「……この学校に転校して、一ヶ月か」
同級生と言ってもオレからみれば所詮は子供。
やっぱり気が合わないんだな。
その証拠に、今だに友達どころか、まともな会話すら一度もしたことがない。
この物語は、そんな孤高の転校生・川田章吾の身に起きた悲劇。
……いや、喜劇である――。
純情物語
「でさぁ、そこで慶時が来てな」
「ふーん、で、どうなったの。シューヤ?」
川田が屋上から教室に戻ると七原たちがいた。
仲のいい彼等は、放課後もよくおしゃべりをしている。
(オレには無縁の世界だな)
川田は机に近づき、帰ろうと鞄を持ち上げた。
「あ、川田。ちょうどいいところに。ほらこれ」
七原が何やら可愛らしくラッピングされたものを持ってきた。
「これ、さっき典子さんがくれたんだ。放課後一人になったら食べてねって」
(放課後一人になったらだと?妙だな……)
この時、川田は気付くべきだった。
「せっかくだからおすそ分けするよ。ほら」
七原は、その包みを差し出してきた。中にクッキーが入っている。
「これ美味しいらしいぜ。な、豊?」
「うん、美味しいよ」
すでにおすそ分けしてもらった豊は美味しそうに食べている。
くれるというものを断るのも失礼と思ったのだろう、川田は「じゃあ一枚だけ」とクッキーを手に取った。
そして口に入れた瞬間――。
川田はガクッとうなだれた。
(……こ、これは!!)
「か、川田、どうしたんだよ!!」
「……な、七原……ク、クッキーに……何……入れた?」
「な、何って……!これは典子さんにもらっただけ……で!
豊だって食べたのに、何もなかったんだぜ。なあ豊!」
七原は振り向いた。そして固まった。
豊が床に倒れ完全に硬直しているのだ。僅かにピクピクと動いてはいるが。
「し、痺れ……薬だ」
「痺れ薬!?なんだって、そんなものがクッキーに入っているんだよ!!」
この場合は、なぜ痺れ薬入りのクッキーを、典子が七原に渡したのか?が問題だろう。
しかし、七原はそこまで考えが及ばなかった。
ちなみに、この様子を遠くから眺めている一団がいた。
「ち!せっかく誰もいない放課後で七原くんと楽しい一時過ごせると思ったのに」
「しょうがないわね。今度は上手くやりましょう」
その一団は舌打ちしながら立ち去っていた。
「し、しっかりしろよ川田!!」
自分のせいだと思い込んだ七原は必死に叫んだ。
「な……七原、水……水をっ」
「水だな!よし、わかった、待ってろ!!」
七原は教室を飛び出し猛スピードで廊下を駆け抜けた。
走るのは得意だった。
しばらく走ると前方から月岡がルンルン気分でスキップして、こちらに向かっているのが見えた。
「完成、完成、完成よぉー♪アタシの大発明~~♪」
月岡は缶ジュースらしきものを高々と持ち上げ踊っている。
「つ、月岡、ちょうど良かった!!そのジュースくれ!!」
七原は強引に缶を奪った。
「ちょっと七原くん、何するのよ!!」
「悪い!後で料金倍にして返すから!!」
「倍にして返すって!!それ市販の缶ジュースじゃないのよ!!
アタシが発明した、性転換薬……って、行っちゃった」
――こうして、川田の悲劇が始まった。
教室中からヒソヒソ話が聞こえる……。
そしてジロジロと視線も痛いくらいに感じる。
無理もないだろう。昨日まで男だった人間が女だったと知ったら……。
その渦中にいた人物川田は頭を抱えて椅子に座ってうなだれていた。
「げ、元気出せよ……川田」
「そ、そうだぞ……七原から事情は聞いたが、おまえ人生経験豊富だし……
これでまた経験値上がったと思えばいいじゃないか」
七原のミスを知った親友の三村と杉村が、必死になって七原をフォローしている。
もっとも、その表情はこれ以上ないくらいに引き攣っているが。
「か、川田……」
七原が申し訳なそうな表情で近づいてきた。
「あら七原くん、もう川田くんじゃなくて、章子ちゃんなのよ♪」
「そ、そうだな月岡……あの、章子さん……本当にごめん!」
七原は必死に頭を下げた。
「七原くんは悪くないわよ!」
「そうよ!元々、あたしのクッキー食べちゃった川田さんが悪いのよ!」
いつの間にやら七原ガールズが集結して七原を慰める会を実行しているではないか。
「七原くんは優しいのね。自分は悪くないのに、そうやって責任感じるんだから」
「そうよね。七原くんはギターを持った聖人よ」
「本当にそうよ。七原くん、元気出してね」
あまりにも勝手な七原ガールズの励ましてに、七原は、「そうかな?」とちょっぴり洗脳。
「うん、そうよ。七原くんは悪くないの」
「だから元気出して」
「OK、今度は乗ってやるぜ」
ちょっぴり洗脳されやすい単純な七原はすでに意味不明なセリフまで吐き出した。
「……ちょっと待ちな七原」
「ん?何、章子さん?」
「……おまえって男は……この青二才が!!」
パンっ!!と、乾いた音が七原の右頬から聞え、その直後七原はふっ飛んで机に直撃していた。
「きゃーー!!な、七原くんがぁ!!」
七原ガールズが悲鳴を輪唱する。
「ちょっと章子!!七原くんに何するのよっ!!」
「そうよ、そうよ!!いくら不幸に陥ったからって秋也くんに当たるなんて最低よ!!」
「うるさいんだよ!!このバカ女!!黙ってなっ!!」
映画・極道の女たちの岩下志麻ばりの姐さん的迫力に幸枝たちはたじろいだ。
「あたしは、自分が被害こうむったから怒ってるんじぇねえよ!!
