調査兵団は戦闘力こそダントツで全兵団中トップではあるけれど、実績が乏しいという理由で政府からの支援も少ない。
エルヴィン団長は貴族や商会から寄付を募って何とか兵団の経費をやりくりしている。
そんな調査兵団相手を食い物にしようという卑劣な商人がいた。
裸の王様
「新製品?」
調査兵団は普段から人里から離れた場所で日夜対巨人の戦闘術を磨いている。
そのため支給品以外の必要物資を売りさばこうと月に何度か商人が尋ねてくる。
休み時間を利用してたくさんの商品を披露する商人に僕は嫌な予感がした。
一口で言えば(ひとを見た目で判断したくはないけれど)とにかく顔つきがあくどいのだ。
小説によく登場する悪徳商人は、こういうひとだろうと思えるほどに。
その商人が自信満々で大きな箱を団長にすすめている。
中身は新素材の特別製の布地らしい。
「そうなんです。この布は丈夫なんですよ、ナイフだって通しません。
しかも重さは従来のものと変わらないときている。
兵服をこれでお作りになれば、調査兵団の生存率はぐっとあがること間違いなしですよ」
それが本当なら兵団にとってすばらしい話だ。そう、事実であれば。
「しかし高いんだろう?」
団長は値段を気にしている。当然だ、調査兵団に余裕のある金はないんだから。
「確かに少々値は張りますが人命には代えられないですよ」
正論だ。高値だろうと、それで死人の数が減るのなら安いものだろう。
「ご覧ください。我々が自信をもっておすすめする防巨人布を!」
商人は分厚い蓋をゆっくりと開けた。団長や団員の視線が箱の中身に集中する。
「え?」
僕は思わず素っ頓狂な声をあげた。はっきりいって驚いた。
それは他の者も同じで、中にはぽかんと口を大きく開けているひともいる。
なぜなら、箱の中には何も入ってなかったからだ。つまり、空!
「商人殿、これはいったい?」
「見てください。見た目も美しいでしょう?」
この男はいったい何を言っているんだ?まさか頭がおかしいのだろうか?
「ああ、そうそう言い忘れましたが、この布には、もう一つ特徴がございまして――」
商人は両手を揉みながら嫌らしい目つきでとんでもないことを言った。
「意中の異性から愛されてない人間には見えない布なんですよ」
僕は見た、いや感じた。その瞬間、その場にいた全員の中で怪しい物が走ったのを。
皆の顔がひきつっている。冷や汗をかいている者もいる。
(どう考えても、これは詐欺じゃないか)
そう詐欺だ。それもとんでもなく幼稚で杜撰な。
けれども、この詐欺には一つ見逃せない大きな落とし穴がある。
それは人間の虚栄心という恐ろしい渦を作り出せるということだ。
ひとの見栄ほど愚かなものはない。それを、このインチキ商人はわかっているん
だ。
その証拠に誰もが疑わしいと思いながらも、それを一切口に出さないではないか。
皆、恐れているんだ。
『そんなもの無い』と言えば『それはあなたが愛されていないだけなんですよ』と返されるのを。
僕はとっさに団長を見た。
団長、まさか、あなたはこんなつまらない詐欺に引っかからないですよね?
「商人殿、悪いが私には――」
さすが団長、この悪徳商人の悪巧みもここまでだと僕は安堵した。
しかし、それは一瞬で終わった。
「そうそう、実はヅラのひとにも見えないんですよ」
団長の眼がカッと開いた。
(……うまい!団長の一番痛いところを的確に把握して攻めてきた!!)
やられた!これはまずい!
団長、負けないでください。何かを変えるひとは何かを捨てることができるひとのはずです!
「……仕事が残っていたのを思い出した。おまえたちで判断して、後で私に報告しなさい」
団長はそそくさと、その場を後にした。
(に、逃げた!団長が!)
最悪の事態だ。トップが逃亡するなんて、これでは兵士の志気が確実に落ちる!
「そこのおにいさん」
「は、俺?」
商人はいかにも騙されやすそうなオルオ先輩に近づいた。
「さぞかしモテモテなんでしょう?」
「わかるか?」
やばい、乗せられている。
「おにいさんには見えるでしょう?お好きな相手の愛情が深ければ深いほど豪華絢爛に見えるんですよ、これは」
「そ、そうか?」
「まさか、おにいさんほどの色男が見えないなんてことはありませんよね?」
「も、もちろん見えるに決まっているだろう!」
やられたー!僕は愕然とした。
この商人、ひとを見る目がある!
「ふっ、ペトラよ。おまえの気持ちはわかっていたが、まさかここまで過激だったとはな」
「ちょっと、何わけわからないこと言ってるのよ!」
オルオ先輩、何てことを!
「皆様にはどんな素晴らしい布が見えてるんでしょうね」
僕はぎょっとして周囲を見渡した。オルオ先輩一人だけならともかく先ほどの団長の態度もある。
皆一様に「そ、そうだな」「ああ」とお互い視線を合わせず言い出した。
だ、だめだ。皆、
見栄とプライドのせいで考えることを放棄している!
「いやぁ、俺って案外ミカサに愛されてたんだな」
「ジャン、君まで何てことを!」
どうしよう。このままでは調査兵団の貴重な資金が、この悪徳商人に騙し取られてしまう!
