「学校……………」

問う事は許されない、それ以上言葉を続けることはできなかった。
相手もそれを知っていて簡単な説明を付けた。
どうやら『義務教育』というものらしい。


「わかっているんでしょう? 今まで通りにはいかないことを」

親の死。
“母”と呼ばれる人の時とは違い、2人の死は随分と大事のようだ。

「御二人の【無神】亡き今、一族には貴方を従えることの出来る人はいないんです。
そのことで……彼等は貴方を扱いかねています」
「…………………………」
「いい機会ですから、『外』を見てきては如何ですか?」


まず勉強が先ですけどね♪と男は楽しそうに「さんすうドリル」「こくごの本」を見せた。

それから3年後、春      

初めて「洋服」に身を包み、中学校へ入学した。
星蘭中学校に。






皐月の章~直人編~





昨日の騒ぎのせいなのか、随分早くに目が覚めたものだ。
朝の訓練というほどのものではないが、早朝に目が覚めた直人は軽くロードワークを始めた。
戻って来ると、施設の裏側に設置されている水飲み場で朔夜が顔を洗っていた。
上着を羽織っているが、白い浴衣のような寝間着と白い髪は一目で彼とわかる目印だ。

タオルやハンカチを持っていなかったらしく、顔を振り水滴を払う。
弾かれた水が一瞬の煌めきを残し霧散する。
それをどこか綺麗だと思いながら、まだ腕で顔を拭う朔夜に近付き、持っていたタオルを渡す。
無言で突き出されたタオルに驚いたようだったが、素直に受け取ると朔夜は顔を軽く拭いた。

「ふう、サッパリした♪ おはよう菊地君! タオルありがとう!!」

出血が多かった割に傷は浅かったのかガーゼは既に無く、昨日の傷は白い肌に薄く赤い線を残しただけだった。
少し濡れた髪が反射し眩しかったが、それより遥かに眩しい笑顔が直人に向けられた 。

直人は、かつて『その威力、核兵器並み』といわれていた笑顔の直撃を受け、硬直した。

「菊地君?」

そして   

「あっ! 待って、菊地君                   !?」



逃げた。



「タオルは……?」

タオルと朔夜を残して。





朝、食堂。

「おはよう、朔夜」
「おはよう、俊彦」
朔夜を見付けるなり飛びついた志郎に溜息を付くと、俊彦もトレイを持って近付いた。
髪を染めた朔夜の、今日の髪は臙脂色だ。黒みを帯びた濃い紅色は不思議な渋みがある。

「晃司と秀明は?」
「もう任務に行ったよ」
「しかしよく秀明の部屋に泊めてもらえたよな」
「俺の粘り勝ち!」
「……確かにな」

昨夜の食堂での騒ぎの後、明日出発すると秀明が告げた。
その台詞に「じゃあ今日は秀明の部屋に泊まる!」という朔夜の台詞に勇二が猛反対したのだ。
秀明と同室なのも気に入らないのに、晃司の優勝商品と一緒など冗談ではない。
なまじ呪われた経験まであるものだから、勇二の拒絶は激しかった。
しかし、同室者の秀明の許可があったので朔夜は引き下がらなかった。

激しい言い合いは時間が経つに連れ、勢いは強くなるものの内容が幼稚になっていった。
最後には何故か、

「オレはお前なんか大嫌いなんだよ!」「大丈夫! 俺が好きだからッ!!」

というものに変わり、
「好き」と「嫌い」を言い合う
お前等小学生かよという口喧嘩が食堂に響いた。

かくして、結果は朔夜が押し切った。
天邪鬼な勇二は人に好意を向けられるという経験が少ない。
純粋に「好き」という言葉をぶつける朔夜の「好き好き攻撃(?)」に耐えきれなくなったのだ。
顔を真っ赤にした勇二は「勝手にしろッッ!!!」と叫ぶと、トレイを壁に叩き付け食堂を出ていった。

勝利を手に入れた朔夜は宣言通り秀明の部屋に泊まり、早朝、任務に赴く晃司と秀明を見送ったのだ。

「厳しい戦いだったよ…俺の気持が通じなかったら、どうなっていたか………………」
「いや、違うだろ」
初めは強く拒絶する勇二に対し朔夜に同情した俊彦だった。
が、あの言い合いを見ていると勇二が哀れでならなかった。
今も、朔夜から1番離れた所で食事をする勇二を見てると可哀想な気がしてくる。

