桐山が美恵の両親に挨拶に来てから一週間。
母と桐山の手際の良さから、あっさり入籍は完了された。
学校へ行って先生が大事な話があるっと真剣な顔で告げたのだ。
天瀬はこれから桐山の姓を名乗る事になった――と。
クラスが騒然となる中、美恵は、早くも「桐山 美恵」となっていた。

本人も知らぬ間に。





☆責任問題☆
~思い出は血の味!? 真実は闇の中に 前編~





桐山家専用の車に乗せられ、美恵は悩んでいた。
美恵は桐山の家を見たことはあったが、中に入ったことはなく、桐山の父親にだって一度も会った事が無い。
桐山の父、桐山春広は、1度も行事に顔を見せる事がなく、学校にやってきた事すらないからだ。
いったいどんな人なんだろう。既に桐山姓になってしまった自分はなんて挨拶をすればいのだろう?
美恵の頭ではそんな疑問はグルグル回っていた。















いきなり桐山姓になり、あわてた美恵が桐山に問い詰めると、
「…………嫌なのか?俺と結婚するのは」
どこか悲しげに言われ、美恵は二の句が継げなくなる。
結局「そうじゃないの!」としか言えず、これでは前回(桐山との結婚をうっかり承諾)と変わらないではないか。
美恵を思っていた男たちは嘆き悲しみ。(三村が1番激しかった)
嘆き悲しむ男たちに思いを寄せていた少女(+オカマ)は喜び。
授業にはならなかった。


・・・・・・勉強遅れるぞ、このクラス。


その日から「桐山さん」と声を掛けられ、無茶苦茶恥ずかしかった。
美恵自身より、周りの順応のほうがはるかに早いらしく、美恵は顔を赤くしながら返事をするという始末だ。


そして何より――――――。
美恵」
「きっ…………か…和雄」
「まだ硬いな」
屋上でやる名前呼び練習はキツかった……。


天瀬ではなくなったからと、名前で呼ばれるようになったのは、恥ずかしかったが嬉しいものがあるのでいい。
しかし、「美恵も桐山だからな、オレもことは名前で呼んでもらう」と言われてから、この特訓は始まった。
人目につくと恥ずかしいので屋上で、しかし美恵は気付いていなかった。



屋上で2人っきりのほうが遥かに恥ずかしいと言う事に!!!!!!!!!!!



何気なく、普通に言えればよいのだが、誰もいない場所で2人っきりというシチュエーションでは、恥ずかしさも倍増だ。
しかも、桐山と向かい合って呼び合うので酷く照れる。

……もっとも、隅の方でデバガメしている奴らがいるので、正確には2人ではないのだが……。
恥ずかしがる美恵の可愛さに悶える者がいれば、応援する者もあり、悔しがりながら見ている者もいる。
邪魔をしたいが、桐山から無言の「邪魔したらどうなるか、わかってくれるかな?」オーラを向けられているので動けない。
バレてるじゃん……。
「ちくしょう! 桐山め……早く慣れる為にとか言って美恵にベタベタ触るんじゃねー! 下心が丸見えだぜこのスケベヤローッッ!!」
「シンジ……シンジが言っても説得力ないよ…………」
吼える三村に(それでも小声)瀬戸の呆れたツッコミ(やっぱり小声)が静かに響いた。















「着いたぞ」
桐山の静かな声に我に返った美恵は、桐山に凭れ掛けていた自分に気付き慌てて体を起こし、窓の外を見た。
車の前で開く鉄錠門と、整理された広い庭に、聳え立つ白い屋敷。

とうとう桐山邸に到着してしまった!!!!!

門を潜って、車はそのまま真っ直ぐに敷かれた一本道を走り、屋敷の直ぐ手前で停車した。
扉の前に立っていた上品そうな初老の男が、車から降りた2人に一礼する。
「お帰りなさいませ、坊っちゃま。美恵お嬢様も、ようこそいらっしゃいました。
わたくし、桐山家の執事をしております榊と申します。以後お見知り置きを」
丁寧な挨拶に、思わず「天瀬美恵です」と返してしまい「桐山美恵だ」と桐山にツッコミを入れられた。

あの桐山にツッコミを入れられるとは……!