あたしはね、そいつの、単純なお人よしぶりが頭に来るんだよ!!
いいか、七原、よく聞きな!!おまえがお人好しなのはおまえの勝手だ。
だがな、それは優しさなんかじゃない。
長い目で見れば、おまえの周囲の人間を苦しめることに繋がるようなことになるんだ。
いや、周囲の人間だけじゃない。おまえ自身もだ。
甘さを優しさだと勘違いするのも、今日までにしな。
でないと、いつか本当におまえ自身が不幸になっちまうよ。
わかったら、反省して二度とバカな過ち繰り返さないことだな」
章子は煙草をふかしながら、スカート(林田先生が急いで用意したのだセーラー服を)にポケットをつっこみ去っていった。
「何よ、何よ!!あの女、七原くんを殴るなんて!!」
「大丈夫、七原くん。痛くない?」
七原は立ち上がると、「……オレは大丈夫だ。だから、もうかまわないでくれ」と言い、走り去った。
走るのは得意だった。あっと言う間に見えなくなった。
「おい七原!」
慌てて三村が追いかける。三村も走るのは得意だった。
「……七原、元気出せよ。川田の奴、急に人生変わっちまったからいらついているだけさ。
何も、本気で、あんな冷たいこと言ったわけじゃないと思うぜ。だから……」
「……オレ」
三村は妙な違和感を感じた。
落ち込んでいると思った七原が殴られた頬に手を添えて微笑んでいるのだ。
「オレ……あんな風に真剣になって怒ってくれた女性……死んだ母さん以来なんだ」
「……え”?」
三村は妙な予感を感じた。
「……いつも回りの女の人はオレにおべっかばかりなのに……それなのに……」
「……な、七原?」
な、なんだ七原……そ、そ、その……その恋する乙女のような瞳は!!
「お、おま……おまえ……まさか」
「……オレ……好きになったかもしれない。章子さんのこと……」
悪い予感的中!!
こいつ、完全に刷り込みされてるーー!!!!!
七原、おまえは卵から孵って初めて親見た雛鳥かよ!!
「ちょ、ちょっと待て七原!!川田は元男だぞ!!」
「それがどうしたんだよ!!オレ、女のひとの過去なんか気にしないぞ!!」
「そ、そういう問題じゃないだろう!!川田は女の癖に坊主に近いし!!」
「髪の毛なんかすぐに伸びるだろ!!」
「川田は、女にしてはごついし、性格も妙に渋いし!!」
「オレが優男で世間知らずだからバランス取れてていいじゃないか!!」
「だ、第一……」
「まだ何かあるのかよ!!」
「月岡が解毒剤作ったら、川田は元に戻るんだぞ!!」
七原はハッとした。
「わかっただろう?おまえたちは結ばれない運命なんだよ……」
「……じゃあ……オレは」
「そういうことだ……さっさと、あきらめ……」
「その前に、章子さんに告白して、女として生きる覚悟を持ってもらわなきゃいけないじゃないか!!」
げ!!こいつ、全然わかってない!!
「ま、待て七原!」
止めるのも聞かずに七原はすでにスタートダッシュを決めていた。
走るのは得意だった――。
「できた、できた。おまたせ章子ちゃーん」
「できたのか!?」
「うん、ごめんねー。でも、これで、あ・ん・し・ん・よ♪」
「助かった……これで元に戻れる。なれないセーラー服ともおさらばよ……」
その時だった。
「しょ、章子さん!!」
「七原?」
「章子さん!!オレと同じ墓に入ることを前提に付き合ってくれ!!!!!」
ビキっ!!!!!教室中に衝撃音が走った。
「……な、七原……おまえ、何を?」
「オレ約束する。絶対に章子さんを大事にする。だから、女として生きてくれ!!」
「……七原、あたしは女である事を捨てるんだぞ」
「そんなの間違ってる!!運命から逃げてどうするんだよ!!」
「……そ、そう言われても」
「おい待てよ七原!!おまえメチャクチャだぞ!!
