あなたに似た男の子だと思うよ」
「ああ?何、言ってやがる。てめえに似た女に決まってんだろ」
他愛のない会話が続いた。家族がそろった幸せな時間だった。
それを破るかのように外からざわついた声が聞こえてきた。
「何かあったのかな?」
不測の事態が起きたのならば、それを処理するのはリヴァイとハンジの役目だった。
「行かないと」
「ハンジ」
いつもなら、率先して動くリヴァイがハンジを止めた。





「リヴァイ?」
「言っておきたいことがある」

こんな時に何だろう?

「調査兵団に入るまで俺はまともな人間じゃなかった。おまえのおかげで俺は幸せだった」

なぜか過去形だった。

「命を消すことしか能がなかった俺にとって、こいつは初めて生み出した命だった。
俺たちの血を、いや命を受け継いでくれるかけがえのない存在だ。
ハンジ、おまえのおかげだ。こいつを授けてくれてありがとう」

どうして、こんな時に、そんな言葉を?
この子が生まれた時でいいじゃない。



「愛してるハンジ、こいつを守ってやってくれ」




常に眉間に皺をよせていたリヴァイが初めて見せた穏やかで優しい微笑だった――。





「リヴァイ?」

まるで煙のようにリヴァイは姿を消した。

――ああ、そうか。

ハンジは、その場に座り込んだ。

――会いに来てくれたんだね。最後に私たちにお別れを言うために。

床に滴がいくつも落ちてゆく。


「大丈夫だよリヴァイ……私は強い女だから」


そういう女でなければ、あなたは子供はつくらなかったはず。
私を信頼してくれてるから、あなたは旅立つことができたんだね。


「でも、やっぱり、あなたは身勝手な男だったよ。一方的に言いたいこと言って、私には何も言わせなかったんだから」


――この子がいるから私は生きていける



「リヴァイ、この子を私に与えてくれてありがとう」



――私もあなたを愛してる




FIN




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