思い出すのは6年前の春   

舞続けるその子供は天女もかくやというほど、美しかった。

怒りに駆られここまで来たというのに。

美しさに心を奪われ、何も考えることが出来なかった。

舞が終わり、子供がこちらを見て礼をする。

子供特有の高めで澄んだ声が耳に木霊する。







               養子を取ろうと思ったのは、この後すぐだ。












皐月の章~菊地編~





菊地春臣は部屋に入ってから一言も喋らず、少年もそれに合わせて何も言わなかった。

睨んでいるのかというほど少年を凝視し、時々、それを誤魔化すように書類を眺めたり、ペンを走らせている。

件の少年は特に何かするわけでもなく、置物のようにただそこに在った。
白いシャツにジーンズといった軽装で渋みのある臙脂色の前髪が目元を隠している。
髪の隙間からレンズがのぞき、眼鏡をかけていることがわかる。
何故眼鏡をしているのかわからないが、隠すだけの価値がある美貌を持っていることを菊地は知っている。
その髪が、本来とても美しい黒い髪だったことも。

菊地の動かすペンの音や書類の音がする以外はとても静かな空間だった。
だがその静寂は    息子である直人が感じた心地良いものではなく、酷く息苦しいものだった。

仕事が一段楽したのか、空気に耐え切れなくなったのか、ようやく菊地はまともに顔を上げた。

「……なぜ、ここにおられるのですか?」


彼の部下や息子がいたら驚いただろう。

丁寧な口調。



まるで臣下が自分の主人に疑問を口にするときのようなそれは、彼がこの少年を自分より上だと思っていることがわかる。


彼は知っているのだ。
目の前の美しい子供はけして飾っておくだけの人形ではない事を。

「貴方がお呼びになったからです」

そのまま口を紡ぐ少年に菊地春臣は言葉に詰まる。


それは菊地が望んだ答えではなく、相手も理解しているだろうにそれ以上告げることはなかった。


言いたい事も聞きたい事も山ほどある。
しかし、この少年に答えを望むのは酷く危険なことかもしれない。

先程の静寂はなく、変わりにひどく張り詰めたものが漂っていた。

「息子さん、だったんですね……」

外であったときと同じ、少年の言葉に菊地はびくりと体を震わせた。
空気が揺れる。

「気付きませんでした。……血の繋がりはないようで」
「ええ、養子ですから」

自分の心臓が異常に激しく鳴っているのを自覚した菊地は、少年から視線を外した。
長めの前髪に眼鏡が互いの視線を遮っているはずなのに、少年の視線に自分の心を見透かされたような気がしたのだ。

そんな菊地の胸中に気付いてか、少年がふっと息をつく気配がした。

「話とはなんでしょう?」
「は?」
「話があるのでは?」

だから自分だけをここに呼んだのだろう、と含ませる響きに菊地は冷や汗をかいた。
そうだ、自分は言いたいことも聞きたいこともある。



何故今回はここにいる?
あそこにいる目的は?
何をするつもりだ?
その偽名の意味は?
このことは一族の    



だが面と向かって聞かれると、春臣は少年を前にして言葉どころか少年の姿を視界にいれることすら出来ない。

春臣はこの少年と初対面ではなかった。
直人は気付かなかったが、少年自身「こんにちわ」と挨拶を述べたが「初めまして」とは言わなかった。

1度だけ、彼はこの少年と出会ったことがある。
わずかな邂逅は、春臣に少年に対する激烈なまでの印象を与えた。
あの時、この少年の異常さを不気味に思ったことを忘れることが出来ない。
正直、同じ空間にいるのさえ、もはや彼には苦痛だった。

あの時の恐怖を、彼は       











        大丈夫、ほんの一部だけのことですよ”















彼は       















        意外と余計な事を知ってるんですね、菊地の【影】は。”















彼は       















                     銀 イ ロ ノ 目 ガ 笑 ウ















彼は       















        忘れて下さい”















       憶えている。
(それはなんに対しての恐怖だったのだろう?)





菊地春臣、中国諜報局局長であり直人の父親にして支配者である男は、目の前の少年が、とても。





恐しかったのだ。





菊地はは不甲斐ない自分を内心で叱咤すると、意を決して顔を上げた。

先程、直人と共にいた少年。

ただ直人といた時のような穏やかな空気はなく、酷く気配が薄く、瞬きでもすれば消えてしまいそうだ。
だが、その気配は逆に、菊地に少年の存在をより強く感じさせていた。
3年前より成長しているはずだが、受ける印象は全く変わっていない。
威圧感など持たず、けれど身に迫るプレッシャーはなんなのか。

何度か唇を湿らし、これだけは聞いておかねばならないと口を開いた。

「一つだけお答え願いたい」

少年がじっとこちらを見ている。
無言を肯定と解釈し、続ける。

「ここにおられるのは……【無神】のご意志か」






ふっと少年の口元が上がった。





その事に気付いた菊地は意外の念を感じずにはいられなかった。
菊地の知る少年は、笑うような子供ではなかったはずだ。

「あの家には、            はおりません」




それはどういう意味なのか   



少年は静かに一礼すると、そっと部屋を退室していった。

扉が閉められた瞬間、どっと疲れがでてきた菊地は大きく深呼吸をした。
「大変なことになりそうだな」

そう呟くと、菊地は少年の影を払拭するべく仕事に没頭し始めた。






















菊地の脳裏に6年前の出来事が浮かび上がる。

そこだけが隔離された空間であるように、ただ舞い続ける姿。

光すらその子供の為に差し込んでいるような。




   お初お目に掛かります、菊地様





   それがなにか?



どこまでも美しい、人形の様な、子供。

父親と祖父の死に、現場に居合わせたはずの少年は眉一つ動かすことなく、そう言った。
あの時の能面のような表情と、その美貌は今でも春臣の心に染みついて取れることはない。
















子供は、「性」を感じさせず、人の形をしているから、神が生み出した性別の無い天使と同じと考えられていた説がある。

だから子供は「神様の授けた子」だとか、「天使のような」という言い回しを使うのだと。

実際、子供の時は才があり『神童』と呼ばれる者が成長し凡人となるのは、子供の時にあった神の加護が消え、男や女になり、それぞれの「業」を受ける立場になってしまうからだと。




ならばあの子供も、いづれ男となり、凡人へと堕ちていくのだろうと思っていた。



……心のどこかそれを否定しながら。



再び目の前に現れた子供は、一瞬ひどく変わって見えた。

この子供も所詮凡人と同じだったと安堵したのも束の間、何も変わっていないことに気が付いた。

子供は初めて会った時と同じ、神の如き美貌と儚い気配を持ちながら、不思議な空気を纏っていた。
































まるで、ヒトではないかのように。

多くの謎を残し直人編も終了しました。
直人の養父と朔夜は知り合いだったんですね。
朔夜の一族と色々と関わりあるらしいですし詳細がかなり気になります。
何しろ、あの親父が敬語使うくらいですから。
他の特撰兵士の話も今から楽しみです。
特に薫の金ヅル……もとい例の彼女が楽しみです(笑)

けむけむさま、次回作も頑張ってくださいね。