「父は?」
「旦那様は書斎にて、お仕事中でございます」
「そうか、呼んでくれ」
「かしこまりました」
穏やかに微笑みながら、その男は桐山に向けそう言った。
それまで、まるで別世界のような桐山邸の雰囲気に呑まれぼんやりしていた美恵も、その言葉を聞いて体に緊張が走る。
遂に桐山の父親と対面の時だ。
(……どうしよう。緊張してきた…………!!)
無意識に胸の辺りを握っていた美恵に、桐山が肩に手を置いた。
桐山の顔を見ようと顔を上げる前に、ふわりと宙に浮いた。


プリンセス・ホールドが決まっていた。


「きっ桐山君ッッ!!!!」
「和雄だ。このまま連れて行く」
「へっ平気よ! だからお願い……!」


降ろして。


「オレ達は夫婦だ。遠慮することはない」
思わず固まってしまった美恵を勝手に了承したと判断し、桐山は美恵を抱き上げたまま屋敷へと入っていった。





その頃・・・・・・

「ここが桐山の家か……」
「噂に違わぬ豪邸だな」
「ここに美恵さんが……」
「ぼおっとしてないで! 早く美恵を助け出すのよ!!」
「どうでもいいけど、どうやって進入するのよ?」
「そうよねぇ、なんていったって桐山くんの家ですもの。 きっと凄いセキュリティシステムとか、警備員とかいるんじゃないの」
「ここがボスの住んでる家か……」
「うわ~っ、すっげー!」
「いいのかよ、不法侵入なんかして」
美恵と桐山の中を邪魔する4人組と心配して付いてきた貴子、桐山ファミリーが門の外で終結していた。

「ふっ、ここはオレに任せろ!」
三村は持ってきたノートパソコンを開いて、桐山家のセキュリティシステムにハッキングを始めた。

15分後。
(くっ……さすが桐山の家なだけあるな。何で頑強なプロテクトなんだ!)
想像以上に難解なプロテクトに三村に焦りが生まれる。
焦りはミスを生む。三村は冷静になろうと努めながら、次々とキーを打っていく。
なかなか進まない作業に、苛立ちがピークに到達したその時、三村は尊敬する叔父の言葉を思い出した。
『いいか信史。クールにだ。どんな時にも冷静さを忘れるな』
(叔父さん……オレは負けない!!)
クールに……決めてやる!!!!!!!

それから10分後。
「出来た……!」
「おお! やったな!」
「凄いぜ三村! さすがサードマン!!」
「ふっ、よせよ……」
称賛の声に思わず照れるも、
「ふう、ようやくできたの? ならもたもたしてないで、さっさと行くわよ!」
「こういう犯罪めいた事は得意よね、アンタって。ほら弘樹、今のうちに塀を乗り越えないと」
「おまえら、もう少しマシな反応はないのかよ……」
女性陣からの冷たい反応に少し落ち込む三村。
「きゃ~~! 三村くん素敵よぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
「うぉぉぉぉ! よせ! 抱きつくな!!!!」

最後までクールには決められなかったものの、第一の関門を突破したのだった。





「あの……和雄?」
「どうかしたのか?」
「そろそろ、降ろして欲しいんだけど…………」
説明しよう! 美恵は桐山にお姫様抱っこでこの部屋まで連れてこられたが、部屋に入ってからも桐山は美恵を解放しなかったのだ!!
そして現在! 豪華で大きい二人がけの椅子に、座っている桐山の膝の上に美恵は座らされているのだ!!!!!!!!!!!

「それより美恵、お茶のおかわりが欲しいんだが」
「あっ、うん」
膝の上にいる美恵を落とさないように、回された両手のせいで少し動きにくい。
だが、それでも自分を乗せている桐山は身動きが取れないので、美恵がお茶請けのお菓子を食べさせたり、お茶を飲ませたりしているのだ。
こうして美恵と桐山は豪華な客室でティータイムを満喫(?)していた。





桐山広春、桐山家当主にして、桐山財閥総帥。あの桐山和雄の父である。
書斎で仕事をしていた彼は、紅茶を飲みながら一息いれたところだった。

「失礼致します、旦那様」
軽くノックをし、「入れ」と言われる前にさっさと入ってきた執事に、広春氏は僅かに眉を顰めたが、なにも言わなかった。
これがこの男でなかったら、迷わずクビにしているところだ。
無駄なほどの付き合いの長さと、異常な優秀さを併せ持つこの執事は、気に入らない事も多いが、 手放すには惜しい存在だ。
「なんだ」
「はい、坊ちゃまが奥方を連れて参りましたので……」
「まて」
「はい、なんでございましょう?」
「今、何を言った」
「坊ちゃまが奥方を連れていらっしゃったことをお伝えいたしましたが?」
「それだ! なんでうちの和雄に妻がいるんだ!!」
「結婚なさったからです」
「な、なんだとぉぉぉーーー?!!!!!!」
慌てて立ち上がった広春氏の 超高級なスーツに持っていた同じく超高級な紅茶が染みを作った。
だが広春氏はそんな事も気にせず、一気に駆け出し執事を素通りして扉に手を伸ばした。


ビタンッ!