今さら、僕が説得したところで、皆、一度「見える」と宣言した以上、プライドが邪魔して正直に前言撤回するはずがない。
誰かいないのか?団員たちを一斉に黙らせるくらい影響力のある人物は?
団長がダメなら、他にいるとすれば――
「もう休憩時間は終了だぞ。てめえら、何、油売っている?」
全員、はっとして敬礼の姿勢をとった。
調査兵団のbQであり、人類最強の兵士・リヴァイ兵士長の登場だった。
「いいじゃないかリヴァイ。商人が訪問してくるなんて滅多にないんだから大目にみてやりなよ」
分隊長のハンジさんも一緒だった。
「ところで、何かいい商品でもあったの?」
「あ、あの兵長、分隊長、実は……」
僕は今までのいきさつを説明した。
「つまり、てめえの女に愛されてない野郎には見えない布を売りつけにきたってことか?」
リヴァイ兵長は箱の中を一瞥した後、じろっと商人を睨み付けながらきっぱり言った。
「布なんてねえじゃないか」
団員たちは、まるで洗脳が解けたようにハッとした。
「あ、あの兵士長様。ですから、この布は特別仕様でして……」
兵長は近くの椅子に腰かけるとハンジさんの腰に手を回した。
そして一言――。
「ほう……じゃあ、てめえは、このクソメガネが惚れてもない男に毎晩抱かれて喘いでいる淫乱だとでもいいたいのか?」
「え”?」
ハンジさんは顔面蒼白になった。彼女ほどでもないが僕も団員も一瞬で表情が硬直した。
「リ、リリリ、リヴァイ!あ、あなた……こんな人前で何てヤヴァイことを……!」
真っ赤になって抗議するハンジさんを無視して兵長はさらに続けた。
「俺は、その豚野郎に質問しているんだ。さあ答えてもらおうじゃねえか。てめえは俺の女を淫乱だというのか?」
「い、いえ、そういうわけではなく……その、つまり」
「こいつは六年前から俺にベタ惚れなんだ。いいか、よく聞け豚野郎」
「俺がハンジに愛されてない可能性なんて一ミリも存在しねえんだ」
い、言い切った……兵長は戦闘力だけじゃなく自信まで人類最強だった。
「それとも何か?まさか、この中で、俺が見えない布が見えた野郎がいるっていうのか?」
リヴァイ兵長が団員たちに視線を移すと誰もが慌てだした。
「い、いいえ!俺も布どころか猫の子一匹見えませんでした!」
オルオ先輩、ちょっと言葉の使い方おかしいですよ。
「やっぱり嘘ついてたのね。このバカ!」
「痛え!や、やめろよペトラ、顔だけは殴るな!!」
さらにジャンも「俺も、もちろん見えてないです!」と、180度違う意見。
ここまで露骨だと僕はもう呆れるしかなかった。
「俺もです兵長。最初から胡散臭いと思っていたんです!」
「ですよね兵長。こんな手にひっかかる奴なんていませんよ」
まさに鶴の一声。皆、さっきまでの見栄はどこへやら。
まあ、当然と言えば当然。
兵長相手に「見えてる」なんて嘘貫くってことは、「あなた恋人に愛されてませんよ」って喧嘩うるようなものだから。
「わかったか豚野郎。削がれたくなかったら十秒以内に荷物まとめて出ていけ」
兵長の迫力にびびった商人は大事な商品を持ち出すことも忘れて逃げて行った。
「……結局、俺たち新兵が後片付けかよ。あの商人、今度あったら、ただじゃおかねえぞ」
「何、言ってるんだよジャン。あのひとの話にのった君にも落ち度あるじゃないか」
僕とジャンは商人が置いて行った品を処分する羽目になった。
「備品として使えるものは慰謝料代わりにもらっておこう。いらないものは燃えないゴミの日にだして……と」
「おまえら、どうしたんだよ?」
訓練に出ていたエレンとミカサがやってきた。僕は例の件を話してやった。
「へえ、すごいな。そんな魔法みたいな布地があるなんて」
「違うよエレン、実はね――」
僕は詐欺だと説明しようとした。その時!
「……綺麗」
「え?」
僕は振り返った。
ミカサ、今なんて言ったの?
「お、おい……ミカサ?」
ジャンが青ざめている。僕もそうだ。
だって……ミカサは……ミカサの表情……あれは――。
「……こんな綺麗な布、見たことがない」
ジャンたちのように嘘をついている顔じゃない――。
「虹のような光沢……金糸や銀糸で豪華な刺繍までしてある……ねえアルミン」
み、見えているんだ……ミカサには『嘘偽りなくマジで』見えている!
ミカサはうっとりした瞳でエレンを見つめた。エレンはきょとんとしている。
「……相手の愛情が深ければ深いほど……素晴らしい布に見える……と、商人は言ったのね」
「……う、うん……確かに言った」
「……嬉しい、エレン」
「は?」
鈍いエレンは幸せ者だ。ジャンを見ると僕と同じことを考えているのか硬直していた。
ミカサは存在しないはずの布を手に取った。
「アルミン、似合う?」
そして年に一度あるかないかの笑顔でにっこり言った。
ミカサは、彼女は……兵長とは逆のベクトルで人類最強、いや最凶の自信を持った人間だった。
「う、うん……すごく似合うよ……ミカサ」
僕は、また一つ、知らなくていいミカサの恐ろしい面を知ってしまったのだった――。
FIN
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