勇二に同情の視線を送っていると、視界の端に直人と攻介が入ってくるのが見えた。
軽く手を上げて場所を示すと二人はトレイを持ってやってきた。
「おはよう」
「おはよう」
すぐ席に着く攻介とは違い、直人は僅かにためらいながら席に着いた。
「おはよう」
「ああ……」
「どうかしたのか?」
「なんか朝から変なんだよ」
「いや、なんでもない」
二人の視線を避けるように食事を始める直人は、ふと顔を上げた瞬間、朔夜と目が合った。

「………………………………」
「………………………………」


気まずい。


直人は逃げてしまったこと、朔夜は逃げられてしまったことをお互い気にしていた。
二人の気まずい空気が伝わったのか、俊彦・攻介の目が自然と二人に向けられる。
(志郎は気にせず自分の食事を続けていた。志郎には後で朔夜に食べさせるという使命があるのだ)

「お、おはよう」
「!」
笑顔で挨拶する朔夜に、朝の光景を思い出す。

    核兵器並みの笑顔の直撃。

「直人?顔赤いぞ?」
「おい、本当にどうしたんだよ」
そして  
「「直人      !?」」




逃げた。



「「……メシは?」」
朝食の乗ったトレイを残して。

朔夜は逃げられたことにショックを受けながら、「ご飯食べないんだ。いーなー」と思っていた。
自分の食事を終えた志郎に、朔夜が朝食を食べさせられたことは言うまでもないだろう。


「……俺、菊地君の気に障ること何かしたのかな?」
「思い当たることとかないのか?」
「なんか様子変だったぜ」
「朝もあんな感じだったけど」
「朝?」
「そういえば赤い顔して帰ってきたな」
「うん。晃司と秀明を見送って、水場で顔を洗ってたんだ。
そしたらタオルを貸してくれたから使ってお礼言ったんだけど……」
「逃げられたんだな」
「うん。……使っちゃいけなかったのかな?」
「いや、貸しといてそれはないだろ」
原因がわからず悩む俊彦と攻介。
逃げられて凹んでいる朔夜。
何故か知らないが(聞いていなかったので)凹んでいる朔夜を慰める志郎。





こうして、その日から朔夜を意識してしまい距離を置こうと思う直人と、
何とか直人と仲良くなろうと思う朔夜の、すれ違った思いによる追いかけっこの幕が上がったのだった。





(くそっ何をしてるんだオレは!)
任務帰り、心の中で悪態をつきながら直人は施設内を歩いていた。
任務は成功したというのに、気分は晴れない。
嬲り殺しにする趣味など無いというのに、妙に軽い荷物が自分の無駄撃ちを証明していた。

ここ最近(といっても数日前からだが)、朔夜が自分に近づいてくるので直人は焦っていた。
ファースト・インパクト(水場での挨拶事故)から、朔夜の美貌に直人は撃沈された。
男相手に意識するのもおかしな話だが、あの美貌と細い体付きは同じ性別とは思いにくい。
白い肌は繊細で、がっちりした体付きの自分が触ったら壊してしまいそうな気がする。
(実際、食堂で志郎が突撃する瞬間など、吹っ飛ぶのではないかと密かにハラハラしていた)

訓練や任務で顔を合わす回数自体は少ないが、同じ施設に住んでいる。
食堂なので顔を合わせないわけにはいかない。

それでも距離を置いている間は問題なかった。
しかし、気軽に近づいてくる朔夜に戸惑って逃げた。
それ以降、直人は逃げ続けた。
すると朔夜は追いかけてきた。
意外にも朔夜は勘が良く足が速い。
逃げれば追われ、隠れれば的確に見つけ出されまた逃げる。
気が付けば施設内を逃げ回る日々が続き、もはや何故ソコまで逃げるのか自分でもわからなくなってきていた。
俊彦に朔夜をどうにかしてくれと頼めば、人のいい彼に
「お前と仲良くなりたいんだよ」
などと、もっともらしく言われ言葉に詰まる。
(強く否定すると「何故逃げるのか」に話の重点が移動してしまうので強く言えない)

逃げ回る日々に疲れ苛立つ自分、そんな自分を自覚しているのに解決策が見つからず更に苛立つ悪循環。

予想外のストレスを、直人は考える暇を無くす任務中に発散させてしまったのだ。



気持ちを落ち着けようと射撃場へ向かっていたのだが……。
視界に朔夜が映った瞬間、直人は何も考えられなくなった。

「菊地君、任務お疲    っっ!?」


気が付くと朔夜を掴んで壁に叩きつけていた。


細い肢体は想像以上に軽く、簡単に壁に叩きつけられた。
今まで乱暴に扱えば壊れるのではないかと気にしていたのが嘘のように、何も感じなかった。
衝撃で眼鏡が音を立てて床に落ちた。
背中を打ちつけられ、激しく咳き込む朔夜をそのまま無理矢理引き寄せた。

