彼も目覚めたら感動するわよ。この素敵な脚線美みて惚れない男がいるものですか」
「そんなことないと思います。ミーが知っている限り師匠は女の人の色香には迷った事ありません。
特に強欲でわがままな女は論外だと思いますよー」
「何て可愛げのない奴なのよ。変なかぶりものしてる男なんかに――」
「……静かにしてくれませんか?」
りんとして静かだが威厳のある声だった。途端に犬と千種の表情がぱあっと明るくなる。
「骸様!」
「もう目が覚めたんすか。さすが骸さん!」
「……静かにしてください」
――やっと脱獄に成功か。でも、もう遅い。
黄色いリボン
「ねえねえ、10年ぶりなんだから街にでも繰り出さない?」
「それミーも賛成です。でも、あんたは同行しないほうがいいです」
「ああ、うっさいわね!いい?女連れの方が警戒されなくていいのよ」
「おまえらうるさいぴょん!骸さんが休めねえだろ!!」
「……犬、おまえが一番うるさい」
骸は静かにベッドから窓の外を見ていた。
(……10年か、僕は何も変わってないつもりでも世界は確実に変わっている)
骸はそっと目を閉じた。瞼の裏に一人の少女の姿が浮ぶ。
(おそらく彼女も……)
骸はマフィアでさえ震え上がる悪名高き男だった。彼の手にかかり、あの世送りにされた人間は数知れない。
間接的に殺された人間も含めると、さらに凄まじい数字になるだろう。
いつもにこやかな笑みを浮かべているが、その瞳は常に冷たく心の底から笑ったことはほとんどない。
そんな彼にも一度だけ笑顔が耐えない日々を送ったことがある。
微笑む彼のそばにはいつも彼女がいた。
彼女の名前は――天瀬美恵
生涯にただ一度だけ骸にマフィアへの復讐を忘れさせた少女。そして愛し合った相手だった。
「やっと見つけた。捜したのよ骸」
木の上で昼寝をしていた骸は顔の上に日除け代わりに被せていた本を取るとゆっくりと真下に視線を向けた。
「やあ美恵、もうお茶の時間ですか?」
「何言ってるのよ。昼食もまだなんでしょう?あなたの好物作ってあるわ」
「あまり空腹ではないんだけど」
「お菓子ばかり食べて栄養とれると思ってるの?その綺麗な顔だって10年もしたら台無しになるわよ」
「別にかまいませんよ。僕が保持したいのは戦闘力で美貌ではありませんからね」
「……もう!」
美恵は木登りを始めた。
(おやおや、木登り苦手なのに……でも、そんなへっぴり腰で大丈夫かな?)
などと心配しているうちに案の定美恵は足を滑らせた。
「きゃあ!」
骸が咄嗟に手を握ってくれなかったら地面に落下していただろう。
「全く君はお転婆なんだから」
骸は呆れたように美恵を木の上に引き上げた。
「そんなことじゃお嫁にいけませんよ」
「別にいいわよ。そういうあなたこそ、そんなんじゃお嫁のきてなんてないんだから」
「それはどうも。僕も、そういことは興味ないからいいですよ」
「それは駄目よ。誰かが栄養管理してやらないと絶対あなた早死にするわよ」
「そういう君こそ、誰かがそばにいて見守ってやらないとドジな事故に合いかねないですよ」
「酷い言い方!」
美恵は頬を膨らませてぷいっと顔を背けた。
「それとも僕がそばにいて守ってあげましょうか?」
美恵は呆気に取られて骸を見詰めた。美しい彼の顔を直視するだけで大抵の女は赤くなる。
だが、その直後、骸の異様な片目に気づき恐ろしさに愕然とする。
美恵だけは、そのどちらでもなかった。
骸の見た目に惑わされることも、その目に恐怖する事もなく接してくれている。
そして、どういうわけか骸のおぞましい過去を知っても離れようとはしない。
美恵と一緒にいると骸はなぜか素直な気持ちになれた。
生まれて初めて安らぎを感じた。前世でも、こんな暖かい時間を持ったことはなかった。
「……だったら」
美恵は骸の目を真っ直ぐ見つめた。
「だったら私が一生骸の栄養管理してあげる。いいアイデアでしょ?」
「――かもしれないですね」
それは骸の壮絶な前半生において唯一のロマンスだった。
しかし結局、骸は愛よりも修羅の道を選んだ。
「骸、行かないで!」
美恵は必死に骸の腕に縋りついた。
「私を守ってくれるって言ったじゃない!」
「…………」
「ずっと一緒にいてくれるって行ったでしょ?」
「……君は僕をわかってない」
骸は自嘲気味に笑った。
「僕はマフィアを敵に回した男だ。復讐者は常に僕を追っている、僕には三択しかない。
戦い続けるか、死ぬか、冷たい牢獄につながれるか――君との未来は選択肢にない」
これ以上そばにいてはいけない。巻き込んではいけない。
ただ一度の愛を骸は自らの手で断ち切った。
「私、待ってるから!」
美恵は必死に叫んでいた。
「ずっと待ってる。だから帰って来て、待ってるから!!」
――ずっと待ってるから!
(あれから……10年)
全てを片付け美恵を迎えに行くつもりだった。
マフィア最強のボンゴレ倒せば全てが終わるはずだった。
けれど骸は破れ復讐者に捕らえられた。たった一度の脱獄のチャンスも仲間のためにふいにした。
美恵はずっと待っているといった。だが人の気持ちは一定では無い。
まして若い女性が10年間音信不通で生死すら不明の男を待ち続けられるわけがない。
別れた後、一度だけ葉書を出した事がある。
『君が僕が思っている以上のお人好しなら自宅の前の木に黄色のリボンを目印につけておいて欲しい』
(……未練だな)
「つきました。日本ですよ骸様」
「そうですか。久しぶりですね」
これから白蘭との壮絶な戦いが始まる。ボンゴレとは仲間ではないが契約した以上守護者は守護者だ。
「ユニって子をさらうのに白蘭は随分焦っている様子ですよ師匠。早くボンゴレと合流しないと」
「……ボンゴレか」
「骸様……クロームも待っています」
「……そうか。あの子にも苦労をさせてしまった」
これからの戦い、やはりクロームには荷が重すぎる。僕自身で戦わなければ。
白蘭は手強い。今度は牢獄では済まないかもしれませんね。
「……少し別行動をとりましょう」
仲間たちは当然のように驚いていた。理由も話さずに骸は続けた。
「心配しなくても時間通りに目的地に行きますよ」
その言葉を最後に骸は姿を消した。
――わかっている。美恵は、もう僕を忘れている。
――もしかしたら結婚して子供もいるかもしれない。
――ただ一目、戦う前に美恵を見たい。美恵の幸せを確認しておきたい。
――それさえ叶えば……もう思い残すことは何も無い。
骸は思い出の地に辿り着いた。大人になった彼女がいる家がもうすぐ見えるはずだ。
(あの丘を越えれば――)
骸は丘に立った。懐かしい風景だ、十年前と何も変わっていない。
(美恵の家は――あれは、まさか)
骸は呆然となった。
美恵の家の前の木いっぱいに黄色のリボンがつけられていた――。
どこにも居場所はないと思っていた。でも、やっと気がついた。
僕はこの戦いで死ねない。
待ってくれているひとがいる。
美恵、君のそばこそが僕が帰るべき場所なんだ。
END
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