しかし扉に触れる前に、顔面から床にダイブすることとなった。
敷き詰められた最高級の赤い絨毯がなければ、すごいことになっていただろう。

「いけません、旦那様。桐山家当主ともあろうお方が、そのようなお姿で人前に出るなど、もってのほかです」
「……いま、おまえ私に足をかけなかったか?
「気のせいでございましょう」
すごい形相で睨みつけてくる当主をしれっとかわし、 老獪な執事は主人の首根っこを掴むと、着替えのために書斎を後にしたのだった。
当主の叫びをBGMとして。





さて、第一の関門を突破した一行は…………。
「うっギャああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
穴に落ちる奴がいれば、
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! べたべたする~! うぉお!! 服の中! 中入った!!」
トリモチに呑まれている奴もいれば、
「ふふふふ~~~♪ 俺は君を~~俺の魂の中の~~狂気すべてで愛したいぃぃぃぃぃ~~~!!!イエア!」
庭の花壇に紛れていた幻覚作用を与える植物の胞子に引っかかってる奴もいる。
桐山ファミリーからは笹川&黒長が、お邪魔組からは七原が早々に脱落した。

「さすが桐山財閥。一筋縄ではいかないな」
「最初にアイツ等を行かせて正解ね」
「ほら弘樹! 風向きがあっちの間に進むのよ!」
「わ、わかった……」
「もう、2人ともドジなんだから。しょうがないわね」
「スマン……! 笹川、黒長、オレには七原の二の舞はできねぇ!」
広大な庭はきちんと手入れが行き届いているが、見えない罠も行き届いているようだ。
危険を察知した一部の知的 (腹黒ともいう)メンバーは先兵として笹川と黒長を投入したのだ。
見事罠に引っかかった彼等を見て、安全地帯を把握し、進んでいった。
が、そこまで非道になりきれなかった七原が助けに行き……新たな罠に掛かったのだ。

「みんな、気を付けて進めよ。あいつらの悲鳴で屋敷の人間が気付いたかもしれない。
見つからない内に…………」
「侵入者だー!!!!」
「ソッコーかよ!?」
サングラス付きの黒服が数人、追いかけてきた。
「アイツ等が騒ぐからよ! 黙って罠に掛かってればいいのに、役に立たないわね」
「さんざん利用しといてそれかよ……」
「固まって動いたら危険よ! 二手にわかれましょう!!」
「逃げろ貴子! ここはオレ達がくい止める!!」
「弘樹!」
オレ達って・・・・・?

「任せたわよアンタ達!!」
「弘樹! あんたイイ男になったわよ!!」
「3人とも頑張ってねぇ~!」
「「オレ達もか!?」」
こうして、黒服VS杉村・三村・沼井が始まり、男達に戦いを任せた女達(?)は脱兎の勢いで逃げ出した。
多くの犠牲を出したものの、第二の関門突破・・・?





「榊さん」
「なにか?」
広春氏が替えのスーツを選んでいる間に、 1人の男が榊の傍に現れた。
男の言葉に、榊は僅かに眉を寄せた。
「……侵入者?」
「ええ、屋敷のセキュリティシステムに侵入した痕跡が」
当主には聞えない様に小さな声で榊は尋ねた。
「それで、どんな侵入者が入って来たかはわかってますか?」
「防犯カメラに映っていたのは、若様の同年代ほどの少年少女でした。」
榊の眉がほんの少し持ち上がった。
「ほぅ………」
「何かお心当たりでも?」
「ええ。心配いりません、坊ちゃまのご学友でしょう。そのまま放っておきなさい」
「わかりました。しかし、罠にかかった者もいるようですが…………」
「その方たちにはお引取り願いましょう。 不法な侵入をした挙句、あの程度の罠にかかるようでしたら、屋敷に入れることはありません」
榊が目で合図すると、男は広春氏と榊 に一礼して、早足で去って行った。