「ここでなにをしている」

憎しみすら抱かれていると錯覚できそうなほど、直人の瞳は鋭く厳しい。

「俺はただ……」
「いいか、よく聞け。確かにお前はここに住むことが許された人間だ」
その瞳からぶつけられる感情はたった一つ。

「たがな、勘違いするな」





どこまでも純粋な「怒り」だった              





許せなかった。
実力を評価され、選ばれた自分達とは違う。
何の覚悟もなく、何の苦労もなく、ここにいる。
隼人や俊彦、攻介といったお人好しの奴らは朔夜がここに住むことを同情しているのは知っている。
だが直人は関係のない一般市民がここにいることに不満を抱いていた。
ただの優勝商品ならこうはならなかったはずだ。
朔夜が「高尾晃司の」優勝商品だったから許された行為だ。
薄々それに気付いているだろう、晶や徹など口に出しては言わないが面白く感じているはずはない。

許せなかった。
それでも朔夜が望んでここに来たわけではないし、自分達の任務や訓練を妨げたりはしない。
落ち着きがないと思うが、明るく陽気な彼が嫌いなわけではない。
だから直人はくだらない追いかけっこがあっても、特に朔夜に何も言わなかった。
多少自分の生活のリズムが狂ったが、それは朔夜のせいではなく自分が不甲斐ないからだと思っていた。
自分を捜し求める朔夜に困惑はしたが不快には感じなかった。


それなのに      


銃口を朔夜の額に押し付けた。


「オレたちは軍人だ。明日死ぬかもしれない戦場が生き場所だ。
ここで殺す為の知識を学び、殺す為の技を磨き、ここから殺しに行くんだ。勝つ為に、生き残る為にな」

この先にあるのは射撃場だけ、そこから朔夜が歩いてきた。





「そんな場所に………っ気安く足を踏み入れるな!!!!!!!!!!」





射撃場という軍人じぶんたちの領域に軽々しく侵入した事実は直人の逆鱗に触れた。


いまだ体内を駆け巡る怒りを抑え込み、直人は無言で朔夜を解放した。
口を開いたら「出ていけ」と叫んでしまいそうだった。
朔夜は襟を直すと真っ直ぐこちらを見た。
乱れた前髪のせいで、露になる美貌。


「ごめんなさい」


その言葉には色んな謝罪が込められている気がした。


「俺が軽率だった。これからはもっと、ちゃんと気をつけるよ」


落とした眼鏡を拾い、そのまま通り過ぎた。





「でも俺には帰る場所がないから、ここから出て行くことは出来ない。    ごめん」





すれ違い様、こちらの心を読むように零された言葉。

何故か胸が苦しくなった。





重い気分を振り切るように射撃場に入ると俊彦たちがいた。
「よお、お疲れさん」
「お帰り、直人」
「ああ…………」
「どうしたんだよ、何か任務に失敗でもしちまったのか?」
「いや」
それ以上詮索される事を拒み、会話を打ち切ると射撃を始めた。

的に描かれる人体の急所を容赦なく撃ち抜いていく。
連続で的を撃ち続けると、いつもより乱暴な射撃に気付いた俊彦が不思議そうな視線を向けてくる。

いつになく荒れた様子の直人が気になったが、全身から話し掛けられるのを拒絶する空気を出す直人に、心配しながらも俊彦は黙って様子を見ていた。
同じく直人の様子に気付いていた攻介は空気を換えようと口を開いた。
「さっきまで朔夜が来てたんだぜ。もうちょっと早く着てたら追いかけられたんじゃないか」

その言葉に直人の表情が険しくなる。

それを感じ取った攻介が「逆効果!?」と内心動揺するも何故そうなるのか解からず、俊彦に視線をやる。
俊彦も今までと違う直人の反応に、首を振りわからないと伝える。
    さっき会った」
「あー、そっか………もう追いかけられた後とか?」
「いや……」
「朔夜と何かあったのか?」
「別に」
直人の冷たい反応に俊彦と攻介が顔を見合す。

ここ数日、朔夜と直人の間で、追いかけっこが行われている事は施設内で公認されている。
追いかけっこの原因は誰も知らないが、直人が逃げ朔夜が追う姿は何度も目撃されていた。
原因不明のため誰もどちらに手を貸す事もなく成り行きを見守っていたが、仲の良い俊彦や攻介は逃げる理由こそ知らなかったが、直人が朔夜を嫌っているわけではないことに気付いていた。
どちらかといえば困惑しているのだということも。

直人は元から人付き合いが得意な方ではなかっただろう。
あの父親の元で育てられ、更に人間的な温かみや思いやりというものが欠けたように思える。
キツイ性格をしているが、朔夜はあの勇二すら物怖じなく話すように、直人とも普通に接していた。
任務や訓練と言ったもの以外の、朔夜と交わす普通の会話は直人には悪いものではないと思っていた。