これじゃあ、川田がかわいそうじゃないか!女を困らせるなよ!」
杉村が慌てて止めに入った。
「オレは真剣なんだ」
「おまえなあ、川田は昔男だったんだぞ」
「おまえも三村と同じ事言うのかよ、だったら聞くけどもし千草が性別変わったら、おまえは態度を変えるのか?」
「え?」
「おまえにとって千草はその程度の存在なのかよ!!」
「ちょ、ちょっと待てよ。その例えはおかしすぎるぞ」
「大事な人間だなんて言って置きながら、たったそれだけのことで気持ちが変わるなんて偽善だ!」
焦る杉村。なぜか月岡も、「そう言われればそうよね。愛があれば男でも女でも同じじゃない」などと七原を援護。
「あ、あのなあ。どうして、そうなるんだ?」
「七原くんの言うとおりよ。どうしても異性として付き合いたかったら杉村くんも薬飲めばいいじゃない」
「はぁ?」
「そうなれば男と女。何も問題ないでしょぉ?」
「あ、あのなあ!!論点がずれまくってるぞ!!!!!」
そう言いながらも、杉村は思わず想像してしまった――。
『弘子、おまえ、いい女になったな』
『貴男こそ、世界一かっこいい男よ』
(……ちょっと、いいかも)
は!オ、オオオオオレは何を考えているんだっ!!!!!
月岡、何て恐ろしい奴!!
オレはたとえ拳法やっていても、とてもじゃないがこいつには勝てる気がしない!!
「ちょっと章子、どういうことよ!!いつの間に七原くんを誘惑したのよ!!」
どこからともなく現れた七原ガールズ。
「ちょっと、あたしは付き合うなんて言ってないだろ」
「じゃあ、七原くんとは付き合わないのね?」
川田は頷いた。
「……そ、そんな」
「七原、おまえの気持ちは嬉しいが、あたしは今更女の幸せは求めないんだよ。
やっぱり元に戻るのが一番なんだ。わかってくれ」
「そんな……章子さんが男になるなんて……そんなの、そんなの」
七原は月岡が持っていた解毒剤を奪った。
「そんなの嫌だーー!!!こんなもの捨ててやるーー!!!!!」
そして走り去った。走るのは得意だった。
「あ、七原くん!!」
「ちょっと、章子、どういうつもりよ!!七原くんが傷ついたじゃない!!」
「そうよ、そうよ!七原くん、フルなんてどういうつもりよ!!」
「七原くんのどこに不満があるっていうの?あなた何様のつもりよ!!」
「あたしにどうしろって言うのよ!!」
「これさえ無くなれば章子さんは女として生きるしかないんだ……」
……でも、これで本当にいいのか?
七原はここにきて迷っていた。
「……これさえ無くなれば」
薬瓶を地面に叩きつけようと右手で高く持ち上げた。
「よせよ七原」
しかし、その手が振り落とされる事はなかった。三村が手首を掴んでいたから。
「……三村」
「杉村から事情は聞いたぜ。もう寄せよ」
三村は、ほら、ここに座れ、とベンチに座るように促した。
七原は大人しく従う。
「七原、オレはおまえが少し羨ましいんだ」
「なんで?」
「オレは今まで大勢の女と付き合ってきた。
付き合うのは簡単なことだ。しばらくするとキスするのも簡単だった。
その先のステップも簡単だった。自慢じゃないが三人の女を抱いた事だってある。
でも、おまえみたいに、たった一人の女を真剣に好きになった事は一度もない」
「…………」
「七原、おまえなら、いつかまた本気で愛せる女が現れるさ。
だから、川田のことはあきらめてやれ」
「……オレは」
「仮に川田に女であることを無理強いして、おまえはそれで満足なのかよ?
惚れた女を不幸にすることで、おまえは幸せ手に入れるのか?
違うだろ?おまえには無理だよ、そんな愛し方は。
おまえは優しすぎるんだよ七原。だから、おまえには出来っこないさ」
「……言ってくれるじゃないか三村」
七原は笑った。何だか涙が流れていた。
「ほら川田の奴困ってたぞ。解毒薬返してやれ」
「……ああ」
七原は涙を拭うを、「三村、おまえ、すごく、いい奴だな」と笑った。
「本当よ!アタシ、三村くんのそういうところが好き!!」
「「え?」」
振り向くと月岡が立っていた。
「アタシは性別なんて最初から気にしないわ。そうでしょ、三村くん!!」
「うわぁ!!よ、よせよ、やめてくれ月岡ぁぁぁぁーー!!!!!」
三村の悲劇は終わらない――。
~完~
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