「榊」
「如何なされました、旦那様」
「相手はどんな女なんだ?」
「坊ちゃまのご学友のお方です」

ビリッ

「…………」
「旦那様、破いたスーツをお召しになるのは止めてください」
「わかっている!!」
思わず破いてしまったスーツを投げ捨てると、新しいスーツを選び始める。

「……なんで和雄が、たかが庶民の女ごときにぃ!」
「なんでも坊ちゃまが『キズモノ』にしたので、責任を取られたとか」

グシャッ

「…………」
「旦那様、皺だらけのネクタイはお洒落とは言いがたく…」
「わかっている!!!!!」
(ああ和雄! なんだってそんな義務教育も終わっていない、素人娘なんかに手を出したんだ!? しかもその娘と結婚だと!?
言ってくれれば、経験豊富で後腐れのない、ありとあらゆる美女を紹介してやるものを!!)
和洋中選り取り見取だ!っとズレた思考の元、広春氏の脳内妄想は暴走していった。

(ハッ! もしや相手の娘は始めからそれを計算して!? おのれ、財産目当てか! 庶民の分際で!!!
いたいけな和雄をあの手この手で誘惑し、既成事実を作ったのか! 妊娠ネタか!?
あの素直な和雄の事だ、「責任とってね」と言われ泣きまねでもされたら、 了承せずにはおれんだろう。
くっ純情な和雄を誑しこみおって!!)

その純情な息子が、積極的に客室でイチャついてるとは、夢にも思わぬ広春氏であった。

脳内妄想を繰り広げながら、何着も超最高級のスーツをダメにしていく主人を、執事は眺めていた。
すると、独特の振動が伝わってきて、榊は携帯を取り出した。
一言断って席を外すのが礼儀なのだが、主人がヒートアップしているので気にせず内容を確認した。
届いたメールを見て、その顔がわずかに綻んだ。





美恵……」
「か、和雄ッ」
「もう、だめだ……」
「待って、そんな…だめよ」
美恵は暖かいな…それに柔らかくて気持ちがいい……」
「なにいって……和雄!」
美恵を膝に乗せ、後ろから抱きしめるようにしていた桐山の頭がゆっくりとさがっていく。
咄嗟に離れようとした美恵だったが、桐山の腕から逃れられるはずもなく、押し倒される形となっていった。
二人掛けとは思えない大きめの豪華な椅子は、2人が身体を横にすると少し狭かったが、その分密着することになる。
相手の体温や鼓動を身近に感じ、美恵の顔が赤くなった。
「和雄、お願い……やめて」
美恵……」
「こんなところ、誰かに見られたら……」
「オレ達は夫婦だから……大丈夫だ」
「そういう問題じゃ……和雄!」
目を伏せた桐山は美恵の肩口に顔を埋める。
首筋に吐息がかかって、美恵は危うく叫ぶところだった。
「和雄、いやよ……こんな時に」
もうすぐ桐山の父親が来るのではなかったのか。
「こんな時に……1人で寝ないで~~~~!!!!!」
美恵の願いも空しく、肩口から桐山の小さな寝息が聞こえる。

実は桐山は昨日、寝ていなかった。
美恵の家に行った時もそうだったのだが、あの時は家に着くなり話し合いが始まり、眠気も吹っ飛んだ。
今回は自分の親だ。
桐山は、いざという時の「駆け落ち下準備」を始めたり、(美恵が親を)気に入らなかったらどうするかなど色々考え込んで朝を迎えた。

1日くらい眠らなくても、問題はないはずなのだが……。
なかなか来ない父親を美恵を抱きしめながら待っている間に、美恵の体温や伝わる鼓動が酷く安心させ眠くなってしまったのだ。

かくして――一度決めたら譲らない男、桐山和雄は懇願する美恵に申し訳なく思いながらも、美恵を抱きしめ夢の世界へ旅立ってしまった。





さて、第二の関門を突破した女性(?)陣は・・・・・・。
「はぁはぁ、ここまでくれば…大丈夫ね」
「……そうね」
「こっちは人気がないし、この辺りから屋敷へ入っちゃいましょう」
陸上部エースの貴子と、心は女でも身体は男の月岡はまだ体力に余裕があった。
普段の移動をパシリの車で済ませている光子は、少しきつそうだ。
(くっ……これも美恵の為よ! 頑張るのよ光子!!)
自分を叱咤し、膝を付いていた身体を立たせる。
立ち上がった光子は自分の見たものに、蒼白になった。
「どうしたの光子ちゃん?」
「大丈夫?」
顔色の悪い光子を心配する2人。
だがある一点を凝視する光子に連れられてそちらに視線をやった。
「「――――――――――――ッッ!」」