自分たちが知らない間に何があったのか、直人から朔夜に対する拒絶を痛いくらい感じる。
そこに宿る怒りも。

「……本当に何があったんだよ。朔夜が気に障ることでもしたのか?」
「気に障る…………当たり前だろっ!!」

一度は抑えた怒りが爆発した。

「いいか! あいつは何の苦労も知らないお坊ちゃんでも、ここは軍事施設なんだぞ!
遊び場じゃないんだ!!! 気軽にこんなところをうろつきやがって……ふざけるにもほどがあるだろう!
これだからなに不自由なく育てられた温室育ちの人間は嫌いなんだ!!!!!」
「ちょ、ちょっと待てよ直人!」
「落ち着けって!」

吐き出された言葉の強さに驚いた俊彦と攻介だが怒りの原因がわかり、八つ当たりのように射撃を続けようとする直人を慌てて止めた。

「それってさっきまで朔夜がここにいたことを怒ってんだよな?」
「…………ああ」
「朔夜が軍人オレたちの領域に勝手に入ってきた事が気に食わないんだよな?」
「ああ…………」
何をわかりきったことを聞いてるんだと二人を見れば、なんとも微妙な顔をしている。
「なんだ」
「直人……」
「おまえ……」




「誤解してるぞ」「それも思いっきり」

「は?」



何が誤解だと言うのか。
俊彦がぽん、と肩に手を置いた。
「いいか、よく聞けよ。まず朔夜は射撃場ここに入ってないんだ」
「……なに?」
「朔夜は志郎を呼びに来たんだよ。科学省から連絡があったらしくて、探してくれって頼まれたんだって言ってたぜ。
そこのドアから顔出して志郎を呼んだだけで、本当に一歩も入ってない。」

あー、と頭を掻きながら視線を逸らし攻介が続ける。
「見ていくかってオレが声を掛けたけど、『自分がいていい場所じゃない』って遠慮して入ってこなかったぜ」
ついでに試し撃ちもしないかと言ったのだが、そこまでバラすとこっちが睨まれそうなので黙っておく。

驚愕の表情から次第に青褪めていく直人に不安になりながらも朔夜が言ってた言葉を口にした。

「あいつ、『それに銃は好きじゃない』って言ったんだ」
「前のプログラムの事、気にしてるんだろうな」

言われてハッと気付く。
直人と攻介も、俊彦の口から朔夜の旧プログラムの優勝秘話を聞いている。
助けたかったのに目の前で死んだ親友。
朔夜が唯一自分で手を下した最後の少女。
親友を殺し、彼女を殺した武器が銃だった。
あの白い髪はその時のショックで色が抜けたからだ。

「これでわかっただろ? あいつはちゃんとオレたちと自分が違うんだってわかってるんだ」
「そういう事に関しては朔夜の方が気を遣ってるくらいだからな」
「………………………………………………………………………………………………」
「なんだよ直人、顔色悪いぜ」

朔夜の疑いを晴らした俊彦と攻介だが、ひどく気まずそうな顔をした直人に首を傾げた。
こんな表情の直人を見たのは初めてだ。

「おまえもしかして……」
「朔夜がここに入ってきたと思って何かしたのか?」
「………………………………………………………………………………………………」
((図星だ!))

俊彦と攻介が神妙な面持ちで待つ中、ぽつりと呟いた。





「……………壁に叩きつけて、胸倉掴んで、額に銃を突きつけた」




うわぁ、やっちゃったよコイツ!!



二人は何も言わなかったが、表情がハッキリと気持ちを語っていた。

「……………どうすればいいんだ?」

一瞬、責めてやろうと思った二人だったが、直人の表情が今まで見たことが無いくらい不安そうだったのでやめた。

慰めるように両肩に二人の手が置かれた。




「「頑張れ」」



肩に置かれた手が限りなく重いと感じた。




続く

月と太陽の本編はやっぱりシリアスです。
外伝ではギャグキャラになっていた直人もマジでシリアスになってくれました。
私の直人のイメージそのものです。けむけむさま、ありがとうございます。
直人はプライド高くて孤高で不器用というのが私のキャラ設定ですから。
その直人に素直に謝罪ができるかどうか……気になるところです。
そして今回は素敵なタイトル画像も頂きました。
タイトル画像つけたらなんだか絵的にもグッとしまりますよね。
次回が楽しみです。何しろ直人といえば、あのオヤジも登場しますし。

次回作も頑張ってくださいね。直人がどうなるのか、とても楽しみです。