白い毛並みに黒の線。ぶっとい足。ゆらゆらと動きに合わせて揺れる尻尾。琥珀色の目。 そして……口に生えている鋭い牙。
ホワイト・タイガーだ。

ぐるるうるるうう。

こちらを警戒しながら近づいてくる虎に、3人は硬直して動けない。
(なんでこんなところに虎!? いくら金持ちだからってこんなもん買うんじゃないわよ! あたしは毛皮にしか興味ないわ!!)
(なんでこんなところに虎がいるのよ!? しかも野放し!? 飼い主はペットに責任を持つべきよ!!)
(……虎ねぇ。ホワイト・タイガーってホントにいたのね、サーカスにいるやつは染められてると思ってたわ~。ご飯食べた後だといいんだけど)


ガオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーーーー!!
「「「きゃああああああああああああああああああ!!!!」」」


吠えるとこちらに向かって疾走してくる虎に、3人は弾かれたように駆け出した。
3人は黒服から逃げる時、立て札があったことに気付かなかった。 人気がない理由はその立て札のせいだったのだ。
立て札には”散歩中”と書いてあった。

バラバラに逃げた3人の中、虎はアクセサリーを豊富につけていた貴子に狙いを定めた。
反射して光るアクセサリーが気を引いたのだろう。

「くッ……!」
いくら脚力に自信があっても、それは動物相手には通用しない。
確実に狭まる距離に、虎の息遣いが近づいてくる。
「アッ!」
後ろに気を取られ躓く貴子。
慌てて起き上がろうとするが、すでに虎は目の前だ。

ガオオオオォォォーーーーーーーー!

「「貴子(ちゃん)!」」
(弘樹……!!)
自分に飛び掛ってくる虎に思わず目を瞑る。

「シロちゃ~ん♪」
この場の空気にはありえない穏やかさで、聞いたことのある声がした。





素敵なスーツをピシッと着こなした広春氏は、颯爽と客室の扉をあけ入ってきた。

「―――――☆●×△◆!!!!!」

中の光景に驚いて声も出なかった。
自分の息子と憎き性悪女(広春視点)が身を寄せ合い椅子で眠っていたのだ!
しかも誰かが気を利かせたのか、ご丁寧にブランケットまで掛けられている。
どこかで「パシャッ」という音が聞こえた気がしたが、そんなことはどうでも良かった。



「なにをしとるかお前等~~!!!!!!!!」



「えっ!? なにっ……きゃっ!」
広春氏の怒声に飛び起きた美恵は、バランスを崩し椅子から落ちそうになったが、同じく目覚めた桐山に助けられた。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
「おはよう、美恵」
「おはよう……?」
寝起きでぼぉっとしていた美恵は、ただならぬ空気を感じそちらに視線をやると、そこには般若のような顔をした桐山の父親がいた。
起きない桐山につられて眠ってしまい、その姿を初対面の桐山の父親に見られるなんて!!美恵は蒼褪めた。

「お、おはようございます!! ……じゃない! 初めまして、こんにちわ!」
「おはよう、父さん」
慌てて挨拶をする美恵と寝起きとは思えない落ち着き払った様子の桐山。
「おまっ…!」
「おはようございます。坊ちゃま、お嬢様。お茶をお持ちしましょう。 何かご希望はございますか?」
怒鳴り散らそうとした広春氏をさえぎってモーニングティーの用意をする為、榊が声をかけた。
美恵は恐ろしい形相の広春氏が気になって仕方がなかったのだが、「紅茶を」っという桐山に合わせて「同じ物を」と応えた。
ブランケットを榊に礼を言って渡し、3人分の紅茶が用意された。

恐ろしい沈黙が支配するティータイムが始まった。

(くっ榊め…! ……この女が和雄を誑かした悪女か。確かに美人だが、……なにか気に入らん!!)
昔の古傷を妙に刺激する娘に、広春氏の怒りのボルテージは急上昇した。
が、自分を抑え彼は冷静に言葉を口にした。

「単刀直入に聞こう。いくら欲しいんだ」

居心地の悪いティータイムでイキナリ告げられた広春氏の暴言を一瞬、美恵は理解できなかった。
だがすぐに自分が金目当てだと思われていることに気付き焦る。
「違います! 私、そんなんじゃ……」
「なら今すぐ別れてもらおう。和雄と離れたくないと言うなら愛人として傍にいることくらい許してやってもいい。
月々の手当てや住居はこちらで手配する。子どもが生まれたら養育費はもちろん、学費も全てこちらが面倒を見よう。
和雄の子供だ。跡取りにはならんが和雄のように完璧な教育をおこなえば、それなりに優秀な人間として使えるだろう」
何かすごいことを言われている。
春広氏の一方的な未来設計に口を挟もうとするが、ヒートアップしてきた桐山家当主はノンストップだった。
「和雄には桐山家の今後の発展の為、あらゆる人脈を駆使し、大物政治家や名門軍閥の令嬢たちを花嫁候補にしている。
聞けば、君の父親はイイ年をして万年平社員らしいな。そんなデキの悪い男の娘なんぞに、ウチの和雄をくれてやるわけにはいかん」

あまりの暴言に声も出なかった美恵は、自分だけでなく父親まで侮辱され流石に怒った。
いきりたつ美恵を落ち着かせるように、桐山が強く手を握ってくれなければ、何を言っていた事か。
「父さん、オレはもう美恵と結婚しています。離婚する気もありません。今日お呼びしたのは、その報告をするためです」
はっきりと父親に意見する桐山に、美恵は胸が熱くなった。
広春氏はあまりの衝撃に目を見開いた。
今まで素直で純粋だった和雄が、不平不満を言わず自分の言う事に従ってきたあの和雄が ……自分に逆らったのだ!!

「………………和雄は、この私が全力をもって英才教育をしてきた、桐山家の跡取息子だ」
突然、広春は語り始めた。
「あらゆる学問はもちろん、帝王学から護身術までだ。これは私の最高傑作だ。
ここまで育てるのに、私がどれだけ心を砕いてきたか……それを」
ギロリと睨みつけられ思わず引いてしまう美恵。
「薄汚い売女めがぁぁぁ!!! よくも和雄を誑かしおったなぁぁ!! 和雄が欲しいならこの私を倒して見せろ!!!!!!!!」
(私も!?)
殺る気満々な広春氏に、美恵は思わずファイティングポーズを取る。
……余談だが、その姿はかつて桐山に挑もうとした無謀な彼女の父親とソックリだったそうな。(桐山談)

 「死ねぇぇぇぇ!!」


ゴンッ!


美恵を庇った桐山と、その衝撃音は同時だった。
広春氏は痛みにもんどりを打って倒れ込んだ。
「お話し中、申し訳ありません」
「榊?」
「榊……!!!!!!!!」
美恵は執事が手にしていた物を見やった。
銀のトレイが凹んでいる。
美恵に襲い掛かった桐山家当主を、あろうことかこの執事はトレイで殴ったのだ!!

「貴様! 私に何の恨みが……」
「申し訳ございません、お声をお掛け致しましたが、気付かれなかったようでしたので、つい」
「ついで貴様は主人を殴るのか」
メデューサの様な目付きで睨みつけられても、面の皮が厚いのか、ビクともしない執事は淡々と要件を告げた。
「懐かしいお客様がお出でになられましたので、是非ご報告しておこうと思いまして」
「客ぅ? とっとと追い返せ! 今日は誰とも会う約束をしとらん」
少しは冷静さが戻ったのか、頭を抑えて椅子に座りなおす当主に、濡れた布巾を渡す執事。
しかし、その布巾が紅茶を用意するために置いてあったワゴンの台拭きであったことに美恵と桐山は気付いた。

この光景と似たものをどこかで…………?

「フン! その顔と身体で純情な和雄を誑かしおって…親の顔が見てみたいものだな!!!」
「では好きなだけご覧になったら?」
美恵にとっては聞きなれた、桐山にとっても聴いたことがある声が場に響いた。





続く


恐るべし桐山邸!!されど、桐山はされに恐るべし!!
しかーし、桐山に愛されるんだったら、耐えて見せるわ、この試練!!
とにもかくにも来てしまいました桐山邸。
桐山父……リアルな愛人契約の話すすめるなよ(汗)
でも桐山が身を挺して守ってくれるので何言われようが平気です。
しかも、ヒロインにとって心強い味方も登場。

けむけむさま、いつもありがとうございます。
続き楽しみにしてますね。